- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087460988
作品紹介・あらすじ
天智天皇、天武天皇の時代を通じ、物部連麻呂は最下級役人だった。壬申の乱では大友皇子の側に立ったこともあり出世は望めなかった。しかし天武の没後、石上の氏族名に変わり、持統天皇、元明天皇の時代には徐々に位は上がっていった。和銅元年(西暦七〇八年)には、臣下の最高位である正二位左大臣にまで上りつめた。なぜ麻呂はそこまで出世できたのか。闇の部分に迫る古代史長編小説。著者絶筆。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
4-08-746098-3 479p 2006・11・25 1刷
-
700年ごろ。天智天皇,大友皇子,天武天皇,持統天皇,文武天皇,元明天皇に仕えた物部朝臣麻呂の話。
麻呂は石上物部に生まれ,蘇我・物部戦争では中立の立場を守ったがゆえに生きながら得ることが出来た。
蘇我氏に敗れた物部氏は政界から遠ざかり,物部の民は奴婢として貴族らに仕えることを余儀なくされ,麻呂も冠位は最下位近くだった。
武術や情報収集の才に恵まれ,常に先の時代の流れを読むことが出来た麻呂は,天智に才を見出され,大友皇子の武術師範に抜擢されたが,時代の流れは天武側に流れていた。麻呂はそんな流れを掴み,天武の舎人の一人で物部系の朴井連雄君にそれとなく自分を売り込んでおいた。大友皇子の最期を看取り,首級を天武に差し出したのは麻呂であり,天武は性格的には好まないほうであるが,その才を買い遣新羅使に抜擢し,あらためて情報収集や分析力の高さをかう。天武の妻の持統天皇の代では,巧みに藤原不比等に近づき,自分を売り込み貴族階級にまで昇っていく。不比等は天智の子供とも噂され,持統や草壁皇子に愛されたが,政治手腕に長け,年も取ってきた麻呂は次第に時代に取り残されていく。最後は,人臣最高位の左大臣にまでのぼりつめた麻呂だが,不比等の傀儡のようになってしまっていた。平城京への遷都に反対の麻呂だったが,左大臣の名誉と引き換えに了解する形となったようだが,結局最後は麻呂も不比等の言うままになるのにこらえられず,藤原京の留守司で残ることで一矢報いた感じである。
以上のようなあらすじだと,出世欲にかられ昇進はしたものの,晩年は不比等に操られるような惨めな感がし,好ましい人物に思えないかもしれないが,最下級の時代や,物部の没落時代を眼に見,肌で感じてきており,奴婢や農民に優しい目を向けていたようである。平城遷都の反対についても,藤原京遷都から10数年しかたっておらず,動員される農民のことを思って反対していたようである。不比等の大宝律令についても,農民の負担が重過ぎると反対のようだった。