- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087746723
感想・レビュー・書評
-
岡本太郎の養女だとか。性描写は作者の実体験をもとにしているとか。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
爆発だ!の岡本太郎氏のパートナーだった岡本敏子さんが書いた小説。
2003年出版というと著者は既に70歳を勇に超えていたはず。舞台はバブルの前たたりの昭和なのだが、その年の女性が書いたとは思えないみずみずしい恋愛物語に驚ろかされた。もちろん吾人の体験ではないだろうが、深く恋愛を経験した人だから書けただろう女性心理の描写が面白かった。 -
何も言わないで、無条件で抱きとめてくれる。そういう存在。敏子さんの包容力ってお母さんから来てるんだなぁ。
いるのに、いない。
いないのだが、確かにいる。
非存在の存在感。 -
読みたいと思っていた岡本敏子さんの小説。読了です。
荒々しい男性と静かな女性。
彼と彼女だったから、うまく歯車が噛み合ったんだと思う。
ヒロインの笙子のうちに湛えられた「ニヒリズム」とか、ジェンダーを考える上で重要なキーワードではないかと思ったり。 -
フィクションとノンフィクション、
希望と現実、
それぞれを行きつ、帰りつ。 -
ほぼご自分のこと。でなきゃこんな濡れそにリアルな性的描写はできない。彼が死んだあと、急速につまらなくなる。生命力が失せる。きらめきが消える。その喪失感もふくめ、真に「女をまっとう」したひとの告白。
-
建築家・羽田謙介と久慈笙子(しょうこ)を主人公にした「小説」の形を取っているけれど、これは実名でやると生々しすぎることに配慮したためと思われる。実際には、ほとんど岡本太郎と敏子の愛のありかたを事実のままに書いたのではないだろうか。
敏子さんが、岡本太郎の秘書として50年連れ添いながら結婚することはなかった(のちに養女となる)のはなぜなのか、気になっていたのだけれど、その答えが明快に書かれている。
「笙子がマダム・羽田になると、何だか首輪に鑑札をつけて、鎖で引っ張ってるような感じがしていやなんだよ。
笙子が施主や編集者や建築仲間から、奥さんなんて呼ばれているところを想像すると、嫌あな気がする。
建築家の女房って、何となくいやらしいだろう。みんなそれぞれに魅力的で、いい人たちなんだけれど、ポジションが良くないんだな。中途半端に女で、中途半端に社会的存在で。営業もやったりして。
僕は笙子には裸の女でいて貰いたい。羽田謙介をしょって歩いて貰いたくない。まして、羽田夫人だってことでシャシャリ出るなんてのは御免だ。君はそんな人間じゃないけれど、相手はポジションで判断するからね。
僕は笙子を情婦にしていたいんだ。純粋に、男と女として愛したい。」
最愛の人にこんなふうに言われたら、「結婚してくれ」って言われるより、千倍もウレシイと思う。
また、それに答える笙子(=敏子さん)の考え方も素晴らしい。
「僕が建築家だったり、大学の助教授だったりすることを笙子はどう思っているの?大事?」
「あんな設計をなさるから、建築家は素敵ね。でも、大学の先生でも、でなくっても、私には関係ないわ」
「そうだろう。笙子はほんとうにそう思ってる。だからいいんだ。その自由感が好きなんだよ…」
富も名声も脱ぎ捨てた、裸の男と女が真正面から向き合っている。なんて純度の高い愛なんだろう。
岡本敏子さんは1926(大正15)年生まれ。「普通に結婚してお嫁に行くのはつまらない」と思い、結婚を逃れるために東京女子大学へ入学したと言うけれど(『恋愛について、話しました』より)、大正の女性でこんなに自立している人は本当に珍しいと思う。
容赦なく激しいセックスも描かれているけれど、ふたりの純粋な愛の姿は美しく、楽園のアダムとイヴのよう。
この小説が書かれたのは彼女が77歳の時。年を重ねてもずっと現役の「女」でいたんだなぁと思う。 -
PT#28 2004.3
-
こころにしみる