南方熊楠英文論考「ネイチャー」誌篇

  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (424ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087813326

作品紹介・あらすじ

『ネイチャー』掲載論文全訳、そのほとんどが本邦初訳。26歳の処女論文「東洋の星座」からオランダ人東洋学者との「ロスマ」大論争まで、全63篇収録(59篇初訳)。

感想・レビュー・書評

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  • 南方熊楠は、昨年生誕150周年を迎えた、「知の巨人」ともいえる博物学者、生物学者、民俗学者である。
    最もよく知られているのは粘菌の研究だろうが、そのほかにも民俗学や博物学とその興味は幅広い。一方で、奇矯な行動でも知られており、枠にはめにくい、奇才であったようだ。

    熊楠には何となく興味がありながら、長い間、どこから手を付けてよいのかわからずにいた。
    先年、水木しげるの評伝(『猫楠』)を読み、続いて、論考集(『人魚の話』)を読んでみた。
    さて、次は何だ? いきなり全集に取り掛かるのも厄介だ、と思案していたところ、Nature誌の論文はどうかなと思いついた。

    Natureは、Scienceと並ぶ総合学術雑誌である。創刊は1869年とかなり古い。
    熊楠は1892年に渡英して、以後14年をイギリスで過ごしているが、この間にNature誌に何度も寄稿している。掲載された論文数は51本。これは相当な数で、単著のものとしては歴代最多とされている。

    Natureのホームページで「Kumagusu Minakata」で検索すると、どの号にどんなタイトルで掲載されたかがわかる。古い号の場合、公共図書館等のデジタルデータへのアクセスを通じて、誰でも無料で、オンラインで閲覧可能である。

    試しに印刷して読んでみたところ、現代で思うところの科学というよりは、博物学や民俗学よりの話が多い。そもそも、最初の投稿が「極東の星座(The Constellations of the Far East)」である。中国ではどのような体系で星座が作られていたかというような話だ。
    個々の論文は概して短く、複数本の論文が投稿されている、お気に入りのテーマもいくつかある。例えば、「指紋」法(“Finger-Print” Method)や、「さまよえるユダヤ人」伝説(“Wandering Jew”)、「マンドレイク」(The Mandrake)(*マンドラゴラ。薬草で、魔術や錬金術にも用いられた。「ハリー・ポッター」シリーズにも出てくる)、「自然界の不思議な音」(Remarkable Sounds)などである。
    変わったところでは「ムカデクジラ」(The Centipede-Whale)などというのがある。半分、伝説の生き物のような未確認生物で、巨大な怪魚らしい。古くは2~3世紀のローマの著述家による記載がある。

    元論文を20数編読んだところで、本書の存在を知った。
    元論文も1編1編が短いので、多少馴染みのない単語はあるが、(論文だけに論旨は明快であるし)読めなくはない。けれども、中にはラテン語やアイスランド語(?)での引用があって、そういう箇所はさっぱりわからない。まったく門外漢の話題も多く、今一つ読み取れているのか不安もあったので、渡りに船と読んでみた。

    各論文の邦訳で構成されるが、全体としては、掲載順ではなく、例えば「指紋」法、マンドレイクといった、テーマごとにまとめられているため、かなり読みやすくなっている。
    また、Nature掲載論文だけでなく、Notes and Queriesという民俗学関連の情報交換誌に載せられたものも収録されており、熊楠の考察の変遷が大きな流れで追える形だ。
    各テーマには解説が添えられ、熊楠が論文で考察した内容に加えて、熊楠の生活や学問の背景、当時の欧米社会の状況も総合的に俯瞰できるようになっている。

    熊楠の英国学問生活の大きな柱となっていたのは、大英博物館での稀覯書の写本であるという。熊楠は卓越した記憶力も誇った人物である。膨大な文献を読み込み、書き写すことで、生来の文献探索能には磨きがかかったことだろう。古典の時代から大航海時代、そして19世紀末までに西洋世界が蓄積してきた知識にどっぷり漬かり、それらをひたすら吸収した数年間。その結実がNature論文51編というわけだろう。

    熊楠は多言語を操ったことでも知られるが、すべての言語に非常に堪能であったわけではなく、いくつかの核となる言語があり、他のものは多少わかるという感じだったようである。何しろ眉唾ものの逸話も多い人物なので、どこまでが本当でどこからが誇張なのかがわかりにくい。だが、それもある意味、また熊楠の魅力なのだろう。
    Nature論文でも、各国の伝承が引かれているが、そのすべてを現地の原語で読んだわけではなく、英語ネイティブの探検家による記述等から拾った例も少なくなさそうだ。

    何はともあれ、とてつもない人物である。この本がすべて理解できたかといわれるとまったく心もとないが、わからないなりに読んでも非常におもしろい。なんだこりゃ、へぇそんなことがあるのか、の連続である。

    森に分け入る楽しさである。迷子になるのもまた楽し。

  • オランダの人へのアレとかムカデクジラとか の前に、
    紅蝙蝠 蝶疑惑とか、おまけで「受粉を助ける鳥」を羅列したりとか、ブエノスアイレスの人が報告してそれっきりの、多分南米のイヌとか、よくわからない情報がいっぱい。
     それでもって面白い。
     マンドラゴラ関係も収録 うん。

  • 三葛館一般 380.4||MI

    本書は南方熊楠が雑誌『ネイチャー』に投稿をし、掲載された63篇の論文を紹介しています。一見難しそうにも思えますが、そのタイトルは“さまよえるユダヤ人”や“幽霊に関する論理的矛盾”や指紋について書かれた“拇印考”など、タイトルだけでも興味をひきつけられる論文がたくさんあります。読んでみると目に見えるものから目に見えない伝説や俗信まで、彼の興味の幅の広さにも驚かされます。わかりやすい翻訳で、解説もついていますので、ぜひ読んでいただいて彼の思考の一端に触れていただければと思います!
                                  (うめ)

    和医大図書館ではココ → http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=54335

  • 「日本の記録に見る食人の形跡(日本人太古食人説)」について。

     本稿で南方は、大森貝塚において人骨を発見したエドワード・S・モースの意見(古代日本人には食人の習慣があったのではないか)を肯定するために、文献のなかから日本における食人の記録を紹介している。例えば以下のようなもの。

     十八世紀のこと、江戸は芝に一人の僧がいた。死んだ女性の死化粧を行う際、髪を刈ろうとして過って頭の一片を切り落としてしまった。親族に気付かれるのを避けようとして、その肉片を口に入れたところ、人の死肉を食う癖がついてしまった。そして、その後夜々、自分の管轄下にある墓地に葬られた屍骸を掘り出して食うのをこととした(椋梨一雪『新著聞集』1749年)。
     1259年の最初の月、国土は異常な疫病と極端な旱魃による天災を被った。当時首都であった京都の街中には、屍骸の上に乗ってその肉を食らう十五・六の若い尼が現れた(『五代帝王物語』1327年以前)。
     太閤秀吉による1580年の鳥取と三木の城攻めの際、籠城勢は穀物が尽き、馬や牛の肉(これらは当時普通には食べられなかったもの)に頼らざるを得なくなった。しかしそれも尽きて、仕方なく死者の肉を食らい始めたのだが、その際、親族の肉を他人に回さないように非常に気を使った。そこで、現れたのは、兄弟の肉、父の肉を食って命をつなぐ人々の舌筆に尽くしがたい光景であった(『群書類従』1900年版13巻、初版は1220年)。
     陸奥南部藩の一商人が江戸に送った1782年11月11日付書簡には、その時かの地を襲っていた非常な飢饉の詳細が記されている。それによると、賤民たちは犬、猫、馬の肉を食う。甚だしきは死者の肉を切り取って、食い、格別にうまいとさえ言う(『兎園会集説』1825年)。
     761年の第三の月、狭量で放埓な葦原皇子は御使連麻呂と賭博をしている最中、いきなり怒りを発してこれを刺し殺した。そしてその腿の肉を切り落とし、死体の胸の上において膾にした(『続日本紀』797年)。
     三河の国の百姓の妻が嫉妬から悪鬼に取りつかれ、焼き場に走り、生焼けの死体を取りだして、はらわたを木の器でちょうど蕎麦でも食うように食べた。あまりのことに驚愕する人々に、「こんな旨いものをどうして食べないのか」と尋ねてから走り去った。以後行方しれずである(橘南谿『東遊記』18世紀)。
     平貞盛は、自分を苦しめていた皮膚病の治療のために、息子の妻が妊娠した際にその腹を裂き、胎児を取りだして自分の供することを切望した。息子の方は、父の侍医に賄賂を贈って、自分の血を引く胎児では治療の効果がないこと、そして妻の腹の中の子が薬用に必要な男児であるかどうかわからないことを口実に説得し、この凶々しい要求をやめさせることに成功した。その結果他家の妊娠した女性が二人、腹を裂かれ、一人の男の胎児を供されて、貞盛の皮膚病を癒したという(『今昔物語集』伊沢版六巻)。

     けれども、これらの記録があるからといって、食人の習慣があったという証拠にはならないと思うので、学術的価値よりも、雑学的興味を満たしてくれる論文と言えそうです。

  • 分類=南方熊楠・論文(ネイチャー誌)。05年12月。

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著者プロフィール

1964年、京都府生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程中退。論文博士(学術)。東京大学教養学部留学生担当講師、ケンブリッジ大学客員研究員等を経て、現在、龍谷大学国際学部教授。南方熊楠顕彰会理事、日本国際文化学会常任理事、熊楠関西研究会事務局。
著書に『南方熊楠  一切智の夢』(朝日新聞社)、『達人たちの大英博物館』(共著、講談社選書メチエ)、『南方熊楠大事典』(共編共著、勉誠出版)など、訳書に『南方熊楠英文論考[ネイチャー]誌篇』(共訳、集英社)、『南方熊楠英文論考[ノーツ アンド クエリーズ]誌篇』(共訳、集英社)がある。

「2016年 『南方熊楠 ――複眼の学問構想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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