逆説の日本史 20 幕末年代史編3 西郷隆盛と薩英戦争の謎

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  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (405ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093798518

作品紹介・あらすじ

薩摩の覚醒が歴史を動かした!

幕末の雄藩、薩摩と長州。「禁門の変」以来、犬猿の仲であった両藩を坂本龍馬が仲介し、「薩長同盟」が成立したことはよく知られています。では、禁門の変以前の両藩の関係はどうだったのか? じつは大変良好な関係でした。それどころか、長州藩士・久坂玄瑞の働きで、「薩長同盟」は実質的に成立していたとさえいえます……。
20巻という節目を迎えた「幕末年代史編3」は、こんな驚くべき視点から始まります。では、そんな良好な関係がなぜ崩れてしまったのか? 「バカ殿」島津久光を国父に戴き、生麦事件そして薩英戦争を引き起こしながらも、「攘夷」の無謀さに目覚めた薩摩。一方、「そうせい侯」が攘夷派を抑えきれず、ついには「朝敵」の汚名を着ることにまでなってしまった長州。のちに明治維新の原動力となった両藩がまったく異なる道を歩んでいた1862年から64年までの激動の3年間に迫ります。

【編集担当からのおすすめ情報】
「高杉晋作が突然、逃避行に走った真意は?」「清河八郎が浪士組を結成できたのはなぜ?」「どうして長州藩はオモチャのような大砲で西欧列強と一戦交え用などと思ったの?」などなど、歴史ファンなら誰もが疑問に思う幕末の謎の数々を「逆説」で次々と解き明かしていく様は、じつに痛快。また、当時の貴重な写真や図版も、紙幅の許す限り掲載しています。こちらも必見です!

感想・レビュー・書評

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  • やっぱりこのシリーズは面白い

  • 2019年3月7日、津BF

  • 西郷隆盛が、2回も島流しになってたなんて知らんかった。この辺、登場人物が多くて難しいなぁ、なんて。

  • 幕末特有の志士達の閉塞感や焦燥感、それらマグマが最高潮に達し近代国家へと脱皮を果たすまでの明治維新は「和を以て貴しとなす」日本の奇蹟といっていい。夏目漱石氏は「外発的開花」と称したが、あくまで黒船はスパイスであり、攘夷派と開国派、幕府と外様の、悲喜交交の志が衝突した結果生まれた内発的開花のように思える。明治維新が持つ躍動感は我々の心を擽る。

    史料や伝聞の多い時代であり、著者お得意の逆説が発揮しにくい時代ではあるが、「マイナスの英雄」として一橋慶喜や島津久光を捉えたり、維新全体として吉田松蔭や高杉晋作などキーマンの活動を再整理する役割として大いに意義を果たしている。逆に本巻では龍馬はほとんど登場しない。また西郷隆盛が島流しで不遇の時代を過ごしていたことは本書で初めて知った。ちなみに筆者が勝海舟を志士No.1と評しており、当方と評価が一致していてなんとなく共感を覚えた。

    歴史は醍醐味は物事や人物の連続性や因果関係を理解した時にこそある。本書はその醍醐味を味わえる。

    第1章 明治維新まであと6年!一八六二年編
    第2章 明治維新まであと5年!一八六三年編
    第3章 明治維新まであと4年!一八六四年編

  • 逆説の日本史 いつ読んでもおもしろい

  • 刻々と明治維新が近づいています。
    薩摩と長州の関係、幕府と朝廷の関係が詳細に描かれています。
    自分の知識に足りない部分が、パズルのピースのように埋まっていくのが分かります。
    興味深いです。

  • 勝は最初から最後まで「日本人」という視点で物事を考えていて、その信念は一度もぶれていない 朱子学が文明の進歩を止めてしまう恐るべき毒素を持っており、中華文明の進化を止めてしまった 

  • 大攘夷と小攘夷の対立。
    長州藩の動きが戦前の日本の軍部と酷似している。頑迷ともいえるが格上の相手と闘うために必要なものであったともいえる。
    島流しから赦免されても、同じ罪を被った男を釈放しないと帰らないと言い放った西郷どんはカッコいい!

  • 子供の頃教科書を読んでも、何故尊王攘夷派が勝者となりえたのか、イデオロギーの転向がどう行われたのかわからなかったが、本書は納得感のある説明を与えてくれていると思う。

  • 視点を変えながら何度も前後を行きつ戻りつしながら解説してくれるので、二転三転する複雑な状況ながらも理解が進みます。近年に近い時代で、資料も多く、写真も豊富で、激動の幕末をリアルに感じることができました。あっと驚く逆説を展開するというよりも、見逃し勝ちな歴史上の事柄を丁寧に説明していくという印象が強い幕末シリーズです。高杉晋作が上海留学の直後には、小攘夷から大攘夷(開国)に密かに転向し、しかるべき時期が来るまでは、長州藩の過激な行動に直接加わらないよう苦慮していたというところが逆説らしく思えました。

  • 幕末期の尊王攘夷の実態や外国との外交に関する本質的な真実がよく描かれている。

  • 毎年,最新刊が出版されるのを楽しみにしています。

    複雑な幕末から明治維新への流れが非常に分かりやすく描かれていて,この時代の歴史を初めて知ったみたいに新鮮でした。

    私自身,幕末以降は他の時代ほど勉強しておらず,また非常に思想や人物が入り組んで複雑なので,1度読んだだけではまだまだ消化しきれていません。
    今後も,折に触れて読み返したいと思いました。

  • 相変わらずの面白さ。複雑な幕末の状況を説いて余す処なし。
    横井小楠とか名は知っているけれど、どんな人だかと人物をしっかり紹介してくれて有難い。桂小五郎も維新後たいした業績がないので、何が偉いんだかと思っていたんだが。
    幕府側では、小笠原長行。この人物については全然知らなかった。将軍家茂も慶喜も京都で勤王派の公家に人質状態、イギリスから生麦事件の賠償金を払わないと横浜や江戸に砲艦射撃をして焼き尽くすと迫られる中、何とか切り抜ける。
    この辺りは短期間に次々事件が起こり、状況は目まぐるしく変わるが、著者の説明はかなり判りやすい。

    著者が指摘する長州的観念論の狂気。何度も暴発を繰り返し、終いには禁門の変(蛤御門の変)で御所に鉄砲を撃ちかける。英仏蘭米の4か国連合に下関で大敗を喫すが、対岸の小倉藩が悪いと領地を占領する行動に出る。
    この狂気が何の落ち後もない会津と松平容保に悲劇をもたらし、明治以降の陸軍の暴走に繋がったと考えると、つい頭に血が上る。
    歴史に if は有りえないのも重々承知しているし、こうした物事を考えるのに冷静さは必要なのも分かっているが、長州征伐の時に長州を滅ぼした方がとか、たとえ彦島が租借されたとしても英仏に徹底的に焼け野原にされた方が、日本にとって良かったんじゃないか、とつい考えてしまう。
    その場合、維新は不徹底になり、武士の勢力が残存され、国民の平等の意識は育たず、教育や産業の育成は阻害され、日本に近代は訪れなかっただろう。それでも長州を滅ぼさなかったのが本当に良かったのか、と疑問が頭から去らない。
    そして、何がそれほどまで長州を観念的にしたのかという疑問も。

  • 逆説の日本史も早20巻。長いつきあいになった。

    この巻を読んで思うのは長州ってどうしてこうも愚かなのか、
    ということだが、実はそれは日本人はどうしてこうも愚かなのか、
    ということとほぼ同価であるような気がする。

    しかし月形半平太を駆逐したのが坂本龍馬だったとは(笑)。

  • 長州の考え方が昭和陸軍につながる。歴史は繰り返すというか、人間は歴史から学習をしないというか・・・。

    井沢さんの切り口でその点がとてもクリアに見えた。巷の胡散臭い自己啓発書よりよっぽど学ぶ点が多い歴史、その中でも井沢さんの切り口から見える点は多い。今回はとにかく長州の行動論理、その解釈につきる。

  • 薩摩と長州を中心に展開していく時代にさしかかった。

  • とうとう井沢氏の逆説の日本史シリーズも20冊目となりました。週刊現代誌に投稿されているのを編集されて毎年1冊発行されていますが、毎年楽しみです。今年も最寄の図書館で購入してもらい、一番に読ませていただきました。

    幕末の面白く多くの事件が起きた時代で、この一冊で3年程度(1862-1864)しか進みませんでした。歴史の授業では1時間程度の授業で終わる所を、私には新たな発見がありました。

    例えば長州と薩摩の関係です、「薩長同盟」が有名ですが、それが締結される数年前までは犬猿の仲だったようですね。驚いたのは、それ以前には、事実上、薩長同盟は成立していて、それを潰して険悪な関係になったのが「池田屋事件」と、その後の島津久光の対応によるものだった(p34、40)ようです。

    この時代は下級藩士やそれ以下の足軽の身分に属する人が、身分上は上の人を押しのけて活躍して、明治維新後には支配階級に登りつめています。途中で命を落とした人も多いようです、戦国時代そっくりですね。

    来年までに井沢氏の他の本等の類書を読んで、井沢氏の見方を客観的に見れるように自分も鍛えておきたいです。

    以下は気になったポイントです。

    ・無位無官の大名ですらない者(島津久光)が大軍を率いて江戸に向かうことは、幕府始まって以来の前代未聞の事態(p44)

    ・生麦事件において、島津久光一行の行列と言われるが、久光は無位無官で薩摩藩主ではないので大名行列ではない。(p71)

    ・文久3年(1863)四月には、長州藩は山口に城を移動している、城と呼ばずに「山口政事堂」と称した(p83)

    ・日本書紀は壬申の乱という大戦争の後に、勝者の天武天皇が息子の舎人親王を責任者として編纂させた史書、関係者が死に絶えた後に書かれた「扶桑略記」には全然別の真相が記してある(p125)

    ・太平洋戦争直前にあった「空気」を定義すると、「理性的・論理的見解をまるで受け付けない集団ヒステリー状態」である、江戸末期もこの「空気」を読めない人は必ず殺された(p139)

    ・幕末期の旗本とは、本来の兵士ではなく、刀を差した事務官僚である。なので、新撰組の基になる浪士組も結成された(p159)

    ・旗本が、幕府が新たに武士以外から歩兵を選ぶという歩兵創設に反対しなかった本当の理由は、「鉄砲などは足軽の持つもの」という江戸時代の武士の考えによる(p209)

    ・太平洋戦争直前の陸軍の武器は日清戦争から殆ど進歩していなかった、それに比べて海軍は世界一の武器を開発、機動部隊は世界中でアメリカと日本のみで英国海軍も持っていなかった(p227)

    ・東京電力が原発事故が起こった時、復旧作業にあたるロボットの導入を見送り、アメリカ製のロボットが使われたのは、ある新聞社が「事故の可能性を認めるのか」と迫ったため(p231)

    ・天才家康の構築した日本防衛システムは、蒸気機関の出現という技術革新の前に崩れ去った(p239)

    ・万延から文久に、文久から元治に元号が変わったのは、古来からの習慣に基づくもの、辛酉(かのととり:1861)と、その3年後の甲子(きのえね:1864)は王朝交代の起きやすい年と言われていきたので(p271)

    ・長州の乱、ではなく「禁門の変」という呼び方になるのは、長州が最終的勝者になったため、御所に鉄砲を射ちかけた長州藩は本来は朝敵、それを守った会津藩や一橋慶喜は忠臣であるはず(p352)

    ・薩摩藩の伝統的戦法は、関ヶ原での敵中突破でも使われたが、腕の良い狙撃手が敵の大将クラスを狙い撃ちにして、敵を動揺させて一気に討つというもの(p353)

    ・長州(関門海峡)へ向かった4か国連合艦隊は、17隻の軍艦で構成され、英9仏3蘭4米1であり、総司令官はイギリス海軍のキューパー提督、旗艦はユーリアラス号であった(p370)

    ・講和会議において、高杉はキューパー提督以下に、彦島租借の件を断念させた、4か国連合は各国が牽制し合った結果、領土要求に拘らなかったことも幸いした(p375)

    ・領土要求はしなかったが、賠償金として生麦事件(10万ポンド:40万ドル)よりもはるかに多い300万ドルを要求した、明治政府まで引き継がれ明治7年に完済した(p377,386)

    ・第一次長州征伐の大将には御三家尾張藩の徳川慶勝が選ばれたが、参謀には西郷隆盛が選ばれた、外様大名の当主ですらない彼が官軍の頭脳となった(p380)

    ・明治維新は、敵に学んで国家をリニューアルしようとしたが、その達成に20年かかった、当初はその正しい道を主張した人が極悪人として尊王攘夷派に殺されたから、これが起きるのは朱子学のため(あとがき)

    2013年11月10日作成

  • 幕末における各人物の行動や考えを推定を交えつつ論じることにより、複雑きわまる幕末の流れをわかりやすく解説している。

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著者プロフィール

1954年、名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、TBSに入社。報道局在職中の80年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞。退社後、執筆活動に専念。独自の歴史観からテーマに斬り込む作品で多くのファンをつかむ。著書は『逆説の日本史』シリーズ(小学館)、『英傑の日本史』『動乱の日本史』シリーズ、『天皇の日本史』、『お金の日本史 和同開珎から渋沢栄一まで』『お金の日本史 近現代編』(いずれもKADOKAWA)など多数。

「2023年 『絶対に民主化しない中国の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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