逆説の日本史 13 近世展開編江戸文化と鎖国の謎

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著者 : 井沢元彦
  • 小学館 (2006年6月2日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (362ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093796835

逆説の日本史 13 近世展開編江戸文化と鎖国の謎の感想・レビュー・書評

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  • 第13巻は鎖国についてだ。

    鎖国については、秀吉はキリスト教布教はだめだが、貿易は大いにやるべしというものだった。実際、秀吉の手で発せられた禁教令は、全5か条のうち前3項はキリスト教の布教は禁止しているが、後の2項は貿易を積極的に奨励するものとなっている。

    ここで鎖国の代表的な特質をあげると、
    1.外国との接触を絶ったことにより世界の進歩に乗り遅れた。
    2.日本人から、進取の気性、冒険心、チャレンジ精神といった積極面を奪い、典型的な島国根性の民族にしてしまった。
    3.日本文化の熟成が進み、識字率など国民の教育水準を著しく向上させた。
    4.外国の干渉を排除することによって、世界にも類例のない長期的な平和を築き上げた。
    5.金銀貨の流出を防いだ。
    6.食料が自給自足のため、飢饉等でしばし大量の餓死者を出した。
    などである。

    ここで、鎖国の真の目的である、キリスト教の禁止令について考えてみたい。

    キリスト教はアメリカの政治を動かすほど強い宗教だ。キリスト教は自らを絶対の正義とする傾向が強いということがある。日本でも日蓮はそうだった。日蓮は自ら信じる法華経を絶対の真理・正義と信じ、他宗を厳しく非難した。他宗の念仏を信じ、唱えれば地獄に落ちるぞというのである。そこで、他宗の者は、日蓮というけしからん坊主を殺せ、となるのだ。これが宗教戦争だ。その宗教戦争を織田信長が終わらせた。日蓮のような急進的な日本の原理主義者を皆殺しにすることによって、宗教の争いで人を殺すことは悪であるという現代日本の基本ルールを作ったのである。この日本人への最大の贈り物の価値を全くわかっていない人たちが、信長は残虐だ、と批判するのである。本当に残虐なのは、強い宗教の信者である。彼らは自分たちを絶対の正義と進jにているから、自由を奪われた無抵抗の人質の首を刎ねる事も出来る。もちろんそれはアメリカのブッシュ元大統領も同じで、自らを十字軍=絶対の正義、と信じるからこそ、多くのゲリラ掃討の中で無抵抗な市民を巻き添えにしても平然としていられるのである。

    信長、秀吉、家康は、宗教というものの牙を抜いて、安全無害なものにしたところで、最後に残ったのがキリスト教だった。だからこそ、家康は断固としたキリスト教弾圧に踏み切った。それは、外国の学者も評価するぐらいの政策としては妥当な判断であった。ところが、問題は家康ほどの度量の広さも政治家としての見識もなく、やみくもにキリスト教禁止の方針を守ろうとした挙句、自由貿易あるいは海外との自由な交流までもがなし崩し的に制限され、その結果において、外国人から”鎖国”と名づけられるような体制が出来上がってしまった。要するに、キリスト教は排除するが海外との交流は維持するということが本当はしたかったのである。

    ただ、このような体制は、明治維新の体制がそれである。幕末の日本は開国に踏み切った。このため、欧米の強い圧力に負けてキリスト教も解禁せざるを得なかった。明治維新とはそもそも西洋諸国の圧倒的なパワーに日本が植民地化されないように体制をリニューアルしたものだった。しかし、いくら近代的海軍を作っても、政治体制を一新しても、国民のバックボーンつまりキリスト教に対する強い原理がなければ、結局、西洋化=精神的な植民地化、への道をたどるだけである。そこで明治人達が考えたのが、日本の古来の神道を、天皇を現人神として頂点に立てた中央集権的なものとして再構成することであった。また、室町以降、江戸末期に至るまで、日本は神仏習合(神と仏は同じ)という信仰が基本であったが、これを、仏はもともと異国の神、ということで無理やり分離させ、廃仏毀釈したのもそのための一環であった。明治憲法を作った伊藤博文はキリスト教を西洋社会の基軸と呼び、それに対抗する日本の原理を作らねばならないという決意を述べているのだ。

    日本独特の文化についても鎖国により醸成されたという。たとえば、”わび”という文化だ。わび、というものをどう定義するかは難しいが、通常の感覚で美しいと感じられる以外のものから、美を感じ取り構成すること、ということだろうか。たとえば、花は美しい。花を用いて美しい庭園を造ることは、さほど難しいことではない。誰が見てもその美しさは評価できる。ところが、たとえば、苔という、通常の感覚では”醜”としか見えない邪魔物を庭園の材料として用い、独特の美を求める、これが”わび”というものだ。

    歌舞伎という芸術もそうだ。歌舞伎は初め女性の始めたものであった。これが、徳川幕府の禁令によって女優というものが一切禁止されたため、男が演じるものになってしまった。かぶきは当初は演劇ではなく、舞踊だった。かぶき踊りである。それをはじめたのが出雲の阿国である。このかぶき踊りが評判になると、これをまねて商売に励むものもでてくる。それが、いわゆる売春を盛況させ、風紀を乱すということで幕府から禁止が出されたのである。幕府というのは、大名から宗教団体まですべて監視下、統制下におこうとするので売春も吉原などの許可を得た管理売春はよいが、自由営業はダメだという事になったのである。

    このように、鎖国はそのデメリットが脚光に浴びることが多いが、文化の純化・特異化という意味においては、非常に、日本という独自の文化を発展させた立役者であるといっても過言ではない。

  • 2006年刊行。初出04〜05年。

     源平合戦の頃から感じていたが、織豊期まで来るとかなり苦しい。
     文献検討の粗と引用不在の不誠実さが目に付くからだ。それと、週刊誌仕様(一定の字数維持が必要)のため、表現がこなれていないのと、要らぬ重複が多い。今後、このシリーズを買い続けるかは??、といったところか。ザッピングで足りそうな気もしている。
     ただし、千利休に影響を及ぼした織田信長、という視点のみは面白い(ただし著者の信長評には疑問も多いが)。

  • 鎖国とキリシタン禁制、徳川綱吉に関する見解が面白い。

  • 徳川家康没後から鎖国までの歴史。さらには茶、歌舞伎といった文化に触れる。 今回もっとも興味深かったのは鎖国というのは、「〇〇年より鎖国とする」という形で正式に出されたものでなく、なんとなく問題を先延ばしにしているうちに、気が付けば鎖国になっていたという話。こんな重大な問題が空気で決まってしまったというのは怖い話。でも今の日本を見ていると・・・ 会社でもこういう事はよくある。
    この巻も井沢節が冴えわたり、非常に楽しく読めた。

  • 再読。

    綱吉名君説、と儒教的感覚についてがはじめて読んだときとても興味深かったが、改めて読んでみると、千利休の件が面白かった。

    平幹次郎が利休を演じた、たぶん有名な舞台をTV放送で観たことがある。おかげでずっと読んでる間ビジュアルが平幹次郎だった。
    (誰かの小説で読んだはずだが記憶があやふやだ)

    綱吉名君説は次の巻でも結構な字数を使って展開されているが、この本を読めば、もう、「暗君・綱吉」は想像できない。

  • キリシタン禁制、大名改易、茶の湯、演劇、儒学、、、江戸時代のいろいろ。

    「鎖国」という言葉が後に語られた言葉だということを知る。

    いろいろと発見がある、とても素晴らしい本である。

  • 教科書とは違う、日本史の見方。

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