- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087453270
感想・レビュー・書評
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「この花をこの花瓶に活ければ、先生が恋をなさるのではないかと」
アンリ・マティスの家にマグノリアのマダムからマグノリアの花を届けるよう、使いに出された家政婦のマリアはマティスに好きな花瓶に活けるよう言われた。目に止まった翡翠色の花瓶に活けてマティスの前に置いたところ、「君はどうしてその花瓶を選んだのかね?」と質問されたのだ。言ってしまってからマリアはおかしな事を口にしたと恥ずかしくなった。けれど、マチスは微笑み、その場でマリアを自分の家政婦に決めたのだ。
マティスは一目惚れする人だったのだ。窓辺の風景に、そこに佇む女性に、テーブルの上に置かれたオレンジに、花瓶から重たく頭を下げるあじさいに。ふとした瞬間にそのもの、その構図を好きになってしまい、その一瞬の気持ちを消える前にカンヴァスにコンテで書き写し、構図を考え、じっくりと配色を決め、それからゆっくりと、慎重に、絵の具を載せていく。まるで、恋を育み、やがて変わらぬ愛情に塗り替えていくように。
そして、マティスの側に家政婦として使えたマリアもそんなマティスの手から生まれる作品に恋をして、マチスの死後はマチスが作ったヴァンスのロザリオ礼拝堂で修道女になった。
「芸術作品に恋をする」という経験は美術作品では私はまだない。けれど、音楽なら、しょっちゅう経験している。ハイティンク指揮のオーケストラの演奏だと、その音の中にふんわりと抱かれている気持ちになる。ローリング・ストーンズの演奏にはずっと寄り添っていたくなる。
恋愛と同じように芸術作品を好きになる気持ちを原田マハさんは表現されている。原田さん自身が恋するように美術作品を好きになられるからだと思う。
画家エドガー・ドガとメアリー・カサットはお互いの才能を認め合っていた。パリの美術界の登龍門である「官展」の絵はどれもこれもつまらなく見え、「印象派」と当時の画壇からはけなされる自分達の新しい画風を武器にこれからの美術界を渡っていこうとする二人は良き戦友だった。けれど、ドガがたった14歳の踊り子に裸でポーズをとらせ、大作「十四歳の小さな踊り子」のためのスケッチをしているのを目にしたとき、メアリーは複雑な気持ちになった。
何のために少女はドガのためにヌードモデルになることを承諾したのか。「僕の作品はきっと売れるから、モデルの君はエトワール(星)になれるよ」とドガが言ったのだ。その頃、貧しい家族を助けるために踊り子になり、エトワールを目指す少女は沢山いた。いつしかバレエよりもドガの前でポーズを取ることに熱中してしまった少女にドガは、「明日からはもう来なくていい」と言った。作品がほぼ出来たから、「君はレッスンに戻りなさい。本気でバレエに打ち込みなさい。私も闘い続けるから、この命のある限り」と。
ドガはメアリーからも踊り子の少女からも遠い所に行ってしまったようだった。けれど、ドガにとっては初めから二人とも戦友だった。
「印象派」とけなされる新しい作風で堂々と美術界を渡っていくため、作品作りはドガにとって遊びではなく「闘い」だったのだ。
世の中の逆風と闘ってものづくりをする同士にふっと愛を感じる瞬間はあるのだと思う。だけどそこにとどまらず、涙を拭いて各々の道を突き進んだ先に「芸術」が花開くのだろう。そこには「切なさ」を含んだ愛ある芸術が生まれるのだと思う。
今は売れないがきっと花開くと信じる若い画家たちを応援したくて画材屋になったタンギー爺さん。絵の具代金が払えず代わりに絵を置いていく画家が多いので、いつしか画材屋兼画商になってしまった。絵の具の代金が入らないことと、画家たちの絵が売れないことで店が潰れかけているのに、ちっとも気にせず、画家たちと芸術談義に花をさかせ、応援し続けるタンギー爺さんは生き方が彼独自の作品のようなもの。画家だけではなく、理解ある画商も画材屋も画家と二人三脚で新しい芸術を作っていったのだ。
美術界で成功し、ジヴェルニーに睡蓮のある庭のある邸宅に住むモネ。家族の度重なる死を経験し、波乱万丈の人生でありながら、庭を愛し、食事を愛し、太陽の下の「アトリエ」で光溢れる絵を描き続けてきたモネ。その傍らには、助手であり、義理の娘であるブランシュがいた。モネは妻と息子、ブランシュは母と夫と死別するという悲しみを乗り越えて、「絵」という絆で結ばれた二人。ブランシュの作る料理もモネの丹精した庭も生き生きとしていた。
社会的にも怒涛の19世紀末。芸術が市民のものになり、それまでのサロンでもてはやされた形式的な暗い、よそよそしい絵から脱却して、自分達が生きている「今」の瞬間を切り取った作品を作ろうと闘っていた印象派の画家たち。裕福な家庭に生まれていても、親の理解も世間の理解も得られず貧しい生活を強いられた者もいた。彼らの作品には命が感じられ、力があり、愛があった。彼らを支えた人々に血が通い、愛があったように。
この本で、メアリー・カサットという今まで知らなかった画家やマティスの「ロザリオ礼拝堂」という建築作品のことを知った。Googleで調べてみると不思議なくらい魅力的だ。
カサットの作品もロザリオ礼拝堂も観に行きたい。美術に初恋するかもしれない。
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『美しい墓』
『エトワール』
『タンギー爺さん』
『ジヴェルニーの食卓』 の四篇
マティス、ドガ、セザンヌ、モネの四人の芸術家にそれぞれまつわるお話し。
『うつくしい墓』に描かれた、アンリ・マティスとパブロ・ピカソとの交流の話がとてもよかったです。
年老いた修道女のマリアによる思い出話です。
慈父のようなマティスの人柄がよく出ていたように思いました。
マティスという画家は実はその作品をあまり見たことがなかったのですが、マティスの人となりを読むうちに、マティスの描いた明るい色彩に輝く絵が見えるような気がしました。
語り手のマリアも、素晴らしい感性をもった娘さんだったと思いました。
「この花をこの花瓶に活ければ、先生が、恋をなさるのではないかと」という言葉が印象的でした。
ラストも素晴らしいとしみじみ思いました。-
yyさん。
こちらこそ、いいね!ありがとうございます。
原田マハさんは、ほとんど全部の作品をブクログで読みました。
アート系であれば、...yyさん。
こちらこそ、いいね!ありがとうございます。
原田マハさんは、ほとんど全部の作品をブクログで読みました。
アート系であれば、私はちょっとライトな『アノニム』京都が舞台の『異邦人』直木賞候補になった『美しき愚かものたちのタブロー』あとちょっと不思議な『ユニコーン』。小説ではありませんが『原田マハの印象派物語』もよかったです。アート系以外でも『サロメ』『奇跡の人』。漫画原作の『星守る犬』は泣けます。
yyさんは、フォローはされていらっしゃらないみたいですが、これからマハさんのレビューなど読ませていただきたいので、勝手にこちらからフォローさせていただきますね。2021/04/05 -
まことさん、ワクワクするようなお返事ありがとうございます。楽しみが増えました。ゆっくりになると思いますが、読み進めていきます。人生、楽しい!...まことさん、ワクワクするようなお返事ありがとうございます。楽しみが増えました。ゆっくりになると思いますが、読み進めていきます。人生、楽しい!
フォローありがとうございます。私はタイムラインが入ってくると ”あわあわ” してしまうので、あえてどなたのフォローもしていません。よろしくお願いします。
2021/04/05 -
yyさん。
いいね!をたくさんありがとうございます。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします!
これからも、マハさんの作品を楽しま...yyさん。
いいね!をたくさんありがとうございます。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします!
これからも、マハさんの作品を楽しまれてください。(ちょっと羨ましいです)
私もこの5月に出る、マハさんの新作のゴッホを楽しみにしています。
2021/04/05
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学生時代、気合を入れて勉強しても通知表に"5"がつくことのなかった美術。
それ以来なんとなく絵画、芸術に苦手意識があり、敷居が高い世界だと敬遠していました。
ですが、この本を読んで画家も自分と同じ人間で、一枚の絵にもストーリーがあると分かると途端に絵画に興味が湧いてきました。
次は「美しき愚か者たちのタブロー」を読みたいです。 -
ジヴェルニーの食卓 原田マハさん
【読みおえて】
著書の魅力は、やはりキュレーターである原田マハさんが描いた世界であること。
そして、巻末のとおり、参考文献を巧みに引用しながら、当時の世界を描いていること。
そう、まるで、今、ここの世界で起こっでいるような臨場感が読み手に降りてくる。
偉大な画家たちは、結果として、いま、偉大である。
しかし、当時の画家たちは、ただ、絵画を通じて、純粋に世相に訴えたかっただけである。
描きつづけることの苦難との戦いが見えてくる。切実である。
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「ジヴェルニーの食卓」
モネ。
モネが愛したアトリエの庭。
モネが弟子をひとりもとらず、そのモネを支えた義理の娘の回想録である。
晩年、両目の手術を行う。
それでも、なお、モネがアトリエに向かいつづけた。
モネは、アトリエの庭に何をみていたのか?
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「タンギー爺さん」
セザンヌ。
セザンヌが貧してした時代。
画材の提供をしていた画廊があった。
その画廊の娘の回想録である。
画廊は、セザンヌをはじめ若い新進気鋭の画家を積極的に支援をしていた。
画材の無償提供である。
代わりに、いつ売れるかわからない絵画と交換する。
娘が、画廊オーナーの父が、なぜ、それほどまでにセザンヌを推していたのか?回想する。
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「美しい墓」
アンリ・マティス。
マティスの側で給仕していた女性の回想録である。
恍惚の一日。
それは、マティスの晩年に、親友のピカソが昼食に訪れた日のことである。
マティスが、ピカソの見送りときに、渡したものとは?
マティスの弔問にピカソが訪れなかった理由とは?
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「エトワール」
ドガの物語である。
『14才の小さな踊り子』。
生前には評価されなかった作品。
この作品の制作現場に立ちあったアメリカ/女性画家の回想録である。
ドガは、この作品で世界に何を説いたかったのか?
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四人の芸術家を、その近くにいた女性達の視点から描いている。
マティス、ドガ、セザンヌ、モネという印象派の巨匠達の四つの物語。
フィクションではあるが、芸術家達の日常や暮らし、家族や友人との関わりなど、とても興味深い。
自分が読者であることを忘れ、まるでその時代のフランスに身を置いているような感覚だった。
タンギー親父を慕って集まる画家達の様子が、何ともいとおしい。
物語としては、モネの話が一番好き。
マハさんの美術系作品をもっと読んでみたくなりました。 -
代表絵画を通してでしか知らなかった巨匠たちが、良くも悪くもとても人間的で。彼らを取り巻く情景や人がまた、絵画的で。原田マハさんならではの表現なんだなと思う。特にモネの話は良かった。
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印象派は今でこそ、人気があり高く評価されているが、実際に画家たちが生きていた頃は異端扱いされ徐々に認められていった経緯があるのだということをつくづく実感した。印象派の絵画はどれもとても美しいが、背後には様々な画家たちの苦労や苦難があったのだろうなぁと。逆境に負けず、強い意志を持って描き続けたのだと思うと、見方も少し変わってくる。
マティス(&ピカソ)、ドガ、タンギー爺さんとセザンヌ、モネをテーマとした短編4話。1話目はニース、2・3話目はパリ、4話目はジヴェルニーが舞台。画家たちの近くで当時を生きた人たちの目を通した物語。ストーリーだけでなく、特にニースとジヴェルニーの、天気や季節、風景描写が素敵だなと思った。タンギー爺さんは『たゆたえども沈まず』にも出てきたが、絵が好きで純粋で心から優しい人柄に描かれており、心動かされた。
家族やお手伝いさん、同僚などとして画家たちの近くにいた人たちを通じて語られるマティス、ドガ、モネも素敵で、語り手と画家たちの遣り取りを、読者の自分もどきどきしながら読み進めた。 -
美術には特に関心があるわけでもない、知識皆無の私でも楽しめました。原田さんの読みやすい文章と美しい世界観に酔いしれながら・・・特に、表題となっている「ジヴェルニーの食卓」は、心地いい陽だまりの中にいるような感覚にすらなりました。
一方で、その時代まだ世間では受け入れられない「印象派」の作品に心を奪われた人たちが、自分の感性を信じて画家を支える姿にも感銘を受けました。私がその立場だったら、同じことができるかな・・・・と。そもそも、そんな感性を自分が持ち合わせているかどうかも疑問ですが。笑
影響受けやすい性格なのは重々承知で、近いうちに美術館に足を運び、自分の部屋にも絵画を掛けてみたいです。
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大好きな原田マハさんの美術系短編集。
全ての表現が美しく、フィクションなのに伝記のよう。
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原田マハさんの作品を読むと美術館に行きたくなる。美術館に行くと原田マハさんの作品が読みたくなる。モネ、マティス、セザンヌ、ドガとその周辺の人物たちにまつわる短編集。彼らの恋模様だったり、友情だったり、日々の葛藤だったり、これを読むと彼らの存在がぐんと近くなる。
いつの日か、大きなダイニングルームと、季節とりどりの花が咲き乱れるお庭と、光溢れる絵画があるお家に住みたい。