逆説の日本史9 戦国野望編: 鉄砲伝来と倭寇の謎

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  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (411ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093794206

作品紹介・あらすじ

織田信長・武田信玄・上杉謙信…戦国・混迷の時代に勝ち残る条件!シリーズ100万部突破の歴史ノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 沖縄の歴史から始まり、倭寇について、そして各戦国大名についてが論じられていました。

    学校では習わない沖縄の歴史について
    倭寇は単なる日本人の海賊ではないこと

    日本人として、倭寇について認識を深め、他国に対してどのような態度を取るべきであるか。

    面白かったです。

    また、下剋上の戦国時代、各大名のエピソードにそれぞれ個性があり、この時代はやはり面白い。

    途中、昔時点の総理大臣の施策について批評されている部分がありましたが、読み流しました。

  • 2019年3月7日、津BF

  • 〇第1章
    平和の国、琉球王国(1429-1879)。その平和が如何にして維持されたか。平和を維持するには、国が豊かでなければならないが、そのためには琉球は貿易に活路を見出すしかなかった。14世紀末から16世紀中ごろまでの「大交易時代」の出現である。
    その背景には、大陸で建国され間もない明(1368-1644)では、モンゴル(元)の勢力を北方へ駆逐するための内戦状態が続いたことがある。琉球は明に対し、火薬の原料になる硫黄(硫黄鳥島)と戦場に軍事物資を送るための琉球馬を朝貢したのである。そして、朝貢→回賜の形で輸入した物品を近隣諸国に輸出し莫大な利益を上げていた。琉球の「平和」は、明に「武器」を輸出することにより、保たれていたのである。
    〇第2章
    前章のとおり、貿易で莫大な利益が得られるにもかかわらず、高麗・李氏朝鮮、あるいは明が貿易の利益を独占しようとしなかったのは、伝統的に商業に対する差別意識のため交易を認めなかったから。従って、平和的な交易も「賊」となる。そのうえ、海のうえでは防衛のため武装が必要なため、貿易行為と海賊行為は紙一重の存在であったのだ。
    14世紀中ごろの倭寇は、壱岐・対馬・五島の商業行為が、高麗や李氏朝鮮との正常な交易体制が取れずに海賊行為と見做されたことに始まる。やがて、モンゴルの圧迫により高麗朝が弱体化すると、半島内の非定住民(被差別住民)が「倭寇」と名乗り、海賊行為を行った。
    一方、16世紀の倭寇は、明の海禁政策が原因であった。海外貿易商人が、犯罪者と扱われたからだ。そして、官憲の追及を逃れ、日本の五島などに逃亡したのである。この頃の倭寇は8割が「明」の反乱分子であったことに要注意である。
    また、1543年に日本に鉄砲を伝えたのは、倭寇の頭領「王直」の船(明船)に便乗していたポルトガル人であるということも興味深い。前年には台風で漂着したものの、今回は倭寇とポルトガルが貿易目的で、鉄砲を「売り込み」に来たのだ。当時日本は硝石が産出できず、輸入せざるを得ないことも「売り込み」には最適であった。そしてその種子島や大阪の堺に多くの信者を抱えていたのは法華宗(日蓮宗)であり大本山が京都の本能寺なのである。
    〇第3~5章
    「和」を重んじる日本。しかし「和の原理」では戦国時代のような厳しい競争社会には勝てない。この意味で、戦国時代は「実力主義」を宣言した朝倉隆景(十七箇条)に始まり、実力主義を徹底した結果、忠誠心なき実力者に滅ぼされた織田信長に終わるといえる。そして次の家康は、「不器用でも忠誠心」ある社会を目指した、つまり「和」の社会に回帰したのである。
    しかし、非日本的な戦国時代の実力においても、戦国大名にとって大切なことは「民を引き付ける魅力」であった。併せて、名将と呼ばれる戦国武将は、経済力を持っている。武田信玄(甲州金)、上杉謙信(越後黄金山金山、青そ(麻織物の原料)や港湾の関銭)、毛利元就(石見銀山)、北条氏康(伊豆の港や金山、相模の港などの収入)、今川義元(梅が島金山、土肥金山)といった、金・銀山の存在も大きい。善政あっての和である。
    ところで、「(武田信玄が)あと10年長生きしていれば、信長に代わって天下を取った」という言説がある。単に兵力だけをいうと、信玄軍は最強である。しかし、兵力だけでは天下は取れないのだ。その理由は次のとおり。
    ・「兵農分離」をしなかった。従って農閑期にしか戦ができない。
    ・実力主義ではなかった(実力で幹部に抜擢したのは山本勘助だけ)
    ・鉄砲の生産力においても、硝石の輸入ルートにおいても、信長や西日本の大名にかなり劣る存在であった(宣教師との繋がりがなかった)。
    ・寺社勢力と繋がっていたこと。
    最後の点を補足する。戦国時代は、荘園や関所や座や市といった様々な経済利権を寺社勢力が握っていた。だから信長は、楽市楽座政策で、彼らの統制経済にメスを入れ、関所の廃止によって彼らの保持していた最大の利権も奪い、庶民に返したのである。
    しかし、出家して寺社勢力の一員となった信玄の視野には、こうした方向性はあり得ない。既存の最大勢力は、必ず既存の利権あるいは古い思想に立脚する。だから、信玄には国民世論を味方につけた暮らしやすい社会を目指した日本改造は不可能であったと見るのが自然なのである。

  • 織田信長は何故改革に成功したのか?がよく分析されている。今の日本は平安時代末期か室町時代末期のような閉塞した時代と類似している。自民、民主どちらの二大政党にも功罪あり。世論を支える大衆派の無所属がいつかは多数派を構成し、この衰退する国を改革してほしい。それには、信長のような理念が重要だ。

  • 琉球王国の興亡・倭寇から戦国時代の始まり~信玄・信長までの話。

    倭寇=日本人の海賊と思い込んでいたが,それは間違いだということを知った。日本歴史学の通説を集めた本とも言える『国史大辞典』において,倭寇とは,朝鮮半島を中心に展開した前期倭寇と中国大陸・南海方面を中心に展開した後期倭寇とがあり,後期倭寇の構成員の大部分が中国人で真倭と言われた日本人は10~20%であったとの記載がある。しかもこの時代の倭寇の最大のボスは王直という名の中国人なのである。

    歴史には様々な視点があるが,そのなかの重要な視点の一つに『歴史は定住民と非定住民の抗争史である』と言うものがある。これを理解するのは難しい。というのも,非定住民の歴史というものが明確な形として見えないし,たまに見えたとしても,それは倭寇のような悪の象徴としてしか見えない。非定住民(つまり農業や工業に従事しない民)にとって,海こそ国家からの管理統制を逃れることの出来る真の意味での自由の天地だった。これは,海には非定住民の国家があったと言うことではなく(そういう発想こそ非定住民のもの),海はむしろ国家に縛られない人々の楽園であったということで,三島由紀夫の言葉を借りれば,『絶対の無政府主義(アナーキー)』なのである。

    戦国武将の中で名将と呼ばれる人物には,一つの共通点がある。武田信玄,上杉謙信,毛利元就,北条氏康,今川義元 この5人に共通するものと言ってもよい。それは全員,金山か銀山を持っていると言うことである。名将の条件とは,戦争に強いことと答える人が多い。確かに間違いではないが,単に戦争に強いと言うことだけなら,関東の武将長野業政は信玄に負けたことがないし,真田幸隆の子昌幸も関ヶ原の戦いの際に,信州上田城において,わずかな手勢で徳川軍4万と戦い,一歩も引けをとらなかった。しかし,長野や真田は戦争に強い武将とは言われても,名将とは呼ばれない。やはりスケールが小さいのである。国人クラスだからしょうがないじゃないかといっても,元就だってはじめは国人クラスであるので言い訳にならない。戦争とは巨大な投資である。勝てば新しい領土や利権を獲得できるが,負ければ何もかも失う。だからこそやるには余程の経済力がないと無理なのだ。だから,名将の条件には財力があるということがあり,金山を持っている武将が歴史に名を残しているのである。これに対し,信長には金山を持っていないと言う点がある。それなのになぜ勝者になれたのかと言えば,皆さんご存知のとおり,金山以外の別の財源・商業財源を持っていたからである。

    次に,信長が他の名将に比べ,大きく抜きん出たのは,目的を定め,具体的な計画を作成し,それを強烈な意志で実現するといったところであろう。例えば,信玄などは,川中島合戦などすべきではなかった。無駄な時間と労力を川中島で費やし,とりあえず自国の領土を拡張するということしか頭になかったと言うことである。だが信長は違う。天下統一と言う照準に合わせ,政治・軍事・外交の全てをその計画の元に行っている。足利義明の確保,京への通り道の北近江の大名浅井氏との婚姻政策,兵農分離などである。また,現代から見れば,野蛮・残酷の極致とも言える比叡山の焼き討ちについても,農民,商人,職人も,あの寺社勢力の横暴を何とかしてくれという意志を持っていたため,信長政権は支持を失わなかったのである。注意しておきたいのは,信長の目指したのは寺社勢力の武装集団,利権集団,政治団体としての解体であって,決して宗教そのものの弾圧ではないと言うことだ。比叡山を焼き討ちしても,天台宗禁教令は出していない。室町時代後期はあらゆる秩序が崩壊した混沌の時代であった。政府がどこにあるのか分からない。税金はとられるが,政府は何もしてくれない。物価は下がらず,一部の利権団体だけが巨額の利益を貪っている。正直に働くもの,能力がある者が決して正当な報酬を得られない そんな社会である。信長は,治安が守られ,産業が盛んになり,働く者は働いた分だけ正当な報酬が得られる社会に改革することを目指した。楽市楽座もそうだし,関所の廃止もそうだ。そういう改革を阻もうとする守旧派は必ず抵抗してくるから,それを排除するために対抗する武力がいる。その武力で抵抗を排除することを天下布武と表現したのである。

  • 北条早雲、武田信玄、毛利元就。
    彼らと信長の違いとは・・・・

  • いよいよ突入した戦国編。

    倭寇の真の姿を知り、日本のあるべき姿というものを学びました。

    織田信長のすごさが垣間見られました。
    誰もが考えうることを最初にそれと考えること、それができる人間に自分もなりたいものです。

  • ※10/4以前に読み終わった本はすべて10/1読破にします。

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著者プロフィール

1954年、名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、TBSに入社。報道局在職中の80年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞。退社後、執筆活動に専念。独自の歴史観からテーマに斬り込む作品で多くのファンをつかむ。著書は『逆説の日本史』シリーズ(小学館)、『英傑の日本史』『動乱の日本史』シリーズ、『天皇の日本史』、『お金の日本史 和同開珎から渋沢栄一まで』『お金の日本史 近現代編』(いずれもKADOKAWA)など多数。

「2023年 『絶対に民主化しない中国の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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