逆説の日本史テーマ編 英雄の興亡と歴史の道

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  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093883023

感想・レビュー・書評

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  • 今までの筆者の論点との相違なしですので、取っ掛かりによろしいかと存じます。

  • 現在も執筆中ですが「逆説の日本史シリーズ」で私にとっては馴染みの深い井沢氏による本です。偶然にも先週(2013.9)図書館で見つけました。

    この本は一つのテーマ「戦争・経済・政治・外交・文化」の切り口毎に、一人の武将がそのテーマにどのように取り組んだかについて解説されています。

    様々な時代に渡って有名な人・事件について書かれて楽しく読ませてもらいました。通史も良いのですが、この本のように切り口を絞って解説してくれる本も嬉しいものですね。

    以下は気になったポイントです。

    ・今川義元は上洛は考えていない、京に向かうためには近江、伊勢を通らなければならないが、そのあたりの大名に根回しした形跡がまるでない、美濃国を得た信長が南近江の六角を討ち、北近江の浅井と同盟したようなことが必要(p15)

    ・近代戦なら戦闘中に総司令官が戦死してもシステム化された軍は動けるが、戦国時代の総大将はオーナーなので、取られたら負け(p20)

    ・浅井長政は、3代将軍家光の外祖父なので、不名誉なことは書けない。姉川の戦いは長政の責任以外で負けたことにする必要があった(p23)

    ・軍の移動の速さを決めるポイントが「足軽の足」であることを秀吉ほど経験的に知っていた大将はいない、秀吉は足軽出身の唯一の大将(p30)

    ・柴田勝家が秀吉にやられた(中国大返し)のは、常識的な計算が通用しないほどの速さで秀吉が戻ってきたから、これは佐久間盛政も感じただろう(p34)

    ・佐久間盛政が突出したのは、盛政軍と本軍の勝家を繋ぐ位置にいた、前田利家が勝手に離脱したために、突出した形になった、そこに撃破されてやられた(p35)

    ・関ヶ原の戦いにおいて、徳川が島津に手が出せなかったのは、義弘以下の関ヶ原の奮戦つまり「退き口」が無事成功したから、兵員90%を戦死させても大将を維持できれば負けではないから。(p42)

    ・如水の野心を空振りにして、関ヶ原の戦いを1日で終わらせたのは、浅井長政が、本来、西軍につくべき福島正則を東軍にしたから(p49)

    ・もし騎馬軍団が大名軍団の中核部隊として運用され続けていたら、日本国中の大名が棒道(舗装された道)にしていたかもしれない、そうならなかったのは鉄砲隊(足軽)が中核となったから(p73)

    ・元は、日本において世界を席巻した騎馬軍団を全く使えなかった、一方、鎌倉武士は騎兵であり、このため辛うじて勝てた、日本の軍団は騎兵と歩兵の混成部隊で騎兵割合は上級武士のみであり1-2割程度(p78)

    ・信長は、最大のネックである人件費を、楽市楽座による商売・交易推進策で稼ぎ出した、他の大名は、領内の農民をタダで徴兵した(p89)

    ・信長が比叡山焼き討ちを行ったのは、従来の利権を守ろうとした寺社勢力が、「信長潰し」に回り、それを信長が逆につぶしたのが本当のところ(p90)

    ・信長以前の旧タイプの大物大名、武田信玄・上杉謙信・北条氏康・今川義元・毛利元就の全員に共通する持ち物は、金山・銀山である(p90)

    ・毛利元就が大内を倒すことで得た財源は、中国との貿易ルート、大内氏は「日本国王」と名乗って、明と貿易していた、また世界最大量の銀を産出していた石見銀山を得たのも大きかった(p92)

    ・楽市=フリーマーケット、楽座=モノの生産に対する許認可権の廃止(それまでは「座」というカルテル)、関所の撤廃=高速道路の無料化であった(p96)

    ・信長はなぜ本能寺が包囲するまで気が付かなかったかは、関所を全廃していたから、関所のもつ本来の監視機能もなくしていた、徳川家康はこれに学び、箱根に国境検問所として関所を築いたが、関銭は一切取らなかった(p98)

    ・道路財源の特定化は、2009まで運用されていた(p100)

    ・加藤清正が熊本で築いた堤防は、コンクリート製が水害で壊されたのを尻目に、いまでも機能しているものがある(p105)

    ・平安時代後期になると、紛争の解決手段としての戦争を一切放棄した、平和とは神聖であり、天皇も公家も武力を持つことをやめた(p110)

    ・室町時代は京の室町に本拠をおいたため、関東統治のために関東総督、副総督(関東公方・関東管領)であった(p119)

    ・信長の三男、信孝は神戸信孝と名乗っていたが、四国遠征が成功すれば、阿波国の名門三好氏の養子になることが決まっていた(p129)

    ・会津藩は京都守護職を押し付けられたが、本来は京都所司代がやるべき仕事であったが(p154)

    ・王政復古がなぜ維新になりえるかといえば、古代の日本には天皇が頂点にあるだけで、関白も大名も将軍もなく、一度日本の身分をリセットしたから(p160)

    ・イギリスは、4か国戦争の講和にて、関門海峡の入口にある彦島を租借しよう(香港のように)としたが、高杉晋作が断固断ったこと(p167)

    2013年9月29日作成

  • 足利尊氏:3人の幕府初代征夷大将軍の中で決定的な違いは、非常の決断力。
    武士の本場である関東でなく京都に政権の本拠を置いたのは、南朝の存在があったから。
    織田信長:金ヶ崎退却戦。織田軍の強いところは総大将の信長を必ず脱出させたこと。
    豊臣秀吉:中国大返しを成功させたのは秀吉軍の健脚。
    黒田官兵衛:野心を空振りに終わらせたのは、息子の長政の謀略。本来西軍に味方すべき福島正則を説得して味方にする大功をたてた。
    北条氏康:古河公方 足利晴氏、関東管領山内家上杉憲政、扇谷(オウギガヤツ)家上杉朝定の連合軍を河越夜戦で破る。憲政は越後に逃れる。
    上杉謙信:農民兵で大規模な軍事行動が出来るのは、4ヶ月強の農閑期だけ。
    毛利元就:真田クラスの土豪だった元就が大大名になれたのは、石見銀山を手にいれたから。
    徳川家康:大坂の陣では反対派一掃のため幸村らの大阪城入城を黙認した。
    日本の道路舗装率が極めて低いのは、秀吉の失敗で海外拡張路線を放棄した日本が、平和を第一とし科学技術を基本的に封印したから。
    上杉景勝:家康が死んだらどうにでもなると思っていたため、領地が四分の一に減らされても兵士の数は減らしてはならないと考えた
    坂本龍馬:薩長同盟成立の影に龍馬の健脚あり

  • 前書きによると、通常の逆説の日本史が歴史の流れをマクロ的に見ていくのに対し、このテーマ編の方はミクロ的な歴史の細部を見ていくという趣旨らしい。

    しかし個人的には、上記の趣旨とは反対に、通常の逆説の日本史に比べてあっさりしているというか、細部の話が逆に足りないのではないかと感じてしまった(250ページだがたったの2~3時間で読めてしまった。本物逆説の日本史なら絶対にありえない・・・)。

    特に今回は、「英雄の攻防と歴史の道」というサブタイトルのため、戦国武将に関する話が多いのだが、珍しい話は全くなく、また井沢氏特有の仮説が本書でも随所に述べられているのだが、それ自体は非常に興味惹かれるものであるものの、いかんせん短すぎるため、納得するだけの論考となっていない。

    うがった見方かもしれないが、たぶん本書は売るために無理やり「逆説の日本史」のタイトルを付けただけのものなのだろう。

    うーん商売とは言え、せっかくの「逆説の日本史」ブランドに傷をつけないでほしいな。

著者プロフィール

1954年、名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、TBSに入社。報道局在職中の80年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞。退社後、執筆活動に専念。独自の歴史観からテーマに斬り込む作品で多くのファンをつかむ。著書は『逆説の日本史』シリーズ(小学館)、『英傑の日本史』『動乱の日本史』シリーズ、『天皇の日本史』、『お金の日本史 和同開珎から渋沢栄一まで』『お金の日本史 近現代編』(いずれもKADOKAWA)など多数。

「2023年 『絶対に民主化しない中国の歴史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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