- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087816112
作品紹介・あらすじ
稀代の旅人の表現術が何を背景に生まれるか、さまざまな角度からその思考を浮き彫りにする。著者自ら選び、編み直したとっておきの対談・エッセイ集。ファン待望! 03年からの著者探検活動年表付き!
感想・レビュー・書評
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書くために探検に出るのか、そうではない。でも、書かなければ探検は成就しない。探検家は、すぐれた表現家なのだった。
「私は過去の探検や登山から〈経験〉を〈想像力で捉えられる範囲が広がること〉というふうに自己規定している。(中略) 経験により想像力の範囲はみるみる広がり、私の世界は大きくなっていく。それが私の考える〈経験〉の意味である。」
この〈経験〉の捉え方に激しく同意。国語辞典にあるように、ただ「実際に見たり、聞いたり、行ったりすること。また、それによって得た知識や技能〉ということではなく、その先こそが重要。そして、〈経験〉は確かにそういうものであると・・・。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
全くブレない自分の方法論を持っているのが文章の説得力につながっているのがわかる。沢木耕太郎とはガチンコでもう一度対談してほしいが結局噛み合わないだろうな。
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探検家で作家でもある角幡唯介氏の記事と対談をまとめたもの。ぼくとしては、鈴木涼美さん・三浦しをんさんとの対談が面白いと感じた。
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カクハタ君のいろんなところで書いてる解説やら何やらを集めた本。エッセイの中にもキラリと光る表現があったりらしさがある。
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三浦しをん、沢木耕太郎、鈴木涼美と対談。サハラに死す、への言及も、というのに惹かれて、手に取る。「空白の5マイル」「アグルーカの行方」を読んだ身には興味深く、また、読んだ時の、一歩間違えば死と隣あわせのヒリヒリとした読中感を思い出した。以下備忘録的に。/冒険とは、死を自らの生の中に取りこむための作法である。人は冒険を経験するということによって、現代の都市生活から切り離されたところにある死と明確な契りを結ぶことができる。p.14/開高健への熱い思い、輝ける闇、夏の闇を読みたくなる。また、沢木耕太郎の対談が掲載されるが、他の対談であの対談噛み合ってないところあったよねと言われたり、本当はこんなこと聞きたかったと語られたり。/増田さんの「七帝柔道記」、宮城公博「外道クライマー」読みたく思った。/沢木「ひとたび「物書き」になってしまった以上、さりげない旅などできはしないのだ」/何故山に登るのか。それには答えがない。それは、何故、人は生きるのかという問いと同じであるからだ。「神々の山嶺」/人は、生の反対物としてではなく、生のひとつの相として死を受け入れたときにのみ、無条件な生の肯定を経験することができる。(ジョーゼフ・キャンベル「神話の力」)/ヒマラヤの高山の氷壁に描いた一本の美しい登攀ラインは、下手な文章や音楽よりもよほど人の心に訴える力を持っている。p。244/とにかく定住していないと不安でたまらない三浦しをんさんとの対談。違いが鮮明すぎて面白い。 /でも、得体の知れない、よく分からない場所へ探検に行くことで何か見えるものがあるのならば、行く先がジャングルでも子宮でもそうじゃないですか。(鈴木)/でも、今日ショックだったのは男の人には女に我慢させているっていう罪悪感がないってことです。(鈴木)
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「外道クライマー」の解説が見事だったので、角幡さんの本を読んでみようと思って読んだのがなぜかこの本。対談やエッセイ、本の解説を集めたもので、件の解説もここに収録されていました。
ノンフィクション物を読むのが王道なのですが、考え方を知るという意味では結果的にはこの本が良かったのかも。
角幡さんは、見事なまでに、日常と冒険の間を取り持ってくれる表現者なんじゃないか。
なんでそんなトコ冒険に行くの?とか、
どこにそんなモチベーションがあるの?に対して
「あぁ、(言われてみれば)確かにあるあるその気持ち」で表現してくれるという感覚。
そして、他の本への解説はそれぞれ完成度が凄い。もちろんそれぞれの本を読まないと完結しないものですが、著者の意図を推し量ってわかりやすく表現したり、あまり知られていない背景を紹介したり、その本の魅力を高めまくっていて、解説かくあるべし、という印象を受けました。
対談のラインナップも冒頭の沢木耕太郎でまずおーっとなりつつ、終盤に鈴木涼美が出てきたくだりでは異色すぎる!と思いつつ、謎の化学反応を楽しませていただきました。
しかし、「冒険とは、死を自らの生の中に取りこむための作法である」とか、なかなか言えない! -
書評や対談、エッセイなどを集めた、盛りだくさんの一冊。やっぱり冒険ものが読みたいな。