彼女のプレンカ (集英社文庫)

著者 :
  • 集英社
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087460438

感想・レビュー・書評

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  • 楽しい!と思っていたけれど、中盤あたりからだらだらとした感覚がずっと抜けなかった。
    表現はびっくりする程美しいことが度々あるが、色々な話が不完全燃焼の割に話の展開が多く、ごちゃごちゃしていた。

  • わかりづらかった

  • 表題の「彼女のプレンカ」と「八月のベーダ」が収録されている。
    彼女のプレンカはタイ、八月のベーダはミャンマーが舞台である。
    不思議な雰囲気の小説だというのが感想。
    正直言うと私の感覚には合わず、あまりよくわからなかった。

  • 東南アジアの空気、特に夜気は、重く甘く、そして深い。
    この本を読んでまず感じたのは、その土地特有の感覚だった。
    雑踏の喧噪、川から来る臭気、暴力的なまでの熱気、花々や香の匂い、極彩色の寺院、祈る人々・・・・・・。
    そんな街から、主人公である咲は、自らのルーツを追うようにして山間部の少数民族の村へと思いを馳せる。
    文庫版あとがきで、主人公と共にタイへと旅行にやってきた裕美子の存在は、そんな彼らの抱える「闇」の部分を暗示しているとあり、それを読んで、私は「ああそうか」と思わず膝を打ちたくなった。
    読み進めていく中で、そして読了後も、この小説における裕美子の存在の意味が、どうにも不可解だったから。
    しかしそれが「暗示」だと言うなら、納得できる。

    私たちは先進国で生まれ育ち、溢れるほどの文明の恩恵にあずかって暮らしている。
    それはつまり、理性的な生活レベルを維持していくことと同義なのだと思う。
    ある一定の抑止力を以て、私たちは社会という枠の中を生きている。その中で人も経済も動いていく。
    しかし、文明的なものとは遠いところにある場所、たとえば少数民族の住む村などへ足を踏み入れてしまえば、そこでは、ふだん当然のように働かせている抑止力が、いくらか弱まってしまう。なぜなら、価値観が違うし、常識が通じないし、当たり前にあるはずの文明の恩恵にあずかることが出来ないから。

    社会の歯車に過ぎないはずの自分が、社会という殻を脱がされてしまえば、どうなるのか。
    残るのは、剥き出しにされてしまう本能。

    その、本能の部分を暗示するのが裕美子の存在だというなら、納得できる。
    主人公である咲は、かなり深いところまで踏み込みながらも、けっきょくは旅を終え、日本へと戻る。
    けれども裕美子は、行方不明のままだ。
    アピーもミーシアも裕美子も、姿を消してしまった。
    そこにある「闇」は、自分だけの力では目覚められないほどに、きっと深い。

    咲は、理性。
    裕美子は、本能。
    それらをうまく手懐けて生きるのは、そう難しいことではない。
    けれども人は、ときどき無性に旅に出たくなる。

    本能とノスタルジーは、どこか似ている気がする。
    ここではないどこかを思わずにいられないのは、抑えられた本能が叫んでいるせいではないかと思わずにいられない。

  • タイの少数民族が、天と地を行き来する道具として儀式に使うプレンカ(ブランコ)。 それはそのまま、生と死のあわいを揺れる登場人物達のようだ。 死の影に満ち満ちた話だが、生の雰囲気をふんだんに含む南国の湿った空気を吸い込んだ気分になる。 死について掘り下げれば、相対的に生のコントラストも強くなるのだろうか。 己のリセットを選ぶ登場人物たち。 あまりにも濃いその生と死に、息苦しさを感じたのかもしれない。

  • 中上紀さん。

  • うーん、、、。アジアの湿気を帯びた暑さ、それによる気怠さみたいなものが、文章に漂っている感じ。

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