日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087814859

作品紹介・あらすじ

居場所を失った日本を捨て、彼らはフィリピンへ飛んだ。待っていたのは究極の困窮生活。しかし、フィリピンは彼らを見捨てなかった。2011年第9回開高健ノンフィクション賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    「ホームレスになったのは自己責任だろう?」
    駅や橋の下で眠るホームレスに、そうした感情は決して抱かない。彼らは世間と不調和を起こし、社会から捨てられた犠牲者だということを直感的に分かっているからだ。彼らの境遇は千差万別だが、「自分で選んだ結果」ではないことは確かである。

    しかし、本書で出てくるホームレスの現状を目の当たりにしたとき、同じ感情を抱けるだろうか?

    本書はフィリピンに不法滞在する「困窮邦人」を追った一冊だ。「困窮邦人」とは、滞在先で所持金を使い果たし、かつ日本にいる身内にも助けを求められず帰国が困難になった日本人のことである。彼らは知り合いのフィリピン人の家に居候したり、路上生活をしたりして何とか命をつないでいる。

    彼らがここまで落ちぶれた理由は、ほとんどが浪費によるものである。
    困窮邦人の大半は50歳以上の男性。フィリピンクラブで出会った女性を追いかけ、現地での結婚を約束する。相手は20歳以上年下のフィリピン人女性だが、本当に恋愛感情を抱いている者は少なく、たいていが「金づる」として日本人を見ている。「自分は裕福な日本人だ」という見栄やプライドから、あと先考えずにお金を浪費してしまう。妻のために家を買ったり、妻の家族の商売資金を用立てたりすることも少なくない。しかし、日本での仕事を辞めてしまった以上、当初の暮らしからは貧しくなる一方だ。やがてお金がなくなり、女性やその家族から見捨てられる。結果周囲のフィリピン人の民家などを転々とし、食事を分けてもらいながら生きるのだ。

    大使館は困窮邦人を助けてくれない。好き勝手お金を使った人間を税金で援助することなど、国民が許さないからだ。大使館の回答は「親類にお金を送金してもらえ」という素っ気ないものである。ただし、困窮邦人は親類からも見捨てられている。もともと日本社会に馴染めず渡比した人が多く、友人や家族とは疎遠になっているからだ。

    困窮邦人とは、国からも親族からも見捨てられた人なのだ。

    しかし、フィリピン人は困窮邦人に対して温かい援助をしてくれる。現地で路上生活をしている日本人を見つけては寝床を提供したり、食事をくれたり、働き口を斡旋したりしてくれる人が一定数いる。それはフィリピンが「金よりも人とのつながりを大切にする文化圏」だからだ。

    しかしながら、こうした援助をもらっても感謝の意を示さない人が多い。寝床や食事が提供されるのを当たり前と思い、渡航費の援助を受けても「日本に帰りたくない」と拒否する。それは「こんな惨めな姿を認めたくない」というプライドが邪魔をしているからであり、また、このまま日本に帰っても極貧生活が新たに始まるだけだという事実を察知しているからでもある。
    いずれにせよ、貧しいのであればフィリピンで暮らしたほうが楽なのだ。フィリピンは一年中暖かいため凍死する心配がない。困っている自分を無償で助けてくれる人もいる。誰も自分の生い立ちを知らず、日本のような煩わしい人間関係がない。そういう考えのもと、フィリピンを寄生先として選び続ける。

    ――一方で、そんな彼らの現実を嘲笑うようになったもう1人の自分がいた。「だからあなたたちは困窮するんだ」。いつの間にか、社会問題として追求する自分との間で葛藤が始まっていた。彼らの親や知人に話を聞き、その人生や暮らしを追っていくと、「(困窮は)自己責任ではない」という仮説はあらかた崩れ去った。とは言え、彼らが捨てた日本について語る時、そこには閉塞感や人間関係の希薄さといった社会的現実がおぼろげながら浮かび上がり、遠い祖国、日本は寂しさ一色に染まっていくのだった。

    これは本書終盤で描かれる筆者の感情である。何とも心に刺さる言葉だ。彼らのことを「自業自得」だと思ってしまうのは、われわれが日本で育ったからなのか。だとしたら、日本に馴染めなかった人たちを祖国に送還することは、彼らを傷つけるだけになるのか。そして、彼らが日本を離れてフィリピンで暮らすのは、やはり「自分で選んだ結果」なのか。

    苦々しい後味が残る一冊だった。
    ――――――――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 困窮邦人の実態
    海外で経済的に困窮状態に陥っている在留邦人を「困窮邦人」と呼ぶ。所持金を滞在先で使い果たし、路上生活やホームレス状態を強いられている日本人のことだ。特にフィリピンではこの困窮邦人が一般的な問題になっている。

    日本外務省の海外邦人援護統計によると、2010年に在外公館に駆け込んで援護を求めた困窮邦人の総数は768人。中でもフィリピンが332人と最も多く、2位のタイ92人を3倍以上引き離して独走状態にあり、2001年から10年連続で最多を記録している。数だけで言えば、フィリピンだけで全体の約43%と半数近くも占めていることになる。

    困窮状態に陥る要因は人それぞれだが、この国で一般的とされる困窮邦人は、フィリピンクラブ(フィリピンでの一般名称は「カラオケ」)で出会った女性を追い掛けて渡航する日本人男性が圧倒的に多い。大半は50歳以上。日本で誰にも相手にされなくなった自分の前に現れたフィリピン人女性に笑顔でもてなされ、男としての自尊心をくすぐられる。「俺にもまだ輝ける世界がある」と錯覚し、有り金すべてを持って日本を飛び出してしまうのだ。
    日本での就労契約が切れた女性を追い掛け、小金を貯めてフィリピンへ渡る。そこであと先考えずに所持金をすべて使い果たす。お金がなければ日本人は「ただの紙切れ」も同然となり、最終的には女性やその家族から見捨てられた挙げ句、周囲のフィリピン人の民家などを転々とし、食事を分けてもらいながら生きるのだ。

    一旦所持金ゼロの困窮状態に陥れば、帰国は容易ではない。期間に応じての延長手続きが義務付けられている、観光客用の短期滞在ビザを延長できず、不法滞在状態に置かれてしまうからだ。不法滞在になると罰金を入国管理局に納めない限り帰国できない。例えば1年間不法滞在した場合、同局に支払う金額はすべてを含めて約3万ペソ(約6万円。2011年9月現在)。2カ月なら約4000ペソ(約8000円)などとなっており、不法滞在期間に応じて微妙に異なってくる。これに加えて、航空チケット代金が少なくとも数万円も必要になり、定職に就けない彼らにはフィリピンでそれほどの「大金」を捻出することは事実上不可能だろう。


    2 犯罪がらみでのフィリピン潜伏
    日本人の中には、日本で犯罪などを起こし、捜査当局の包囲網に引っかかる前にフィリピンへ逃げて潜伏するという人も多い。犯罪者がフィリピンを選ぶ理由はおそらく、日本から近いという地理的条件や、知人に助けてくれそうなフィリピン人がいる、というのが主な理由なのだろう。フィリピンという「無法地帯」でなら何とか逃げ切れるという思惑もあるのかもしれない。それがこの国の持つ密かな闇の部分であり、また実態でもあった。

    偽札事件、殺人事件といった日本では重大な犯罪でも、フィリピンでは数ヶ月経つと捜査対象から外れ、未解決のまま終わることが多い。それは安い給料と不十分な捜査費用の問題から捜査員の士気が低下してしまうことが原因の一つだ。また保険金殺人事件の場合には、裏で糸を引いている黒幕の日本人が賄賂として警官に金を渡している可能性も想定される。実際、過去に起きた数々の保険金殺人事件では、主犯として日本人が逮捕され、有罪判決を受けたケースもあった。警察や司法はお金を払ったら簡単に買収することができるため、警官ですら加害者側に回ることが少なくない。


    3 困窮邦人は自業自得か?
    「困窮邦人は自分の都合のいいことしか言わない」。フィリピンの事情に精通したある日本人男性が言った言葉だ。
    困窮邦人はさまざまな理由でフィリピンにやってくる。日本のフィリピンパブで出会った女性と結婚するため、偽装結婚に加担させられて、また金づるとして連れてこられて資金が無くなったら捨てられる、など。
    これは困窮邦人となる日本人男性の多くが、孤独や借金、人間関係の不和から日本社会に嫌気が差し、若い女性を追ってフィリピンに渡るという実情があるからだ。同時に、フィリピン人女性たちもまた困窮している。貧しい家庭に生まれ学歴もなく、薄給の仕事にしかありつけない。そんなフィリピンから抜け出し、日本人を利用して一攫千金を夢見る人が多い。

    偽装結婚に騙されてフィリピンで困窮生活を続ける浜崎は言う。
    「新聞によく孤独死の記事が載ってますよね。餓死とか。お金が1銭もなくなって、何も食べるものがなくなって。日本はね、寂しいっていうか。これもまた人生なのかなと。多少は日本社会が悪いと思う。そういった人たちのケアっていうか、お年寄りを対象に訪ねて「元気ですか」とひと声かけて、そういう仕事がないですよね。日本社会はおかしいなあと思います。表面的には飾って、ビル建てたり、そういうところにお金かけるんなら、不幸な人をもっと面倒見てもいいんじゃないかと。お金のある人だけが幸せになる社会。お金のない人は不幸、お金がないと病院にも行けないでしょ。でもフィリピンはお金なくてもそれなりに暮らしてるっていうかみんな明るいっていうか」

    困窮邦人の間では、一番近くにいるべき肉親が一番遠い存在になっている。給料よりも血のつながりを大切にし、大家族で暮らすフィリピンとは真逆だ。

    では、同情から彼らを全面的に援助できるのかと言えば、それは難しい。困窮邦人がフィリピンで次から次へと現れ、現地ではほとんど社会現象化してしまったこの奇妙な現実について、自己責任論も含めて本人たちと向き合おうとすればするほど、まるで迷路にでも入り込んだような感覚に陥った。結論を求めてさまよい歩くだけで、出口に辿り着けなかった。私がこのテーマで取材を続ける間、「そんな駄目人間のことなんて誰も読まないよ」と何度となく言われ、そのたびにやり場のない怒りも感じた。確かに、彼らは駄目人間かもしれない。しかし、なぜこのような結末を迎えなければならないのか。

    新聞記者としての仕事柄、私はこのテーマを通して取材相手の話の裏づけをできるだけとるように努めてきた。日本では逮捕された容疑者に接触し、話を聞くことはできないが、フィリピンではそれが可能なため、容疑者の話が本当か否かというのを常に自分で確認する必要がある。そういった取材の経験の積み重ねから引き出した言葉が「プライド」と「見栄」だった。
    思い描いた理想と現実の乖離を受け入れられず、「プライド」だけ保っている。だから若いフィリピン人女性に男としての自尊心をくすぐられると舞い上がってしまい、あと先考えずにこの国まで追い掛けてしまうのではないだろうか。そこで今度は「金持ちの国から来た日本人」という新たな「プライド」が生まれる。それは同時に途上国に対する思い上がりや虚栄心に直結していることに彼らは気づいていない。自ら飛び出した先での困窮生活という醜態を両親や親戚、周囲にさらしてしまうため、今さら日本に帰ることもできない。それは「プライド」というよりただの虚栄心だ。フィリピンで何とか踏ん張って、復活したい。だが、理想と現実は乖離し続けるばかり。その現実を認めたくないがために、メッキで自分を飾り立て、気づいた時には虚しい「プライド」だけが残った。

    困窮邦人をテーマに取材を始めた時、フィリピンに長年住んでいる現地の事情に詳しい在留人から「それって彼らが選んだ生き方なんでしょ?」と言われ、最初はピンとこなかった。というより納得できなかった。そのほかの在留邦人にも、「不法滞在の分際で何をしているのか。甘えるんじゃない」「あんな奴らは絶対に信用できない」「川に捨てた方がいい」などの言葉をかけられた。
    日本では若者が自ら命を絶つ。その行為が1つのメッセージだとすれば、異国の地で所持金もなく、ホームレス状態に追い込まれてもなおかつ生きているのも何らかのメッセージを発信していると言えるのではないか。当初は、彼らが逃げ出した日本社会を見つめ直すことで、その澱のような何かが見えてくると思い込んでいた。「日本は生きづらい」と語ってもらい、その理由を具体化させることで現代日本社会を告発したかった。

    一方で、そんな彼らの現実を嘲笑うようになったもう1人の自分がいた。「だからあなたたちは困窮するんだ」。いつの間にか、社会問題として追求する自分との間で葛藤が始まっていた。彼らの親や知人に話を聞き、その人生や暮らしを追っていくと、「(困窮は)自己責任ではない」という仮説はあらかた崩れ去った。とは言え、彼らが捨てた日本について語る時、そこには閉塞感や人間関係の希薄さといった社会的現実がおぼろげながら浮かび上がり、遠い祖国、日本は寂しさ一色に染まっていくのだった。

    日本人が、幸せに生きていく上で重要な何かを見失ってしまったのだとしたら、それは何だろう。家族愛や親族同士の絆、地域社会とのつながり、自分が生まれ育った土地への思い、日本という国に対する誇り……。それが明確になったところで、今の日本で果たしてどこまで幸せを享受できるのだろうか。

    困窮邦人は日本を捨てた。彼らは捨てられたのではなく、実は日本が捨てられたのではないのだろうか。

    選ぶと選ばざるとにかかわらず、困窮邦人を通して浮かび上がる「捨てられた日本」という、もうひとつの現実が、私の頭の中で静かにこだまし続けている。

  • こう書くのは気が引けるが、本当にどうしようもないクズしか出てこない。だが、そんな人たちと自分は何が違うのだろうかと考えると実は紙一重なのではないかと思えてくる。「困窮法人」に成り下がってしまう理由は人それぞれだが、話をよくよく読んでいくと共感できてしまう部分が多い。ものすごく「人間」を感じるのだ。自分が同じような状況だったら、もしかしたらおなじ選択をするかもしれない…。そう考えると、まったく違う次元の人たちの問題とはたとえ思えない。「こんな人たちの為に税金を使うには、説明責任が果たせない」という人がいるかもしれないが、そんなことを言う人が、いったいどれだけ彼らと違うのだろうか?

  • 日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」2011/11/25

    否が応でも視野が広がる
    2013年3月18日記述

    水谷竹秀さんの取材に基づく本。
    ルポタージュかな。

    困窮邦人・・フィリピンで帰国することも出来ない日本人。
    本のタイトルから能動的に日本から出た人たちのことかと思ったけど・・・

    予想以上に酷い人ばかり・・どうしようもないなーという感想しか出てこない。
    5章に出てきた人は会社の退職金抱えてフィリピンへ行ったからあながち日本を捨てたと唯一言える人だった・・・

    1章から4章までの人達もよくもまあこれだけ堕落できるなと逆に感心した・・
    無縁社会だの孤族だの言うけど一部にはこの本の登場人物たちのように本人の不義理のために自ら墓穴を掘っていったとしか言い用のない人たちがいるのだ。
    どれだけ親に迷惑かけるのか?借金の踏み倒しとかホント酷い。勘弁して。
    フィリピンは駄目日本人を吸い寄せる何かがあるのだろう。
    自己責任論だの何だの浮かんでこない。
    そもそも論考する気にならない。
    銀魂という週間少年ジャンプに連載されている漫画作品で長谷川さんというまるで駄目なおっさん(略してマダ男)が出てくるけど全然駄目じゃないよ長谷川さんとしか言い様がない。

    こんな人いるんだなーと視野は嫌でも広がる。
    自分を客観的に見ることが出来ない人種なのだろうか。

    2章に出てきた過去を語ろうとしなかった名家出身の困窮邦人には若干同情できたが・・
    他は同情の欠片も感じることが出来ない。
    この辺は個人差あると思いますが・・

    困窮邦人のどうしようもなさ・・こんな実態がフィリピンで広がっている事実を世の中に知らしめた本書は貴重である。

    あとフィリピン人の気質、貧乏人同士でも困った人を助ける精神は素晴らしいと思う。
    キリスト教の影響もあるかも・・・

    また犯罪捜査がなあなあになる原因に地元警察の操作力、資金のなさが影響しているのは知らなくて驚いた。拳銃までいくつかは自腹で揃える警察って何よ!って感じ。

    こんな社会で犯罪抑止だの何だの無意味やわ。
    殺人が起きても偽札事件起きてもなんで数日で捜査終了するの?なんでそのまま放置してるの?
    国のトップは何考えてるの?
    この辺のどうしようもなさは理解しにくい。まあだから途上国なんでしょうけど。

  • いろいろ考えさせられる。良い本でした。

  • 凄い、圧倒された。日本を離れ、フィリピンでホームレスのような生活を送っている数名を追ったルポ。
    誰も彼もどこか狂っている、単純に言ってしまえば知能に障害が多少あるのだろう。しかしそれを理由に彼らを責める事は出来ない。恐らく日本でいたならば生活保護なり、国家の福祉のセーフティネットに引っかかり最低限の生活は出来たのだろう。
    彼らは異国の、途上国の、フィリピンにいるのだ。その為に公的な支援を受けられずにいる。その彼らを支えているのはフィリピンの人々である。本書の中で触れられていた人々は決して経済的に豊かではないにも関わらず、同じ最底辺にいる彼らを支援している。中には言葉も通じず、感謝もしない彼らを。これが仮にフィリピンに根付いたキリスト教に基づく「隣人愛」ならばなんとも美しい。私にはキリスト教の「愛」とフィリピン人の生来の温かさによるものだとは思うが素晴らしい。
    しかし一方で日本大使館は税金で彼らを救う事は「自己責任」で海外に来て放蕩した結果であるから救えないという。日本で生活保護を受けているフィリピン人世帯が4万人との記事を見たが、日本人としてやっている事があべこべでは?今後日本政府による困窮邦人の救済をして頂きたい。

    本書はテーマが重く、救いのない話でばかりで読後感はあまり良くない。しかし著者の力量と熱意を強く感じるルポであった。

  • 女にのめり込んで堕落していく。刺激のない毎日から、ふと足を踏み入れた異次元の世界に狂ってしまう。誰にでも起こりうる人間の本能なのかもしれない。

  • フィリピンで浮浪者同然の暮らしをしている日本人(困窮邦人)についてのルポ

    僕も1歩~5歩くらい間違えたらこうなってたのかもしれないのだなぁ

  • フィリピンでの「困窮邦人」に関するドキュメンタリー。
    開高健ノンフィクション賞を受賞しているだけあって、一気に読ませる、
    素晴らしい本でした。

    様々な理由から日本を捨てて、フィリピンに移り住み、そこでホームレスや拘留者や寝たきりになってしまった日本人たち。
    それぞれのバックグランドから経緯、現在までを丹念に追っていて、非常に迫力とリアリズムが溢れるドキュメンタリーになっています。

    日本を捨てて、フィリピンに渡った理由は、それぞれ異なっており、ある人はフィリピンパブの女性を追っかけていった場合もあれば、偽装結婚にだまされた人、日本での借金から逃げ出した人、大金を持って渡りながら結局、文無しになってしまった人、きっかけは様々です。

    キリスト教が広まっており、困っている人は助ける、というフィリピンの国民性もあるようですが、それに甘えながら困窮していく日本人、人との繋がりが無くなっている日本に捨てられた日本人、一度そうなった人を二度と受け入れない在日の日本人、様々な姿が丁寧な取材で丹念に浮かび上がってきます。

    様々な想いから、つい、一気に読み上げてしまいました。この作品は、表現は悪いですが、面白いです。

    一方で、この作品にのめり込むj、私自身の気持ちにも考えさせられるところがありました(作者も最後に書いていますが・・・)。

    困窮しどうしようもない状況になった彼らに対する憐憫の情なのか、だからこういう奴等はダメなんだという批判の気持ちなのか、こんな風にはなりたくないなという醒めた気持ちなのか、困窮した彼らを知って現在の自分に優越感を感じているのか、繋がりが無くなった日本という国への批判の気持ちなのか・・・
    読み進める中で、正直、様々な自分の気持ちがありました。

    自分の中での結論はありませんが、この様に色々と考えさせられる作品こそ、おそらく優れたドキュメンタリーなのだと言えるのだと思います。

    是非、ご一読を。

  • フィリピンでホームレスになっている日本人を多数追ったノンフィクション。

    フィリピンパブで好きになった女を追いかけて一文無しになったとか、借金から逃れるために逃げたとか、サンプルが全ていわゆるダメ人間。
    「会社からドロップアウトして何か行動を起こす」みたいな話は大概成功例ばかりが目に付く一方で、この本はどうしようもなく失敗しているケースを見られる点で興味深い一冊です。

  • 本書は第9回開高健ノンフィクション賞受賞作だそうです。フィリピンクラブに行ったことをきっかけに「無一文」にまで転落し、それでも現地で生き続けている「困窮法人」たちの実態を追ったものです。重いです。

    僕もかつて1度だけ東京は錦糸町にある某フィリピンクラブにて酒を飲むなどのことをしたことはありますが。幸か不幸かはわかりませんけれど。ここで取り上げられている5人のような運命の歯車を狂わせることはなかったようです。ここで取り上げるのはフィリピンにおいて文字通り「一文無し」と成り果て、それでもフィリピンの社会から見捨てられることなく、何とか命をつないでいる5人の人間の物語です。

    そのどれもが壮絶といえば壮絶で、僕はいったことがないからそんなに詳しくはわかりませんけれど、フィリピーナを追って、文字通り「何もかも捨てて」フィリピンに渡航し、結婚して子供を持ったはいいものの、金銭がらみで不和となり、やがて女性とも別れ、住まいをを転々とした挙句に教会に寝泊りするようになったものや、日本で借金を作った挙句にフィリピンに「飛んで」きて、にっちもさっちも行かなくなったもの。さらにはフィリピンの地で病に倒れ、現地のボランティアに介助を受け、体の半身が麻痺しながらも、なお死ぬことができずに「生きて」いる人間や、長年にわたって家と会社を往復するだけの人生を送ってきた男がフィリピンパブに行ったことをきっかけに、文字通り妻子から何から捨てて、退職金を抱えてフィリピンに渡航し、現地で「少年に戻った」として青春をやり直すものなど。そのどれもが強烈過ぎて、読んだ後に頭が少しだけ朦朧となってしまいました。

    ここに出てくる人間の大半は日本にいても周りの人間、特に親や親戚に不義理や迷惑をかけ倒して国内にも自分の居場所が無く、帰るに帰れない姿が延々とつづられている場面を読んでいると、自分の「恥じ多き生涯」の中にも少なからず心当たりがあって、彼らの存在が自分にとっての「鏡」であったのかもしれません。

    筆者は取材を重ねるうちに彼らの境遇に同情しつつも
    「だからあなたたちは困窮するんだ」
    という二つの相反する思いに苦悩したそうです。ここに書かれてあることはおそらく大半の方は縁が無いことなのかも知れませんが、彼らの人生を見ることで、日本の抱えている矛盾や、日本とフィリピンの持つ関係。さらには南国特有の「やさしさ」と世界有数の経済大国ながら日本の持つ「冷たさ」や「息苦しさ」が浮き彫りになってくるようで、読みながらいろいろなことを考えさせられました。

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