野仏の見方―歴史がわかる、腑に落ちる (ポケットサライ)

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著者 : 外山晴彦
制作 : 『サライ』編集部 
  • 小学館 (2003年5月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (158ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093435086

野仏の見方―歴史がわかる、腑に落ちる (ポケットサライ)の感想・レビュー・書評

  • いかにもサライが好きそうな内容ながら、このような専門的すぎず初歩的すぎない本を読みたいと思っていました。
    都心では少なくなったものの、少し郊外の道を歩いていると、さりげなく立っている石碑やお地蔵さん。
    あまりに見慣れていて特に意識することもありませんでしたが、一つ一つに目を向けてみると、さまざまな意味があることがわかります。
    それは、寺社内にあるものとはまた違う役割をもつものたちでした。

    そもそも、登場の仕方が違うようです。
    神社で祀られる神々は、は天空から降りてくる「降臨の神」ですが、道端に祀られる道祖神や大歳神などは、道に沿ってやってくる「遊行の神」とされるのだとか。
    神様なのに、道を歩いてやってくると考えられているんですね。

    庚申様は、中国の道教思想からきたものと覚えていましたが、そのまま我が国に取り入れられて、庶民に布教したわけではなく、最初は平安貴族たちの「お遊び」として流行し、やがて日本的解釈を経て「庚申待ち」という庶民信仰に変遷したのだそうです。
    たしかに、どちらかというと土着的な印象の強い庚申信仰。それでも直接民衆レベルに浸透したわけではなく、いったんは貴族に取り入れられたわけですね。

    加えて庚申信仰は、日蓮宗系の僧侶による指導で広まったのだとか。
    道教といっても、仏教を通して紹介されたため、中国のオリジナルとはまた違うものになっているのではないかと思います。

    庚申塔に青面金剛が彫られているものもよく目にします。
    その正体がよくわからずにいましたが、もともとは古代インドの土俗神で、日本的解釈では、その本地は帝釈天または観音とされるのだそう。
    憤怒の顔つきで、不動明王に似ています。

    仏教系が主尊を青面金剛にするのに対して、神道系では猿田彦神を主尊とするのだとか。
    庚申信仰でも仏教と神道では祀る神が別という、大きな違いを知りました。

    文字で「庚申塔」と刻まれた石碑も多く見られます。
    これは、識字率が高まってから、現れるようになったのだとか。
    彫像よりも文字は安価だったからだそうで、観る方にしてみれば、石像のほうが楽しいですが、やはり作らせる側としては予算の問題もあったことでしょう。
    逆に、予算を抑えられたことで石碑が多く建てられるようになったのかもしれません。

    ほかに「十六夜塔」や「廿六夜待」と書かれた石碑もあります。
    これだけでは、さっぱり意味がわかりませんが、総称して「月待塔」というのだそうです。
    十三夜から二十六夜まで各種ある、江戸の中後期から流行した月待信仰の記念碑で、祈るというより仲間内の会合という色彩が強かったそうです。
    月が出るまで飲食や会話に興じながら待ち、月が登ると各自心願をかけて解散となったのだとか。
    今では残っていない風習なので、珍しく思います。

    草津街道は道祖神が多い地域で、中でも倉渕村は道祖神が76箇所100体以上ある道祖神の里だとか。
    いつか気候のいい時に、ハイキングがてら行ってみたいものです。

    巻末には、江戸時代の年号換算表が掲載されており、理解の助けになりました。
    知っているだけで、散策がいっそう有意義になるような情報がコンパクトにまとめられていました。

  • 庚申塚、月待塔、甲子塔、道祖神、馬頭観音、山ノ神などいろいろな野仏について解説

  • 野仏全体を概観するにはよい。
    ただ、「板碑のほとんどは秩父の緑泥片岩で作られている」など、ちょっと怪しい記述もみられる。

  • うーん、野仏に出会いたくなる

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