霊山

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著者 : 高行健
制作 : 飯塚 容 
  • 集英社 (2003年10月24日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (553ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087734003

霊山の感想・レビュー・書評

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  • 一度読んだだけでは難しかった。
    私、おまえ、彼女、彼、いくつもの視点から様々な場所、冥界、とにかくスケールが大きかった。

  • 表紙は作者の高行健自身が描いた墨絵で‘LE VOL DE NUIT’と題されている。日本語に訳すと「夜間飛行」、または「夜の飛翔」というところだろうか。だが墨絵なので画面が黒っぽくて夜という雰囲気はわかるが、それが風景を描いたのか他の何かを描いたのかもわからないし、風景だとしても、いつの時代のどこの風景を描いたかの説明が一切ない。表紙を見た読者は、想像力をフル稼働させて推測するしかない。

    次に中身を見ると、全体で81章から成るが、例えばX章と(X+1)章との間には連続性はない。
    はじめのうちは2つのストーリーが並行して映画の技法の1つ“クロスカッティング”のように関連しながら進むので、奇数章と偶数章とをいわば分けるような読み方でも良かったが、次第にある章の内容と他の章の内容とが一読して関連性を見出すのが難しくなり、終いには各章が全く独立した内容として次から次へと章として迫ってくるようになる。
    そもそも「霊山」って何なのか?章を追えば追うほど内容が霊山の追求からどんどん離れるようで、日本の小説で見られるような出版社が付けた「ラストに感動が…」とかの惹句に釣られるかのような期待感を約束された読み方に慣れ切った人なら、この小説を読み進めるのは“拷問”に近いものになるだろう。

    それについては、この小説を読んでる間に、偶然、朝日新聞の文芸欄に高行健に関する記事が掲載され、それが参考になった。「市場に合ったものでなく、自分がいま書かなければならないことを書く。発表直後は理解されにくくても、時が経つに従い理解者が増え評価は変わってきます」(2015年9月23日付け朝日新聞朝刊(大阪版)より)。これを読んでも、読者側の理解や共感をはじめから求めるような作品づくりではないことがわかる。

    でも通読して主旨を理解しなければ読書じゃないといういわば近視眼的な発想から離れてみると、これは外見とは違う複数の意味をもつ「短編集」で、それらの意味を一つひとつ探り出す読書作業を経て、長い時間と熟慮をかけることで一点の深遠な作者の意図があぶり出ると考えるほうが自然ではないか?中国大陸出身者では先人として「吶喊」を著した魯迅がいるではないか。中国大陸の歴史や社会やそこに住む人間の心理や宗教や行動など、著者のアンテナに引っかかったものを総覧的に作品化して、結果、1つのオリジナルの世界観を表出させようとしたという点では、この文学者は魯迅と軌を一とするのではないか?

    寺沢武一の漫画作品「コブラ」をご存じだろうか?“カゲロウ山”というエピソードがあって、その雪山は、登る者がカゲロウ山の存在を疑い「この山は本当にあるのか」と考えた途端に足元から消え、その者は奈落の底へ落ちる。コブラは相棒のレディーにこう質問する。「レディー、この山はあると思うかい?」レディーはこう答えた。「えっ何のこと?山は山だわ。」
    霊山の存在も、恣意的につかもうとすれば遠く離れ、存在を疑えばその姿は見えなくなり消えてしまう。霊山は確かにあって、高行健もそれを作中で示していて、読者はそれが“降りてきて”、霊山として姿を現すのをじっと待つ。忍耐が必要だが、そういうスタンスが求められている。

  •  1990年発表。中国の作家、高行健著。癌を宣告された男が、霊山を求めて中国の山奥を彷徨う。「おまえ」「私」の二つの人称が章ごとに入れ替わり、更に「彼女」「彼」などの人物が登場する。
     「おまえ」「私」の人称に関しては、さほど難解には感じなかった。作品のテーマとしては自己喪失・自己発見ということなのだろう。
     この作品の核はむしろ大量に詰められている中国の民話、仏教・道教の話、パンダなど野生動物とのかかわりなどで、そこから明らかになってくる中国国内の田舎の実情ではないだろうか。それこそが興味深いし面白い。そしてそれらを追体験した読者は、あたかも著者本人のように田舎を後にして日常に戻ってくる。旅の虚脱感を抱えたまま。
     最後の方の小説に関する問答は蛇足のような気がした。こんなものは小説じゃない、というのはさんざん議論されてきたことだし、この「霊山」がそこまで前衛的・難解な小説だとは思えない。むしろ「自分を探す」というテーマにおいては、きわめてシンプルとすら感じる。
     著者がノーベル賞をとったことに関して賛否両論あるようだが、私としては純粋に旅の小説として面白かったし、実存主義の焼き増しとか、ちゃんとしたストーリーがない、などという意見もあるようだがそれはどこかずれた議論のような気がする。そもそも小説に高尚な論理を求めることが間違っている。疑似体験(それも著者の精神のフィルターを通して。「霊山」の場合「おまえ」と「私」の二重性)、小説の価値なんてそれ以上でも以下でもない。

  • うわーこれは良い。良い良い良い、と思いながら読み進めていつの間にか迷子になってどこにも辿りつけなくなって、戻る。主人公と一緒に惑う。文体がまた良い。これがノーベル賞の決めてとなったというが、これは流石にとうならせる。少し残雪に似ていると思うのは私だけ?

  • 長距離バスで霊山の存在を知った「おまえ」はそこを目指すことにする。その町で「おまえ」は「彼女」に出会い、旅路を共にするのだが…。かたや、作家である「私」は、土地の民謡を調査する名目で、中国西南部を旅する。そこで出会う「彼女」たち。「おまえ」の章と「私」の章が交互に語られ、途中行きつ戻りつ、想像の世界や伝説を織り交ぜながら、霊山をめぐる幻想的な世界が繰り広げられる。男と女を描きながらも、全くいやらしさは感じられず、その軽快な描写が実に心地いい。途中の挿話も、中国の道教、仏教の世界観で語られ、日本人にも親しみやすいと思う。表紙画も著者によるものらしいのだが、まさにこんなイメージ。

  • 権力との抗争を綴ったエピソードの間にさし挿まれる愛と憧れの物語。
    そのように織り上げられるアンソロジーは、私たちが権力との間に切り結ぶ監視と隷属の関係性が、愛の一形態であることを思い出させてくれる。

    霊山への道は頂きを目指すものではなく、奥へ奥へ、深い方へ深い方へと分け入っていく。その道は決して直線を描かず、蛇行と迂回とから成り立っている。文革という乗り越えがたい直近のトラウマに照らされて、時系列はごった返しに、物事の境界は綯い交ぜになる。――例えば、わたしとお前、ヒトとイヌ、明清と巴蜀、ゆめとうつつ、生と死、加害者(男、または国家)と被害者(女、または貧民)…。流謫に付された旅人は、前もなく後ろもない仙郷に分け入ることで古色たる記憶に沈みゆき、渾然一体たる夢の輪郭をなぞるように進むが、そこでは雄大な自然と悠久の時間とがつねにつつましやかな凱歌を上げている。

  • GUEST 045/作家・辻仁成:スミスの本棚:ワールドビジネスサテライト:テレビ東京 http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/blog/smith/2011/11/post121175.html

  • ガオさんの代表作
    独白と紀行が入り乱れて、さらに2つの人格がパラレルで進行と珍しいタイプの作品
    1/3くらい読み進んで ようやく慣れるほど難解
    死生の際での独白がキー

  • 和光図書館
    2011/11/26

  • 111123 WBS スミスの本棚 辻仁成

    怪物の辻さんが怪物と称する。

    中国が分かる、芸術、

    複雑な思考を端的に述べている
    今の中国の人の思考が分かる。
    10代の若者におすすめ。

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霊山の作品紹介

北京からパリへと書き継がれ、7年の歳月をかけて完成。癌を宣告された男の放浪と魂の彷徨を描き、ホメロスの叙事詩に擬せられ、「東洋のオデュッセイア」と讚えられる。本書によって、中国人作家初のノーベル賞受賞となった待望の翻訳刊行。

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