ホテルカクタス (集英社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087477092

作品紹介・あらすじ

街はずれにある古びた石造りのアパート「ホテル カクタス」。その三階の一角には帽子が、二階の一角にはきゅうりが、一階の一角には数字の2が住んでいました。三人はあるきっかけで友達になり、可笑しくてすこし哀しい日々が、穏やかに過ぎて行きました…。メルヘンのスタイルで「日常」を描き、生きることの本質をみつめた、不思議でせつない物語。画家・佐々木敦子との傑作コラボレーション。

感想・レビュー・書評

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  • 長い階段を上る途中、踊り場でちょっと小休止したくなる時がある。目の前の階段をただ上るばかりでは疲れてしまう。
    長い人生においても、そんなちょっと立ち止まる時間があってもいい。
    少し休んでからまた次のステップへと新たに踏み出す。その繰り返しによって人生が豊かになれば、こんな素敵なことはない。

    そんな”踊り場”のような時を過ごした三人の物語。
    ”ホテル カクタス”という名のアパートに住む”帽子”・”きゅうり”・数字の”2”。
    三人のちょっと風変りなネーミングに最初は戸惑ったけれど、読み進めると人名でないことが物語の雰囲気にとても合っていて良かった。
    性格も職業もモノの好みも生活のペースも全く違うのに何故か気の合う三人。夜な夜なきゅうりの部屋に集まって語り合ったり好きな飲み物を飲んだり、と気ままに過ごす。
    昼間も三人連れ立って競馬へ行ったり、ととても仲良し。

    ラストは予想通りの展開で…やっぱり切なさが後に残る。けれど帽子の言葉通り、世の中には不変なるものはないんだ。
    いくら居心地が良くたって、ずっと”踊り場”に居座る訳にはいかない。目の前の階段を再び上り、次のシーンで新たな関係を築いてもいい。三人の距離感を変化させるのもいい。
    心残りを傍らに、先へと進む三人に幸あれ。

  • 良いですね。真似をして私はピアノとハンガーと音のファで書こうかしら。

    ----------------------
    空気がぴんとした冬の朝でした。それは体の手入れをするのにうってつけの空模様でしたので、ピアノは力を込めて乾いた布で体を磨き上げていました。きゅっきゅ、きゅっきゅ。しんとした部屋に小さな音が鳴り響きます。

    洗濯日和だ。窓の外の水色を眺めながらハンガーはぼうっと考えていました。散歩でも朝ごはんでも、何をするにもさぞかし気持ちのいい朝だろうと思うのに、ハンガーは自分が起き上がる気にはならないことを知っていました。それでそのまま空を眺めていました。

    音のファは電話機の前でじっと電話がくるのを待っていました。特に誰かからかかってくる予定があるわけではありません。ただ電話というのはいつも突然鳴るもので、音のファはそれがひどく苦手でした。それで、ある時待っていればいいのだと思いついたのです。鳴るのを待っていれば、ベルの音に驚かされることはないのですから。音のファは今朝はかれこれ1時間も膝を抱えてじっとしていました。

    ファからこの話を聞いた時、ピアノは驚いた顔をして、それからファに同情してくれました。なんなら、ファにかかってくる電話は全て自分の部屋につながるようにしようとも申し出てくれました。ファはその申し出にひどく痛み入りましたが、丁寧に辞退しました。ピアノから電話があったことを受ける電話を、結局とらなくてはいけないことに気が付いたからです。
    そばで聞いていたハンガーは、電話線を引っこ抜いちまえばいい、とあっさり言い放ち、ファはそんなハンガーに憧れました。
    3人それぞれに時間が過ぎる冬の朝のことでした。

    ✳︎はじまり
    ファとハンガーが初めてピアノの部屋を訪れたのは雨が降り頻る梅雨の夜のことでした。
    その日ファは自分がどうにもしっくりきていないように思えてなりませんでした。自分は本当に音のファだろうか。もしかしたらそう思い込んでいるだけで実際はそうでないかもしれない。一旦不安になるとファは中々気持ちを落ち着けることができないたちでしたので、一日中そわそわとし、耐えられなくなりピアノの部屋を訪ねていったのです。

    ピアノとは顔を合わせれば挨拶をする仲でしたし、ひと目見た時から互いに相手を好ましく思っていました。なんと言ったってピアノと音のファですから、気が合うに違いないのです。それでピアノは、よかったらいつでも部屋に来てください、と顔を合わせるたびにファを誘っていました。ファもぜひそうしたかったのですが、何も用がないのに人を訪ねるなんてことは出来ませんでしたので、ぜひ喜んで、と答えるに留まっていました。

    ピアノの部屋の前に立ち、玄関の横の小窓から光がもれていることを確かめると、ファはほっとしました。いくらなんでも人が寝ている時に訪ねていくわけにはいきません。

    呼び鈴を鳴らして出てきたピアノがとても嬉しそうでしたので、ファは心の底からほっとしました。
    「さあどうぞ。」ピアノはファを部屋に招き入れました。「いつ来てくれるかとずっとお待ちしていたんですよ。お茶は好きですか。」ファはもちろん、と答え、差し出された椅子に腰掛けました。
    ピアノの部屋は何もかもがこげ茶色でしっくりきていました。ザアザアと雨が降っているのに窓は開けてありました。
    「雨の音を聞くのが好きなんです。」お茶がなみなみと注がれたカップを手渡しながらピアノは言いました。2人は雨音に耳を傾けながらゆっくりとお茶をすすりました。

    ハンガーがピアノの部屋の呼び鈴を鳴らしたのはファとピアノが互いの仕事について質問をしあっている時でした。ピアノがドアを開けると、ハンガーは困った顔をしてそこに立っていました。
    「すみません。」と困惑したようにハンガーは言いました。「急にこんなことをお願いするのは心苦しいのですが、バケツをお持ちではありませんか。」
    ピアノはすぐに部屋にとって返し、木の持ち手がついたそれを差し出しました。ハンガーはホッとしたようでした。
    「雨漏りがするんです。」ハンガーはバケツを受け取りながらそう言いました。「鍋もコップもすぐいっぱいになってしまって。」それは大変、とファも部屋の奥から身を乗り出しました。「よかったら、たらいをお貸ししましょうか。豚を丸ごと洗えるくらい大きなやつです。」
    ピアノとファはたらいや新聞紙を抱えすぐさまハンガーの部屋に行き、雨漏りを一時的に修復しました。
    「月曜日になったら大家さんに相談します。」ハンガーはとても安心したようでした。「どうもありがとう。」ピアノとファは何かあったらすぐ自分たちの部屋に来るようにと言い、それぞれの部屋に帰って行きました。
    雨は絶え間なく降り続いていましたが、その夜3人はとても心安らかに眠りに落ちたのでした。
    こういうわけで、3人は友達になったのです。

    ✳︎散歩
    物憂げなサックスの音色が部屋を満たしていましたので、ハンガーはもうすっかり日が落ちたことにも気がつきませんでした。ノックの音がしてファが訪ねてきたことに気づき、そういえば今日は木曜日だった、と思い出しました。木曜日は3人が夜の散歩に出る日です。ドアを開け顔を出すとファは安心したように笑みを浮かべました。
    2人でピアノを呼び出しに行って、3人揃うとアパートの敷地を抜け出しました。木々の間に埋もれる街灯の光は寂しげですが、確かにそこにある、という感じがして目にするだけで心強いものでした。
    散歩は誰かと一緒にしたほうが絶対にいい、というのが3人が見つけ出した結論でした。初めて3人で散歩に出た時、それは夏の始まりの涼やかな夜だったのですが、3人はすぐ意気投合し、散歩をするときはお互いを誘うことを誓い合ったのです。
    散歩はすぐに3人の生活に定着しました。外に出るというのはそれだけで新鮮な気持ちがするものですし、誰かと一緒なら夜の街も怖くありませんでしたから。
    「週末はきっと嵐が来るな。」ピアノがそう言い出したのでファはぎょっとしました。「嵐が?こんなにいい天気が続いているのに?」そうさ、とこともなげにピアノは返しました。「嵐ってのはたいてい思わぬ時に来るもんさ。」
    それもそうかもしれない、とハンガーは考えていました。嵐がくる、と思うとワクワクするような心持ちになりました。
    「ベランダの植木たちを部屋にしまわなくては。」ファがおろおろしながら言いました。「自転車も木にくくりつけないといけない。食べ物もたっぷり買っておかないと。」
    「酒がほしいな。」ピアノはのんびりと呟きます。「嵐の夜にはどうしたって酒がいるんだ。」
    「それじゃあ、明日は買い出しに出かけましょう。」ハンガーがそう言うとファは嬉しそうに、ピアノは満足げに賛同しました。夜の道はしんとしてどこまでも続くようでした。

    ----------------------

    真似っこ。敬愛をこめた模倣、オマージュのつもりです。

  • ホテルを題材にした作品は、小説に限らず好きなのですが、これはホテルではなく、アパートの話でした。

    性格も趣味も違う3人(?)、帽子ときゅうりと数字の2が友達になるお話。
    お互いを羨ましく思ったり、変だと思ったり…。

    何だかもの哀しい感じがするのは、挿絵のせいかもしれません。人気のない螺旋階段。
    でも、物語は、はじまりがあれば、終わりもあります。別れがくれば、出会いを懐かしく想うものです。

    こういう雰囲気、結構好きです。

  • 数字の2と、きゅうりと、帽子。
    ホテルカクタスで出会い、そして、またそれぞれの場所へ。
    不変的なものは何もない、普遍的なものも。

  • 「ホテルカクタス」という風変わりな名前のアパートに住む、三人(?)の友情のお話。住んでいるのは帽子、きゅうり、数字の2。見事に趣味も性格もみんなバラバラ。それでも、彼らはお互いの価値観を尊重しながら毎日楽しく暮らしている。

    「登場人物が人間以外のものって読み進められるかな…」と不安に思っていたのに、読み終えてみれば帽子もきゅうりも数字の2も、昔からの知り合いのように親しみを覚えている。あたたかくて、ちょっとだけ寂しくなって、三人の友情が羨ましくなる。

    友情は居場所を生み、居場所は思い出を生む。
    世の中は諸行無常だけれど、思い出はいつだって変わらぬあの場所に連れて行ってくれるから、今日も安心して変わってゆけるのだろう。

  • 再読。

    知人に、「私におすすめの本は?」と尋ねて返ってきたもの。

    大人の絵本。
    3人(人でいいのか?!)のキャラがそれぞれいい。
    誰か一人じゃだめで、3人いるからいい。

    静かに、寝る前に、少しずつ読み進めた。
    すばらしいときは
    やがて去りゆき
    いまは別れを 惜しみながら
    ともに過ごした 喜びを
    いつまでもいつまでも
    忘れずに

    中学でうたった合唱の曲を唐突に思い出した。
    別れはやっぱりさみしい。

  • とても優しい気持ちになれるお話だった。作中では擬人化されている帽子、数字の2、きゅうりはそれぞれ"個性"や"性格"の象徴であると思えた。人生や生活とは人と人とが関わり合うことに目を向けがちだけれども、この本の中ではそのもっと手前に"個性"の認め合いが存在することをよりわかりやすく描かれていた。登場人物たちは性格はもちろん姿形まで異なったまったく別の存在だからこそ、人間の物語とはまた違う受け止め方ができた気がする。とても素敵な気持ちでいっぱいになれた。

  • 宮沢賢治のメルヘンチックな大人の童話の世界に紛れ込んでしまった様な良い気分になった

  • 石造りのアパート「ホテル カクタス」の住人帽子ときゅうりと数字の2の3人は、性格も好みもライフスタイルも何もかも違うけど、あることがきっかけで仲良くなり、喜びも悲しみも共に分かち合いながら穏やかな日々を送っていきました。
    大人のためのメルヘン。日常のかけがえのなさと時の無常をしみじみと感じました。特にきゅうりの里帰りの話が良かったです。佐々木敦子さんによる油絵の挿絵も暖かさと寂しさを両方感じさせてくれてじっくり見入ってしまいました。古い映画みたいなノスタルジックな雰囲気が溢れていました。

  • 大好き!!!
    『仕方なく、2は、帽子をかぶって帰りました。そうすれば一人分のバス代で、二人とも帰れますからね』
    大好き

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著者プロフィール

1964年、東京都生まれ。1987年「草之丞の話」で毎日新聞主催「小さな童話」大賞を受賞。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2010年「真昼なのに昏い部屋」で中央公論文芸賞、2012年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、2015年に「ヤモリ、カエル、シジミチョウ」で谷崎潤一郎賞を受賞。

「2023年 『去年の雪』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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