日本逆植民地計画

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  • 小学館
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感想 : 3
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093884624

感想・レビュー・書評

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  • 201605/
    経済の専門家は、データやモデルをいじくるばかりで、未来を語ることを忘れている。政治のプロは、将来のビジョンを語るパワーを失っている。人びとは、ソーシャルメディアのじょうほうの洪水に溺れている。データや情報は、過去に何が起こったかを教えるだけの、足かせになっている。専門知識は、これまでのパターンに思考を閉じ込める、思考停止の言い訳になっている。誰もが、自分の目で未来を見ることをができるのを忘れている。いま必要なのは、これからこうしたい、こうすべきだ、という構想である。提案である。勇気である。/
    アップルのスティーブ・ジョブスが、マーケティングなんか、私は関心ないとのべた。マーケティングは、消費者に「いま、何が欲しいですか」と質問して、売れそうな商品をつくること。消費者に質問して、それを追いかける時点で、時代に遅れている。ほんとうに新しいアイディアは、消費者も気がつかない、その先にある。それをあなたは、まず考えなさい。そう、言いたかったのではないか。/
    外国人労働者受け入れ積極派と、受け入れ慎重派。この論争は、いまのかたちでいくら議論しても、決着がつかないと思う。それは、積極派も慎重派も、日本の経済や社会についてのプラス、マイナスばかり議論していて、日本にやってくる外国人の、当事者の立場にたっていないからだ。/
    日本はとてもまずいことになっている。経済が落ち込んだせいだと、人びとは思っている。わたしの見方は違う。それは、経済以外のことを考える力が、衰えたせいである。江戸時代の日本人は真剣に、政治や道徳や国防のことを考えた。明治になってもその伝統が残っていた。けれども戦後、人びとは、そういうことは後回しでよい。経済のことばかり考えて何がわるい、と居直るようになった。その結果、外交や軍事が苦手になった。政治が稚拙になった。哲学ができなくなった。言論で他者とぶつかりあい、言葉で公共の場を組み立てることが出来なくなった。経済がどこへ向かうべきか、言葉で提案し、ビジョンを共有できなければ、日本は足踏みを続けるほかはない。経済が落ち込んでいるだけではない。もっと不快ところで、日本社会は深刻な病気になっているのである。この病気が、すぐよくなる特効薬はない。一歩一歩、足慣らしをして、前に進むしかない。

著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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