天使の卵 エンジェルス・エッグ (集英社文庫)

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087484922

作品紹介・あらすじ

そのひとの横顔はあまりにも清洌で、凛としたたたずまいに満ちていた。19歳の予備校生の"僕"は、8歳年上の精神科医にひと目惚れ。高校時代のガールフレンド夏姫に後ろめたい気持はあったが、"僕"の心はもう誰にも止められない-。第6回「小説すばる」新人賞受賞作品。みずみずしい感性で描かれた純愛小説として選考委員も絶賛した大型新人のデビュー作。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは人を愛したことがあるだろうか?

    その答えがYESだとしたら、次はどうだろう。

    あなたは真っ直ぐ人を愛したことがあるだろうか?

    人を真っ直ぐ愛する。言葉では簡単に言えたとしても、何をもって、どのように愛すれば、それは真っ直ぐ人を愛すると言えるのだろうか?

    それは無心な愛、無垢な愛、そして一途な愛なのかもしれない。大切な人を守りたい。ただただ、守りたい…という強い気持ち。『もう誰にも彼女を傷つけさせはしない』と誓い、『自分が心から愛するものを、この手で守れるだけの強さを持った男にならなければならない』と強く思う気持ち。それは『あなたがそこにいてくれることで、少なくとも僕はこんなに救われてる』という安らぎの感情から生じるものなのかもしれない。

    時に大切なものを失い、時にボロボロに傷ついて、でも、それでも立ち止まらずに生きていく、前へ前へと歩いていく。

    そんな歩みの先に見る”純愛”の物語。

    この作品は、そんな”純愛”の世界を『清冽』に描く村山由佳さんのデビュー作です。

    『はじめてそのひとに出会ったのは、春もまだ浅いころ…池袋へと向かう西武線の中だった』と振り返るのは、受験した『美大を二校と、普通の大学を一校』落ちて予備校の入学手続きに行く途中だった主人公の一本槍歩太(いっぽんやり あゆた)。その日『大泉学園駅のプラットホームにすべり込んできた電車』に乗り込んだ歩太は『僕は十九歳になる。もし、来年もう一度美大を受験して、たとえ受かったとしても…そのあとはどうなる』と自らの人生のその先に不安を抱えます。そして過去を振り返る歩太。『オレかてアブラやりたい一心で東京まで出てはきたものの、結局ごらんのとおり、教師が関の山やったしな』と言った高校の美術の教師。『ほんで、来年はどっちゃに絞んねん。ええかげんに決め』と言われ進路に悩む歩太。そして『十年ばかり前まではこの中の一員だった』と電車内を見渡して『親父のことを思うと、胸のうちが暗く沈むのを感じた。親父はいま…』と考えこむ歩太。そんな時『もたれていたドアが開いた』と駅に着いた電車。『そのときだった。なおもホームにあふれている無彩色の集団の中で、淡い桜色の何かが僕の眼をひいた』と『ひとりの若い女の人のカーディガン』が目に入ります。『うつむきかげんのその横顔を見たとき』に『はっと胸を突かれた』という歩太。『発車のベルがけたたましく鳴り響く』も、満員電車に乗り込むのを躊躇する女性を見て『背中でぐっとほかの乗客を押して』一人乗れるスペースを確保した歩太。どうにか乗り込めた彼女の横に立ち『ほころびかけた桜のつぼみのような、さっぱりとした香り』を彼女から感じとる歩太。『見れば見るほど、きれいな横顔だった。端整で清潔』と『視線をはずすように』彼女を見る歩太は、『彼女の左のてのひらに真っ白な包帯』が巻かれているのに気づきます。そんな時『電車はまもなく急なカーブにさしかか』り、『歯を食いしばって』、『彼女の細いからだを、押し寄せる圧力から守ろうと必死』になった歩太。そのことに気づいて『驚いたように僕を見あげた』彼女の『品のよい口もとがひらいて、少し迷ったあと、こんなことばをかたちづく』ります。『A・RI・GA・TO』。『とたんに…何とも始末に悪い感情が、きりきりとした痛みと共に胸の奥から突き上げてきた』という歩太。『この時間がずっと終わらなければいいのに』と願うも池袋駅に着いた電車。『彼女もろとも転がり出るようにホームに吐き出されたとたん』、『あとも見ずに急いで階段をおり』た歩太。『目の端に彼女が何か言いかけるのが映ったが、立ち止まりはしなかった』という歩太は、『生まれてはじめて経験する激しい感情の揺れを、立ち止まって直視するのが怖かった』と思い返します。しかし同時に『あとでそのことをどれほど後悔したかわからない』という歩太に、まさかの場所で彼女と再会する機会が訪れます。そして、そんな歩太と、彼女=精神科医の五堂春妃(ごどう はるひ)の運命の物語が描かれていきます。

    村山由佳さんの実質的なデビュー作として1993年に刊行されたこの作品。『美大を二校と、普通の大学を一校』受験したものの不合格となった歩太が、予備校の入学手続きに向かう電車内で偶然出会った女性に『生まれてはじめて経験する激しい感情の揺れ』を感じたところから物語は動き出します。そんな出会いの場面の描写はまるで夢を見るように儚く、かつ流れるように描かれていきます。『ホームにあふれている無彩色の集団の中で、淡い桜色の何かが僕の眼をひいた』という運命の瞬間。それが彼女のカーディガン。『白い開襟ブラウスの上に春にふさわしい色のロングカーディガンをはおって、オフホワイトのすとんとしたスカートをはいている』という彼女の描写。そんな彼女の『うつむきかげんのその横顔』を『あまりにも清冽で、あたりをはらうような凛としたたたずまいに満ちていた』と感じる歩太。『清冽』とは、”水が清く澄んで冷たいこと”を指す言葉です。人を形容するのにあまり用いないこんな言葉を使って歩太が感じた彼女の印象を描いていく村山さんは、次に彼女の印象を嗅覚に訴えていきます。『向かい合わせに立った彼女の髪が僕の鼻先で揺れた。ほころびかけた桜のつぼみのような、さっぱりとした香りがした』というその表現。そんな彼女の描写で気付くのは『遠く、近く、桜の枝が風に揺れている』という三月のイメージに見事に溶け込む世界観です。まさしく早春のまだキリッとした空気に包まれた淡い桜色の情景。桜のほのかな香りをそんな空気の中に感じる早春の美しい、あまりに美しい夢の中の情景にも似た世界が彼女に重ねて描かれていきます。そんな中に唐突に登場するのが『彼女の左のてのひらには真っ白な包帯がきっちりと巻きつけられていた』という生々しい描写。それを『見るからに痛々しい』と感じた歩太は、『彼女の細いからだを、押し寄せる圧力から守ろうと必死になった』と夢の中のような大切な光景を守ろうと行動を起こします。そんな歩太の優しさを知って『A・RI・GA・TO』と口を動かす彼女という、歩太でなくともキュンとなりそうなこの描写。『この時間がずっと終わらなければいいのにと願』う歩太の気持ちが何ともいじらしくストレートに伝わってきます。そして『生まれてはじめて経験する激しい感情の揺れ』と表現される歩太のその感情。”ひと目惚れ”というような安っぽい言い方で表すのは気が引けるくらいにピュアで読者の心まで鷲掴みにするように描かれていく歩太と春妃のこの出会いの場面は、もう絶品!としか言いようのないあまりに印象的なシーンでした。

    そんな夢の中のような運命の出会いの後、父親が入院する病院で、今度は担当医と患者の家族という形で『こんなところで会えるなんて』と偶然にも再開する二人。あなたは、数日前の電車の中の出来事を覚えていたりするでしょうか?他人として通り過ぎていくその瞬間の人間関係を記憶に留めるほど記憶力抜群という方はそうはいらっしゃらないと思います。しかし、それが『生まれてはじめて経験する激しい感情の揺れ』を湧き起こしたものなら別でしょう。そんな瞬間の記憶は記憶というより、頭の中に一枚の絵として残り続けるものなのかもしれません。その一方で、春妃もまたあの時のことを覚えていたという事実は、歩太とは異なる何らかの感情を抱いていたのだと思います。そう、やはりあれは運命の出会い。一方向などではなく、お互いが惹かれ合ったその先に、偶然ではなく必然として訪れたのがこの再会なのだと思います。そんな二人の関係に、春妃を歩太の八歳上という何とも絶妙な設定をされた村山さん。世の中にはもっと年齢の離れたカップルも普通にいらっしゃいますが、この作品はこの時点で歩太が未成年の19歳であるとしたところに、年齢差以上の絶妙な線引きを感じます。それを『僕らの年頃にありがちな憧れだとか、そんなふうには思ってほしくないんです』と意識しながらも、その感情を肯定してもらいたい歩太。そんな歩太は『僕はすでに彼女のことをどうにも忘れられなくなってしまっていた』とその感情を燃え上がらせていきます。そんな感情の中心にあるのは『あの電車の中でそうしたように、僕は彼女を傷つけようとするものすべてから、この腕で守ってやりたいと思った』という、『あの電車の中』の記憶へと再び繋がってもいきます。一方で、『あなたのことを子供だなんて思ってないわ』と言うものの複雑な感情も見せていた春妃は、『あなたって、ひとを素直にさせてしまうの。まるで、子供のころみたいに』という感情を経て『私、もうちょっと遅く生まれればよかったな。八年も早く生まれちゃって…』と素直な気持ちを吐露するまでに至っていきます。そして、そんな歩太は19歳という年齢だからこそ、『彼女と釣り合うだけの人間になるように、すべてのことに対して積極的に、真摯に取り組むようになる、そんな種類の恋だった』という言葉のピュアさがとても自然に感じられ、ますます二人の関係を応援したくもなってきます。この辺り、男性、女性という読者の性別によって感じるところも違ってくるかもしれませんが、私にとっては、これはまさしく完璧なまでの”純愛物語”。もう、すっかり魅せられてしまうしかない”純愛物語”でした。

    しかし、そんな”純愛物語”は、言葉を失うほどの衝撃的な結末へとゆっくりと、それでいて着実に歩みを進めていきます。あまりに儚い、まるで冒頭の早春の光景、淡い桜色の風景はやはり夢だったのかもしれないと感じるあまりにも切なすぎるその結末に一筋の涙が頬を伝いました。

    『あれは…正直言って、電撃的なひと目惚れだった。運命的と言いかえてもいい。あのときの想いは今でも消えてはいなかった。いや、ますますせつなさがつのっているくらいだった』という主人公・歩太の”ひと目惚れ”のその先を見る物語は、まさしく”純愛”のなんたるかを見る物語でした。”純愛小説”と呼ばれるものは昨今多々生まれています。そういった数多の作品を読まれてこられた方からすると、”またか”、という思いをこの作品に感じるのもわからないではありません。そういう意味では、読書を始めてまだ一年ちょっと、”純愛小説”はまさかの初めて!という私が、この作品とここに巡り会えたのはとても幸せな出会い、まさしく運命の出会いだったのかもしれません。

    『清冽』な川の流れのように美しく澄んだ情景描写の数々と、主人公・歩太と春妃の丁寧な内面の描写にすっかり魅せられたこの作品。あまりにも、あまりにも、あまりにも切なさを極めるその結末にしばらく言葉を失ってしまったこの作品。

    ああ、なんて儚いんだろう。
    ああ、なんて切ないんだろう。
    そして、ああ、なんて美しいんだろう。

    冒頭と結末に心の違う部分を強く鷲掴みにされた絶品!でした。

    • アールグレイさん
      こんにちは!
      東京西武池袋線沿線、いいお天気です!
      )(^-^)( 私は、読むのが遅いのでレビューはごゆっくりお待ち下さい(^^;# 息子...
      こんにちは!
      東京西武池袋線沿線、いいお天気です!
      )(^-^)( 私は、読むのが遅いのでレビューはごゆっくりお待ち下さい(^^;# 息子は、私が夢中になっている様子を見て自分も読みたそうな顔をし、様子を見に来ます。この間まで、ラプラス・・・を読んでいたみたい。息子が持っている重力ピエロはいつか借りる約束になってます。Book ofへ、・・・胎動を探しに行ってなかったとか。あーあ
      ・・・・私にふさわしい、面白いからどんなレビューにしたら良いか迷いそうです。いつもあらすじをどこまで書こうかと考えます。まぁ、今週中に上げられたら私としては早い方かと。
      ∩(-_-)∩
      2021/05/31
    • M.Kさん
      紀伊国屋電子書籍KINOPPYで購入しました
      紀伊国屋電子書籍KINOPPYで購入しました
      2021/09/12
    • さてさてさん
      M.Kさん、こんにちは。
      とても感動的な作品でした。KINOPPYでも出ているんですね。
      M.Kさん、こんにちは。
      とても感動的な作品でした。KINOPPYでも出ているんですね。
      2021/09/12
  • まだ小説慣れしてない時に、
    知人からもらって途中で投げ出した本。笑

    著者は描写がすごく上手だなと感じました。

    切ない小説を、というところから入った本作。
    でも、これ以外の結末は無かったのかなと
    ハッピーエンド好きの私は思ってしまいました。笑

  • キュウっとくるような恋愛小説。苦しい苦しい恋愛小説。最後は誰もハッピーじゃない。苦しいまま終わる。でも、それはみんながその場では真剣で一生懸命で、その結果。
    著者は違うが、原田マハさんのゴッホを描いた作品を思い出してしまいました。

  • 瑞々しい恋愛小説。電車内一目惚から始まった,精神科女性医師への直向きな恋。死別の悲しみと後悔,残されたクロッキー帳に,愛がぎっしりと詰まっていて切ない。

  • 透明感あって、清々しかった、という印象ばかり。
    年上で、聡明で、美しい女性は男子(男性)のいつも憧れか。

  • 初作家さん。厚くなくて読みやすかったので1日で読めました。
    物語は淡々と進んでいき、甘い恋愛小説になるのかと思いきや、、、!!!! 
    切なくも悲しいラストに少し涙しました。

  • 直木賞作家、村山由佳が1993年にすばる新人賞を受賞した恋愛小説。作者が凡庸とも言える物語を敢えて選んだうえで、恋愛の普遍性を描こうとしたのだと感じたのは深読みしすぎか?

  • 8歳年上の女の人を好きになる気持ちや、精神病院に入院している父親に対する絶望的な気持ちなど、まだ若い主人公 歩太の想いに共感した。

    これは小説だから、、、な内容ではあるけど、漫画や映画では表現できない切ないラブストーリーだった。

  • 著者デビュー作。高校の時に読んだ記憶があるものの、内容を全く覚えていなかった。読みながら、春妃と夏姫という姉妹の名前が可愛いと当時思ったことだけ思い出した。笑
    歩太のお父さんが退院してから終わりまでの展開が急すぎてびっくりした。
    春妃が色々背負い込んで、最期もあんな形でっていうのが可哀想。辛い、切ない、やりきれない、、、歩太の今後が心配。

    今「おいコー」シリーズを読み進めているため、すごく共通点があるなと思ったのが第一印象。年下彼氏・年上彼女、料理上手な男子、それぞれの性格など・・・自然と勝利とかれんを重ね合わせてしまった。
    村山由佳さんは、本当に読んでいてキュンとするような照れるような純愛を書く方だなあ。若い人のみずみずしくも切ない気持ちを、こんなにも鮮やかに描写できるのがすごい。

  • オーソドックスな恋愛小説だと思った。
    恋に落ちるって、まさにこんな感じ。
    せつないの一言に尽きる。

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著者プロフィール

村山由佳
1964年、東京都生まれ。立教大学卒。93年『天使の卵――エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞をトリプル受賞。『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞受賞。著書多数。近著に『雪のなまえ』『星屑』がある。Twitter公式アカウント @yukamurayama710

「2022年 『ロマンチック・ポルノグラフィー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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