広瀬正・小説全集・4 鏡の国のアリス (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087463668

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  • 左右が入れ替わった世界の物語。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    銭湯の湯船につかっていた青年・木崎浩一。
    男湯に入ったはずの彼だったが、いつの間にかそこは「女湯」に変わっていた。

    右が左で、左が右の世界に迷いこんだ彼の人生は、どうなってしまうのか…

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    表題の長編「鏡の国のアリス」と短編「フォボスとディモス」「遊覧バスは何を見た」「おねけさんはあそこに」の、4本が収録された1冊です。

    表題作で、左右がアベコベな、いわゆる「鏡の国」に迷いこんだ主人公・浩一。
    お話の途中で、鏡の世界とそうでない世界のちがいを説明したページが続くのですが、その仕組みが難しく、理解しきれませんでした。
    また、オチは荘子の「胡蝶の夢」、ということだと思いますが、それで合っているか確証がもてず、読み終わってからモヤモヤしてしまいました。
    そのため、☆2つとしました。

    表題作「鏡の国のアリス」がとても長かったので、このあとのこのページ数で短編3本も入るの??と思いましたが、ちゃんと入っていました。

    「フォボスとディモス」は、読みながら、「ウルトラセブン」のような世界観を感じました。
    現代のような鮮明な画像ではなく、「ウルトラセブン」の頃のような、懐かしい映像で実写化してほしいです。

    「遊覧バスは何を見た」は、人と人の人生の交差、そして時代がそこに与える影響の大きさが印象的でした。
    こちらはNHKでドラマ化されそうなお話だな、と思いました。

    「おねえさんはあそこに」は、読みながら漫画家・羽海野チカさんの短編を思い出しました。
    「ハチミツとクローバー」単行本10巻に収録されている「星のオペラ」という短編漫画です。
    ドラえもんのひみつ道具をモチーフにし、ストーリーを作る、という企画で描かれたこちらの漫画ですが、広瀬正さんの「おねえさんはどこに」とどこか似た雰囲気を感じ、懐かしくなりました。
    「おねえさんはどこに」は、寂しさの残るラストですが、「星のオペラ」は寂しさと温かさのまざったようなラストで、読み比べてみるとおもしろいです。

  •  私のような凡人だと、鏡に映った世界というものは、ただ単純に左右が逆になっているものと考えてしまいがちである。例えば、箸を右手、茶碗を左手に持った私が鏡の前に立つと、鏡の中の私は、箸を左手、茶碗を右手に持っているという具合に。しかしこれは、左右という概念を鏡の前に立っている私を主体にして考えたり、鏡の中の私を主体にして考えたりしているから、逆に映っていると感じてしまうのであって、これを東西南北で説明してみると、また違った見方が生じてくることに気付かされる。

     どういうことかというと、鏡の前の私が北を向いて立っているとすると、持っている箸は東側に、茶碗は西側に位置している。そして、鏡の中に映っている箸もやはり東側に位置し、茶碗も西側にあることが分かるのだ。要するに、実像と鏡像双方における箸と茶碗の方向には変化が無い。ただ、鏡の中の私は、鏡の前の私とは違って南面しているのである。言い方を変えれば、実像と鏡像の私は、上下・左右は反対になっていないが、裏表(前後)が反転しているということである。

     これは、前後のみが反転している場合の例だが、他にも、左右のみが反転して鏡に映り込む場合や上下のみが反転して鏡に映り込む場合、左右・上下・前後の三つの要素が全て反転して鏡に映る場合などがあり得る。反転している要素が左右とか上下といった一つのみか、左右・上下・前後の三つである場合、これを「パリティが奇である」と表現する。そして「パリティが奇である」と言える条件としては、例えばアルファベットのRやQのように非対称形(文字以外に立体であっても構わない)で、左右・上下・前後のどれか一つの方向を奇数回反対にすると、元の形の鏡像になるもの、そして偶数回反対にすると、元の形と同じ向きに戻るものでなければならない。偶数回反対にすると元の形に戻るというのは、いうなれば、裏の裏は結局表であるという状態のことだ。

     「パリティ」とは元々、物理学の中の素粒子分野で用いられる用語で「偶奇性」とも言うが、算数・理科レベルのことも満足に出来ない私には、もうこれ以上の説明はできない。残念至極である。ちなみに、「パリティが奇である」ものがある一方で、「パリティが偶である」ものも当然存在する。それはAやOといった対称形(これも文字以外に立体であっても構わない)で、対称軸(対称面)にそって左右・上下・前後(斜めもあり得る)のいずれかを何回ひっくり返しても、元の形のままのものである。Aが平面に書かれた文字である場合、対称軸は中心の垂直方向にしかないので左右の方向にしか回転させることは出来ないが、何回反転させても(一回でも二回でも三回でも…∞)Aという形を保っている。こういう状態のものを「パリティが偶である」というのだ。山田という苗字も、縦書きにしてフォントの細かい部分を無視すれば、何回ひっくり返しても山田と読める。私の苗字は「パリティが偶」なのだ。小林さんもそうだし、山本さんや田中さん、高田さんといった名前も「パリティが偶である」。皆さんの名前はいかがであろうか。

     以上の話題は、本作品『鏡の国のアリス』の中で、中学二年生向けの理科の実験として、朝比奈六郎という登場人物が解説している内容である。(わーなんだ、なんだ。中二向けにしては随分難しいではないか。チクショー!)と感じるが、実際には一次元・二次元・三次元…といった次元の話や物質・反物質、「パリティ保存説」に対して「弱い相互作用では、パリティは保存しない」と唱えた李政道(リー・ツンダオ)博士と楊振寧(ヤン・チェンニン)博士の話まで加えて、この実像と鏡像に関する解説がなされており、途中から頭がこんがらがってついていけなくなってしまう。しかも、この朝比奈がいる世界は、我々の住む当たり前の世界とは左右があべこべの鏡像の世界なのである。いや、断言してはいけないのかもしれない。鏡像の世界らしく思われる、としておくべきなのだろう。

     この小説は、左利きの青年・木崎浩一が銭湯・日の出湯の浴槽に浸かっている間に、左右の反転した世界に迷い込んだことから始まる。住んでいる町の風景も左右反転、しかも自分の住んでいたアパートは反転した世界には無く、元の世界での知人も、反転した側ではいたりいなかったりする。途方に暮れた浩一は、「左ききの会」を主宰する左利き研究家の朝比奈六郎のもとに身を寄せ、不思議なあべこべの世界で生きることを余儀なくされるのである。浩一が目にする文字は全て鏡文字なので、面倒なことこの上ない。しかし、この反転した世界では、浩一が普通に書く文字の方が鏡文字として認識されるのである。だが、一つだけ浩一にとってラッキーだと思えるのは、左利きであるはずの彼が、この反転した世界では右利きとして生きることができるということなのだった。

     あべこべの世界では誰もが左手で文字を書き、箸を使う。左手が利き腕なのである。したがって、右手を利き腕にしている人間のほうが少数派であり、いわゆるギッチョなのだ。ただ、普通の世界の我々が左手としているものが、あべこべの世界では右手と呼ばれているので、話はちょっとややこしくなってくる。彼らが右と言っているものが、浩一や我々にとっては左を意味するので、その点に注意して読まねばならないからである。

     浩一は左右が逆になった世界で、淡い恋に破れ、サックスの演奏競技に優勝し、元の世界に戻るための方策を探る。彼は(ひょっとすると、日の出湯の女湯に入り、あべこべの世界に来てしまったときのように夢想していれば、元の世界の日の出湯の男湯に出られるのではないか)と考え、その場所に行ってみるのだが、しかし、肝心の日の出湯が取り壊されてしまった為に、その試みも出来なくなってしまう。木崎浩一はいよいよ、鏡のような世界の中で生きなければならなくなるが―――…、というのが、この小説の大体の流れである。

     広瀬正氏の作品には、いわゆるマイノリティーと呼ばれる人々がしばしば登場する。『ツィス』では後天的聴覚障害者の榊英秀(さかきふたひで)、『エロス』では友人からの暴行で、やはりこれも後天的に視覚障害者となった片桐慎一、そして今回の作品『鏡の国のアリス』では、生まれつき左利きで、矯正によって一応右手も使えるようになっている木崎浩一。私には広瀬氏が、奇想天外で面白い物語を書きながらも、もう一方のテーマとして、マイノリティと位置づけされる人々が日常生活で被っている様々な不都合を、作品を通じて、読者に訴えかけようとしているかのように思えてならない。

     そして、彼の作品では、マジョリティー(多数派)とマイノリティー(少数派)が、お互いの違いを理解し、それでも葛藤し、歩み寄り、時には『鏡の国のアリス』におけるように、世界が逆転することで、マイノリティーが正反対のマジョリティーに、という風に、不都合を被っている人々に、不都合のない世界を経験させたりもしている。私は、広瀬正という作家が生み出す作品が、今もなお読者を惹きつけてやまないのは、このマジョリティーとマイノリティー双方に対して平等に注がれた、眼差しと愛情に要因があるのではないかと思う。

     広瀬氏が描く昭和初年代や戦後間もない時代の詳細な東京の街並みであるとか、カフェーやダンスホール、ダットサンの自動車やフィリップス社製のオールウェーブ・スーパーヘテロダインといった、細部にこだわった記述が、それらを知らない我々のような世代にも郷愁を呼び起こし、それゆえに支持を得ているのは間違いないが、そういった過ぎ去った日々というものもまた、時代の主流から少しずつ取りこぼされ、忘れ去られていった「時間軸のマイノリティ」なのである。広瀬氏は、多くの人々が普段気に留めることもない、意識にものぼせない、積極的に関わろうとはしない、それらマイノリティに向けての視線を持っているからこそ、時代を超えて愛される作家なのだろうと思うのだ。

     現在では昔ほど、左利きに関してうるさいことは言われなくなり、無理に矯正させることもないようである。だが、私が小学生だった頃は、左利きの子らは右手で字を書き、箸を持つよう、親や教師から矯正されていたように記憶している。そもそも世の中の殆どの道具や文房具が右利き用でもあったし、左利きだと文字を美しく書けないという偏見もあった。今の若い世代の左利きの方たちが、この作品を読むと、左利きの先達が苦労していた時代のことが偲ばれ、興味深いのではないかと考える。

     とは云っても、私自身はこの『鏡の国のアリス』の内容全てを理解出来たわけではない。それに、木崎浩一が迷い込んだ鏡像の世界も、本当の話なのか、彼の妄想なのかどうなのかも分からないのである。朝比奈が中学生に実像と鏡像の見え方についてレクチャーしている場面には、アルファベットのRの文字を使ってのイラスト解説が掲載されているのだが、朝比奈らが左右あべこべの世界の住人ならば、朝比奈が言うところの「正しいアールの形」は「Я」でなければならないのではないだろうか。だが、実際には「R」が正位置として解説されているのである。ちょっと考えすぎ? 考えれば考えるほどメヴィウスの輪に入り込んでしまったように混乱するのだけれど、次こそ分かるのでは?と、もう一度読みたくなる作品なのである。


                                      平成二十二年八月六日 読了

  •  ルイス・キャロル「鏡の国のアリス」を題にとって、ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」という童話について──というか、そこからルイス・キャロル自身についての考察を──あくまでフィクションの中で試みている。この"フィクションの中で"というのが大事で、つまりこの小説自体は「鏡の国のアリス」およびルイス・キャロルへの論文ではなくて、かつ、フィクションという形態を遵守することでメタ・フィクションにもならないように厳格に書かれている。
     というか、ルイス・キャロルおよび「鏡の国のアリス」は実在する人物であり実在する童話であるから、それらについてをフィクションの中で偽史的に扱うことはメタ・フィクションではない。むしろ、実在した人物の背景を想像し捏造していく偽史という手法は逆メタというか、フィクションの力が現実を転覆せんとする痛快さがある。
     「鏡の国のアリス」はifモノとしてミラーワールドを扱うことで、こちらの世界とあちらの世界のパワーバランスの転覆を図る。
    それは、実在したルイス・キャロルとその童話について広瀬正が小説自体によって試みている挑戦と相似関係にあるように見える。

  • 鏡の国のアリス 集英社文庫

    広瀬正・小説全集4.

    0193-750513-3041.
    昭和57年5月25日 第1刷
    著者:広瀬正
    発行所:株式会社集英社

    目次
    鏡の国のアリス
    フォボスとディモス
    遊覧バスは何を見た
    おねえさんはあそこに
    解説:井上ひさし

  • 2022/12/1 再読。

  • 第32回アワヒニビブリオバトル「お風呂」で紹介された本です。
    2017.12.05

  • 難しい。

  • 鏡の国

  • 良書。
    70年代のまさにSF。この頃は、夢があった。出来るか出来ないか判らないことを想像でSFにしていた。今は、出来るか出来ないか予想がつく時代になって、夢が物語が書きにくい時代なのではないだろうか。
    今読むと、子供っぽいと感じるところもある。でも、恋愛なんてこれくらいが読んでてドキドキする。
    鏡関係は難しい。だいぶ飛ばし読みした。作者の賢さ、こだわりが伝わる。

  •  だんだんこの作者の持ち味がわかってきた。ストーリーもいいけれど何よりほのぼのとした作風がえもいわれぬ魅力を醸し出している。それぞれの登場人物がお人よしで憎めなくて、悪人が出てこないのだ。表題作の「鏡の国のアリス」。銭湯の男湯の鏡から女湯の鏡像の世界へはいりこんでしまう、というのが秀逸すぎる。鏡面にいる番台のおやじはどうなるんだよ(笑)。反世界へ移動するには一つ上の次元を経なければならないとかまじめな議論もされているのだけれど、出てくる面々がみんなまじめなんだけどおかしみがあるので、科学小説というよりは落語を聞かされているような気になる。そして併載の「遊覧バスは何を見た」。少しずつ世代が進んでゆく2家族の交流物語。70年万博はともかく最後の1980年は作品が書かれたときは未来の話だったんだな。SFというか普通の人々の物語なんだけど、とても魅力ある。うまい。

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