- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087450484
作品紹介・あらすじ
小説はいつの時代も、いたるところで書かれてきた。古くは神話から始まり聖書へ、日本では漢語の輸入から文学の成熟へ。『ドン・キホーテ』、『ボヴァリー夫人』、『白痴』など、世界の名作を細部まで読み解き、物語の歴史を考察することで、小説の誕生からその構造や手法、作品同士の繋がりまでを面白く丁寧に解説する。現役東大生が熱中した特別講義を完全収録した究極の"世界文学"読本。
感想・レビュー・書評
-
著者の本は小説以外では書評「熱い読書 冷たい読書」「熊野でプルーストを読む」は読んだ。
本書は、小説とは何かという講義を元にしたもの。
まずゴーゴリと二葉亭四迷を語る講義。
四迷に関しては関川夏央「二葉亭四迷の明治四十一年」を思い返した。「あひびき」の引用があり、国木田独歩の「武蔵野」への影響もより納得させられた。近代が風景をその心境を映す対象として発見したという言説は、橋本治「江戸にフランス革命を」にもあった。
ドン・キホーテ
子供の頃に読んだが、風車に挑んでいくクダリしか記憶がない。グレアム・グリーン、矢作俊彦のパスティーシュは読んだので、原作もそんなものだろうと思っていた。いや~、これは面白い。最初キホーテを止めていたサンチョ・パンサもキホーテの狂気に引きづり込まれるとか、続篇では登場人物達はキホーテの前作の物語の読者で、キホーテとの邂逅を喜びつつ、からかって合わせているうち、やはり同じように狂気に囚われていくとか、贋作の印刷にキホーテが立ち会う等々。
騎士物語の否定は神話の否定に繋がり、近代小説の誕生を齎したという論考。
ボヴァリー夫人。
タイトルしか知らなかった。この分析も堪らなく面白い。
白痴
高校生の頃に読んだが、ムイシュキンの無垢さとロゴージンの周囲をも悲劇を齎す黒い情熱が印象に残っている。そんなに恐ろしい話だったか。再読しなきゃいけないな。
ポストモダンに対し批判的な論考もあり、暗喩の持つ力に対し、慎重であれとも説く。若き文学の徒に対し様々考えさせる内容。
パスティーシュの題材にあったスティーヴンスンの南洋での晩年を描いた中島敦の「光と風と夢」は大学の頃読んでいたが完読していない。読み返そうかな。
読書について、色々考えさせられる内容。読みたくなった本がまた増えたな。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
前書きからして面白い。
-
近代文学のおおよその流れが分かって面白かった。著者の言うように「19世紀の文学」にどっぷりはまってみたい気分になった。但し、作家になる気はないので全集は読む気はないが・・・
小説や物語を分析的に読むのは、あまり好きではなく、読んでて面白ければそれでいいと思っていたが、やはり、色々お勉強してた方が、より深い理解もできるだろうし、より楽しめるでしょう。
それにしても、名作と言われる物のかなりの作品が恋愛物で、不倫、三角関係いわゆるドロドロした何でもアリの男女関係を扱っているのに今更ながら驚きました。世の中も人間もそんなには変わってないと言う事なのでしょうか。 -
2016.11.25駒井稔氏講演
「世界文学の古典を読むためのお勧め8冊」 -
久々に読み終わってすぐ再読しなければならないと思った。という読みながら思った。
ロシア文学は十代のうちに読まなければダメと。私は既に手遅れだな。けど相容れないとばかり思っていたロシア文学で、ゴーゴリはなんか違うっぽいぞと思って実際短編を読んでみたらかなり好きな感じだった。誤解していた。
自然描写と心理描写の関係については自分のなかで漠然とした仮説みたいになっていたことをクリアにしてくれてスッキリ。 -
2014/10/29
いま読んでる
友達のフルート吹きにオススメされました。タイトルに「学」が3回も出て来るところが大事らしい。
2014/11/20
読み終わった
講義を書き起こした本なので、講義を聞けばもっと臨場感あふれるものなのだと思う。ボヴァリー夫人を読みたくなった。あとドストエフスキーは20歳までに読めって、もうだめかなあ。 -
『東京大学で世界文学を学ぶ』
辻原登
小説家は、フィクションをもって隠喩を解体し、また別の隠喩をつくっていく。……隠喩を解体するのは、隠喩でもってるすしかない。(p26)
……作家は何かを現実に訴えかけるときもやっぱり隠喩に頼ってしまう。それは別に作家でなくてもそうですが、ひょっとしたらここに落とし穴があるかもしれない。(p28)
暗喩について。ここでよく読まないとわからないが、村上春樹氏を批判している。大江健三郎に対するスーザン・ソンタグのように。
我々の生きているふつうの次元を超えた時間と空間を文章に盛り込んでいく。そいういう世界です。(p34)
時間の描き方。時は、一瞬であり、長い未来であるということ。
作品のほうが勝手に近づいていて、もう1回読んでくれと呼びかける。同時に我々も、もう1回読んでみようと何ものかに駆りたてられる。この両方によって再読、想起という世界が成立します。そこで初めて我々は、生の意味を「感得、感受」することが可能になるのです(p295)
小説がわれわれを捉えるのは再読されたとき、という言葉に続いて。然り。
実に丁寧に書かれている良書。 -
タイトルに惹かれて購入した。本にするために行った講義を本に纏めたものだそうで、これを読んだら東京大学の文学部の講義受けた気分に浸れるだろうという甘い考えのもとで読んでみた。思いのほかあまり難しくなく、読み切ることができた。もしかしたら辻原氏が本になった後の一般の読者を意識して、易しくしてくれたのかもしれない。
全体を10の講義に纏めている。
1 我々はみなゴーゴリから、
その外套の下からやってきた
2 我々はみな二葉亭四迷から、
その『あひゞき』から出てきた
3 舌の先まで出かかった名前
~耳に向かって書かれた〈声の物語〉
4 私をどこかに連れてって
~静かに爆発する短編小説
5 燃えつきる小説~近代の三大小説を読む1
セルバンテス『ドン・キホーテ』
6 燃えつきる小説~近代の三大小説を読む2
フローベール『ボヴァリー夫人』
7 燃えつきる小説~近代の三大小説を読む
ドストエフスキー『白痴』
8 物騒なフィクション
~ラシュディ『悪魔の詩』と冒涜するフィクション
9 自作『枯葉の中の青い炎』は、
どのようにして書かれたか
10 ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』を
どう読み、どうパスティーシュするか
という全部で十数回の講義を10章に纏めた。このため、これに紹介されているいろいろな小説、長編あるいは短編をなるべく読んでみた。二葉亭四迷訳・ツルゲーネフの「あひゞき」、バルザックの「ゴリオ爺さん」、コルタサルの「山椒魚」と井伏鱒二の「山椒魚」などなど。さらには追いついていないが、これから読もうと準備したのがトルストイの「アンナ・カレーニナ」、セルバンテスの「ドン・キホーテ」、フローベールの「ボヴァリー夫人」、ドストエフスキーの「白痴」、そしてどうしても手に入れて読んでみたいのがサルマン・ラシュディの「悪魔の詩」である。
私は小説を書く気もないし小説家になる気もないが、この本で小説はどのようにして書かれるのか勉強になった。この講義を受講したような気分になったから嬉しい。
この本によってコルタサルやバルザックという作家を知った。そして作品を読んでみた。井伏鱒二や二葉亭四迷にも及んだ。後半に題材として取り上げている「ドン・キホーテ」「ボヴァリー夫人」「白痴」もぜひとも読んでみたい。
また、後半に辻原氏本人の作品を題材にしている。もちろん彼の作品も読んでみなければいけないと思う。
最後は「パスティーシュ」について解説している。私はこの「パスティーシュ」を知らなかったが、辻原氏がヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」をパスティーシュする構想を解説しているが、これは既に「抱擁」として出版されている。これも是非読んでみたくなった。 -
ドン・キホーテ、やっぱり読むべきなのかもしれない。講義の内容はところどころ比喩に寄りかかりすぎな気もしたけれど、学生時代が遥か彼方となった私にとっても啓発的な本でした。しかし古い翻訳書の文意は実にわかりにくい。