TOKYOオリンピック物語

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著者 : 野地秩嘉
  • 小学館 (2011年2月7日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093881043

TOKYOオリンピック物語の感想・レビュー・書評

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  • 1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピック。
    数多くの素晴らしいストーリー、伝説、名言がある中、本書は大会を裏で支えた人たちについて取り上げている。

    赤い太陽のポスターをつくった人、競技結果の速報システムを構築した人、選手村の料理を提供した人、はじめて民間として警備組織をつくった人、記録映画を残した人、グラフィカルな案内板であるピクトグラムをつくった人だ。

    戦後の荒廃を乗り越え、世界第二位の経済大国へ躍進する日本の象徴的なビッグイベントであった東京オリンピック。

    無報酬で、まさに手弁当持参で立ち上げに尽力した人々。

    「お国のため」という精神がまだ残っていた当時、未曾有のイベントを大成功に収めることができた。

    果たして今の日本で可能なのだろうかと考えさせられた作品であった。

    印象に残った箇所

    ・待っていても、何も起こることはない。待ちの姿勢が日本社会の元気を奪ったのだ。

    ・そこで活躍した人々は、従来の仕事のやり方にとらわれることなく、自己変革を繰り返しながら目的を達成した。他人任せにして、いつかは問題が解決する、いつかは景気がよくなると念じていた人間ではない。

    ・ワールドカップなどの国際的なイベントで大会独自のマークやロゴタイプが作られるようになったのも、オリンピック東京大会の先例があるからだ。

    ・ふところに残ったのはわずか5万円だ。しかし、金じゃない。オレは日本のために引き受けた。

    ・画家のタブロー(油絵)は、紳士が玄関から訪問するようなものだが、ポスターは強盗が斧を持って窓から闖入するようなものだ。そのくらいでないと大衆は注意を払ってくれない。

    ・「役人は前例踏襲が命」と言われているが、当時の役人、国鉄関係者の頭脳は躍動していた。

    ・村上は毎日、必ず現場にいるようにした。選手がどのように料理を気に入るか、食べ残ししている選手がいるかいないかをチェックするには食堂にいるのが一番だ。

    ・フランス人の料理人は日本人が手を洗わなかったり、下着姿で働いているんじゃないかと邪推していたのである。

    ・彼らがとかく「お国のため」と言ったのは、オリンピックは久しぶりに国家に身をささげる思いで働くことができた場だったからだ。

    ・「結局、誰が勝つのかは走ってみなきゃわからない。俺たちがやるのはどういう展開になろうとも、それなりの絵を撮ることだ。

    ・廃墟から立ち直った日本の先頭に立って働いてきた世代です。その人たちが総力戦で立ち向かったのがオリンピックでした。とにかく、先生やまわりの先輩たちは夜も寝ずに、神経を張り詰めて、ひたすら働いていました。

    ・日本人が大好きな絵文字の元祖がピクトグラムなのだ。

    ・著作権料を要求したら、ピクトグラムは普及しないと思ったのでしょう。

  • ロゴがパクリとかそうじゃないとかは実は問題ではない。ただ、出来が悪いことが一番の問題だった。1964年の東京大会と比較して出てくる結論がそれだ。

    1964年の東京オリンピックの実現に向けて、各分野で活躍した人々を描いたドキュメンタリー。ノンフィクション・ルポタージュを多数手がける野地氏が、関係者からの緻密な取材によって構成している。

    世界初のデータセンターを立ち上げたIBM技術者、選手村の調理を担当した帝国ホテルシェフなど興味深い題材が盛り込まれている(それぞれ、技術マネジメントのケーススタディとして素晴らしくおもしろい内容)だが、一番目を引くのは第1章に位置づけられている公式ポスターのデザインを手がけた亀倉雄策の話だ。

    まだグラフィックデザイナーという言葉すらなかった時代、亀倉は1964年東京大会のポスターデザインを打診された。その際、ロゴを作成すること自体を提案(これ以前の大会では、五輪マーク以外が使われたことはなかった)し、結果、それ以降の大会までロゴ作成が恒例行事となるほど、素晴らしいロゴのデザインを成し遂げた。

    これを読んでどうしても思い出すのが、昨今問題となっている2020年東京大会のロゴパクリ事件だ。発表されるや否や、他の美術館のロゴとの類似が指摘され、いろいろ釈明したものの、結局廃案。
    仕切り直しとなっているが、その際、ロゴの選考過程が問題であったという風潮がある。ネットでは「コンペ自体がデザイナーの身内で行われた出来レース」であることが問題視され、また、再選考することになったところ、すべての国民が納得行く透明性の高い審査をしよう、がいつのまにか合い言葉になっている。

    本書が執筆されたのは2011年であって、今回のロゴ問題を念頭に置いてかかれたものではない。ところが、本書からは、上記の”改善策”が全く的外れである様子が読みとれる。
    なぜなら、1964年のロゴ自体、亀倉氏自体が推薦した者が審査委員長であり、また選考は一部の美術の専門家のみで選考されているのである。
    つまり、今回の改善策と真逆(もともとの方法)で選考されていたのだ。

    むしろ、今回の”改善策”のようになることを、積極的に避けた様子がある。

    亀倉氏自身の言葉として

    ー「多数決でデザインの良しあしを決めるのは馬鹿げたことだ。とくに有識者とか市民代表の意見はいらない。あくまでも専門家が選ぶべきだ」
    それが亀倉の信念だった。デザイン、建築、絵画といった数値では表すことのできない価値を評価するのは見識をもった専門家がやるべきことで、素人の出る幕ではないと考えていた。また、評価する人間の数を増やせば増やすほど、船頭多くして船、山に上るたぐいの弊害があると信じて疑わなかった。(第1章)ー

    とされているほどだ。
    この姿勢について評価は分かれるのだろうが、結果、誰の記憶にも残る素晴らしいロゴ(とポスター)ができあがったのは事実だ。


    選考課程の問題でないとしたら、では、ここまで問題が騒がれた(ている)原因はなんだったのだろうか?
    要は、単純に、今回の(旧)ロゴが”ぱっとしない”ことが一番の原因ではないか。
    亀倉氏のロゴはシンプルな意匠を組み合わせたにも関わらず、「強盗が斧を持って窓から闖入する」ようなインパクト絶大なものだったのである。
    一方で、今回のロゴは、そこまでの印象を受けるものではない。
    (だからこそ「パクリ」と呼ばれる程度の評価だったのかもしれない)


    結論。
    芸術に多数決など必要ない。作品の出来不出来がすべてだ。オリンピックのような公的行事であっても同じ事だ。ふなっしーやおかざえもんが自治体の(準)公認キャラクターとして認知されていることからもあきらかだ。
    2020年を待ち望む一般市民としては、選考過程のどうこうに関わらず、国家事業のロゴにふさわし素晴らしいロゴができあがるのを期待するばかりだ。

  • 始めの段落が一番面白かった。
    「お国のために働く」人たちが一生懸命オリンピックを支えてたことがよく分かるし、印象的でいま読むと違和感。
    ここ何十年でどれだけ時代が変わったか感じられるし、次の2020年は全く違うオリンピックになるんだろうと感じる。

  • 日本人であることを、誇りに思える一冊。
    例え自分が何もできない無力でちっぽけな存在だとしても。

    年齢を重ねるたびに「オリンピック」というものが好きになり、
    2020年の東京五輪も心待ちにしている一人なので
    以前から気になっていたこの本を読んでみた。

    焦点が当てられたのは、選手でもない、いわゆる花形でもない、
    「縁の下の力持ち」である人々。

    そこがいい!!!

    給料のためじゃない、名誉のためじゃない、自分のためじゃない。
    それなのに、いやだからこそ、真摯に誇りを持って働いた人々に、
    本当に胸が熱くなった。

    ジーンとしながら読み進み、そして今もなお彼らから繋がっている、
    五輪をきっかけに発展し現在私たちが恩恵を受けている様々なカタチに、
    心から感動した。

    先人たちに恥じないような生き方暮らし方働き方を、
    今日の私たちはできているんだろうか…

  • 競技そのものではなく、ソフト的な革新に焦点を当ててる点が新鮮。
    あと7年、どんなことが起こるか期待させる。

  • 何で知ったかは忘れたが、ずっと読みたかった本で、たまたま入った恵比寿の有隣堂にて文庫版を発見して購入した。

    読んでいて胸が熱くなってくるような、人物に焦点を当てた内容で、2日程で読み終わった。

    時代背景が違うとはいえ、オリンピック開催までの盛り上がりはこれほどすごいものなのか!?と感じる。七年後の東京オリンピックまで、どういった感じで日本国内では盛り上がっていくのか、楽しみである。

    オリンピック開催に関して、賛否両論あるのかもしれないが、素直な気持ちで、この貴重なイベントに関わりたいという気持ちを思い起こしてくれる。

  • 本書は、オリンピックという戦後最大のイベントの、裏方を担った
    人々に焦点を当てたドキュメンタリーです。取り上げられるのは、
    シンボルマークとポスターをデザインした亀倉雄策、デザイン統括
    者としてピクトグラム(絵文字)の開発等を率いた勝見勝、史上初
    のリアルタイム計測システムを開発した竹下亨(日本IBM)、選手
    村の料理長を務めた村上信夫(帝国ホテル)、選手村の警備を請け
    負った飯田亮(セコム)、記録映画の監督を務めた市川崑と報道キ
    ャメラマン達、等々の面々です。

    本書を読むと、東京オリンピックが、その後の日本社会にいかに大
    きな影響を与えたかがよくわかります。競技場や高速道路、モノレ
    ールや新幹線などのハードなインフラは勿論、コンピュータシステ
    ムのようなソフトなインフラも東京オリンピックをきっかけに大き
    く進化したのでした。オリンピックをきっかけに、企業は業務効率
    化のためにコンピュータを導入するようになり、セントラルキッチ
    ンを備えたファミレスが生まれ、セコムのような新しい企業が育っ
    たのです。1964年のオリンピックは、日本社会にとって、イノベー
    ションの実験場でした。

    印象的だったのは、本書で描かれるイノベーションの多くが、業務
    プロセスのイノベーション、つまり、仕事の方法に関するものであ
    ったことです。亀倉雄策は、「日本人は時間を守るとか団体行動に
    向いているというのは嘘だ。どちらも東京オリンピック以降に確立
    したものだ」と証言していますが、皆で力を合わせて効率的に、大
    量のものを捌く、という仕事のやり方を、オリンピックで初めて日
    本人は覚えたのです。東京オリンピックの勝利は、システム化、標
    準化、マニュアル化の勝利だったと言っても過言ではないでしょう。
    そうやって効率的に力を合わせることを覚えた日本人は、以後、集
    団の力で高度経済成長を成し遂げるのです。事実、オリンピックか
    ら4年後の1968年には、世界第二位のGNPを達成します。

    それは同時に、効率的でないもの、標準的でないものを切り捨てる
    風潮を生み出したとも言えます。道は舗装され、瓦屋根の家が消え、
    「フーテンの寅さん」が姿を消した。東京オリンピックは、日本人
    に「過去」を断ち切らせたのです。そして、「新しいもの」と「経
    済効率」が金科玉条になる空気を生み出した。だからこそ、世界が
    驚くような急速な経済発展を成し遂げることができたのです。哲学
    者の内山節は、1965年を境に日本人はキツネに騙されなくなったと
    述べていますが、この頃を境に、日本人の内面は、確かに大きく変
    わったのです。オリンピックとは、それだけのインパクトをもたら
    すイベントだったと言えるでしょう。

    では、2020年のオリンピックは、日本人に、日本社会に、何をもた
    らすことになるのでしょう。いや、何を実現すべく、私達は、オリ
    ンピックという「世紀のイベント」に臨むべきなのでしょうか。

    それは、恐らく、前回開発した「大量生産のためのシステム化」と
    は逆のベクトルのものになるのではないかと考えます。この半世紀、
    効率の影で切り捨ててきたものに光を当てる。標準化できないもの
    と正面から向き合う。そのためのシステムやサービス、街のあり方
    を考えていくということではないでしょうか。

    だから、オリンピックよりパラリンピックのほうに井上自身は興味
    があります。障がいという個性を抱えて生きる人達が限界に挑戦す
    る場がパラリンピックです。その人達をどう「おもてなし」するこ
    とができるのか。そのために、技術やデザインがやるべきことはい
    っぱいあるはずです。仕事のやり方も、街の仕組みも、制度のあり
    方も、まだ全然遅れています。前回のオリンピックが、集団に個人
    が埋没する社会を生み出したとするなら、今度のオリンピックは、
    多様な個性を認めながらも集団が維持される社会をつくるための挑
    戦の場にすべきと考えますが、どうでしょうか。

    絶版状態で手に入らなくなっていた本書ですが、今回の招致成功で
    ようやく再販されました。しかも文庫で。これからの7年間の過ご
    し方を考える上での必読書だと思います。是非、読んでみて下さい。

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    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    「みんなの情報を均一にして、誰がいなくなっても代わりの者がす
    ぐに担当できること。それがすなわち完成されたシステムであり、
    システムとは人間同士のコミュニケーションなのです」(竹下亨)

    食堂を運営する日本ホテル協会は仕入れた食材に利益を上乗せしな
    かったし、全国の食品メーカーや善意の個人から寄付された大量の
    食材も調理に使った。つまり、一般のレストランでは考えられない
    上等な食事を安価に提供することができたのである。加えて、料理
    人たちは全員、ただ働きに近かった。

    料理関係者に限らず、東京大会の縁の下の力持ちになった人々は誰
    ひとりとして金銭的な見返りを期待していなかったのだ。

    東京オリンピックを経験し、料理人たちがもっとも変わったのは、
    調理のシステムを覚え、その後日常の仕事を効率的にしたことだろ
    う。

    東京オリンピックが開催されたのは、戦争が終わって19年目のこと
    だ。村上のような戦前の軍隊体験者は40代の働き盛りであり、ちょ
    うど社会を切り回す役目の年齢となっていた。彼らがとかく「お国
    のために」と言ったのは、オリンピックは久しぶりに国家に身をさ
    さげる思いで働くことができた場だったからだ。そして、彼らより
    はるかに若い人々はそうした年長者の気概を素直に受け止めて働い
    たのである。

    『オリンピックは人間の持っている夢のあらわれである』
    これは記録映画『東京オリンピック』の冒頭に映る言葉だ。

    デザイン室では、ひとつのものを仕上げるにも、仲間との議論が第
    一歩となる。そして、議論する場合、誤解が起きないように、用語
    を統一し、お互いの作業内容を知っていなくてはならない。自分の
    得意な技術のコツも公開しなくてはならない。そうやって、作業を
    標準化しなければ仕事が進まないからだ。デザイナーたちはそれま
    で経験していた職人仕事とは100%違う作業の進め方を覚えたので
    ある。

    ピクトグラムが標準化されたのは東京オリンピックが世界初であり、
    開発したのは日本のグラフィックデザイナーたちだ。

    ピクトグラムの制作は12人のグラフィックデザイナーが担当し、
    終えるまでに3ヶ月を要した。ひとりの担当が最後の1枚を描き上
    げた時、勝見は全担当者を呼び集め、「諸君、まことにありがとう」
    と丁寧に頭を下げた。その後、書類を配り、「みなさんのサインを
    下さい」と言ったのである。
    いったい、何のことかと福田が書類の中身を確かめたら、そこには
    「私が描いた絵文字の著作権は放棄します」と記されていた。そし
    て、とまどうグラフィックデザイナーたちに勝見ははっきり宣言し
    た。
    「あなたたちのやった仕事はすばらしい。しかし、それは社会に還
    元するべきものです。誰が描いたとしてもそれは、日本人の仕事な
    んです」

    彼らが大きな仕事を遂行するため、試行錯誤の上にたどりついたの
    がマニュアルとシステムを作ることだった。

    彼らは自分たちでマニュアルを作った。体当たりで仕事にぶつかり、
    悪戦苦闘したあげく、自分たちの体験を仲間に伝え、ミスが起こら
    ないようにしたのがマニュアルだ。自分の恥だと思って、抱えてき
    た失敗を他人に進んで公開することで、同じようなミスが起こるの
    を防いだのである。つまり、システムとは自分が知らせたくないこ
    とを他人に伝えることから設計が始まる。

    システムが日本社会に根づいてから経済はますます成長した。(…)
    一方で、「日本からは製品はやってくるけれど、日本人の目鼻立ち
    はわからない」という声が聞かれるようになった。統制された集団
    がシステムで働くようになった結果、日本人個人の顔を見えなくな
    ったのである。

    「もし、もう一度、東京でオリンピックをやるとしても、まさか墓
    地の移転はできないでしょう。墓地を移転させたってことは、東京
    が過去の歴史を自ら振り払ったことだと思います」(高峰秀子)


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    ●[2]編集後記

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    何だかやたら忙しいけれど、思うように成果の出ない日々が続いて
    います。焦ってもしょうがないけれど、年齢考えると色々焦ります。
    残された時間はもう無限ではない。40歳を過ぎると、それがリアル
    な実感に変わります。肉体の衰えも如実ですし。

    そんな悶々とした思いを抱えて深夜に帰宅することの多い今日この
    頃ですが、駅から家までの、街灯の乏しい暗い夜道を歩いていると、
    近所の農家さんの畑の前で、虫の声に包まれるのです。さすがに鳴
    き声に勢いはなくなってきたけれど、まだ相当の数の虫が鳴いてい
    ます。奥には、村の守り神がいる里山の、黒々とした影が見える。
    そういう場所があります。

    その場所を通るたび、いつもふっと心が軽くなって、また頑張ろう
    って気持ちが湧いてきます。虫に勇気をもらうというか。ああ、自
    分も虫にあわれを感じる年になったかと感慨深いですがw、複雑で
    多様な音色は本当に「脳に効く」感じで、凄く心地よくなるし、何
    よりも、今、この瞬間だけを生きている生命の必死さみたいなもの
    が伝わってきて、ちょっと感動するのです。東京にも虫はいますが、
    やはり田舎のほうが種類も数も断然多いですね。虫の音色を聞ける
    だけでも、引っ越した甲斐があったなと思います。

    そんなふうに思いながら舗装されていない道を踏んで家に帰ると、
    娘達の、これまた今だけを生きている人達の、屈託のない寝姿と寝
    顔が迎えてくれる。これにも力をもらいます。子どもの寝姿は、何
    というか神々しいですね。あぁ、美しいなと素直に思います。どん
    なに生意気で我が侭でも、寝姿を見ると、この人達と出会えて良か
    ったなと心から思い、感謝したくなります。朝になって、「キーキ
    ー」と猿みたいに癇癪起こしている彼・彼女らは、ほんとムカつき
    ますけどw。

    そんなこんなでもう10月。今年も残りわずかです。

  • 面白かった。

  • ・ロゴ、シンボルマーク含めて25万(当時)しかもらっていない。:亀倉

    ・ピクトグラムが標準化されたのは東京オリンピックが正解初。
     開発したのは日本のグラフィックデザイナー

    ・世界中でもケータイの絵文字をよく使うのは日本人。
     絵文字の元祖がピクトグラム

    ・亀倉は、運のある人だし、色や形や美しさよりも職人の技術を信頼し、
     職人の技術の上に君臨したデザイナー。絶対にできない仕事をやれる人間を
     見つけて現実にする。

    ・社会のシステムが若返ってないと、若さが貫徹しない。
     例えば本田宗一郎が独創的な方向を打ち出したとしても、それを理解し、
     金融マンの言語に翻訳し、それを評価する柔軟性をもった金融機関がなければ
     ならない。

    ・よき時代のよき日本というものが仮にあったとするなら、それは古くて悪しき ものとして退けれるようになった。その始まりがオリンピック。

    ・企業のコーポレートマークはその企業が輝いていれば、良いデザインにみえる。逆に倒産したり、事件にまきこまれたら、どれほどすぐれていても、デザインは色あせてしまう。価値を創っているのはグラフィックデザイナーだけではない。

    ・亀倉が作品を評価する基準は、「みんなが理解できるもの」で「ひとひらの 詩情とひとすじのドラマがある」もの。

  • 出張先の所沢駅前ドトールで読了。

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東京大会が決定した。開催日まではあとわずか。そして誰もが初めて体験する大仕事だった。あの栄光の十五日間を裏で支えた、まだ名も無き若者たちの知力を尽くした戦いの記録。十五年にわたる徹底取材。野地ノンフィクションの決定版。

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