- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087732146
感想・レビュー・書評
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再読。モディアノの綴る物語に入っていくとき、ある種の苦々しさと悔恨の涙をともなう。謎を謎のまま、秘密を秘密のままにして、不在になった人は何者だったのだろうか。
見上げた先にあるのは空白で、断絶した時間を思わせる冷えきった青空だ。どの方角を見ても心は憂い、風の通過する一瞬さえ信じようとしない。
自責の念に苛まれても繰り返し回想するのは、失ったものを取り戻すためではない。非所有の未来の代価として不変の過去を永久に所有しているのだ。
日ごと膨れる不穏が、夜ごとその膜をうすくしながら、わたしに似た顔で見つめてくる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
久しぶりに小説らしい小説を読んだ。でもないか。どちらかといえば、シネコンがハリウッド映画や邦画アニメで占領される前、街角の小さな映画館で観たフランス映画に再会したような感じだ。今年ノーベル文学賞を受賞したパトリック・モディアノ、十五作目の小説。
秋から冬にかけてのパリ市街。パリの冬は晴天に恵まれず雨もよいの空はいつも灰色で、人は孤独のあまり死にたくなるという。その頃「ぼく」は十八歳。両親は外国へ出かけたままで、いつ帰ってくるかもしれなかった。徴兵猶予を引き伸ばすために大学の文学部に籍を置いていた「ぼく」は、父の友人のグラブレーと二人、家具や絵を質屋に入れ、引っ越したばかりのようになったアパルトマンで暮らしていた。
ある日、誰かの手帳に名前があった件で警察に呼ばれた「ぼく」は、そこで出会ったジゼルに頼まれ、一夜の宿を貸すことに。女が身に纏った謎に魅かれるように、初冬のパリ旧市街を彷徨う「ぼく」。世間知らずの若者が、垣間見るいずれも正体の知れない大人の男女の世界。いつかその渦に巻き込まれ、抜き差しならない関係にはまってゆく「ぼく」の頭のなかにあるのは、ジゼルと二人でローマに行くこと。そこには仕事と落ち着き先が待っているはずだった。
ルノー・ヴェルレーあたりが演じそうな、愁いを帯びてほのかに甘く、どこか危険の香りが漂うような、青春映画が目に浮かぶ。セーヌ河畔、コンティ河岸に位置するアパルトマンからはポン・デ・ザール橋とルーブル宮が見え、夜ともなれば河を行き交うバトームーシュの光が部屋に線状の灯りを届ける。シテ島をはさんで、セーヌ左岸と右岸を往き来する「ぼく」は、いくつもの橋を渡る。カフェ・ドゥ・マゴや作家チェスター・ハイムズがよく顔を見せていたカフェ・トゥルノン、とまるで一筆書きでパリの市街図を描くように移動する二人の後を追ううちに、すっかりパリ見物ができるしかけだ。
十八歳の青年と二十二歳の女の関係は、女が私生活を明かさないことで謎を秘めたまま進行してゆく。少し年上の女に魅かれる若者の思いつめた気持ちや、女の心ここにあらずというアンニュイな気分が、移動中少しの間、姿をくらませてしまう女の謎とからみあって、なかなか深い関係に至ることがない。この宙吊り状態が緊張感に満ちたサスペンスを持続し、一気に終末に突入する。あっけない幕切れが、いかにも似合いそうな一途な若者の初恋を描いたみずみずしい小説である。 -
映画を見ているように読み進めていく。なんだかおかしな感じがあるのだが、いや、そんなことはどうってことのない日常なのさとさらっと流してしまう。そんな、すっかり登場人物に同化してしまっている自分を見つける。
街や通りの名前が親しく語られるのを聞くと、パリに行ってみたいと思うが、読後は、行かなくてももうパリの風に吹かれたような気がした。