生存教室 ディストピアを生き抜くために (集英社新書)

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  • 集英社 (2016年1月15日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087208160

生存教室 ディストピアを生き抜くために (集英社新書)の感想・レビュー・書評

  • 面白かった。
    現代を生き抜くための心身論。
    腰高の生活で、日本人は何をなくしてしまったか。

    内田先生と光岡先生で食い違うところもあり、面白かった。

    2017.3.16.

  • 個人的には内田樹氏の著作はあまり好きじゃないので光岡英稔氏の考えを知りたくて読んでみました。

    しかし読んでみると評価は逆転。

    内田氏の意見は非常に納得出来るものであるが、光岡氏の意見は同意しづらいものが多々あった。

    光岡氏の武道のスタンスは「戦いたい人、そして勝ちたい人」であり、内田氏は「戦いたくない人、そして楽しみたい人」という印象。

    二人のすれ違いトークがなかなか面白かったです。

  • 武道家で教育者でもある内田先生と武道家の光岡先生の共著。武道のこと、教育のこと、暗殺教室の話などが書かれているがタイトルから期待したような内容ではなかった。一つなるほどと思ったのは、昔の人は足腰が強かった。現代人は上半身ばかり、だから肝が座らないという話。

  • 裏のない善意であっても、教えるという行為によって教えられる側の立ち位置を相対的に引き下げ、支配する。教えている本人にその自覚はない。しかし掘り下げてみると、それは承認欲求の裏返しで、本来自分が得られるはずの敬意や名声が満たされないと感じているから、教えるという行為で自分を引き上げ、相手を下げようとする。身近なところにそういう人は結構いるし、そういう人と長く接していると、気疲れや敬遠したくなる気持ちが起きてくる理由がよくわかりました。

  • 武道と「暗殺教室」を通して語られる身体論と教育論。

    昔の人と現代人の体が違うとか、国によってケンカの始め方が違うとか興味深い話が多い。自分も持っている身体のはずなのに、その使い方がわかっていないこと、意識していないことが多いと改めて気づく。

    そして武術家として「どういう弟子を育てたか」が大事という内田先生はとことん教育者。
    人を指導する立場にあるなら、自分が目立つのではなくどんな部下をどんな後輩を育てたかが同じように大事なのだろうと思う。
    また「支配的であること」と「支配すること」は違うというのも至言。

    余談。
    「暗殺教室」はまだ読んでいないが、一昨日テレビで放映された実写映画版を見た。
    殺せんせーのあのキャラクターデザイン。
    ゆるキャラ的にだんだんかわいく見えてきて困った。色々変形するところがミソなのかもしれない。

  • 教育とは何か、身体とは、生きるとは何か、といった根源的な問いについて考えさせてくれる一冊。
    時代が変われば習慣や物事の判断基準など色んなことが変わるけど、一方で変わらないもの、変わってはいけないものもある。そのひとつは恐らく「あらゆる取り組みは生きていくため、生きる力を育み伸ばすために行われるべきこと」ではないかと思った。

    暗殺教室が読みたくなった。

  • 帯裏
    はじめに 「戦争の切迫」というアクチュアルな状況で考える生存の知恵 内田樹
    第一章 生存のために文化とはなにか
    第二章 古の身体文化
    第三章 生存のための学びと教えの作法
    第四章 古の身体に帰って見える未来
    おわりに 生存のための文化の本質を求めて 光岡英稔

  • 武術と精神論はセットになる。西洋格闘技ではあまり論じられることがないので面白い

  • 光岡導師と内田先生の対談本、第二弾。私も大好きな「暗殺教室」を題材に、教育論や武術論、身体感に話が展開していく。

    前作同様、噛み合っているようで噛み合っていないような、まとまっているようでまとまっていないような。そんな感じを受けたが、だからこそ話が点々として、不意に興味深い話が発生しているのかもしれない。

    昨年くらいからか、あるいはもう少し前からかは記憶が曖昧だが、光岡導師が盛んに「古のカラダ(躰・軀・體)に帰る」ということを言われ始めた。「古から受け継がれた武術をしている以上、その武術が行われていた頃のカラダにならなければ、真が分からない」ということで、「身体的ジェネレーションギャップを埋める」必要性を説かれ始めている。

    身体的ジェネレーションギャップを埋めるためには古の人たちが当たり前にしていたこと、できていたことを取り戻す必要があるが、それが現代人にはとにかく難しい。例えば米俵はなぜ60kgか。米俵を運ぶ役割を持つ誰もが扱える上限が、そうだったからだろう。つまり、米をよく扱う女性でも扱える重さが当時は60kgだったということだ。今はスーパーで5kgや10kgしか置いていないし、米屋で重たいものを買っても30kg。昔の半分が、今の人の上限ということだろうか。カラダは大きくなっているのに・・・悲しい話である。

    「小学校、中学校という、カラダが最も育まれるべき時に、一日何時間も椅子に座って頭ばかり使っている」のだから、足腰がスカスカになる。昔の寺子屋では、ゴロンと転がっていたり走り回っている子たちの横で、正座や胡坐で学んでいる子たちがいる。現代でいうと学級崩壊だが(笑)、昔はその辺りかなりおおらかで、自由闊達な雰囲気の中で学びが行われていたのだろう。それだけ、社会や教師に度量があったということだろう。

    武術でも、本誌に書かれているように、明治維新を機に古伝の武術の流派があっという間に600くらい消え、残ったものにも古のカラダがないから形骸化した形や型ばかりが残っているようだ。古流竹内流のエピソード、が印象深い。今はできる人がいなくなった・・・。文字にするのは簡単だが、かなり大きな出来事である。

    他にも、能と武術の関係、身体不在で戦争をすることの愚かさ・恐ろしさ、現在の教育のおかしさなど、話はとにかく多岐にわたっている。そのどれもが興味深い。ぜひ多くの人に読んでいただき、興味が湧いたならば光岡導師の韓氏意拳講習会や武学研究会を体験していただきたいなぁと思う。

  • 達人は一世代前の身体運用を知っている。
    暗殺教室読んでみたくなる。

  • 人気コミック「暗殺教室」をきっかけに始まった武道と教育の共通点を探るふたりの対談。

    いちばん面白かったのはエリツィン大統領が橋本龍太郎総理の股間を掴み、橋本総理がレクチャー通りにエリツィンのを掴み返して信頼を得たという話でした。なかなか肝が据わってないと出来ないですね。

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生存教室 ディストピアを生き抜くために (集英社新書)の作品紹介

人気コミック『暗殺教室』に武道家であり思想家の内田と武術家の光岡が着目。この作品に内在する「師を超えること」という極めて武術的なテーマをはじめ、生き残るための文化、知性とは何かを語る。


生存教室 ディストピアを生き抜くために (集英社新書)はこんな本です

生存教室 ディストピアを生き抜くために (集英社新書)のKindle版

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