アニメから入りました。
戦闘シーンで物悲しい音楽とともに案山子が動くあの演出は本当に見事。原作にはない描写なのですが、どの段階で音楽を入れようという話になったのだろうか。あれは非常に良い演出でした。
1巻はまだ導入部ということもあるので、ざっと目についたところだけ。
・匡平が人によって口調や一人称を変えていて非常にかわいい。
・感情は豊かでも感情表現が豊かじゃない詩緒が非常にかわいい。とくにあの照れたら怒ったような表情で必死に自分を制御している感じが。素直な表情していいんだよ。
・阿幾の登場シーンが毎回衝撃的。1巻自体が、匡平の出里から幽閉されていた大量殺人鬼阿幾が脱走し、どうやら匡平を付け狙っている様子で、その阿幾対策として匡平の妹詩緒が派遣されてきた……という始まりのわりに、その阿幾が触れ込みの割に(出だしこそ派手なものの)キレキレの殺人者というよりは、自棄をこじらせた無気力で破滅的な人間として描かれることが多く、登場の仕方が基本的に自堕落。
・阿幾の退場シーンが毎回衝撃的。
・日々乃の周辺は非常に秩序立っているなあ。詩緒の勉強を心配するシーンや匡平との同居のルールに頭を悩ませるシーンなど、ほんとうにきっちりしつけの行き届いている人ですよね。男手ひとつで、すごいですよね日々乃パパ。
・「なんかさあ、お前がそうやってペコペコ頭下げるたび、オレのほうが傷つくんだわ。なんでだかわかる?」1巻でいちばん印象に残った台詞。2巻以降阿幾は快楽殺人者というレッテルを人物紹介欄で貼られるわけですが、なんだか非常に阿幾のイメージと違う。人の命がどうでもいいのですよね、自分も含めて。人生、生きること、そういうことには強い執着を見せますが、他人から見た命の価値には興味がない。主観的な命の価値にはとても興味を見せる癖に、客観的な命の価値には興味を見せず、自分と他人を主観的にみる瞬間もあれば自分と他人を客観的にみる瞬間もあり、だから他人も自分も客観視しているときには他人も自分も区別なく傷つけていく代わりに、他人も自分も主観的にみているときには他人も自分も区別なくいたわる、大事であること、どうでもいいこと、の間を振り切れそうになるくらい揺れ動いていて、普段は自己防衛のためにかスレた態度でいるけれども、匡平にだけはそんなことないと言ってほしい、同じ場所に来てほしい、殺人を犯した自分でもそのまま受け入れてほしい、でも匡平だって自分を見捨ててしまうかもしれない、だから試す、という側面も強いキャラクターですよね。
・久羽子のキャラデザ。