存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

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制作 : Milan Kundera  千野 栄一 
  • 集英社 (1998年11月20日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087603514

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)の感想・レビュー・書評

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  •  重いはずの人間、重くなれるはずの人間、重くあっていいはずの人間が、軽いということがわかってしまったときの絶望感。女も軽い。ただのたまったものを吐き出す痰壺であり、ペニスでもって女の物語の歴史の一部になって、自己満足するためにやってるのだ。その女の過去に同意のうえペニスを挿入しましたという事実をつくることを目的としており、それにより世のほかの人間へのマウンティングへもつながる。女性をセフレかやり捨てする場合、痰壺・攻略自慢・ものとして扱うことで自分がものでないように思えるための道具・フォローの言葉を入れることで自分のコミュニケーション力を再確認する、みたいなものである。そして歴史も軽く、国は簡単に滅ぶ。一部の人間によって思い通りにもなるし、消え去りもする。行き当たりばったりで、国も歴史も、再現性もないし、科学的もでもない。一番重い存在でも軽い存在でもなく、存在らしい存在だったのは飼っていた犬だけだった。
     タイからカンボジア国境に行って、地雷を踏んだカメラマンが飛び散ってドイツ人男性歌手とアメリカ人女優と白い旗に血の雨が降る場面とかが印象的だったが、特に良かったのは以下の文。

    P336
    フランツは急に大行進が終わりにきたということを感じた。ヨーロッパのまわりには静けさの国境がはりめぐらされ、大行進がそこで行われている空間は惑星の真ん中の小さな舞台以外の何物でもない。かつて舞台のまわりにおしかけた群衆はとっくに顔を他所に向け、大行進は孤独で観客なしで進行している。そうだ、とフランツは自分にいう。世界の関心が失われようとも、大行進はさらに進んでいく。しかし、それは神経質になり、熱狂的になる。昨日はベトナムを占領するアメリカ人に反対し、今日はカンボジアを占領するベトナムに反対、昨日はイスラエルを支持し、今日はパレスチナ人を支持し、昨日はキューバを支持、明日はキューバに反対、そして、常にアメリカに反対する。あるときは大量殺戮に反対。あるときは大量殺戮を支持。ヨーロッパは行進を続け、次々とおこる事件のリズムに遅れないように、その一つも逃さないように、歩みをますます速め、ついに大行進は突進する人たちの行進となり、舞台はだんだん小さくなって、ある日寸法のない単なる点となるのである。

  • 対照的な、テレザとサビナ。彼女達には幸せを感じる芯の部分に「重さ」を据えるか「軽さ」を据えるかの違いがあるようにみえます。

    ですが両者とも「重さ」には責任が伴い、「軽さ」には空虚さが伴う事を自覚し、苦しんでいる所は共通します。

    対して、トマシュとフランツ、男性2人は、無責任な方が、愛に気付いたときに「重い」最後を迎え、 完璧なタイプの方が、自ら崩壊して哀れともいえる死を遂げます。

    しかし2人とも政治的にスポイルされ死んだようなもので、本音のトマシュはソ連の傀儡となった国家に反動したのだし、大人しい学者のフランツはヨーロッパの安全な所にいる自分に嫌気がさしたのかデモに参加して危険な目にあうのですから。

    4人それぞれの考えや生き方が自分自身の一部にあり、読むのに時間はかかりましたが深くて楽しい小説でした。

  • これは小説の顔をした哲学書ではないだろうか。「恋愛小説」と銘打ってあるが、それを期待して読むべきではないと思う。

    さて、本書はニーチェの「永劫回帰」という概念から出発する。そして物語を通じて我々は「重さと軽さ」について登場人物たちの人生に触れる形で考えていくことになる。
    冒頭で問いが投げかけられている。
    「重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?」(p9)
    これについての答えは明確には出されていない(なんとなく著者は重さを肯定的に見ているように感じるけれども)。しかし我々がそれを考えるヒントなら、作中の二人の女、テレザとサビナの人生という形で提示されている。テレザが重さを、サビナが軽さを象徴しているのだ。
    冒頭、重さについて。「その重々しい荷物はわれわれをこなごなにし、われわれはその下敷きになり、地面にと押さえつけられる。しかし、あらゆる時代の恋愛詩においても女は男の身体という重荷に耐えることに憧れる。もっとも重い荷物というものはすなわち、同時にもっとも充実した人生の姿なのである。重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。」(p9)
    軽さについて。「それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。」(p9)
    まさにこの通りにテレザはトマーシュという愛の重荷に苦しみしかし耐え続けて生きて死に、サビナは裏切りの旅路の果てに限りなく軽くなった。
    物語のラストの方ではっきりとこう書かれている。
    「テレザとトマーシュは重さの印の下で死んだ。彼女(筆者注:サビナ)は軽さの印の下で死にたいのである。彼女は空気より軽くなる。これはパルメニデースによれば、否定的なものから肯定的なものへの変化である。」(p344)
    テレザ(とトマーシュ)はトラックに押しつぶされて死んだ(重さの印)。サビナは火葬されその灰を撒布されて死ぬのだった(軽さの印)。
    おそらくはテレザとトマーシュが死ぬことになる直前、彼らは人生の終点で悲しみと、そして幸福を味わっていた(「悲しみは形態であり、幸福は内容であった」p395)。これが重さの末路だった。私には肯定的なものだとは思えないが、確かに彼らは真実味を帯びた、地に足付けた太く濃い人生を生きて何がしかのはっきりと重みを持ったものを得られたとは思う。

  • クンデラの云う「軽さ」とは何か。重さと軽さを比較するとき、重さとは人々が重荷と感じることであるという。その場合の軽さとは「自由」に他ならないだろう。登場人物達は自由、すなわち軽さを求めるが、その世界は空虚で、軽さに触れた人々の心はとても不安定だ。自由を束縛された人々が追い求める軽さとは何なのか。そのテーマを様々は形で徹底的に追跡した奇跡的な作品ではないかと思う。

  • 恋と性愛のちがい、そして誇りというものの頼りなさ。それらを描写することへの一切の容赦がない。最高です。テレザの献身、トマーシュの捨て身、サビナの裏切り、フランツとシモンの信仰、そしてカレーニンと老いた夫婦だけが手にする完全な愛。すべてが詩のようにできたお話ですね。作中に作者の意見が入っているのにはちょっとびっくりしました。サンテグジュペリのことを思い出します。きっと、また読み返すと思います。

  • 質量と密度

  • 「理解されなかった用語集」が衝撃で、その章で一回本を閉じた。
    「これは傑作だぞ、すぐに読んだらもったいない。すごくつまらない小説を読んだらその口直しにしよう」と温めて、それから一年くらいかけて読んだ。

    全編通して、女は重いなあと感じる。子供っていう内在的な他者を抱えているから、どうしたって重くならざるを得ない。サビナは軽やかだけど、それは意図的な軽やかさで、一見真面目人間のフランクのほうがよっぽど軽い。

    女である身としては、トマーシュの軽さに憧れる。人に付随する権威・影響力を脱ぎ捨てて、見知らぬ女性との関係に没頭できる洒脱さ。でも、テレザのどうしようもない重さも、それはそれで純真で美しく見える。彼女の、存在全てをかけて一瞬一瞬を生きる切実さに、結局トマーシュは救われる。

    この小説を読むと、価値観がかき回されて、読後は誰の生き方の何が素晴らしいのかわからなくなってしまう。なんとなく分かるのは、人は何かに引き留められているということ。重力に似た、関係性という重石を引きずって生きている。

  • 今月の猫町課題図書。1987年に映画化されて有名になったクンデラの代表作。初読。

    トマーシュとテレザの物語を中心に、愛と性の様々な側面を同時並行的に描く。性愛的友情を標榜して奔放な女性関係を楽しむトマーシュと、そんなトマーシュを束縛しようとするテレザ、愛を Kitsch なものにできないサビナ、サビナに永遠にあこがれるフランツ、無垢の愛を示すカレーニン。人生は、あるいはセックスは、歴史は、二度と繰り返すことのできない一度きりの軽いものだと言いつつも、著者は「重さと軽さ」「心と身体」の 2章 x 2 に象徴的なように、多相的に(あるいは犬のように)物語を繰り返す。

    ところどころで考察される恋愛観にはハッとさせられることもあったが、そんなに凄い小説だとは思わなかった。それぞれの視点から(しかし、絶対的存在としての著者のナレーションで)繰り返し描かれる構成と、時系列的なエンディングを中ほどにもってきて、「繰り返し」を示唆した最終章の構成が面白いと言えば面白いが、いまどき普通か。プラハの春(チェコ事件)を背景としたことで政治的な読まれ方をしているのも、世間的な評価が高い一因かもしれない。

  • 再々読。何度読んでも本当に素晴らしい。人は己の存在の軽さにも、重さにも決して耐えられるものではない。それを克服するには存在の絶対的同意が必要であり、キッチュなものの中へ潜り込まなければならない。しかしキッチュの俗悪さを認識している人にとってそれは受け入れ難い行為なのだが、皮肉なことにそうした人ほど己の軽さや重さにも自覚的なのである。そして最後に塵に変える時、誰もがキッチュなものとして他者の記憶に留められることになるだろう。それでもカレーニンは微笑んでくれる。それは無条件で与えられる、絶対的肯定そのものだ。

  • 大学時代にタイトルを知ってから4年位経って、ようやく読み終えた。
    恋愛小説の形をとった哲学書のように感じました。

    いきなり冒頭からメインテーマが語られます。存在の重さと軽さについて。
    表面的には「重い」女=テレザ、「軽い」男トマーシュの葛藤にもとれるんだけど、根はもっと深くにある。国家の喪失、表現の自由の喪失、個の喪失。個人が誰とでも置き換え可能なほどにどこまでも「軽く」なっていく中で、恋愛とは個の承認を意味する。だからテレザはトマーシュが自分だけを愛してくれるよう願う。一方で、トマーシュは職業にも通じる使命と好奇心から、不特定多数の女たちに個を見出し続ける。でも愛しているのはテレザだけ。

    うーん、難しい。。読んでると「重さ」と「軽さ」は対極に位置しているようにも、紙一重のようにも思える。そして、そのどちらが良いのかわからない。
    哲学的テーマを惜しげなく散りばめているので、時間をおいて何度も読みたい作品。

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存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)の作品紹介

本書はチェコ出身の現代ヨーロッパ最大の作家ミラン・クンデラが、パリ亡命時代に発表、たちまち全世界を興奮の渦に巻き込んだ、衝撃的傑作。「プラハの春」とその凋落の時代を背景に、ドン・ファンで優秀な外科医トマーシュと田舎娘テレザ、奔放な画家サビナが辿る、愛の悲劇-。たった一回限りの人生の、かぎりない軽さは、本当に耐えがたいのだろうか?甘美にして哀切。究極の恋愛小説。

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