逆説の日本史10 戦国覇王編: 天下布武と信長の謎

著者 :
  • 小学館
3.63
  • (10)
  • (25)
  • (29)
  • (3)
  • (0)
本棚登録 : 175
感想 : 10
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (401ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093796606

作品紹介・あらすじ

「破壊王」信長がニッポンを変えた!

シリーズ220万部を突破した歴史ノンフィクションの第10巻。 本書では、織田信長に関する歴史学界の定説を覆します。 残虐で合理主義的な無神論者とされてきたが、実は政治方針を初めて世論に問うた、民主的で極めて寛容な政治家だったと論じ、新たなる「信長論」を構築します。 そして、「比叡山焼き討ち」「一向一揆大虐殺」は宗教弾圧ではない、安土城は政治理念を具現化した「神殿」だ、秀吉の「大阪城」「朝鮮出兵」は信長の構想、「生き神」となって天皇家を“消去”しようとした等、信長の虚像を論破し、日本史上最大の謎とされる本能寺の変の真相にも迫ります。 旧体制を徹底的に滅ぼし、新しい世界を生み出した「破壊王」信長は、構造改革の進まない日本のあるべき姿を照射し、日本人の生き方の指針となります。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 信長のイメージが大きく変わりました。
    学校の教科書や世間の常識では、暴君扱いの信長ですが、荒れる戦国の世で、もっともスジが通った立ち回りをし、誰もが思い付かない未来へのビジョンがあったのだと感じます。

    シリーズ中この1冊だけでも1読の価値あり。

    しかし、著者の「信長好き」フィルターが大分反映されているだろうなと予想。

    反信長方のご意見も詳しく知りたくなりました。

  • 2019年3月7日、津BF

  • 2002年刊行。信長論。読破したが、特記すべき事項なし。

    覇王とか破壊王(帯ですが)としていることだけで、本書の底の浅さが知れる。

  • 信長の残虐性の指摘に対して、戦国時代の常識から考察し解説している点に納得させられた。
    今日も過去の事象に対して現在の視点で論ずる事が多く見受けられるが、時代背景等様々の点を考慮しなければ軽々しく論ずべきではないと思った。

  • 信長の比叡山や本願寺への弾圧の本質、将軍や朝廷との確執、安土城の建設と大坂構想など、これまで知らなかった本質がよく説明されている。

  • 第10巻は信長についてだ。

    権力を確立するために欠かせないものは,人事権と賞罰権だ。また,人事が名実ともに行われるためには,その担保となる強制力,すなわち軍事力がなければならない。軍事力と賞罰権があれば,一応政権はできるが,あともう一つ,権威(正統性)があれば完全なものとなる。信長と足利義昭の関係は,まさにこの権威を得んがために信長が義昭を手元においたのだ。

    また,宗教についても触れている。ユダヤ・キリスト教の造物主信仰では,神以外のもの全てに,何か超自然的な存在を感じること,すなわちモノに対する臨在感を否定している。それを徹底させれば,偶像(人間が作った神の姿)を拝んだり崇めたりしてはいけないという偶像崇拝禁止となる。これがイスラム教である。だから,イスラム教徒は偶像崇拝禁止を徹底していないキリスト教を神の真意を十分に理解していない不完全な教えだということになる。逆に,我々日本人は,造物主信仰(世界の全てのモノが神によって作られた)という信仰はない。だから,むしろあらゆる臨在感を全て認め,全てのモノに神が宿っているという考え方をする。だから神社にはご神体があり,ドクロにも霊を感じる。八百万の神というのもそれで,8百万もの神様がいるのではなく,あらゆるところに神様がいるということだ。この西洋と日本の中間が儒教である。儒教では来世を問題にしない。人間は生きているうちに何をしたかが全てであって,たとえば天国に生まれるために(来世のために)良い事をするという意識がない。かといって,全く道徳心がないと言う意味ではなく,君主への忠義のために死を選ぶ事もある。これは儒教への殉教になるが,イスラム教の殉教はあくまでも来世のために行うから意味が全く違ってくる。日本は伝統的にどんな悪人でも死んでしまえば霊となって神になると言う考えだが,中国では,これは極めて違和感がある考え方だ。彼らは悪人は永久に悪人で,歴史的に復権する事はまずない。毛沢東のようなカリスマ的な指導者でも歴史の再点検でも言いださない限り,悪人は悪人なのである。

    信長は宗教弾圧をしたことがない。本願寺との争いはあくまでも武力反抗に対して叩き潰す必要があったのだ。だから,信長は本願寺から武力は奪ったが,信仰は奪いはしなかった。また,信長は本願寺側の先制攻撃や奇襲攻撃を受けても,本願寺側が講和を求めてきたときは必ずこれに応じている。自ら申し入れた講和を破って常に信長をだまし討ちしたのは本願寺側である。

    また,信長は義昭を権威の肩代わりにして保持していたが,まもなく,自ら権威を手に入れようとする。それが,まさに信長が神自身になろうとした所以である。その権威を否定できるものが日本に2人いた。それが,本願寺顕如と天皇家であった。これをいかにしていこうかというのが,信長の最終的な目標であった。日本の歴史上,天皇という存在と一切無縁の最高政治権力というものは実はなかった。藤原氏も天皇から関白に任ぜられ,平将門も八幡大菩薩(応神天皇)のお告げで新皇となったし,頼朝も天皇から征夷大将軍に任じられた。信長と天皇は対立関係にあったと言って良い。ただ,信長も天皇を滅ぼすことはなかった。それはやはり信長も日本人であり,タタリを恐れての事だったろう。タタリのバックボーンになっているのは怨霊信仰であって,その祭司ともいうべき天皇家を滅ぼすことは極めて反動が大きいと予想し,信長も手を付けなかったのだろう。勝負を避け,敬遠策を採用したのだ。

  • 織田信長の真実、いろいろと知ることができておもしろかったです。

    信長の宗教に対する態度なども興味深いものがありました。

  • 図書館で借りた。

  • 教科書とは違う、日本史の見方。

全10件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1954年、名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、TBSに入社。報道局在職中の80年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞。退社後、執筆活動に専念。独自の歴史観からテーマに斬り込む作品で多くのファンをつかむ。著書は『逆説の日本史』シリーズ(小学館)、『英傑の日本史』『動乱の日本史』シリーズ、『天皇の日本史』、『お金の日本史 和同開珎から渋沢栄一まで』『お金の日本史 近現代編』(いずれもKADOKAWA)など多数。

「2023年 『絶対に民主化しない中国の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

井沢元彦の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×