三月の招待状 (集英社文庫)

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087467406

作品紹介・あらすじ

8歳年下の彼氏と暮らす充留は、ある日、大学時代からの友人夫婦の「離婚式」に招かれる。昔の仲間が集まるそのパーティで、充留は好きだった男と再会するが、彼は人妻となった麻美とつきあいはじめ…。出会って15年、10代から30代へと年齢を重ねた仲間たち。友情、憧れ、叶わなかった想い-再会をきっかけによみがえるあの頃の記憶と、現在の狭間で揺れる姿を描く、大人の青春小説。

感想・レビュー・書評

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  • 『地方の女子校を出て入学した大学では、みんなやけに華やかに見えた。クラスメイトの女子たちは、自分の知らないことでのみ構成されているように見えた』

    40人なりのクラスに強制的に振り分けられ毎日を一緒に過ごす高校時代までとは異なり、大学生活の始まりの不安感は大きなものがあると思います。知る人が一人もいない巨大なキャンパスの中の孤独感。しかし一方で、制服もなく、校則に縛られることもなく、時間割さえ自分で自由に組み立てていける大学生活は、ある意味で人生で最も自由で華やいだ時間ともいえます。そんな時代を悔いなきように過ごすために繋がりを求めるのは自然な感情の動きだと思います。しかし一方で自信に満ち溢れた人たちの中で気後れする感情も生じます。でもそんな中に『この人たちといっしょにいれば安心だ』という出会いが必ず訪れます。そんな『出会って心底ほっとする』という友だちとの出会い、そして一緒に過ごす日々。でもそんな日々に終わりを告げる卒業という二文字の区切り。その区切りを越えても関係が続くかどうかは人それぞれです。でもその区切りの後に広がるのは大人の世界。そんな区切りを越えた後も『私はいつ大人になるんだろう』と思い、かつての友人たちに『馬鹿にされない大人になりたい』と思う女性がいました。この作品はそんな女性が大人な一歩を踏み出していく物語です。

    『薄いみず色の封筒を開け、カードを取り出してしげしげと眺め、「うげ」』と顔をしかめたのは蒲生充留。『大学卒業後、就職せず』に、もの書きとなり『女性雑誌で連載を持つ』ようになり『映画でも本でも人物でも、乱暴な言葉で、オーバーにこき下ろす』という毒舌が専門の充留。それに『なになに』と同居人の北川重春が振り返ります。『離婚パーティだって。どうしてわざわざこういうことをしないと気がすまないのかねえ』という招待状の『差出人は澤乃井夫婦』という二人は『澤乃井正道と坂下裕美子。大学の同級生で、そのころから交際していた』ものの『別れてはヨリを戻し』を繰り返し『三年前、あきらめたように結婚した』という二人。『「離婚式」と書いてある』のを見て『ばっかじゃなかろうか』と充留はつぶやくも『なんだかんだ文句を言っても私は出席するんだろう』と思いながら『だれがくるんだろう』と考える充留。『麻美はもちろんくるだろう』、そして『宇田男は?佐山宇田男はくるだろうか』と考えます。『居場所がわからないことだけは確実だ』と思う充留。そして、4月になり『離婚パーティ』を明日に控える坂下裕美子は『夫婦でいるのは今夜が最後なのに、いったい何時に帰ってくるつもりなんだろう』と正道が帰ってこないことで落ち着きません。『気がついたら泣いていた』という裕美子ですが、一方で『明日のパーティを、裕美子は楽しみにしている』という前向きな心持ち。『明日から続く正道抜きの日々を、等しく楽しみにしている。さぞやせいせいするだろうと思って』います。そして帰ってきた正道は『なんだかんだいって、おれ、きみといっしょにいてすごく楽しかった』と穏やかな最後の夜。そして『三十人どころか、五十人近くいる』離婚式が始まりました。『学生時代の友人たちは同窓会のようにもりあがり』というその場。『宇田男がきてた』と充留は裕美子に問います。『だって呼んだもん』とあっさり答える裕美子。『でも宇田男って行方不明だったでしょ?どこに招待状出したの?』と驚く充留に『行方不明なんてわけないじゃん。宇田男は下北に住んでるよ』と答えます。『仕事なくなって流行にのってバックパッカーもどきやって、それでお金なくなって…東京に帰ってきた』と宇田男の近況について説明を受けた充留は『バックパッカー?やっぱ宇田男ってふつうじゃないね』と、とても気になる様子。 そんな中、裕美子は挨拶に立ちます。『今私が二十歳だったら、このひとと別れることはかなしくて、この会場を爆破したかもしれない』と笑いを誘った後、『でも私は今三十四歳です、今、なんだかうれしくてたまりません。この人と別れることがうれしいのではなくて、この先の予測がつかないことがうれしいんです』と堂々と話す裕美子。そんな充留、裕美子を含むかつての友人たちの強い繋がりを感じるそれからの一年が描かれていきます。

    あらすじには『大人の青春小説』と書かれるこの作品。そもそも『大人の青春小説』とは何なのか?という気もしますが、この作品では、充留、裕美子、麻美という女性三人と正道、宇田男という男性二人、かつて大学時代に同じ時を過ごしたこの五人が十五年の時を経ても親しく関わり合いを続けている様子が描かれていきます。何かあるとすぐに連絡を取り合っては集まり相談をする間柄。しかも正道と裕美子は離婚式を挙げても関係性に全く変化がないのみならず、とても親密です。そんな彼らの関係性をどう見るかは読者の人間関係の考え方に大きく左右されるところがあるように思います。少なくとも私にはちょっと考えられない世界。そんな私の視点と同じように彼らを見る登場人物が正道の新しい彼女・遥香でした。25歳でダンサーの遥香。その遥香の視点で彼らがどのように見えるのか、ここで角田さんは面白い表現を用います。『なんというかわちゃわちゃと、さぞやわちゃわちゃとした関係なのだろう』というその絶妙な擬態語が表現する楽しそうでいて、何かねっとりとまとまりつく気持ち悪さを感じさせる独特な関係性。そして遥香は彼らのことを『おそらく、だれかに嫌われたこともなく育ったのだろう』と想像します。『人との距離を縮めることをなんとも思っていないのだろう』という彼らの感覚を想像する遥香。『彼らにとって好きはどこまでも肯定で、嫌いは無関心、それだけなのに違いない』という断定。それは付き合っている正道にも向けられていきます。『結婚していたときも今のようであったのならば、彼らが別れたことになんの意味があるんだろう』という素直な感覚。『嫉妬ではなく、まして裕美子への敗北感でもなく、遥香の内に自然にわき上がってきた単なる疑問』というこの感覚は一読者である私の気持ちを代弁しているかのようにも感じました。このあたりは先に書いたように読者の人間関係に対する考え方次第だと思いますので、もちろん正解はありませんが、少なくとも私には充留たち五人の誰にも感情移入ができないという読書だったことは間違いありません。『大人の青春小説』というよりは、『大人になれない痛い人たちの小説』、そんな印象も抱きました。

    では、この作品がそんな『痛い人たちの小説』だったとして、そんな小説で三十代後半へと進む主人公たちは、内輪で繰り広げられる小さなドタバタ劇を通じて何を学んだのでしょうか。三つの印象的な言葉が綴られていましたので取り上げたいと思います。一つ目。正道と別れてもなかなか前に進めない裕美子は『人はみんな、自分で在り続けることしかできないんじゃないか』と考えます。それは『手に入れられなかったものは手に入れられなかったまま、手に入れてしまったものは手に入れてしまったままでいるしかない』という視点。正道と別れることで全く新たな人生を歩めると根拠なく信じていた裕美子だからこそ思い至った考え方だと思います。二つ目。大学時代のことをふと振り返る充留は『いつだって自分たちの近くで、映写機がまわっているようなきがしていた』と、もの書きらしく『映写機』という表現を登場させ『その映写機のなかでは、他の人々はみなちょい役で、自分たちが主役なのだった。映写機はずっとまわり続けていくと思っていた』という考え方を提示します。自分たちが輝いていた青春時代、過去の栄光をノスタルジックに振り返るかのような絶妙な表現を用いる一方で現実を見据えていきます。三つ目。そんな充留は物語の最後に一大決心をします。前に進むことを決めた充留。そんな充留は『大人になるということは、ひょっとしたらこんなことなのかもしれない。弾ける明かりと喧騒に背を向けて、自分の家に帰るようなこと』と思い至ります。一大決心が充留を大人にし、友人たちをも冷静に見れるようになっていく。そんな充留は、過去の様々な思いも同時に清算し、大人な感覚を体得していきます。わちゃわちゃした時代との別れ、そして大人な世界へと歩みを進める充留。物語の結末に至り、ようやく充留に感情移入できる余地が生まれた気がしました。

    実のところ、この作品は読むのを途中で挫折した経緯があります。私の短い読書経験の中で、初めて、そして唯一の挫折でした。感情移入を拒む登場人物しか出てこない物語は、寄る術のない、感情の持って行き場のない不安定な気持ちに苛まれ続ける読書とならざるをえません。今回、再挑戦により読み切ったこの作品。読み終わって感じるのは、大人になりきれない登場人物たちが抱く苦悩と葛藤でした。過ごした青春時代の輝き具合によって、過ぎた春に思う感情には当然差が生まれると思います。でも、それがどんなものであれ、人はその時代を後にし、大人の階段を上り続けざるをえません。もちろん『わちゃわちゃ』とした感覚が間違いとは言いません。しかし、そんな喧騒を冷静に見れる感覚を持つこと、淋しいけれど、それが大人になるということなんだろうなと思います。

    大人になりきれない大人たちのわちゃわちゃした物語。大人になる、成長するとはどういうことなんだろうとふと考えた、そんな作品でした。

    • seiyan36さん
      こんにちは。
      バッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」へのコメント、ありがとうございます。

      私は、ヴァイオリン奏者のことは良く知...
      こんにちは。
      バッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」へのコメント、ありがとうございます。

      私は、ヴァイオリン奏者のことは良く知らないので、グリュミオーも、今までは知りませんでした。最近、他の演奏家のヴァイオリンを聴いた時に、気持ちが安らかになったため、何となく図書館で借りてきたCDですが、素晴らしい演奏ですね。
      2020/08/21
    • seiyan36さん
      再度のコメント、ありがとうございます。
      音楽を聴きながらの読書が多い、とのこと。
      優雅な時間だと想像します。

      私も、モーツァルトは...
      再度のコメント、ありがとうございます。
      音楽を聴きながらの読書が多い、とのこと。
      優雅な時間だと想像します。

      私も、モーツァルトはわりと聴きますが、交響曲やピアノ協奏曲ばかりなので、今後は、ヴァイオリン協奏曲も聴いてみようかと思います。
      2020/08/23
  • 若い頃、三十代、四十代になったら
    ちゃんとした「大人」になってるわだろうなと
    漠然と思ってた…
    でも、現実には全然ちゃんとした大人にもなってなく
    昔と何ら変わらないまま

    この小説の人達もカッコいい大人になりきれず、
    いたずらに年を重ねていく、決着のつけられない人々。
    そんな人たちと、心の痛みを分け合うたねの場、
    そんな小説だ(香山リカの解説より)

    本文から抜粋

    私たちはみな、自分がこうしたい、と相手にこうしてほしい、を混同させながら生きてるんだ。
    それが関係というものなんだ。

  • 角田光代 著

    最近は、作家さんの名前は知っているし、
    原作を映画で観たことあるけど、殆ど読んだことのない作家さんの作品を色々読んだりしています。

    へぇ〜こんな作風なんだ…とか
    面白い着眼点だなぁとか、新たな才能を知った喜びであるなど新鮮な気持ちで小説を読んだりもしていますが、やはり、自分の好みの路線はあるので、色んな方向性から物事を眺め見るのも、ちょっと苦痛に感じることやら、新たな体験を面白く覗くような気分。

    角田光代さんに関しては、名前は知ってるし映画作品観たこともあるけど、本は読んだことなかったように思う…?
    「三月の招待状」この作品は、短編集かと思えば、ここに登場する学生時代からの腐れ縁?のような仲間達のように、連結した作品だった。
    感想が、ちょっと見つからないような感覚

    香山リカさんの解説最後の言葉を借りれば、
    “カッコいい大人になりきれず、いたずら                  に年をを重ねて行く、決着のつけられない人びと。そんな人たちと、心の痛みを分け合うための場。”そんな小説だ。
    と括っている なるほどね(心の中で呟く)

    この作品の学生の頃からの 仲間同士の長い付き合い?おばさん、おじさんになっても
    事あるごとに集まる 飲み食べ会が開かれる 仲間意識か?連帯感か?
    ある意味…羨ましいような仲間?
    だけど、自分なら引いてしまう…(^_^;)

    心理的な感情については、分かるところもあったが、学生時代の気分を引き摺り続けたまま、もっと大人になっても(生活環境も変わっただろうに…)頻繁に付き合い続けている関係性には、いつまでも、わちゃわちゃしていると形容された言葉のように、少し読んでてシンドい気分にもなったm(_ _)m

    勿論、作品の中の連帯感意識強い仲間、
    度々、会って家で、宴会始まるような学生時代から続く飲み仲間は居ないにしても…

    社会に出ても 本当に時々しか会わないけど
    大切に思う仲間たちはいる
    その仲間は自分の人生の中で重要な人達だし
    説明しなくとも、それぞれの性質や立ち位置を分かっている存在だと思う。
    いくら、友達でも、それぞれの生活があり環境の中で暮らしてるのだから、この作品のような仲間意識は、自分には分からないものがあったのも確か…。

    あれこれ…詮索するのもされるのも苦手な自分だからかもしれないし、
    聞かれたら一応の報告はするが、真剣に自分の悩み相談出来ない性質(性格)だからなのだろうけど、それはそれで問題なのかもしれないが…(・_・;

    友達は大切だけど、社会で社交的に生きるのも、
    1人になれる時間を大切にしたいから…と常々、気持ちの中にあった私の性格とは随分違っていた(^^;;
    私自身は、
      ずっと長く、友達と付き合ってゆくには 
      “つかず離れず”が重要だと思っている

    他の人達が、どんなふうに仲間意識を持って付き合ってゆくのかは…実際、あまり興味がない

    分かる人に分かってもらえばいい
    百人の友達がいたとしても、百人皆んなに好かれたり、認められてもらおうなんて、無理
    だと達観している。

    作品の中で 充留がフト思っている
    不思議なのは、いらつく、という気分と、
    好きである、という気持ちが、まったく矛盾しないで自分の内にあることだ。
    その感情には、まさに…ね。って思えた。

    なんの衒いもなく生きていたあの頃
    飲んで、大したことないことに大笑いする
    若い学生時代の頃を 時々懐かしく思っても
    その時の感情や立場を取り戻せるわけもない
    あの頃に戻りたいとも思わない(若くなってもう一度同じ失敗を繰り返すのも面倒)
    おばさんって呼ばれようが、時々
    友達が自分で自分の事を「オバタリヤンやからしょうがない!」と笑おうが その時代、時代の笑いや泣きはある。

  • 学生時代の仲良しの仲間たちが卒業後年月を重ねて、お互いに付き合ったり結婚したり別れたり不倫したりしながら十数年も付かず離れずの付き合いを(言うなればだらだらと)続けていくという、なんともバブル時代の鎌田敏夫的ドラマを連想させるような長編。



    学生時代はまさに文字通り暗く寒い暗黒時代だったワタシには、今一つ大学生の頃の仲間とその後もずっと付き合い続けるというイメージはリアリティがないのだけれど。
    なんとなく昔は良かった、昔に戻りたい、もしもう一度あの頃に戻れたらやっぱり同じように云々・・・という、過去の栄光とか、そのころは感じられた未来への輝かしい可能性なんかを引きずって、今現在の自分を認めない、現実を見ない、直視したくない、できることなら逃避したいという感じが登場人物それぞれから感じられてちょっとうーん・・・、という部分はあった。よくも悪くも。

  • 学生からの付き合いを、こんなに緻密に続けていくのは難しいように思う。そこがお話な訳か。

    こんな長くて緻密な関係でも心の中で思っている事は全て話す訳ではなく、そこに多少のズレや誤解があって…じゃ自分はどうするか?という事で
    女性軍はそれぞれの道を歩き出したように感じる。
    対して男性軍。なんだかヤバい人たちばかりだと思ってしまった。

  • 大人のリアルな群像劇。

  • 最近は角田さんの小説好きって思ってたんだけど これは苦手だった。全然引き込まれず 休み休みなんとか読み終わった感じ。オビのあらすじ見たときは面白そうって思ったんだけどなぁ。残念。
    限りなく星一個に近い二個。

  • 学生時代から大人へ今一歩踏み出せない、30代の男女5人の物語。
    過去を振り返っても、今ここで再会しても、思いはいつも一方通行で、変わることはない現実。
    自分は自分以外の何者でもないという現実。
    大人になるって、いろんな現実を受け入れることなんじゃないかなって思った。

  • 私も彼らと同じように未だに大学時代を懐古している人間なので、人ごとと思えず一気に読みきりました。
    何も変わらないことは、良いことでもあり良くないことでもあり、でも悪いことではないんだろうなとぼんやり思えました。
    男女の友情がいつしか男女の友情でなくなったのちは、長い時間を経てこれくらいの人間同士の交わり方になっていくのかな。

  • 一周回って、やはり角田光代さんの文章、内容が自分に合っていて、時間を忘れて読書してしまうことに改めて実感。ちょうど、年齢や置かれてる環境も共通点が多かったこの作品は、読み終わった後に心もすっとした。

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著者プロフィール

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年『幸福な遊戯』で「海燕新人文学賞」を受賞し、デビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で、「野間文芸新人賞」、2003年『空中庭園』で「婦人公論文芸賞」、05年『対岸の彼女』で「直木賞」、07年『八日目の蝉』で「中央公論文芸賞」、11年『ツリーハウス』で「伊藤整文学賞」、12年『かなたの子』で「泉鏡花文学賞」、『紙の月』で「柴田錬三郎賞」、14年『私のなかの彼女』で「河合隼雄物語賞」、21年『源氏物語』の完全新訳で「読売文学賞」を受賞する。他の著書に、『月と雷』『坂の途中の家』『銀の夜』『タラント』、エッセイ集『世界は終わりそうにない』『月夜の散歩』等がある。

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