窓の向こうのガーシュウィン

著者 :
  • 集英社
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感想 : 135
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087714500

作品紹介・あらすじ

心をそっと包みこむ、等身大の成長小説
未熟児として生まれ、ばらばらの父母のもと、欠落感と一緒に育ってきた私は、介護ヘルパー先の横江先生の家で額装の仕事に出会う。ずっと混線していた私の心が、ゆっくり静かにほどけだす──。

感想・レビュー・書評

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  • 茶葉が自由に踊り回れるまあるいポットと、モコモコのティーコゼーを用意して
    大切に思う誰かのために、手間を惜しまずおいしい紅茶を淹れ
    灯ともし頃、其処此処の窓に灯る明かりに、そこに住む人たちの幸せを願い
    今、ここにある暮らしを大切に、丁寧に生きたい、と思わせてくれる本です。

    未熟児として生まれたのに、両親に知識が足りなかったために保育器にも入れず
    耳でも目でも、意味のあるものとそうでないものを選り分けられないまま、
    すぐに頭がいっぱいになってしまうからと
    何事にも目を瞑り、息をひそめて生きてきた佐古さん。

    そんな彼女がヘルパーとして巡り会う、

    夜の間に、フェルト帽をかぶり木靴をはいた小人が
    古いお米とおいしいお米を入れ替えておいてくれるのだとこっそり耳打ちし
    「炊飯器の言葉を聞くことができる人は貴重です」と、彼女の独特の感性を褒め
    歯磨きの途中でいったん手を止めて虫歯菌を油断させておいて
    歯の隙間からひょっこり顔を出したところを一気に叩くのだと伝授する、
    要介護1の横江先生が、とてつもなく素敵です♪

    足りないものを、おかあさんのお腹の中にたくさん置いてきてしまったからしょうがないと
    自分を取り巻くありとあらゆるものを、カーテンの向こうにうっすらと見える
    窓の向こうの風景のように眺めてきた佐古さんが
    先生の息子の手ほどきを受けて、額装という天職に目覚め
    記憶がだんだん曖昧になっていく先生の残り時間を、
    その息子と孫と共に慈しみながら過ごしていくうちに

    自分の手でそのカーテンを開け、窓の向こうの世界に手を伸ばし、
    新しい世界の住人となることができる自分をしっかりと意識して
    窓のこちら側にいた自分も、保育器に入れてくれなかった父と母も
    やわらかく受け入れていく過程が、宮下奈都さんらしい繊細な感性で描かれ

    自転車ロドリゲス、米袋をかついだ小人、チャンスの気配をしらせるシンバル
    網奉行(♪)の先生が七輪でふっくらと焼く油揚げ、など
    物語に寄り添った温かい挿画も胸を打つ、いとおしい1冊です。

  • うーん、評価が非常に難しいなと思った。
    テーマとしては悪くない。
    いわば自分の殻の中に閉じこもって19年生きてきた佐古さんが、その殻を破って外の世界に一歩踏み出し成長していく過程を描いた作品になっている。
    でもこの独特の世界観を持つ佐古さんを、「大きい」「強い」と肯定的な言葉で表現している。
    その反面、この生き方ではダメなんだと主人公を外の世界へと導いているようにも感じる。
    一体どっちなんだ。
    どうせなら佐古さんの個性を首尾一貫して認める位の作品になっていればよかったのに。

    おまけに「サマータイム」を持ってくる意味が分からなかった。
    嬉しい時に「サマータイム」を口ずさむってあるかな・・・。
    それが佐古さんの個性と言ってしまえばそれまでだけど。

    ブクログの中では評価も分かれているけど、私もちょっとダメだったかも。
    「田舎の紳士服店のモデルの妻」が良かっただけに期待していただけに残念。
    宮下さんの作品は当たり外れが多いなと思ってしまた。
    それとも私の感性の問題か。

  • 宮下奈都さんはいいですね~。
    この作品は、これまでと少し語り口が違います。
    なんともいい感じです。

    女の子の一人称で、淡々と語られます。
    未熟児で生まれ、子供の頃から人の話す言葉が聞き取りにくい障害がある19歳の佐古さん。
    目立たないのでいじめられるまでは行かなかったが、友達は出来ないまま。
    父親はふいと三ヶ月いなくなったり、母は部屋を片付けないという育ち。
    10歳の頃に、よその家のほうが片付いていて居心地がいい事に気づき、自分から家事を手伝うようになる。
    団地の部屋に寝転がって、拭いた窓を見上げるのが好きだった。

    就職先がすぐにつぶれてしまい、ホームヘルパーの資格を取ることに。
    会話がスムーズに行かないので、すぐに担当替えを申し出られたりしますが。
    横江さんの家はなぜか落ち着き、話す言葉も聞き取れたのです。
    左半身が不自由な横江先生は、79歳で要介護度1、息子と二人暮らし。
    品が良く優しい人柄で、ちょっと茶目っ気があるお爺さん。
    認知症もおき始めているようです。

    その息子は、額装が仕事で、家の正面が店になっています。
    横江先生に「友達になってやってくれ」と頼まれ、戸惑う佐古さん。
    思いがけなく、佐古さんはここでどうやら天職にめぐり合います。
    午後は額装を手伝うことに。

    横江先生の孫は、なんと中学の同級生の隼でした。
    確か金髪だった?と思い出す佐古さん。
    隼は祖父の認知症にいたたまれない思いをすることもある様子。
    隼も額装をやってみますが、これは向いてない。
    そういうこともあるのですね。

    「サマータイム」の曲は好きですが、歌詞の意味はぜんぜん知りませんでした。
    素直に幸福な情景を思い描いていた佐古さんでしたが。
    エラ・フィッツジェラルドが歌う内容は、そういうことだったんですね‥

    佐古さんの控えめでユニークな感性。
    寂しさもはっきり意識しないで生きてきた彼女が、少しずつ新しいことに目を開かれ、いつしか前に進んでいく‥
    静かな雰囲気と、こまやかなユーモア。
    心温まります。

    著者は1967年福井県生まれ。2004年「静かな雨」でデビュー。
    この本は2012年5月の作品。
    植田真さんの挿画もすてきです。

  • 人と上手く話すことができず、自分から話すことはあまり出来ない。また、人の話や質問に応えようとすると、急に雑音が混じって聞き取れなくなってしまう主人公。

    高校卒業後、就職した場所は半年で倒産してしまい、求職中にヘルパー3級の資格を取得したおかげで、ヘルパーとして勤務できるようになり、色々な患者や家族との関わりを通じて、学生の頃からあった雑音の入った会話がなくなっていく物語だった。

    ヘルパーとして働いていき、そこで自分の担当となった患者や、その患者の家族と関わっていくうちに、主人公自身の価値観や考え方が間違っていることを認識し、成長していくところが、とても良かった。

  • タイトルから想像したのとだいぶ違う内容だった。職人の孤独、みたいな話かと思っていたけれどそうではなかった。他人と比べて回転が早いとは言えない主人公が、自分のペースで世界を理解し、世界と交わっていく物語。こういう、ちょっと世間からずれているかんじというか、未熟なかんじという雰囲気を描くのがとてもうまい。決して劣っているというのではなくて、物事の独特な見方とか、表現(「あんころ」とか「つくも」とか、夏は「絹」とか)とか。

  • 宮下さんの小説は、きらきらと輝く言葉で埋め尽くされていて。その言葉で描かれる世界は時間がゆっくりと流れ、とてもとても居心地のいい温かい部屋のようで。
    あぁ、ずっとここにとどまっていたいなぁ、そう思う部屋のようで。

    未熟児で生まれた主人公の、色んなものが足りない人生が、とても満ち足りているのはなぜだろう。
    彼女の周りは不思議な魔法のような空気に満ちている。その温かな空気の正体はなんだろう。

    最初から何かが欠けている人と、少しずつ何かが欠けていく人が出会って生まれる緩やかな奇跡。

    幸せのかけらを集めて生きている人がいて、自分の中の足りない何かを思いつつ生きている人もいて。
    でも、誰もがみんな偏った存在なんだし、それはそれで幸せのひとつなんじゃないの?という気がしてくる。

    幸せなんてひとそれぞれなんだから、大丈夫、気にしない気にしない。
    ぽかぽかと全身にふりそそぐ温かい日差しのようなこの小説が、私はとても好きだ。

  • 自分の居場所を見つける。
    その瞬間の、こころの動き。
    いちいち言葉にできないものなんだろうと思う。
    というか、いちいち、そこに留まらないんだと思う、大抵は・・・。

    私は今、なんとなく居場所がない状態。でも、焦らなくていいんだよな。と思えた。これを読んで。

  • 未熟児で生まれ、知識がないために保育器に入れられなかったためにすこしばかり何かが足りない主人公“佐古さん”。
    彼女の耳は彼女の精神と深く繋がりすぎていて、緊張や不安に雑音が膨らんで、外の音をかき消してしまう。
    そのために親しい友人もできず、唯一の楽しみは家事の不得意な母に代わって家の掃除や洗濯を終わらせ、磨いた後の窓を眺めることだった。そこには色んなものが通り過ぎていく。静かで安らかな時間だった。
    そうやって大人になった佐古さんは、紆余曲折を経てヘルパーとして“先生”の家を担当することになる。先生は息子と同居しており、家は息子である“あの人”の額縁の工房兼お店とつながっていた。そこへ先生の孫で、佐古さんの同級生だった隼も入ってくる。
    穏やかで知識欲旺盛な先生。最初は幼いころ父と遊んだゲームの犯人の顔にそっくりだと思い、でも額縁を作る特別な顔を見てからあの人、としか考えられない、あの人。
    先生からもあの人からも大事にされているのだけれどうまくいかない、今のところふらふらの隼。
    彼らの場所にいると息がしやすい。自分の家にいるよりも。子供のころにふらりとでていった父の帰る場所を残しておくために、母と住み続けている古い団地。もう昔のように何もかもを映してはくれない窓。そこへ前触れもなく帰ってきた父。不協和音にまではならないけれど、ペースつかみきれない家族というものに、そして始まりのことに強く否定感を持って生きてきた佐古さん自身の心にも、先生たち、そしてあの人が手伝ってくれと言って始めた額縁の仕事がいくつもの初めての、でも懐かしい感触を、あたたかさを、名前を、ひっかかりを、打ち寄せていく。
    先生のなかで大きくなっていく老いも、それを誤魔化したり、受け入れたりしながら佐古さんは強く呼吸できるようになっていく。
    はじめて宮下さんの小説を読んだけれど、栗田さんに近い印象。文体とか世界のなかの色合いとか、それ以上に魂の形てきなものが。
    もやしラーメンをたべるラスト、思いもよらず涙があふれて驚いた。

  • 未熟児で生まれ,ある意味不幸な形で成長したが,ヘルパーとして働き出して先生と出会ってから,色が現れ音楽が響く.額装の「犯人」のようなあの人,そして自転車ロドリゲス号に絡む隼,佐古さんの周りが優しく解けていく感じが心洗われるようだ.全編に流れる「サマータイム」が物悲しく静かに彩っている.

  •  どこか「足りない」主人公。未熟児として生まれたものの保育器に入れられず、成長しても、細くて、青白くて、かさかさしている。父親が失踪し、母親はだらしないけど、怒りも、悲しみも、寂しさもないし、しあわせでもふしあわせでもない。
     彼女に足りないものはなんだろう。わたしは足りてるのかな?自分という器に、自分の中身をぴったり重ねるのは難しい。みんなだましだまし、器にはめようとしてはみ出たり心もとなくなったりしてるんじゃないかな。無理に言葉を当てはめて、その言葉に合わせて生きるようになったのはいつからだろう。

     今本屋大賞で話題の作家さんということで手に取ったけど、ひとつひとつの言葉を丁寧に扱う感じがけっこう好きかも。他のも読んでみよう。

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著者プロフィール

1967年、福井県生まれ。上智大学文学部哲学科卒業。2004年、第3子妊娠中に書いた初めての小説『静かな雨』が、文學界新人賞佳作に入選。07年、長編小説『スコーレNo.4』がロングセラーに。13年4月から1年間、北海道トムラウシに家族で移住し、その体験を『神さまたちの遊ぶ庭』に綴る。16年、『羊と鋼の森』が本屋大賞を受賞。ほかに『太陽のパスタ、豆のスープ』『誰かが足りない』『つぼみ』など。

「2018年 『とりあえずウミガメのスープを仕込もう。   』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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