クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)

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著者 : 若桑みどり
  • 集英社 (2008年3月19日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (575ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087462746

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クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 天正使節団、4名のキリシタンの子ども達が400年以上前にバチカンにまで行った。行くだけでも2年以上かかる旅程をよく行き着き、さらには無事で帰ってこられたものだ。
    16世紀の日本は、宣教師によりかなりの早さでキリスト経が広がっていった。貧しいものだけでなく、キリシタン大名と呼ばれる者も数名いたことから貧富の差なくキリスト経の来世があるという思想は、この時代民衆に受け入れられやすいものだったのだろう。
    しかし、天皇制をとる日本にとってキリスト経が広まることは、支配層にとって脅威であった。
    秀吉の時代からキリシタン弾圧がはじまり、その時期に帰国した4名の少年達は、つらい運命をたどることになった。
    生きた時代により、どんな運命が待ち構えているか誰にも予測がつかないし、自分の力だけではどうしようもないことがある。

  • 目からうろこが落ちっぱなし。こんなに重要な歴史をどうして今まで学ばずに来たのだろうと思う。
    背景理解のために第一章は大切なのだけれど、なかなか読みにくくて、挫折しかかってしまうのが難点。第二章まで頑張ればあとは読まずにいられない。物語が動き出す。

  • 上下あわせて1000ページ超の大著。上巻は日本におけるキリスト教の布教史から、天正少年使節として旅立った少年たちがフェリペ二世に謁見するまでをつぶさに記載(特に前者)。戦国という激動の時代に、キリスト教が巻き込まれていくようすについて、詳細な調査をもとに細かく記述しつつも、アツい文章を堪能。序盤の九州大名のあたりは基礎知識が無いこともあってやや難しかったですが、信長が文化として惹かれつつも布教はあくまで利害関係として認めていたところとかは面白く読めました。後半は帰国後の迫害の歴史か…。

  • 初めてヨーロッパに渡った日本人は誰か。記録上では鹿児島のベルナルドで日本名はわかっていない。天正遣欧少年使節がローマ法王に謁見したのはベルナルド渡欧から約30年後の1585年。それまでは一部の宣教師や貿易商のみが知っていた日本人をヨーロッパが初めて見、逆にヨーロッパを見た日本人が日本の戻ったのもこの時が初めてだった。しかし、彼らが帰国する直前に豊臣秀吉がバテレン追放令を出しており、キリスト教は弾圧された。

    著者の若桑みどり氏は西洋美術史が専門で若い頃にローマを訪問しミケランジェロに出会う。しかし、「東洋の女であるおまえにとって、西洋の男であるミケランジェロがなんだというのか?」という心の声から西洋と日本、そして自分自身につながることを研究したいと出かけた二度目のバチカンで天正少年使節の豊富な資料と出会った。そしてローマ留学した自分と彼らを重ね合わせている。

    当時ヨーロッパではルターの宗教改革によりカトリック教会は組織的な見直しを迫られており、その一つとしてイエズス会が活動を始めていた。会の目的の一つが高等教育機関の運営と世界各地への布教活動でアジアではインドのゴアが布教の中心でフランシスコ・ザビエルが日本に来たのもその一環だった。またポルトガル、スペインが世界を二分しアジアはポルトガルが優先権を得ていた。ポルトガル商人は日本と中国の金と銀の交換比率に目を付け日本の銀を中国で金と交換し仕入れた生糸を日本で売る。その商人の一人ルイス・デ・アルメイダは1557年豊後に日本に最初の病院を建てるために私財を投げうったのだが何がきっかけでイエズス会に入ったのかははっきりしない。その後も九州で布教と無償の医療活動を続け日本で生涯を遂げた。

    九州の藩主がキリスト教を受け入れたのは南蛮貿易が頭にあったことは間違いがない。一方でアルメイダのように西洋の科学を知る者は日本人の知識欲を満足させた様だ。かのザビエルは「日本人は非常に好奇心に富み、知識に渇し、問題を出し、またその答えを聞いて、少しも疲れない・・・・」と辟易した様子を見せている。ついでにいうとザビエルは日本人は強欲で戦争ばかりしておりに本を占領するのは骨が折れるのでやめたほうがいい、中国人の方がさらに優秀であると言って本人は中国に行きたがったが果たせなかった。

    ザビエルの布教の後継者が天正少年使節を企画したイタリア人のアレッサンドロ・ヴァリニャーノだった。使節の目的は日本での布教のための経済的な支援をえることと、帰国した後の少年達に見聞きした物事を語らせ布教の役に立たせるためであった。ヴァリニャーノの宣教方針は日本の文化と伝統を尊重し、大友宗麟、大村純忠、有馬晴信など九州ではキリシタン大名が一大勢力となり領民も多くがキリスト教に帰依した。

    ヴァリニャーノによる日本人の長所や特徴は以下の様なものだった。極めて礼儀正しく、理解力があり下層の人々も一般に高尚に育てられ仕事に熟達している。国土は貧しく庶民も貴族も極めて貧困であるが貧困は恥とは考えられていない。ある時には貧しくても清潔で低調に待遇されるので、貧困が他人の目につかない。日本人は世界で最も面目と名誉を重んじる国民である。彼らの間には世にも奇妙な支配の方法が見られる。彼らはその家庭に置いて、また配下のものに対して絶対的な君主である。・・・誰もが自分の家臣や子供を殺す。武器を重んじ戦うことは希であるがひとたび戦うと死に到るまで徹底的に戦う。相手が警戒していない時にだまし討ちにする。極めて忍耐強くあらゆる苦しみや不自由を耐え忍ぶ。感情を表さず誰かに対して復讐しようとするときも、ともに笑い、ともに喜び、相手が最も油断した時に刀に手をかける。通常、一撃か二撃で相手を倒し、それから何事もなかったように冷静に刀を鞘におさめ、動揺もせず、言葉も発せず、激した表情も見せない。うーむ中村主水の必殺仕事人だわ。

    日本人の悪い所は「好色(特に武将や僧侶の男色)」「裏切り」「虚言」「残酷ー生命の軽視」「泥酔」などここまで読むともはや文化的に理解しようとするのも難しい人種に思えてくる。しかし、その日本で子供の頃に洗礼を受けた純粋なキリスト教徒をヨーロッパに派遣することはカトリック教会にとってもその威光が世界の果てまで届いた証明でもある。また日本では寄付によって協会を運営するのははなはだ困難であり、布教のための教会や学校を運営するのには金がかかる。イエズス会は商売を禁じていたため本国からの援助も必要であった。

    イエズス会の隆盛と一転しての弾圧は信長の天下取りと密接に結びついていた。信長は比叡山や一向宗については徹底的に弾圧しており一方でキリスト教は庇護した。また、自らを神のような存在にしようとしており天皇家や将軍もないがしろにしていた。秀吉の豊国神社、家康の東照宮と二人が死後神として祭り上げられたのに対し、信長が祀られたのは明治になってからだ。古くは応神天皇、平将門、菅原道真と恨みを持って死んだものは祀られたのに対し信長は捨て置かれている。話がそれてしまった。

    1582年に使節が出発しその年の6月に本能寺の変が起こった。彼ら4人の運命は下巻にて。

  • ★私たちはいま500年単位で歴史を考えるときがきている

    クアトロ・ラガッツィというのは「4人の少年」というイタリア語で、九州のキリシタン大名3人が戦国時代末期にローマ教皇庁へ派遣した日本の少年4人、伊東マンショ・千々石ミゲル・中浦ジュリアン・原マルティノのこと。

    世界史的にはちょうど大航海時代のど真ん中、織田信長の命を受けて天正10(1582)年にイエズス会に率いられた4人の少年使節が、小さな帆船でローマめざして日本をいざ出発。大海原をものともせず2年かけて到着を果たし、少年たちは袴姿に刀を差して晴れがましくローマ教皇に拝謁したのでした。こんなとてつもない計画立案・実行をしたのは、イエズス会の伊太利亜人ヴァリニャーノで、彼は日本や中国を西欧とは違うが同等の高度な文明をもつ国として尊敬していて、この使節派遣も東西文明の相互理解を目的としたものでした。出発して8年を経て、彼らは帰国して西欧で得た知識や文物そして印刷技術を伝えました。でも、あれほど絶頂期でキリスト教保護に熱心だった織田信長もすでにこの世になく時代は急変して、四人は迫害のなかで病死したり、殉教に倒れたり、棄教したりする者もいるというなんとも最悪の末路でした。最後は、60歳になったかつての少年使節のひとりの苛烈な死とマタイ伝の引用で幕が降ります。

    初めて読んだ若桑みどりは、『戦争がつくる女性像 第二次世界大戦下の日本女性動員の視覚的プロパガンダ』(筑摩書房1995年、後にちくま学芸文庫2000年)だと思っていましたが、ひょっとして別かも知れないと、今回いろいろ調べてみるとやっと判明しました。それより1年前の生意気盛りの中1の時に読んだ、雑誌『夜想5』(1992年)に載っている論文というかエッセイが最初なのでした。

    それは「屍体 幻想へのテロル」という特集の中で、「屍体のメタモルフォーズ」というもので、どういう内容のものなのかは、今すぐその雑誌が見つかりませんので不明ですが、同誌には他に、由良君美の「Necrophagia考」とか、中野美代子の「屍体幻想」、深作光貞の「全身木乃伊の生と死」や、中井英夫の「屍体透視」、寺山修司の「屍体の告白」などそうそうたるメンバーが執筆しています。

    1992年といえば彼女は57歳、まだ千葉大教授でしたが、こういう変わった嗜好の雑誌に堂々と書いていたということに驚きます。

    ◆レビュー日:2008年03月23日
    ◆推敲(更新)日:2012年11月21日

  • 4人の少年がローマで教皇に謁見するにいたるカトリック、日本の事情を当事者の日記、手紙などの資料をもとに解説。
    旅の記録、4人それぞれのその後の人生まで丁寧に記述している。
    なかでも使節団の企画者、イエズス会宣教師ヴァリニャーノのエピソードは興味深い。
    イエズス会というと「剛」のイメージが強かったのだけど、彼の柔軟性、開明性、適応性はホントにすごいと思う。フェルディナンド2世の家庭教師が彼だったら30年戦争もなかったろうに・・・

  • 1580年頃に、日本から欧州に派遣された天正青年使節にまつわる話。
    もの凄い細かい歴史的背景、人物紹介などを含めた少年使節が派遣されるに至る経緯を、膨大な文献を証拠に紐解いている。
    当時戦国時代だった日本では海外との折衝が多くあり、その中でキリスト教の布教が日本に与えた影響は大きかった。キリスト教の布教には、スペイン国王、ボルトガル商、イエズス会、日本の戦国武将など、多くの人物が絡んでいる。その中でも、ヴァリニャーノというイエズス会巡祭祀を中心として、キリスト教の日本への布教と、天正少年使節の派遣との関係をときながら、展開が進む。

  •  天正少年使節を軸に、戦国時代末期から安土桃山期の日本と世界の出会いを詳細に描いた大著。
     少年使節は、それまでのどの時代よりも日本が世界に開かれた時期に祖国を発ち、世界の覇権をうかがう西欧を見聞し、ローマ教皇との謁見の栄誉に浴した。しかし彼らが帰国した時、日本は急速に世界との扉を閉じようとしていた。
     信長や秀吉、戦国大名たちがどのようにキリスト教宣教師とその背後の西欧に向き合ったのか、宣教師たちが見た日本はどのようなものだったのかが詳述されている。
     著者は「私は一枚の史料よりも、その人間の行為や言動の総合によって判断する。(中略)人間よりも一枚の紙や一個の印鑑を信じるのが歴史家ならば、私は自分が歴史家でないことに確信をもっている。史料ではなく、人間を読む歴史家だと言いかえてもいい」と語っている。
     著者の視線は、歴史の流れ以上に、歴史の中で生きた一人一人に注がれ、天下人も宣教師も使節の少年たちも同じ人間として生き生きと描かれているのが、非常に好ましく感じる。
     本書は、病死、亡命、棄教、殉教に分かれた4人の少年使節の最期で結ばれる。学術書ながら、著者が描く4人の人生の結末は文学的な感動をもって迫ってくる。

  • もっと小説っぽいものを期待して読みはじめてしまったのでかなり苦戦。物語ではなく、どちらかというと論文に近い雰囲気です。(論文としてみればかなり一般向けに読みやすいものですが)
    日本におけるキリスト教の状況や、大名たちの事情なんかもかなり詳しく書かれていて、それだけにちょっぴり難解。かなり気合を入れて読まないとワケが分からなくなります。「分かりやすく伝える・楽しんでもらう」というよりはどちらかというと「正確な史実を伝える」ことを主眼においている印象。手ごわい相手ではありますが、興味深いところではありますし、頑張る価値は大いにある作品だと思います。

  • ●構成
    第一章 マカオから大きな船がやってくる
    第二章 われわれは彼らの国に住んでいる
    第三章 信長と世界帝国
    第四章 遥かに海を行く四人の少年
    --
     戦国時代における、イエズス会による日本でのキリスト教布教活動は、困難をきわめた。豊臣秀吉および徳川家康による相次ぐ禁教令でついに西洋からの布教者が退去するまでの短い間、彼らは様々な手段で日本にキリスト教の種を蒔くことに力を注いだ。
     その中で、最も壮大で、またイエズス会の業績の最たるものである、天正遣欧少年使節は、キリスト教史だけでなく日欧の交流史としても、西洋人の日本観と日本人の西洋観の研究においても、非常に注目される。
     本書は、数多くなされてきた天正遣欧少年使節の研究成果をふんだんに取り込み、また幾つかの点では従来の研究と異なる著者自身の仮説を交え、歴史ノンフィクションとして読み応えのある本である。上巻では、フランシスコ・ザビエルによる最初期の布教活動から、織田信長と接近し日本での立場を強化しながら信徒を増やしていくイエズス会全盛期の様子を述べ、使節のリスボン到着とマドリードへの移動までを描く。特にイエズス会の日本での活動の様子は、会の中でも布教方針の対立が見られることや、布教基盤の強化のために時の権力者である織田信長とどのように関わり合っていくかを詳述する。
     著者の自分語りがところどころ出てくるのはご愛嬌だろう。さほど気にならずに、物語に引き込まれてゆく。

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クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)の作品紹介

十六世紀の大航海時代、キリスト教の世界布教にともない、宣教師が日本にもやってきた。開明的なイエズス会士ヴァリニャーノは、西欧とは異なる高度な文化を日本に認め、時のキリシタン大名に日本人信徒をヨーロッパに派遣する計画をもちかける。後世に名高い「天正少年使節」の四少年(クアトロ・ラガッツィ)である。戦国末期の日本と帝国化する世界との邂逅を東西の史料を駆使し詳細に描く、大佛次郎賞受賞の傑作。

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