- Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
- / ISBN・EAN: 9784093863636
感想・レビュー・書評
-
筆者がチェロ奏者を目指していただけあり、物語の中の音楽的な描写なども違和感なく読めた。
純真無垢に音楽に生きるせった君は、周囲の人間の心の闇の拠り所であり、また、彼らの支えがあるからこそひたすら音楽に生きることができた。そんな中で徐々に周囲の闇に蝕まれていき、犠牲になったと感じた。何かの拍子に落ちてしまった心の闇のエネルギーの強さや蟻地獄のような深さ、それに否応無くのまれていく人間の心の弱さを突きつけられた気がする。それらが物語の全体を通して、せった君の音楽とは対象的に、不協和音のように流れていた。
切なさが残った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
どこまでも無垢で音楽を愛している「せった君」と、そんな無垢で無欲な姿に苛立ちながらも夢中になってしまう親友・島崎の友情物語かと思いきや、自分のふがいなさを他人や社会のせいにしている津々見の人生が交錯して思いがけない展開に…。
津々見が人間のどす黒い部分を足してさらに掛けたようなヤツで、真っ白なせった君に照らされると本当に哀れ。
過剰な自意識や自分の非を認めない姿は、誰しも持っている黒い一面の集合体のようで、読んでいて辛かった。
せった君の言葉や音楽は、タイトル通り本当に美しかったです。
最後の二行で涙腺崩壊。
複雑な構成や人間のクズな部分を散々見せつけられた末の最後のシンプルな言葉で、この二行がほんと美しかった。 -
あらすじ
雪踏文彦。
ひとは、みな、彼のことを親しみを込めて「せった君」と呼ぶ。語り手である作家・島崎哲も、親友である彼をそう呼んだ。小学校ではじめて出会い、いつもどこかぼんやりしているようだったせった君は、幼少期から音楽の英才教育を受けていた島崎が嫉妬してしまうほどの才能を持っていた。
中学、高校と違う学校に通ったふたりは、あまり頻繁に会うこともなくなったが、大きな挫折をしたばかりの島崎を、ある日、偶然、目の前に現れたせった君のことばが救ってくれる。やがて、再び意気投合したふたりは、彼がピアノを弾いている一風変わったバーで行動をともにするようになった。
音楽のことしか、ほとんど考えていないせった君だったが、やがて恋をして、彼がつくる音楽にも変化が見られ始めた。そんなある日、彼らの前に、妙な男がちらつくようになった。彼は、せった君の彼女・小海が以前、付き合っていた男だった。そして、事件は起こった。
冗長だと思う人もいらっしゃる事でしょう。僕の大好きな、この著者の最新作「燃えよあんず」もそういわれる可能性のある本でした。何なら最高傑作「船に乗れ!」もそういわれちゃうかもしれませんね。
でもこの書かなくてもいいような事をつらつら書き連ねる事によって、針金人間のような登場人物に次第に分厚い肉付きが出てきて、登場人物に厚みが出てくるんですよ。もちろん長く書けばいいという訳では無いです。哲学入ってしまってコリャ要らないだろうと思ってしまう部分も有ります。でもそこも含めて愛おしい本です。
昔の映画って導入部がすごく長くて、今見ると冗長と思われる部分が多いじゃないですか。登場人物の日常生活をつらつらと描く事によって、物語に厚みが出てくるんだと思うんですよね。そりゃ僕だっていきなり爆発したり、いきなり出会ってすぐチョメチョメ(山城信吾風)だったりの方がまんべんなく楽しめるとは思います。でもこういうつらつらと描かれた心象風景というのもいいもんだと思います。
藤谷治さんの本はどれもこれも主人公が上手く行かないパターンが多いです。なんだか読後苦いんです。でも結局光に向かって書いている安心感が有って僕は好きです。 -
「船に乗れ」3部作が中学、高校時代の自伝的な小説いなら、こちらは同じ作者の小学生と大学以降の自伝的な小説(たぶん)。主人公がその音楽の才能を引き出すことになる「せったくん」の純粋さが「世界でいちばん美しい」。
途中、津々見のところで中だるみがあったり、一人称で書いているために主人公が決して知り得ない事柄に津々見からの手紙を使うなど、小説手法としてはおそらく破綻してるけど、それはともかく。
ハッピーエンドではないのに、読後感は決して悪くない。一時は音楽を生業にしようとした作者の感性が生きている優れた読み物でした。
最後の2行を読む限り、やはり実話なのかなあと思わずにはいられません。 -
『船に乗れ!』を思わせるストーリー。「せった君」という音楽の天才と、音楽家の家に生まれながらそれほどの才能はないと思い知った主人公。結局彼は作家になるのだが……。
-
特殊な音楽の才能を持つ「せった君」と、自分の能力が認めてもらえない現状を社会や女のせいにする「勘太郎」が共通の(元)恋人「小海」を通して出会ってしまい、起きた悲劇の記録。
語り手は「せった君」の親友である小説家の男で、二人が小学生の頃から事件の起こる三十歳、さらにその二十年後までが描かれている。
才能を持て余す友人へのもどかしさと、自分の現状に満足できない苛立ちと、うまく立ち回れないがためにトラブルを巻き起こしてしまう情けなさが、複雑に絡まって重たく残る。