オートフィクション (集英社文庫)

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087464559

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、自伝を書いてみたいと思ったことはありますか?

    少し前に”自分史”を書くということが流行り、ニュースの話題などでも大きく取り上げられていました。歴史家の色川大吉さんという方が1975年に自らの著作で使ったのが始まりとされる”自分史”という言葉。実は私もそんな”自分史”を書こうとしたことがあります。あれは、高校生の時でした。幼い頃の記憶はどんどん失われていくと、ふと怖くなった私はそんな幼い頃の記憶を順にまとめていきました。結局、受験あり、恋愛あり(笑)、色々ありで中断したまま現在に至り、確かに幼い頃の記憶は随分となくなってしまった!と、今は中断してしまったことを後悔もしています。

    ところで、そんな風に自分の過去を書き記すということはどういうことなのでしょうか?単なるノスタルジーな気持ちからということはもちろんあると思いますが、過去の自分の姿を書き記すということは、その時の自分の気持ちに入り込もうとする試みでもあると思います。そして、そんな過去の自分が今の自分を作っていると考えると過去の自分を知ることは今の自分を知ること、今の自分を作ったものが何かを知ることにも繋がっていく、そんな行為でもあるのだと思います。

    さて、ここに小説の中に登場する一人の作家が、そんな自分の過去の姿を描いた作品があります。『高原さんに、オートフィクションを書いていただきたいんです』という編集者からの一言を起点に始まったその創作。『高原さんの自伝風に、小説を書いてもらえないかと』というその編集者の依頼は、作家である高原リンに自らの過去を振り返る機会を与えます。そして、出来上がったのがこの作品。そう、それは「オートフィクション」というあなたが手にする金原ひとみさんの物語です。
    
    『ねえねえ見て見てー。すごーい』と、飛行機の『窓の外を見つめ続け』るのは主人公の高原リン。そんなリンは『タヒチハネムーンは最高の旅だった』と思いながら『飛行機嫌い』の彼・シンの手を握ります。『私の可愛いだんなさん。なんて素敵なだんなさん』と彼のことを愛おしむリン。場面は変わり、『今日の取材は、何でしたっけ』と編集者の小林に訊くリンは、『企画書見てくれてないんですかー?』と言われてしまいます。プリントを受け取ったリンは、『ドリーマーズドリーム』という『先月刊行となった、新作』の名前を目にします。宣伝のために『積極的に取材を受け続けて』いるリンは、今日は続けて三件の取材を受けました。そんな三件目の取材を終えたリンに、『で、どうですか?原稿は』と訊く小林に、『進んでいますよ』と答えながら、内心で『噓をつかなければならない時もある』と思うリンは、『私はシンと一緒にいる時以外、常に気が滅入っている』、『そう、だから私はシンと一緒にいたい』と思います。しかし、そんなシンは『俺には一人の時間が必要なんだよ』と言って自室に篭る時間が欠かせないとリンに言います。何かリンに隠していることがあると不審に思うリン。そんなシンの行動が不満なリンは、『その時私はずっと、毎秒毎秒絶望している。秒単位の絶望、それは確実に、日々、私の中身を少しずつ蝕んでいく』と感じてもいます。そして別の日、『スペイン料理のお店』で待ち合わせをしたリンの前に『何だか表情が少し穏やかになりましたね』と品川が現れました。『この間お話しした件ですが』と切り出した品川は、『高原さんに、オートフィクションを書いていただきたいんです』と話します。『一言で言えば、自伝的創作ですね』と説明する品川は、『これは著者の自伝なんじゃないか、と読者に思わせるような小説です』とさらに補足しました。『つまり、自伝的創作風味な小説を?』と驚くリンは、『幼少期、思春期、それとも、成人してから?』と描く時期を確認します。それに、『全部でも構いません』と返す品川は、『上下巻でも構いません』、『何年でも待ちます』と続けます。そんな幾つかのやりとりを経て心を決めたリンは『分かりました。私書きます。オートフィクション』と品川に伝えました。そんなリンが書き下ろす四つの物語がリンが生きた過去の時代を遡りながら順に描かれていきます。

    「オートフィクション」という四つの章から構成されたこの作品。「オートフィクション」とは、本文中に語られる通り『自伝的創作』を指す言葉とされています。この作品では、作家の高原リンが主人公です。作家が主人公となる物語となると、そこにはその本文中に登場する作家がその物語内で小説を書くという場面が登場することになります。私が読んできた小説にも作家が主人公となる作品は複数あります。中でも『自分が十六で産んだ娘を妹として育てる女と、その母の生活が柱』という自伝的小説を書く主人公が登場する桜木紫乃さん「砂上」が強く印象に残っています。まるで主人公自らの人生を語っているかのようなその小説内小説。一方でこの金原さんの作品も上記の通り『自伝的創作』ということをうたって始まりますが、考え方はさらに複雑です。というのも金原さんの作品ではその本文中に物語を執筆する主人公の姿は登場しませんし、小説内に別の小説が登場するわけでもありません。何故なら、本文の中で語られる『自伝的創作』が、この「オートフィクション」という作品自体であるという立て付けになっているからです。しかし、この「オートフィクション」という作品はそもそも金原ひとみさんの作品です。つまり、この「オートフィクション」という作品は、

    ・金原ひとみさんの小説 = 高原リン作の自伝的創作

    ということになります。そう、見方を変えれば、この作品は金原さん自身の『自伝的創作』でもあることになってしまいます。これはかなり強烈です。この物語は以下でも記しますがとにかくかっ飛んでいる!としかいいようのない内容に満たされています。それがなんと金原さん自身がモデル?…色んな見方をすればするほどに興味の尽きない作品だと思いました。

    そして、そんな作品は構成的にも凝った作りがなされています。それは、四つの章が主人公の年齢を表していて、22→18→16→15というように主人公の人生を過去に遡って描いていくという作りになっているのです。このように時間軸を反転させて物語を展開させる作品としては、桜木紫乃さん「ホテルローヤル」、青山美智子さん「鎌倉うずまき案内所」などがありますが、この金原さんの作品はあくまでも主人公のリンのみに注目し、そんな彼女が過去の該当年齢の時にどんな人生を歩んでいたかをある意味淡々と描いていきます。過去に遡っていく作りの作品、上記した二作などはいずれもそのそれぞれの時代感がわかる作りになっていて、まるで過去にタイムスリップするかのような感覚を味わえるのが楽しみの一つでもあります。しかしこの金原さんの作品はそのような考え方を一切取りません。過去の時代を感じさせる明確な演出は一切なく、あくまでも主人公リンのみ、主人公のリンの心の有り様にのみ光を当てていきます。

    私は金原さんの作品を読むのはこれで三冊目となりますが、この作品を読んで金原さんに感してはまだまだ理解が追いついていないと感じています。それは、とにかくその内容がかっ飛んでいるからです。私の理解が追いついていかず、取り残される思いが付きまといます。そんな描写を18歳のリンを描いた章の中から一つ抜き出してみたいと思います。

    ・彼がDJをやっているクラブメディアのフロアで『タケノコの真似をして、伸びるように踊る』という主人公が描かれる場面
    →『ニョキ。ニョキ。ニョニョ。ニョキニョキニョキッ。伸びていく私。そう伸びていけ天に向かって伸びていけ。出来れば一日二十センチ、少なくとも十センチくらいは』。

    なんとも突っ込みようのないこの表現ですが、こういった文体の作品ということで有ればまだわかります。しかし、それに続くシーンでは、

    →『こないだナンパしてきた奴がさあ、俺巨チンだよー、って言うからホテル引っ張り込んだんだけどさー、したらちょーちっせえの。も、テンション下がるわー、って』。

    とタケノコ踊りの呑気な表現から一転した会話が登場します。

    →『こないだナンパしてきた奴とヤッた時さあ、俺絶対外に出せるから、っつーから騎乗位でめちゃめちゃ腰振ってたらさあ、あーっ、とか言ってイッちゃってやんの』。
    →『あとさあ、私こないだ拉致られてさあ。まあさあ、ただレイプされんだったら別にいーやーって思ってたんだけどさあ、思いっきりマワされてさあ』。

    と続く内容はタケノコ踊りの軽い表現に比較して極めて下品でそれでいて彼らの日常がリアルに吐露される場面です。上記した通りこの作品はリンが生きた過去の時代へと時間軸を遡ります。しかし、幾ら戻ってもこの感覚は変わりません。人によると思いますが、このような感覚の会話が標準となる小説には嫌悪感をもよおす方もいらっしゃると思います。正直なところ私も好きではありません。それが全編に渡って続くと考えると…。金原さんの作品はつくづく読む人を選ぶと改めて思いました。

    そして、もう一つこの感覚表現の内容でおまけです。それに先んじてまずお断りしておきますが、私は変態ではございません。以下の内容はあくまで、レビューの一環で調べたということをハッキリと宣言させていただいた上で書かせていただきます。この作品には、『マンコがキーッとして、冷静ではいられなくなる』、『私のマンコは泣いた』、そして『ねえ私のマンコ。どうしたの?』というように、全く伏せ字にもならずにダイレクトに『マンコ』という三文字がこれでもかというくらいに登場します。それはまるで『マンコ』が一つの人格そのものであるかのようにも表現されていきます。そして、なんと、全編で42箇所!にこの三文字が登場します。これには、ありえない、というレベルを通り越して唖然としてしまいました。読んでいただくと分かると思いますが、恥じらうこと一切なく、ストレートに、まるで登場人物の一人かのようにこの三文字が登場すると、そこには嫌らしさというものはもうありません。痛快ささえ感じるこの振り切れようは、逆に金原さんの凄さを感じました。その一方で、途中で読むのをやめる方も絶対にいるのではないか…そう感じました。

    そんな物語は18歳の時代に戻っても、16歳の時代に戻ってもどこか心が病んでいるリンの姿が一環して描かれていきます。上記の通りかっ飛んだ性の表現、あけっぴろげで吹っ切れた性の表現は相変わらずですが、一方でリンの内面を見つめていく描写にも溢れています。『憂鬱と嬉しさを同時に感じる事が可能なのだと、私は十八にして初めて知った。彼に、教えてもらった。でもきっと、これからどんどん憂鬱が勝っていくに違いない』という18歳のリン。『学校でも同棲でもなく、何ものにも依存しない頼らない所属しない執着しない、帰りを待つ人のいない凧としての生活こそが、私の望みだった』という16歳のリン。行動の軽さの裏側に自分を深く見つめる孤独の中に生きるリンの姿の対比はなんとも言えない切なさを纏います。そんな物語は、15歳の時代のリンの描写でハッとする存在を登場させます。それが、『パパが泣いてしまったらどうしよう。その瞬間ママも私も困り果てるに違いない』というまさかの両親の登場でした。18歳、16歳と描かれていたリンに家族の存在は全く感じられません。それが、15歳にまで遡ってようやく登場した両親の存在。そして、その関わりが描かれることで、結果的にそれ以降の時代のリンの行動の原点を読者はそこに見ることになります。主人公のリンにも両親と共に暮らした時代があったことがわかるこの15歳の時代の描写。その中で上記した『パパが泣いてしまったらどうしよう』という心配はこのように続きます。『でもパパは絶対に泣かない… 泣かないパパはママを泣かせる。もしかしたら、ママはパパの代わりに泣いてるのかもしれない』と続く物語を読んで読者はそこに16歳以降のリンの生き方の起点を朧げながら感じることになると思います。同じことを描くにしても時間軸順だと説明口調に感じられます。それに対して、結果を先に見せて、その原点を後の章でイメージとして匂わせるというこの金原さんの試みによってリンという主人公の生き方、その先の未来を読者は結果としての繋がりをもって感じ取っていきます。『自伝的創作』というものにおいて、この手法はとても有効だと感じました。

    『高原さんの自伝風に、小説を書いてもらえないか』という品川の提案により描かれたという体を取るこの作品。そこには、第一章に登場する『なんて可愛いだんなだろう。私の可愛いだんなさん。なんて素敵なだんなさん』と今を生きるリンの姿から見ると驚きとも言える荒んだ過去のリンの姿が描かれていました。手首に傷を持ちながらも一方で『まあ、明日になったらどうにかなるだろう』とその時その時を生きてきたリンの過去の姿を遡るように描かれたこの作品。かっ飛んだ表現の頻出の一方で、深く内省するような表現の数々の対比が読者を困惑させるこの作品。凝った構成の一方で、あまりのかっ飛びぶりが若干の消化不良のままに終わってしまった、そんな風に感じた作品でした。

  • 主人公の思考のカオスっぷりが心地良かった。

  • リンは、勉強も嫌いで、ろくに学校にも行かずにふらふらしているギャルだ。でも頭の中ではたくさんのことを考え、考え、考え続ける。自分がなぜこんな言動をとるのか、自分が今何を感じているのか。頭の中は言葉でいっぱいだ。いっぱい過ぎて、「本当の自分」と「言葉によって考えられた自分」の間にさえ乖離が生じ始める。言葉にすればするほど、嘘が混じり始める。それが、22歳の時点で小説家となっているリンだ。
    解説の中で山田詠美が指摘していた「小説家という病」。まさにこれは「小説家という病」を発症した(あるいは、生まれ持った)人間の記録なのだ。多分、ごく普通の人間は小説を書かない。書く必要がないから、書かない。リンのような書かざるを得ない人間が、小説を書く。
    言葉、言葉、言葉。一時も休まる暇の無いほどの言葉の海の中で、沈まないために、息をするために、言葉を吐き出す。それが小説になる。それはリンの言葉でありながら、リンの言葉ではない。頭の中にあった時からすでに乖離は始まっているから。リンは男にすがっているように見えて、そうではない。リンは言葉にすがっているのだ、ずっと。15歳の冬、そのことに気付き、22歳の冬、自分からシンに別れを告げてパソコンに向かう。本当はずっと、言葉だけが自分を救ってくれると知っているから。

  • 「結婚しても、子供を生んでも、ずっと死にたい気持ちは変わらなかった」
    筆者のインタビュー記事を読んで、彼女の本を絶対読みたいと思った。

    思い返せば、一番最初に彼女の作品を手にしたのは、私が高校生の時、「蛇にピアス」。
    正直、痛々しくて読み進められなかった。
    でもあの頃から私は10も年をとって、
    人生が如何に目的不明で、正しさなんてものは幻想で、
    それなのに感情は時に自分を焼き尽くすってことが
    良く分かった。

    「オートフィクション」のリンは、危うくて、激烈で、少しでも傷ついたら、鮮血が飛沫をあげて打つ、そんな女性だ。

    自分と完全に重なることはないけれど、どこかで人生の歯車がずれれば、自分の延長にあったかもしれない姿だと思う。
    *
    私はそっと手を伸ばして音楽をかけ、猥雑で雑多な音たちに思考を委ねる。
    心の声は無邪気で残忍だから、少し黙っていて

    爆音の中に静寂を探し、今日も漸く息をつく。

  • オートフィクションはフィクションの枠から出ない
    錯乱と正気
    リンの世界は固有であって共役可能でない

    他に対する依存の根底にある不信、あるいは不信の根底にある依存
    共役不可能だからこそ、他への依存から自らから出てくる言葉であり小説に向かっていくしそれが柱となる

    なんでもかんでも作者の人格と結びつけるのは嫌いなので(作者から出てくるのが作品なので当たり前に結びつくものだとしても)、最後の解説にはちょっと不服

  • 2021年 46冊目

    人に連続性を認めない作家が書いたオートフィクション。


  • 一般に、味わった作品の数に比例して産み手作り手のの素性が分かるようになる感覚があるのに、まるでブラックホールのように末端が際限なく私から遠のき拡がっていく感覚のする人がたまにいる。金原ひとみさんはそのひとり、そういう人間に私は魅了され、没入し、翻弄される。けど悪い気はしない。いい方向に導かれている感覚ら確かだ。

  • 2024/03/12

  • オートフィクション(自伝的創作)にもかかわらず、リアルを感じるというか

    22th winter から15th winter と22歳から15歳のリンまで話は遡っていくわけだが、どれも男との衝突。
    その中で、他人に責任を押し付けたい、責任逃れしたい、でも自分が全ての責任を持てる様になりたい。という価値観がみえ、それは子どもで自分じゃ何も決められない、家に帰る時間すらも決められなかった子ども時代の堕児の経験からなのか。

    想像の話でしかないが、作中のリンにオートフィクションとして語らせることで、自分の私小説を書くことを試みたのだろうか


  • 身勝手で自己愛に溢れた主人公を中々受け入れられず、堪えるように読み進めていたつもりが、いつの間にか自分もこの物語のスピード感に巻き込まれて読み切っていた。

    リンのセックス中心の世界は15歳まで立ち返ってもその理由となるようなものはなかったように思う。正しく愛情を享受出来なかったから、なんて安い理解はしたくない。

    ただそういうものなのだろう、と思った。
    直感であり宿命的なもの、それがリンの場合、極端に発出しているだけで、人は誰だって理由もなく好きなものがあり、嫌いなものがある。

    22winterの最後はこれまでの生き方や呪縛から束の間解消されたように思えて印象的だった。
    (束の間、とあえて書くのはきっといずれ彼女はまた誰かと出会い、猛烈に衝突することは免れられないと思うから。金原ひとみさんの他の著作での言葉を借りれば猪と衝突するように。)

    16summerでもパチンコ屋で文庫本を片手に男を待つように放浪していても彼女の身近に文学があったこと、22winterでの小説家という職業

    書くことで救われてきた、金原さん自身のオートフィクション、として素晴らしいと思った。

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著者プロフィール

1983年東京都生まれ。2004年にデビュー作『蛇にピアス』で芥川賞を受賞。著書に『AMEBIC』『マザーズ』『アンソーシャルディスタンス』『ミーツ・ザ・ワールド』『デクリネゾン』等。

「2023年 『腹を空かせた勇者ども』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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