- Amazon.co.jp ・マンガ (153ページ)
- / ISBN・EAN: 9784091791351
作品紹介・あらすじ
3.11の大震災と原発事故。かつてない事態に直面した作者は、震災後に取材し、原発事故後の福島に暮らす少女の日常を描いた表題作「なのはな」を描きました。
その後、放射性物質と人間との関係を描いた3部作を立て続けに発表。今回はそれらに加え、特別描き下ろし「なのはな-幻想『銀河鉄道の夜』」を収録しました。
雑誌掲載直後から、各メディアで話題となったこれならの作品を、3.11から1年後の今、「祈り」と「希望」を感じて読んでほしい。
感想・レビュー・書評
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知らなかった…。モト様が大震災後にこんな作品を書いていたなんて。なんたる不覚。いつ頃からか、大好きな少女マンガをあまり熱心に追いかけなくなり、書店パトロールの時もコミックコーナーには立ち寄らなくなっていた。でもこの本には「呼ばれた」。白地に銀色の描線が光を放っているようだった。
放射能物質を擬人化した三部作には、作者のストレートな怒りが満ちている。その前後に配された「なのはな」二作からは、深い悲しみと心からの鎮魂の思いが立ちのぼってくる。「銀河鉄道の夜」と「光の素足」をモチーフにした描きおろし作に、涙が流れて止まらなかった。そうだ、銀河鉄道にはタイタニックの乗客も乗っていた。みんなが「なあんにもこわいことはないぞう」という声を聞けますようにと祈るばかりである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
今更のようだけど読んでみた。三年前の3月11日の、あの震災と原発事故の混乱の中で執筆されたという。あのときのショックと混沌のまま、ただその強烈な印象を萩尾望都節で詩的に描いた演劇的断片。
原子力の擬人化、寸劇調の三部作をはさみこんだ、銀河鉄道の夜になぞらえた福島の家族の物語。
乱暴であり、まとまりはない。無骨にタネアカシがありすぎる。ただその分なまなましく激しい感情がある。
この擬人化された原子力と人類との関わりの猿芝居的な寸劇はしかしやはり詩的でシンプルで力強く印象的だ。このときでなければ描かれ得なかった、大切な作品であると思う。 -
どこで読んだのだったか、"『なのはな』及び全ての作品を讃えて"と、萩尾望都がジェンダーSF研究会から生涯功労賞をうけた(※)というニュースをみて、マンガのリクエストをなぜか受け付けないというルールがある近所の図書館にあるか?と検索してみたら、あった。ので、借りてきて読んでみる。
2011年3月11日の震災で起こった福島での原発事故。次々と建屋が爆発し、そのなかで政府も電力会社も「大丈夫」と言っている。萩尾望都は、「胸のザワザワが止まらず、といって誰に聞いていいか解らず、何も手がつかないまま」(p.156)だったという。
キュリー夫人がラジウムを発見したところから始まる放射性物質の歴史を調べながら、萩尾望都は「人々がこの奇跡のような新しいエネルギーに魅了され、のめり込んで行く様子はハラハラします」(p.157)と書く。その力への欲望が、危険だと解っていても逃れられない呪縛のように思えて、ウランやプルトニウムを擬人化した三部作のアイデアが浮かんだのだという。
夢のエネルギーとほめそやされた原子力。その平和利用が原発だという。だが、ひとたび放射性物質が拡散されれば、汚染で100年住めない土地も出てくるかもしれない。それでも何百万人の死者が出る戦争よりましなのではないかと、ウラノス伯爵(ウラン)は問いかける。人間のすべての望みをかなえてあげると、プルート夫人(プルトニウム)は幻惑する。
原発の推進派と反対派とのあいだで繰り返されてきたやりとりをなぞるように、ある人たちはウラノス伯爵に魅せられ、ある人たちはこんな危険人物はないと言う。危険な魔女・プルート夫人を、人間は地下深くに閉じこめようとするが、プルート夫人の火と熱をさます前に、自分たちが先に死んでいく。
フィクションでなければ描けないなと思いつつ、ノンフィクションとして、放射性元素発見から、その利用を企ててきた人間の歴史を、萩尾望都の漫画で読んでみたいとも思った。
表題作の「なのはな」と、巻末に収録された続編「なのはな―幻想『銀河鉄道の夜』」は、原発事故後のフクシマで生きるナホと兄の学[ガク]、そして津波で行方不明になったおばあちゃんの話。
※受賞の言葉(萩尾望都)
http://gender-sf.org/sog/2012/4091791352.html
(7/31了) -
初出が2011年8月号号だというから、この話が実際に描かれたのは2011年5月頃でしょうか。東日本大震災の直後と言ってもいい時期に描かれた、「なのはな」。
萩尾望都って、萩尾望都って、萩尾望都だと思います。「天才」だと書きたいところですが、我慢します。萩尾望都を天才にカテゴライズしたくない。天才は、萩尾望都の中にあるのですから。
「ナホちゃんはめんこいから ムコいっぱいくっぺ」というばあちゃんが、めんこいです。ばあちゃん、ムコはいっぱい来たら困るっぺ。
「あなたは チェルノブイリにいるあたしだね?」
「あたしは フクシマにいるあなた」
そういうナホが一番かしこい。チェルノブイリにいるあなたとフクシマにいるナホは、無力という一点で結ばれ、結びあうことで強くなります。
巻末の描き下ろし「なのはな-幻想『銀河鉄道の夜』」では、津波でばあちゃんを喪ったナホがばあちゃんと別れ直します。
家族を置いて一人で行かねばならないばあちゃん、未来を置いて行かなければならない幼児、幼児を彼岸に手放さなければならなかったその子のお母さん。カンパネルラ駅に三者の無念が押し寄せているようで、私は読み返すたびに涙します。
それでも、ばあちゃんがナホの手を離し、迷っている幼児の手を引いて行くことに、悲しいけれど希望があります。
ひかりの素足が降りて来るのは、そんな場所。
「なのはな」に起承転結のストーリーはありません。これは幻想ですから。リアリティだけが真実じゃない。ナホが夢見たものもまた、真実だと思います。 -
福島原発事故をテーマにしていて、じわじわきます。
原発事故について、たんねんに情報を集めている人ほど、困惑しているのではないでしょうか。
政治家・科学者・経済学者、同じ学問領域の先生方でもAさんとBさんの言うことが違い、素人目にはどちらももっともな気がして不安感ばかりが増してくる。
原発事故が発生してから1年以上たつのに、未だ正解が一つにまとまらず、みんな自分が正解だと言い張っているように見えます。
そういった、もやもや・ざわざわした気持ちを萩尾望都も抱えているのだなぁと思いました。
だから、確かに、ストーリーはなってないし、主張も曖昧だけど、それ自体を表現したってところが重要なのではないでしょうか。 -
ポーの一族で有名な萩尾さんの3.11を経て原発の恐ろしさをいろんな角度から鋭く漫画で描いているのが、心憎い。
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東日本大震災の原発事故を目の当たりにし、萩尾氏が描きおろした
短編漫画5編。
避難生活を強いられる福島の少女は、祖母を亡くしたことをうけとめられない。
チェルノブイリの原発事故と重ねられた一編『なのはな』。
奇跡のような新しいエネルギーに人々が魅了されていく様を、
放射性物質を擬人化して描いた『プルート婦人』『雨の夜』『サロメ20××』。
最後に福島の少女のその後『なのはな―幻想「銀河鉄道の夜」』。
萩尾先生は、ホントに絵が素敵。