- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784093881630
作品紹介・あらすじ
橋本武、98歳。昭和9年、旧制灘中学に赴任。戦後、1冊の文庫本『銀の匙』を3年かけて読みこむ授業を実践。公立高のすべり止めだった灘校を一躍、東大合格日本一へ導く。その後、『銀の匙』の生徒たちはニッポンのリーダーへ。伝説教師の言葉・人生からひもとく脱「ゆとり教育」への解答、そして21世紀に成功するための勉強法『スロウ・リーディング』の極意に迫る。
感想・レビュー・書評
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知的好奇心・探究心を引き立てながら同時に考える力をどう養うか?この大問題を灘校の国語の先生が1冊の文庫本を横道にそれながら3年間かけて読み込むという型破りなカリキュラムで解いてみせた。本書の随所に挿入された解説にはスローリーディングだのポートフォリオだの方法論としての分析が載せられているが、無名校を東大合格率日本一の学校にした奇跡を起こした本質は転校生にプリントを送り続けたエピソードや学校の校庭を畑に変えての野菜作りを通じて「手間をかけたものは本物」と確信した話などにあるように思う。つまりは確とした信念と情熱を持ち合わせたエチ先生だからこそ「銀の匙」を3年間かけて読み進めながら、横道にそれる過程で知的好奇心・探究心を引き立て考える力を生徒に植え付けることができたのであって、同じ方法を他の人がやったところでうまくいかないのではないか。実際同じ方法を実践したという話は聞かない。
知的好奇心・探究心と考える力を養うことの大切さは小学時の教育方法における日本と欧米、特に北欧などの「教育先進国」との違いを引き合いによく議論されていることであり、今になって新しく発見されたものではない。大切、大切と言い続けながらなぜ変われないのか?脱個性・均一化を助長する教育方針を押し付ける教育機関にも問題があるだろう。しかし一方で完全に自身の裁量で教育方法を編み出し実践できる、考える力と情熱をもった教育者が育たないことも問題であり、再び教育の問題に戻る。この負のループをどこかで断ち切らなければならない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
齋藤孝さんの銀の匙の話から。
銀の匙を読むにあたっての解説的なことがあるかなと思って図書館で借りたが、そういった記載はあまりない。
銀の匙だけを題材にした灘の国語授業、について特集した本。
●好きなことを徹底的に掘り下げることそれ自体が勉強である
●銀の匙を深く読むことで養う複眼思考(←これは某本のタイトルでもある)
●橋本武にとっての「銀の匙」を自分でみつけてみる
疑問→結果を出す(進学実績をあげる)ことが求められる状況で、いくら自信があったとしても、教科書完全無視の授業を30年続ける、というのは単に覚悟だけではできない気がした。その部分は本書には記されていない。 -
国語は学ぶ力の背骨
読書が好きな子は理解できない単語が出ても、乗り越えることができる -
ふむ
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灘中学において、3年間で一冊の文庫本「銀の匙」を読みとおすという授業を行った先生のお話。生徒の興味に応じて、どんどんと脱線し、凧を作るシーンがあったときには、実際に美術の先生にお願いして、凧をつくることまでやってしまう。ゆっくりと精読するスローリーディングを通して、生徒がいかに自分で考えることを学んだかがわかります。情報を短時間で得るための速読に注目が集まりがちですが、一つの本をじっくりと読むことも大切だと感じさせられました。
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中学の3年間の国語の授業を、1冊の文庫本だけで行うという先生の考え方、そして、その授業を受けた生徒の今を追ったノンフィクションである。
灘中・高は、各教科の担当が6年間変わらないらしく、当時の灘中生が皆この授業を受けた訳ではないそうな。面白いシステムだ。他にもいろいろ面白い先生がいそうなシステムだと思う。
途中語られる先生の想いにドキリとさせられる。スピードが大事なんじゃない。すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなる。子どもたちの好奇心を活かす、脱線こそ大事。壁を階段に。
先生もとても勇気のいることだったろう。そして、今でも、研究ノートを改良しているという、その前向きさ。凄すぎる。
ノートの写真なども見たかった。その辺りが残念。
[more]
(目次)
第1章 「追体験」が風を吹かせた
第2章 「エチ先生」以前
第3章 『銀の匙研究』ノート
第4章 主人公との往復書簡
第5章 横道こそが王道
第6章 『銀の匙』の子どもたちの快挙
第7章 見果てぬ夢 -
いいなぁ、うらやましいなぁ。こんな授業を受けてみたかった。そして我が子にも受けさせてみたかった。灘ってただただ頭脳明晰の子供たちの学校、ってイメージだけどたいていの私立がそうであるようにそうじゃない時期もあったんだ。敬愛する中島らも氏がここの卒業生であり、かわいそうなくらいに頭が良すぎるって著書を読んでいていつも思っていたけれど、ただただ頭でっかちじゃない、本当の天才だ!って思えるのはそうか~こんな学校ならさもありなん(氏はエチ先生の直教え子ではないと思われ)。そしてエチ先生だけでなく学校の先生がみんな好き勝手なように見えてその実確実に子供たちにほんものの学力が身につく工夫された授業をしている。たった数か月で転校していった生徒にその後の授業プリントを送り続けたというエピソードも「東大合格率全国一」を目指しているのではない、という思いが見て取れる。
原作者とも直に交流し考察を深めていったというのもなんという贅沢な授業であるかとため息であった。
そして、どんなにグローバル社会だ、英語くらいできなければ、と、外国語教育が声高に叫ばれたって、やっぱりやっぱり!「国語」が大切だと確信した。
難解そうだけど、「銀の匙」を読んでみようと思う。
読後しばらく余韻に浸りその「研究ノート」というものはいったいどんなものか見てみたくなり検索したところ、ヤ〇オクでン百万で出ていました。。。破格だけどぜひ本当に子供の未来を考える国語教師に落札していただきたいものだわ -
中勘助の『銀の匙』を中学3年間掛けて読み解く授業を、灘中学校で行なわれていたという話は聞いていました。しかしどのような形で授業が展開されているのか、全く想像もつかなかったのです。ここではその伝説の授業の一部始終を、授業を執り行なった橋本武先生(エチ先生)の生い立ちから丁寧にまとめられていました。
まず驚いたのは『銀の匙』を用いた授業というものがまだ若いエチ先生による起案であったということです。学校を上げてのプログラムだと思っていましたが、一教師のアイデアから始まっていたことに驚き、それを行なうことのできた灘校の自由な校風というものに感心しました。
ただ単に『銀の匙』を読み込んでいくだけに留まらず、そこに書かれていることから想起して横道に逸れる。それは語句の意味からの広がりであり、文中に現れる事柄を実際に体験することでもある。国語を学ぶ力の背骨だと言うエチ先生の言葉のように、国語という教科はその教科の範囲を超えて影響していく。人が生きるための力が国語によって養われるのだろう。横道こそが王道となるのである。
人は思考する時、他者の話を聞く時、自らの意見を発する時、どの時にも文章によってそれを成している。文章を理解し組み立てる力こそが生きる力となるのだろう。実際にエチ先生の授業を受けた人たちのその後に焦点を当て、取材をすることによってそのことを証明している。それは単に東大に合格した社会に於いて重要な地位に就いたというだけでなく、人として考え行動する根本となる力をエチ先生の授業で得たことが語られている。
インターネットの普及に伴って、人は調べること考えることが不得手になっていると感じています。答をポンと与えられること、それは調べることにも考えることでもない。自ら調べ考えまとめる。そんな力を得るにはどうすればいいのか。この本にはそのことを考えさせられるものが、たくさん詰まっていました。これを読んでこんな授業受けられたらよかったのになと羨んで終わるのでなく、これから進む一歩の指針となるような本でした。 -
『大物一点豪華主義』
という概念は
知っておいたらいいとおもう
ぼくはかなり重視して生きてて
たのしい -
久しぶりに良い本に出会った。読み物としてとても良かった。
一つの物語を自分の生活に結びつけて読むと、これほどの実りがあること。考えてみれば当たり前なのだけど、実践できているかと言われると難しい。
国語だからこそ言葉の意味を調べて分かることが大事だと思っていた。しかし、具体物を見るほうが分かるに決まっている。それで読みを深められたらそれは立派な国語の授業なのだ。
「国語力を高めたら他の教科の理解も深まる」ところは生徒にも紹介したいと思えた。
実践の一つに、後輩の国語科教員がやっている「表題をつける」試みと全く同じのがあった。あの行為にはこういう意味とか楽しさとかあるんだと知った。
ただ、彼の授業だと「楽しい!」までいけていない。その授業の生徒を見ていると、教員が認めた「正答」が出て来るまで何も書かない子も多いからだ。
機会あれば彼もその実践箇所だけでも読むといいと思う。取り組みは一緒でもやり方が微妙に違うから、授業改善のヒントになるだろう。