少年の名はジルベール

著者 :
  • 小学館
3.85
  • (52)
  • (71)
  • (58)
  • (8)
  • (2)
本棚登録 : 712
感想 : 96
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093884358

作品紹介・あらすじ

少女マンガで革命を起こした漫画家の半生記

少女マンガの黎明期を第一線の漫画家として駆け抜けた竹宮惠子の半生記。

石ノ森章太郎先生に憧れた郷里・徳島での少女時代。
高校時代にマンガ家デビューし、上京した時に待っていた、
出版社からの「缶詰」という極限状況。
後に大泉サロンと呼ばれる東京都練馬区大泉のアパートで
「少女マンガで革命を起こす!」と仲間と語り合った日々。
当時、まだタブー視されていた少年同士の恋愛を見事に描ききり、
現在のBL(ボーイズ・ラブ)の礎を築く大ヒット作品『風と木の詩』執筆秘話。
そして現在、京都精華大学学長として、
学生たちに教えている、クリエイターが大切にすべきこととは。
1970年代に『ファラオの墓』『地球(テラ)へ…』など
ベストセラーを連発した著者が、「創作するということ」を
余すことなく語った必読自伝。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 【感想】
    「一度きりの大泉の話」が大変面白く、こちらも続けて読破してしまった。

    本書と「一度きり」を読んで驚いたのは、両書とも、当時の生活感を余すことなく緻密に描写しているところである。
    芸術、漫画、旅、小説、映画、舞台……。自分が好きだったものに対して、ここまではっきりと記憶に残せるのかというぐらい、全てが克明に綴られている。サブカルチャーの最先端を走っていた少女たちの息づかいが聞こえてきそうで、「これが時代を作った少女漫画家の表現力か……」と感嘆してしまった。

    ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
    「少年の名はジルベール」は竹宮から見た大泉サロンの話であり、「一度きりの大泉の話」は萩尾から見た大泉サロンの話だ。
    2人から語られる当時の様子は当然異なっており、中でも大泉サロンを解散した際の経緯が最大の相違点である。

    簡単に言うと、前者は「竹宮が萩尾の才能に嫉妬したから」であり、後者は「萩尾の才能に嫉妬した竹宮が、強い言葉で萩尾を傷つけたから」となっている。

    お互いがお互いの書を補完する形となっているため、本書を読んだ後には、是非「一度きりの大泉の話」も手に取ってみてほしい。
    https://booklog.jp/users/suibyoalche/archives/1/4309029620
    ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

    【本書のまとめ】
    1 竹宮・増山・萩尾の出会い
    1970年当時、少年漫画は隆盛を極めており、少女漫画も同様に勢いにのるために、小学館が少女雑誌づくりに奔走していた。そこで声がかかった竹宮は、「週刊少女コミック」で連載を始める。

    竹宮は同じ少女漫画家である萩尾と意気投合する。萩尾は、同世代の文通相手だった増山の家に泊まっており、竹宮も増山と交友を深める。

    増山は小さいころから音楽をやらされていたが、音楽漬けの人生に嫌気がさし、漫画、映画、小説など多ジャンルにのめり込んでいく。その知識量は相当なものだった。

    増山は言う。「今の少女マンガって、いまひとつ面白いとは言えないんじゃない?厚みがないというかね、本当にあんなものを読者が読みたいと思っているんだろうか」。増山は少女マンガの現状を憂いていたのだ。
    奇しくも時代は安保闘争の真っ只中。竹宮と増山は、少女マンガで「革命」を起こそうと考えるようになる。

    増山は少年愛を好んでいた。竹宮もその影響を受け、ときには電話で8時間あまり夢中で話し続けた。こういう環境にいながら描いていけたらいいなと、そのとき心から思ったのだった。
    人との接触は漫画の生命力である。竹宮はアパートを借りて一緒に住むべく、萩尾と増山に声をかけた。


    2 大泉サロンの誕生
    大泉での生活は1970年10月から始まる。
    竹宮は萩尾と一緒にアパート暮らしを始める。アパートの向かいには増山の実家があり、3人はいつも一緒に行動していた。

    大泉での生活は、増山が旗振りをして、それに竹宮と萩尾がついていく、という構図である。増山は「一流」を欲しがっていた。音楽、映画、美術…いち早く話題の作品を見つけては、2人に熱意を持って勧めていた。
    そして何より、増山は2人の漫画の才能を「一流」だと確信していたのだ。

    増山は、2人に手紙を送ってくるファンを峻別し、大泉サロンに泊めていた。大泉サロンには入れ代わり立ち代わり、色々な漫画家が居候し、お互いの原稿のアシスタントになっていた。ささやななえこ、山田ミネコ、城章子、山岸凉子など、俗にいう「24年組」が大泉の長屋で漫画を描いていたのだ。

    締め切りに追われながら原稿を描き、漫画の技法について語らい、ときには少女マンガ界の現状を徹夜で議論する。アパートには時代の最先端を行く者たちの熱気が満ちていた。

    当時はとにかく「少女マンガとはこれ」というパターンが決まりきっていたのだ。大きな目、カールした髪、決まりきったストーリー。それは編集者が古い価値観に縛られ、変化を嫌った結果である。竹宮と増山はこの現状を、「少年愛を描くこと」で打破したいと考えていたのだ。

    しかしながらその野望は思うように叶わない。竹宮は編集部から原稿を落とされ続け、スランプに陥っていた。
    対する萩尾は着実に結果を残していく。講談社から小学館に舞台を移した萩尾は、別冊少女コミック(本誌より自由度が高い)で毎月確実に16-40ページを確保し、淡々と戦略的な作家活動を始めていた。


    3 風と木の詩
    竹宮は何度跳ねのけられても少年同士の恋愛を描きたいという思いを捨てきれず、暴挙に及ぶ。予告と全く違う漫画――少年が少年に命を賭して愛を告白する物語を、編集部に断りもなく差し替えたのだ。
    担当編集者のYは当然怒り狂ったが、代わりの漫画も時間もなく、そのまま載せざるをえなかった。こうして無理やりながらも世界初の少年愛漫画が世に出たのであった。

    この漫画に読者は強い反応を示した。
    「そういうことを見てみたい」という読者は、想像以上に多かったのだ。当時はどこの出版社でも王道の可愛らしい少女マンガが重要で、その種の漫画は絶対にやらせてもらえなかったのだ。


    4 萩尾への嫉妬
    その後も描きたいものを描いてくる竹宮に対して、担当編集者のYはごちた。「萩尾はさあ、やりようがあるんだよ。何を描いてきても。でもお前はなあ…」

    Yが直接仕切る「別冊少女コミック」では、「何ページであろうと、萩尾には自由に描かせる」という方針になっていた。別冊は竹宮のいた本誌とは違って月刊だったことも、萩尾がのびのびと描けた一因である。その自由な漫画に、竹宮はジェラシーを感じたのだ。

    萩尾は、傍から見ても絵を描くのに迷いがないと思えたし、それぐらい素直に描いている様子だった。
    話の作り方、演出方法に関しても、竹宮自身はすごくオーソドックスなタイプだが、萩尾の場合は意外な切り口で描く。映画的な表現と漫画的な表現の重なりなど、自分の作品にはない新しさを持っていた。

    「私の表現はもう彼女のように新しくない……。あれほど反発していた古い型に、自分も陥ろうとしている……」
    「大泉サロン」は竹宮にとって、文化的に豊かな場所であると同時に、自身の表現への不安を日々意識させられるという、精神的にきつい場所にもなっていた。


    5 決別
    欧州旅行から帰ってきた後も、竹宮はスランプ中。懸命に面白くしようと努力するのだが、肝心の自分自身がその出来上がりを認めていない。
    かたや萩尾は「ポーの一族」シリーズを着々と刊行し、マンガ関係者や文芸評論家にも高く評価されていた。

    そして、大泉長屋の契約更改のタイミングで、萩尾との同居を解消することを決意する。大きな才能に置いていかれそうな不安を、これ以上感じていたくなかったのだ。

    しかし、結局みんなして下井草周辺に住むことになった。ひとつ屋根の下にいないだけで、サロンの雰囲気は継続である。

    脳裏に萩尾の存在がちらつく。萩尾から開放されたい……。

    どうしようもなくなった竹宮は萩尾に手紙を出す。
    「距離を置きたい」と。
    それは「大泉サロン」が本当に終わりになることを意味していた。


    6 新担当
    チャンスがめぐってきたのは新担当についたM氏のもとであった。読者アンケートで1位を取れば、人生を賭けてでも描きたかった少年愛漫画――「風と木の詩」を載せてくれると約束したのだ。

    そこから竹宮は、自分が書きたい漫画ではなく、「売れる漫画」を書くことに方針転換する。担当のM氏と一緒に暮らす増山の力添えもあり、再び自分自身で物語をコントロールできることの喜びを知った。こうして連載された「ファラオの墓」は、結果として1位は取れなかった(最高2位)が、「風と木の詩」の連載は認められた。

    1976年に連載開始された「風と木の詩」は、第25回(昭和54年度)小学館漫画賞を受賞したのであった。

  • 24年組ファンとしては神様ばかりが登場する眩しさで目が潰れんほどの才能咲き乱れる現場のお話で、ありがた過ぎて泣きながら一気に読んでしまった。

    増山法恵になりた過ぎる。(正直な告白)
    私はこういう人間になりたかったのよ。
    中途半端なただの漫画好きにしかなれなかったけど。


    増山さんの存在感が半端ない。竹宮さんが彼女に出会い飛躍的に世界を広げていく様子や、打てば響くやまないおしゃべり、ジルベールを見つけた夜に電話で次々に話を創り上げていく場面、高揚感と興奮がよく伝わってきた。

    当時はまだまだ男社会で少女漫画も産まれたてで表現の規制もあって、という中で女性作家達は自分達の自由な権利を獲得すべく奮闘していくわけだけど、その反面こんなはねっかえりの娘におじさん達は随分と優しいんだなぁと思ったりした(笑)女がどうとかは置いておいて、才能に対しては敬意と矜持を持って仕事をされてたんだろうな、とYさんの話なんかを読んで思ったりした。

    『風と木の歌』の連載を勝ち取るためにアンケート1位を取る、という話は他のインタビューで読んでいたけれど、それまでの制作過程にこれほど増山さんが深く関わっていたとは知らなかった。

    リアルタイムの読者ではないので『風と木の歌』の完成度の高さが作者の印象になっているけど、そこに至るまでの手探りの葛藤ぶりにまた別の感動を覚えた。

    受け手と創り手で作品を鑑賞するポイントが全く違う、という話も大変具体的で興味深い。
    ヨーロッパ旅行の増山さんには特にシンパシーを感じた。

    そしてやはり萩尾望都は別格なのだなぁと。
    萩尾先生に対する感情がとても率直に述べられていて涙腺に来たけど、大きな才能の近くにいることの幸せと焦燥はほんとに凡人が想像するよりキツいものなんだろう。

    アンケート1位を取るぞ!の下りはまさにバクマン。圧倒的才能(萩尾望都)を前に挑む竹宮さんと増山さん。
    増山さんも凄いよな。美の信奉者で、確かな審美眼を持っていて目の前には煌めく才能が溢れてるわけで、自分も、という業はあったと思う。少女漫画に革命を起こすという強い志を持っていたとしても、端から見ても自分としてもよく分かんないポジションで自分を定義してくれるものがない状況で自らの全てを竹宮さんの作品に捧げるって、言うのは簡単だけど、誰にでも出来ることじゃない。
    そして増山さんには実際捧げるだけの潤沢な中身があった。
    その結果としての作品を享受することの出来た私は本当にありがとうございますとしか言いようがない。

  •  すでに各所で評判になっている、少女マンガの大御所による自伝である。

     手に取った瞬間、「意外に薄いな」と思った。いまどきの単行本としては平均的な分量(240ページ)だが、竹宮惠子のキャリアからしたら、いくらでも重厚な自伝にできるはずだからだ。

     だがそれは、20歳での上京(マンガ家デビューは17歳)からの約7年間に的を絞ったがゆえの薄さである。それ以前の人生も、30代以降の人生も、サラリと触れられるのみ。上京から代表作『風と木の詩』の連載開始までの、人生でいちばんドラマティックな期間に照準が定められ、残りはバッサリと切り捨てられている。

     また、その間の出来事の中でも、伝説の「大泉サロン」でのエピソードにウエートが置かれている。
     ともに新人マンガ家であった竹宮惠子と萩尾望都が同居し、山岸凉子、佐藤史生、坂田靖子らが集い、「24年組」の拠点となったアパート。「女性版トキワ荘」ともいわれるマンガ史のレジェンド。その舞台裏を、最大の当事者である竹宮惠子が綴るのだから、面白くないはずがない。

     これは少女マンガ史の貴重な資料であり、普遍的な「表現者の青春物語」でもある。とくに胸を打つのは、ライバルであり親友でもあった萩尾望都の才能への嫉妬に苦しんだことを、竹宮が赤裸々に明かしている点だ。

     萩尾望都は表現者としてつねに竹宮の一歩先を歩み、竹宮は劣等感と焦燥感を感じつづける。そして、ついには大泉サロンから出て行くことを決意する。
     伝説の大泉サロンを終焉させたのは、竹宮惠子の萩尾望都に対する嫉妬であったのだ。そのことに、萩尾は気付いていたのか、いなかったのか……。

    《私が実はもう下井草(東京都杉並区)に部屋を見つけていることを話すと、萩尾さんも「じゃあ、私も近くにしようかな」と言った。「それはいやだ」という言葉が頭をかすめる。萩尾さんが遊びに来れば、また焦りや引け目を感じるに決まっている。本音が言えないまま、「うん、そうだね」。私にはことが運んでいくのをどうしようもなかった。》

     なんとも切ない話である。
     萩尾望都が天才であるように、竹宮惠子もまた天才であり、だからこそ嫉妬が生まれた。はなから手が届かないほど才能の懸隔があったなら、嫉妬など感じもしなかっただろう。

     だが、その苦しみをバネとした竹宮の懸命の努力が、やがて『風と木の詩』による「少女マンガの革命」として結実する。その意味で、萩尾との共同生活は、竹宮が才能を開花させるために不可欠な“イニシエーション(通過儀礼)”でもあったのだろう。

     表現者としての苦悩と葛藤、そして歓喜が、丹念に書き込まれた第一級の自伝。マンガ好きのみならず、すべての分野のクリエイターおよび志望者に一読を勧めたい。

  • 初めて読んだときは、「風と木の詩」が世に出るまでの裏話としてこんな苦労や葛藤があったのかと思いながら、それでも「風木」のその後の評価を知っているだけに、安心して楽しく読み進められた。

    特に、同世代の有望な若手漫画家が集った大泉サロンの描写は、萩尾望都や山岸凉子が登場し、ファンから見るととてもドラマティックで魅力的で、そこだけを切りとって美化する企画が出るのも無理はない、と思っていた。

    ただ、萩尾望都の「一度きりの大泉の話」を読んだあとに再読すると、大泉時代に対する2人のあまりの温度差に、本書もまた違った味わいになった。

    大泉サロンを、若かりし頃の大切な思い出として懐古しているのは、竹宮サイドだけなんだな、と。

  • 萩尾望都の大泉本から二日置いての読了。
    これまた胃が痛い程赤裸々に、作家としての志、もがきが語られている。萩尾望都の大泉本で書かれていたのと同じできごとも、竹宮惠子視点だとこうなのか、と。
    小学館Y氏から作家二人同居について反対されたくだりが二度出てくるんですよね。うう。
    マンガ論としても秀逸で「アーティストインプレッション」に目から鱗。

  • 少女漫画の世界に「少年愛」を持ち込んだ革命児・竹宮惠子先生の自伝。プロの漫画家として上京してから「風と木の詩」の連載が始まるまでの7~8年の出来事が詳細につづられている。短期間ではあるが大泉で同居した彼女の最大のライバル・萩尾望都先生や、彼女のプロデューサー的な存在であり戦友(?)でもあった増山法恵氏との出会い、この3名に山岸凉子先生を加えた4人で出かけた40日間のヨーロッパ旅行、そしてジルベールと風木の設定が出来上がった深夜の8時間の電話などを活写している点は、今後、少女漫画の歴史を紐解く上で重要な参考文献となるであろう。

  • これは…素晴らしく面白かった。私は年代的にリアルタイムでは竹宮恵子さんのマンガは読んでなくて、後追いで、竹宮恵子さん、萩尾望都さんを読んだ部類ではありますが、あの当時、こんな事情があったのか!と面白くて面白くて。有名な漫画家さんが次々と出てくるので、少女漫画が好きな人はもちろん楽しめますが、そうでなくても、ジェンダーとか、プロフェッショナルな仕事とは何か、とか、そういう観点で読んでも面白いと思う。また、創作者としての苦しみ、他の作家への憧れと同時に起こる焦り、葛藤みたいなものも、すごくよく分かります。その中での、少女漫画を変えたきっかけを生む「風と木の詩」誕生は本当に胸が熱くなる。この、波乱万丈の、ドラマたるや。私が今、色んなタイプの少女漫画を楽しめてるのは、こういう方々の努力の上に成り立ってるんだなあ。
    最後、そういった漫画家活動を支えて来た人たちへの思いが丁寧に語られていて、しみじみと感動がこみ上げて来ております。何かを成し遂げた人というのは、本当に周囲の人たちも素晴らしい。たかが漫画というなかれ。そこには、いいものを創りたい、という熱い気持ちがこめられているのです。確かに受けとりました!

  • 少女漫画のトキワ荘「大泉サロン」。トキワ荘に比べると、その本人によって語られることはあまりなかったように思う。トキワ荘も激動の時代ではあったと思うけれど、大泉サロンの時代は「漫画」自体は確立される中で「少女漫画」を切り開いていく、社会としても人間としても苦しみの多い時代だったのではないか。
    その中でもやっぱり「萩尾望都」と「竹宮惠子」の関係性は、ずば抜けて苦しくて深い。そこに「増山法恵」という特殊で重要な人物がキーパーソンとしてガッチリと絡み、なんと残酷で美しい奇跡があったのだろう。
    何故これほどまでにと思うようなエネルギーとそのぶつかり合いがなければ、長い年月を経てもなお残るものにはならないのだろうなと。
    時は流れ、今は穏やかな大河のような先生方も、時には妬み苦しむ一人の人間であり、その一人の人間が生み出したものが受け継がれ、しかしまだそのエネルギーは枯渇していないというのがまた凄い。いやあもう凄い。

  •  1970年代前半、「大泉サロン」の時代を中心にした数年間の回顧録。良く知られたエピソードもあるが、竹宮恵子さんは、自分の内面まで冷静に分析、整理して文章化しており、流石に大学教授、学長まで勤められ人物なのだと納得する。個々の竹宮作品の位置づけもよくわかる。
     それにしても、大泉サロンの中心メンバーである萩尾望都さんと増山法恵さんという天才、異才、お二人との出会いが少女漫画の世界に革命をもたらしたのだと改めて実感する。

  • うーん、そうだったのか…。少女マンガのオールドファンとしては、複雑な感慨に浸らされることがいくつも書かれている。

    その一。「大泉サロン」の実態がそんなボロ家だったとは。赤裸々に書かれる暮らしぶりに驚いた。みなさん若かったのだなあ。

    その二。萩尾望都先生に対する思いが、そこまで書くの?と思うほど率直に綴られていて、ちょっととまどう。そのずば抜けた才能に打ちのめされ、近くにいることで心のバランスを崩すほどだったとか。表現者というのは厳しいものだなあとあらためて思う。

    その三。「風と木の詩」が世に出るまでに、これほどの壁があったのか。少女マンガが多様な表現の場として花開くには、多くの人の苦闘があったのだと思い知らされる。ただただ楽しく百花繚乱の作品を享受していたあの頃の読者は、幸せものだったんだなあ。

全96件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1950年、徳島市に生まれる。徳島大学教育学部中退。68年『リンゴの罪』でデビュー。70年、雑誌連載をきっかけに上京。以後、SF、同性愛、音楽、歴史などを題材に多彩な執筆活動を展開。80年、『風と木の詩(うた)』『地球(テラ)へ…』により第25回小学館漫画賞を受賞。主な作品に『ファラオの墓』『イズァローン伝説』『私を月まで連れてって!』『紅にほふ』『天馬の血族』『マンガ日本の古典 吾妻鏡』などがある。京都精華大学にて2000年~教授就任。14年~18年学長。2014年紫綬褒章受章。

「2021年 『扉はひらく いくたびも 時代の証言者』 で使われていた紹介文から引用しています。」

竹宮惠子の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
中村 明日美子
中村 明日美子
中村明日美子
恩田 陸
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×