文庫版 書楼弔堂 破暁 (集英社文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784087455229

感想・レビュー・書評

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  • 去年から読みかけの鉄鼠の檻(別シリーズ)より先に読み終わってしまった。主人公の述懐が多めだけれど明治時代の不思議な書店に纏わるお話(大意)として納得の読み心地で面白かった。現代でも名を残している著名な作家が楼『弔堂』に関わる短編6編。誰が題材になっているのか探りながら読む趣向もあるのかな、勘や博識な人は『探書二発心』の尾崎紅葉の弟子で金沢出身くらいでピンと来ただろうけれど私が気付いたのはかなり終わりの方だった。『探書伍闕如』の弔堂の主が話す闕如のくだりに唸った。ここ、読めてよかった。
    次の『炎昼』も読もうっと。

  • 明治二十年代、書楼弔堂に訪れた人が本を買っていく物語
    登場人物は実在した後の偉人や、京極の他作品と関係のある人、架空の人物等様々


    シリーズ1作目
    コネで煙草製造販売業に就くも、風邪を結核と怪しんで休職して別居に移り住んだ男 高遠
    元幕臣の嫡男であるものの、元服後は御一新があったために武士としての矜持もない
    父親の遺産があるため、食いつなぐ分には普通に生活できる
    風邪が治った後もダラダラと別居を続け、近所を散策していたときに書楼弔堂に邂逅する
    「世界で一冊しかない自分だけの本」を求める店主が、いつの間にか集まった書籍を弔うために本を売っているという
    そんな弔堂に訪れる人々の悩み
    店主はそんなお客にどんな本を勧めるのか?

    主な登場人物は高遠と他二人ぐらい
    元僧侶である弔堂の主人
    弔堂の丁稚 撓(しほる)は見た目は美童だが口が達者
    他は店に訪れるお客

    「後巷説百物語」の「風の神」からおよそ十五年後という舞台設定で
    最後まで読めば、あのシリーズとの繋がりも……

    史実を踏まえて虚構を愉しむ物語ではあるけれども
    どこまでが史実なのか、歴史に詳しくない私にとっては判別が難しい
    読み終わった後に調べてみて、そんなエピソードや後に判明した齟齬など、実際に存在する事を知る


    ・臨終
    月岡芳年
    最後の浮世絵師といわれる人物
    主に残虐怪奇な無残絵が有名らしい
    シリーズ開始初っ端に産女を出してくるあたりが京極なりのファンサービスかな


    ・発心
    泉鏡花
    デビュー当時の筆名が畠芋之助というのは本当のようだ
    ただ、なぜそんな名前にしたのかは不明

    本名からして耽美を感じるのに、何故にそんな芋っぽい名前にしたのかという不思議


    ・方便
    井上円了
    京極ファンからしたらこの人の名前はよく聞く
    本人としては、怪力乱神を否定するために様々な怪異情報を収集していたけど、その網羅性と分類の適切さにより妖怪学の始祖とされている
    となると、画図百鬼夜行がその本というのも納得

    由良の関係者が登場するのも京極ファンとして嬉しい
    巷説百物語シリーズ「風の神」、百鬼夜行シリーズ「陰摩羅鬼の瑕」を繋ぐシリーズだというのがよくわかる


    ・贖罪
    ジョン万次郎
    中濱といわれてもピンとこないけど、その来歴の違和感から想像すると該当者はそうなりますよね
    そしてメインは岡田以蔵

    岡田以蔵は明治になる前に処刑されたはずだけど
    ジョン万次郎の護衛をしていたという記述も残っているという矛盾が基になっている

    井上円了のときにも出てきた勝海舟の図らいと人となり
    生きている人優先という考え
    岡田以蔵は「生きている」人ですからねぇ


    ・闕如
    巌谷小波
    少年少女向けの「こがね丸」を発表した事で、児童文学の先駆者とされているようだけど、浅学の身のため聞き覚えがない
    実は今で言うオタク的な収集癖があったともされるようだ

    確かに、自分の好きな書籍のこだわりや執着の仕方が現代のオタクに通じるものがある


    ・未完
    中禅寺輔
    これまで実在の人物を出してきて、ここにきて百鬼夜行シリーズの中禅寺の祖父を出してくるとは
    流石は京極先生、やってくれる!

    物語としては、相変わらず暇な日々を過していた高遠が撓に頼まれて本の買い取りを手伝うことになる
    その買い取り先が中野にある神社で、宮司をしているのは中禅寺輔だった

    中禅寺輔は中禅寺秋彦の祖父なのですね
    輔は父である洲斎が亡くなり、神社を嗣ぐため、妻と生まれたばかりの息子を残して一人実家に戻る
    今は神社を継ぐために神職の勉強や修行をしているところ
    買い取って欲しいという大量の本は洲斎が懇意にしていた戯作者菅丘李山の遺族から譲り受けたもの

    菅丘李山は「巷説百物語」主人公の山岡百介の筆名


    輔は神職を嗣ぐ決意をしたものの、陰陽師の在り方には否定的
    所詮ペテン師の類いなのではないかという疑問
    「迷信、まやかしは不要で滑稽なもの」と思っている

    まぁ、この疑問に対しては今作でも随所で語られている言葉や百鬼夜行シリーズで京極堂が語る言葉が答えなのではなかろうか



    「言葉は普く呪文。文字が記された紙は呪符。凡ての本は、移ろい行く過去を封じ込めた、呪物でございます」

    「書き記してあるいんふぉるめーしょんにだけ価値があると思うなら、本など要りはしないのです。何方か詳しくご存じの方に話を聞けば、それで済んでしまう話でございましょう。墓は石塊、その下にあるのは骨片。そんなものに意味も価値もございますまい。石塊や骨片に価値を見出すのは、墓に参る人なのでございます。本も同じです。本は内容に価値があるのではなく、読むと云う行いに因って、読む人の中に何かが立ち上がる――そちらの方に価値があるのでございます」

    「心は、現世にはない。ないからと云って、心がない訳ではない。心はございます。“ない”けれど、“ある”のです」「“ない”ものを“ある”としなければ、私共は立ち行きません」



    京極堂の憑き物落としにしても、実際はどうあれ、本人がそう思っているものというのが重要なんだよなぁ
    思い込みにより、「ない」ものを「ある」ものとしながら、「ある」ものを「ない」とする事もできる
    何とも哲学的ですなぁ





    あと、この物語の一番大事なところは、人それぞれ人生の一冊に出会うまで探し続けるというところでしょうか

    「本当に大切な本は、現世の一生を生きるのと同じ程の別の生を与えてくれるのでございますよ。ですから、その大切な本に巡り合うまで、人は探し続けるのです」

    私もそこそこな冊数を読んできているけれども、果たして人生の一冊に出会っているのだろうか?
    名刺代わりの10冊に挙げる事ができる作品はいくつかあるけど、その1冊あれば十分という本にはまだ出会えていない
    というか、今後も出会える気がしないんだがなぁ……

    もう、書楼弔堂に行くしかないっすねw




    それにしても、巷説百物語シリーズと百鬼夜行シリーズを繋ぐ重要なシリーズとは最初に読んだときは驚いたなぁ
    さらに、出版社が「どすこい」「南極(人)」を出している集英社というねギャップがありすぎでしょw

    それにしても中禅寺秋彦は祖父に育てられたんだっけ?
    で、敦子さんは奥さんの実家という、兄妹で別々の家で育てられたという
    この辺の事情は明らかになってないんだけど、今後ちゃんと明かされるときが来るんだろうか?

  • 面白かったー!
    明治20年代の東京。異様な本屋、書楼弔堂には無数の本が集められおり、己の一冊を求めて迷える人々が訪れる。
    そこの主人は迷いを晴らし、その人のための本を紹介する。
    まるで京極先生の説教を間近で聞いているような贅沢な気分になる本だった。

  • 書楼弔堂シリーズの第1弾。先に読んだ『炎昼』の方が第2弾であったか!ま、スタイルはまったく同じ(「私は誰でしょう?」スタイルと命名)。最終話のゲスト・中禅寺輔が名字からして京極堂の縁者らしい…けど、特に含みもない。
    ちなみに解説もナシ。勝海舟がいい味出してますー。ジョン万次郎をただの「お付きの人」で使うとは、勿体ない…。

    語り手の高藤彬のクズっぷり、京極堂シリーズの関口巽とはまた違ったベクトル向いたダメダメで…好きかも(笑)

  • 面白いとは思う。
    ややしつこく会話が続いて、飛ばし読みしたくなる。

    高遠のように生きてたい、なんだか好きなことをして生きてたい、と思いながら読んでいた。

  • 書物というものの存在意義を縦糸に,歴史上の人物達の思想を横糸に,書物を触媒に弔堂によって6篇が紡がれる.相も変わらず,現と幻との境界が曖昧模糊とした雰囲気を堪能できる.

  • 「書楼弔堂」シリーズの最新作が出たときからいずれ読みたいと思っていたものの、第1作の「破曉」を読んだのがまだ文庫化もされていない頃に一度だけだったので、この度久々に読み直した。 

    時は明治二十年代半ば、文明開化や四民平等が浸透してきた東京。その外れのまだ田舎風景が残る閑居で無為に日々を送る高遠が、ふとしたきっかけで書舗弔堂と巡り合うところから始まる。燈台のような変わった造りに、店先には「弔」の一文字を掲げるそこは凡そ書店には見えない佇まいだ。しかし和蝋燭の明かりに照らし出される薄暗いその内部には古今東西の無数の本が並ぶ。
    年齢不詳の店主曰く本は「呪物」であり、「記した人の生み出した現世の屍」である。しかし読む人がいることで屍は蘇り、その人の中に読んだ人だけの現世が、幽霊が立ち上がるという。また、読めば読んだ分だけ世界が広がるが、実のところはその人が必要とする大切な本はたった一冊あればよく、その一冊に巡り合えば仕合わせである。読まれぬ本は死蔵となるが、読む人の元に売ることが供養になる、それが店名の「弔」であると語られる。
    六章のそれぞれで月岡芳年や泉鏡花、勝海舟など史上の人物が探書に訪れ、毎度高遠が案内役などとして関わりつつ、各章の話はゆるやかに繋がっている。店主弔堂は本の知識に溢れるばかりではなく、時代の変遷にあって生き方に迷う人々に探し求める一冊と繋ぐことで、本とともにその人の懊悩も供養をしているようだ。
    読むのが久しぶりすぎて最終章に百鬼夜行シリーズにつながる人物が出てくることは覚えていなかった。それはうれしいサプライズだった。一方で単行本にはあったはずの「産女」の挿絵が文庫の方には入っていなかった。いずれの章にもキーワードとして幽霊が出てくるが、あの産女の絵がとても強烈な印象だったので、そこは少し残念。
    ともあれシリーズの続きを楽しみにして読んでいきたい。


  • この本を一言で表すと「粋」
    時代は変われど心は変わらぬ。

    「人に人は救えない、だが本は人を救うこともある」

    迷い悩み苦しみ。
    弔堂の主人が全てを超越してる様に惚れ惚れする。

  • メモしておくのを忘れてしまったので、正確な言葉ではないけれど

    本とは、既に死んでいるものである。


    言葉は道具でしかないのだから、重いも軽いもなく、
    ワードやエクセルを自在に使える使えないの違いみたいなものじゃないのかな。
    早くて便利で確実だけど、淡白かもしれない。
    どんな言葉を遣っても
    そこに、強い意思や深い思考があるかどうか
    自分でその言葉を遣おうとして遣ったのか
    受け手に対して、適切に遣っているのか
    そういうことが大事なんじゃないかなあ。

    道具に慣れてしまうことはあるけど、
    時々振り返ってみよう。

    つづく。

  • ようやく読めました。何回か挫折。短篇で良かった。今となっては京極堂のあの厚みは読めないかもしれない。年を取ったと思います。京極さんらしくて語り口、久々に良いです。登場人物が実在の人なので、その方のファンの方はもしかすると嫌かもしれない。

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著者プロフィール

1963年、北海道生まれ。小説家、意匠家。94年、『姑獲鳥の夏』でデビュー。96年『魍魎の匣』で日本推理作家協会賞、97年『嗤う伊右衛門』で泉鏡花文学賞、2003年『覘き小平次』で山本周五郎賞、04年『後巷説百物語』で直木賞、11年『西巷説百物語』で柴田錬三郎賞、22年『遠巷説百物語』で吉川英治文学賞を受賞。著書に『死ねばいいのに』『数えずの井戸』『オジいサン』『ヒトごろし』『書楼弔堂 破暁』『遠野物語Remix』『虚実妖怪百物語 序/破/急』 ほか多数。

「2023年 『遠巷説百物語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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