蝿の王 (集英社文庫 コ 1ー1)

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制作 : William Golding  平井 正穂 
  • 集英社 (1978年1月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (343ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087600223

蝿の王 (集英社文庫 コ 1ー1)の感想・レビュー・書評

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  • 民主的に人々をまとめていたリーダーが武力をもった独裁者の副官にやられるという寓話

    それにしてもピギーの最期はあまりに強烈

  • 中学時代に「十五少年漂流記」の横に置いてあり、タイトルに惹かれて読みました。とても衝撃的なまさに「暗黒版十五少年漂流記」といった内容でしたが、私はこっちの方が好きです。

  • 無人島での少年達の漂流記たと思っていたから読んでいてびっくりした。後半の展開がすごい。

  • 少年達が漂流して無人島へ。助けを待ちながらそこで生き抜いていこうとする物語。
    ……と言えば、もうちょっと前向きな感じだったり、サバイバルへの創意工夫、挫折、不和、それらを一致団結して乗り越えていく感じ、みたいなものが想像されるけれど、これは違う。

    奇妙にリアリティのない島で、狂気ちょっと手前の生活が繰り広げられる。
    島は大きくはないけれど、真水の湧く場所があり、食べられる果実がふんだんに実り、しかも欲望のままに食べ続けても尽きることは無く、凶暴な生物や毒のある生物はいないけれど、野豚はいる。気候は温暖で日が沈んでも凍えることはない。そんな楽園のような島。

    それなりに統率する努力はあったけれど、少年ならではの無謀や奔放さがいろいろと台無しにしていく。
    最初は「まったく、これだから男の子ってやつは……」なんて気持ちで読んでいたが、ページを繰るにつれ、洒落にならなくなっていく印象。
    少年達の精神が摩耗していく様子が克明に描かれていて、なかなかにどす黒い小説。

    戦争への風刺……なのかな?

  • 無人島にたどり着いた少年たちからは、だんだんと文明的な理性が失われ、野蛮さに蝕まれていく。野蛮さ、非文明の描写は「モロー博士の島」を思い出す。人間が人間でなくなっていくような、薄気味悪さに満ちた作品。

  • 突き動かされる蛮性に委ねる解放という快楽と恐怖。未来を作ることができるのは蛮性と対峙する精神性なのだろうか。今、人間は、日本人は快楽と言う仮面の下のこの蛮性と向き合う時なのではないだろうか。

  • 簡単にう言うと暗い十五少年漂流記です。
    わきあいあいと子供たちが、生存とはまた別の意味で殺しあってます。
    映画化もされましたが、原作の活字の方がより陰鬱です。

  • ●彼らがなぜ考えることができないのか、理解はできても想像することができなかった。彼らの中にある狂気は全ての人間にあるものだと思う。それを理性で抑え付けるのが大人なのだ。

    ●なぜ人を殺してはいけないのかについて、新たな答えが浮かんだ。
     人が死んだらどうなるのか誰にもわからないから。殺された人がどれほどの苦痛を受けるのかわからないからだ。
     人に罪を与えるときは、その人に相応しい罪をもって報いるべきだと思う。
     つまり、暴行殺人犯を死刑にする場合、死後に受ける苦痛が無くただ死ぬだけならばその刑は軽すぎる。逆に死後にその人が地獄で責め苦を味わうならば、死刑は重すぎるかもしれない。


    ☆きっかけはwikipediaのサバイバルを題材にした図書。


    読了日:2010/08/16

  • 1ページ当たりの文字量が多いこと(字が小さいこと)、主語がはっきりしないところが多く誰か話してるのかが分かりにくいこと、登場人物をはっきり把握せずに読んでしまったこと、物語の前半にストーリーの動きが少ないこと、などが原因でなかなか先に読み進められなかった。最後の方はテンポよく進むので、息を止めて読んでしまい主人公と共に苦しんだ。そして、最後のシーン。大人という存在の頼もしさを感じると共に、子供はやはり子供だった。
    善悪とか道徳といったものは決して絶対的なものではなく、環境によって変化するものなのだ。その証拠に大人が一人入ることで、子供達の間に作られていた狂気にも似た関係性が消え失せた。

  • 原爆戦争が勃発し、イギリスから疎開する少年達を乗せた飛行機が無人島に不時着。
    大人が一人もいない中、その島で少年たちは小さな社会を築き上げてゆく。

    この作品は、極限状態において人間の誰もが、大人子供関係なく、持ち得る狂気を鮮烈に描いている。
    年長の少年たちは大人という制限のない世界中、新たな秩序を作ろうと試み、その過程で力で他を支配することに悦びを覚えていく。
    (それはジャックの狩りやロジャーの投石に良く現されているのではないだろうか。)

    そしてそのような少年たちの姿は、現実世界の戦場における、大人たちの残虐性(例えば捕虜に対する暴力など)を彷彿とさせる。

    つまりこの作品は、無人島という狭い空間の中の少年たちの姿を通して、おおよそ全ての人間に潜在的に存在する狂気と、今現在も現実世界のどこかで行われているであろう争いの醜い姿をありありと浮かび上がらせているのである。

    この作品の中で、特に印象的だった点を3つ。

    ・ピギー(やサイモン?)を除く少年たちが自分たちが救助を求めるべき立場であるということを忘れていく点。
    ベトナム戦争後、帰還した兵士の中に生の実感を求め戦場に戻りたいと思っていた兵士が好くなからずいたという話を思い出した。
    しかし作品中では特に「生の実感」を強調しているようには感じられなかったので、これは違った性質のものかもしれない。
    作品中においては単に他を支配するという悦びに没頭していた様子として描かれたのか。

    ・「蠅の王」という豚の頭の象徴、あるいは見えない獣
    ジャックが獣に支えげた棒に突き立てられた豚の頭は、ジャックの集団をまとめあげる力による支配の象徴のように思えた(ラーフの集団においてはほら貝だった)。
    その集団における象徴というものは、現実の戦争でもたびたび見られるものではないだろうか。
    日本における天皇、アメリカにおける星条旗等々。

    ・物語終盤に出てきた士官の、「なかなかおもしろそうに遊んでるじゃないか」という台詞がラーフを狂気の世界から現実に引き戻し、またその狂気の世界を幾分か「滑稽なもの」にしたのではないか。
    その「滑稽なもの」によって、ラーフは自分の奥底にある醜さをしり、「無垢(イノセンス)の失われた」のを悟ったのである。

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