ネグレクト: 育児放棄 真奈ちゃんはなぜ死んだか

著者 :
  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784093895842

作品紹介・あらすじ

3歳の女児は段ボール箱でミイラのように餓死していた。2000年12月10日、愛知県名古屋市近郊のベッドタウンで、3歳になったばかりの女の子が20日近くも段ボールの中に入れられたまま、ほとんど食事も与えられずにミイラのような状態で亡くなった。両親はともに21歳、十代で親になった茶髪の夫婦だった。なぜ、両親は女の子を死に至らしめたのか、女の子はなぜ救い出されなかったのか。3年半を超える取材を通じてその深層に迫った衝撃の事件のルポルタージュ。第11回小学館ノンフィクション大賞受賞。

感想・レビュー・書評

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  • 2000年に愛知県で起きた、3歳の少女が段ボールに入れられ遺体で見つかったという虐待事件のルポ。

    現在でこそ、児童虐待は大きく取り上げられ世間の注目も集まり、病院や学校のみならず、一般人でも自分の周りでその疑いを感じられる案件を見かけたら通報しようという気運が高まっているが、この事件が起きるまでは、そもそも児童虐待という言葉もそれほど知られていなかったという。
    このセンセーショナルな事件をきっかけに大きく注目を集めるようになったわけだが、確かに、冒頭で描かれている発見時の遺体の悲惨さは、およそ現実のこととは信じられない、信じたくない、こんな非道な仕打ちを実の子供にできる親が、この世に存在するものなのだろうかと恐ろしくなるほどである。

    そこだけに目を向ければ当然、加害者となった保護者への憤りは誰しもが強く感じるだろうし、厳罰を求めたくなるのも無理はない。
    ただ、このような虐待事件の難しいところは、加害者を厳罰に処すれば解決するという類のものではないというところだ。

    多くの場合、その加害者自身が被虐待児であったなど生育環境に問題を抱えており、そしてそれは世代を跨いで連鎖していることがほとんどだ。さらに悪いことに、数十年前に比べ、核家族化、プライバシー偏重主義などで家庭が社会から孤立しているという状態は顕著であり、そのことが虐待の増加、潜在化を促進してしまっている。

    加害者の処罰を叫ぶのは簡単だ。だが本当に虐待を無くしたいなら、今もその負の連鎖の中で苦しむ人への、ループを断ち切って抜け出させる支援が絶対不可欠なのだ。
    不幸な生育環境にあっても適切な援助を受けることができたおかげで、その虐待のループから抜け出せている人も少なからずいるのだ。

    家庭が孤立しがちな現代、子育てが孤立しない、社会で手を差し伸べることができる仕組みを作って、虐待で命を落とす子供を減らしていかなければ。

  • 「ゆさぶられっこ症候群」によりしょうがいが残った疑いのある娘を どうしても愛することができなくなった両親。
    ほどなく授かった息子が順調に育つのを見るにつけ、娘のありのままの 姿を受け入れることができず、次第に育児放棄へと陥っていく様子を 時系列を追って生々しく描いている。
    実際に起こった事件に基づくノンフィクション。
    どうしてこのような事件が起こってしまうのだろう、という やりきれない気持ちと同時に 「自分も本質的にはこの母親と大して変わらないのではないか」と思ったのを覚えている。
    「子どもは社会が育てるもの」という認識が広く一般的になって欲しいと思うのは過度な期待なのだろうか。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「過度な期待なのだろうか。」
      そうあるべき筈なのですが、国(政治家)の考え方が、税金を払いたがらない金持ちを優遇(甘い汁を吸わせて貰ってい...
      「過度な期待なのだろうか。」
      そうあるべき筈なのですが、国(政治家)の考え方が、税金を払いたがらない金持ちを優遇(甘い汁を吸わせて貰っている)しているから、無理でしょうね。
      地域で小さなコミュニティでも立ち上げない限り。。。
      2014/04/03
  • 我が子を段ボールに入れて餓死させてしまった若い夫婦のネグレクト事件のドキュメント。
    父と母の生い立ちからその父母、そのまた父母の生い立ちも遡って取材されている。
    いろんな要素が絡まるが、一つ大きな柱なのは、虐待ネグレクトは連鎖する。のではないかという事。

    餓死させてしまったまでの過程も取材で書かれていて非常に衝撃的。なぜそんな事になったのか…虐待かも?と分かっていても踏み込む線引きが難しいと言う現実も現状である。虐待死のニュースを多く聞く昨今、私たちは虐待かも?と思った時どうしたら良いのか考えるきっかけになった。
    読んでてつらくなるけれど、多くの人に読んで考えてもらいたいと思う。
    真奈ちゃんのご冥福をお祈りします。

  • 読み終わってもなお「真奈ちゃんはなぜ死んだか」と思わせる内容。

    段ボールに20日近く入れられて死亡とあったので、私はただただ段ボールに20日入れて、ご飯も与えずに殺したのかと思っていた。
    しかし、段ボールに入れながらもご飯は与えていた。

    読んでいけば、真奈ちゃんはいろんな人の手と目がありつつ、餓死となっている。
    読んでいけども読んでいけども、なんでそうなったのか。

    問題は親との確執と、父親の無関心さ、障害のある真奈ちゃんへのかかわり方かと思った。

    大抵行政は「親の援助があったら大丈夫」「実家暮らしなら安心」と、状況だけで判断しがちである。
    その親子関係までは踏み込まない。

    下田市嬰児連続殺害事件でも、同居する親や親戚が働いたお金をむしり取っていた。
    そんな状況で何が「大丈夫」「安心」なのだろうか。

    私も離婚して親と暮らしているが、良好な関係とはいいがたい。
    離婚してからアパートを借りようとしたが、両親から「一人で育てるのは大変だ」と言うことで同居に至った。
    何故なら、母も一時期シングルマザーだったため、大変さがわかっていたのだ。
    金銭的な苦労はなかったが、子育てに関しての衝突は今でもあるし、母親失格と言われることもしばし。

    真奈ちゃんの母親もまた、義母をよく思っていなかった。
    義母が真奈ちゃんを預かるのは義母の都合次第。
    そこに不信感を抱いていた。

    また、父親は真奈ちゃんが障害があるとわかってから無関心になっていった。

    母親は真奈ちゃんがほかのこと同じにできない劣等感から、買い物依存症。
    食事は自らも食べたり食べなかったり。
    子ども二人も同じように、菓子パンやお菓子。
    到底栄養が足りていたとは思えない。

    しかしながら、私も真奈ちゃんの母親と同じようなことをしていたかもしれないという思いは拭えない。

    私はたまたま、両親に引き留められて実家にいる。
    金の無心はされないし、正社員で働いてるために保育園のお迎えに行ってくれたりと、協力的である。

    保育園に行きだしてから「ご飯を自分で食べない」「ほかのこと遊ばない」と指摘を受けて、支援センターに通うようになった。
    正直、その前の9か月ごろから私は障害を疑っていた。
    それでもいざ現実を突きつけられると私は現実逃避をした。
    一時期仕事を理由に帰宅は21時や22時。
    仕事終わりに友人宅に行っていた。
    子どもの障害を受け入れられたのは子どもが3歳8か月になってから。
    それまでは泣いていた。
    真奈ちゃんの母親のように「なんで周りと同じにできないのか」「恥ずかしい」という劣等感があった。

    同級生のママ友と遊ぶこともあったが、私の子よりも下の子がしっかりしていたり、しゃべったりするのを見るのはつらかった。
    暴れん坊将軍具合を相談したところで「うちもそうよ」と言われるばかりで、私の胸の内を聞いてくれる人はいなかった。
    抱え込むしかなかった。

    それでも支援センターの幼稚園に入れることになってから子どもは急成長し、私の心は安定した。

    私の場合、仕事をしていて四六時中子どもと一緒にいるわけでもなく、保育園や支援センター、仕事を理由にしていたけれど、時たま正直に「友人の家に寄って帰る」というのを承諾した両親が協力してくれたおかげでネグレクトを防げたのだと思う。

    真奈ちゃんはご飯を与えられてはいたけれど、母親の愛情が真奈ちゃんに向いていないことからご飯は食べなかった。
    愛情がなければご飯すら子どもは食べれないというはこの本で知った。

    全体を通して思うが、真奈ちゃんはほかの虐待と違って、いろんな人の手と目があった。
    障害があったことで、餓死の結末になってしまった。
    もし、真奈ちゃんが私の子と同じように保育園に通ってさえいれば、正しい支援が受けれたのではないかと思う。

    単に○歳児検診で言われただけでは、正直否定したくなる親の気持ちはわかる。
    私もそうだった。
    障害があるだろうと9か月で母親のカンとしてわかってはいたが、それを直接他人から言われると、かなりショックを受ける。
    そこで具体的な支援があるわけではない。
    「困っていることはないですか?」「気になることは?」
    それに応えても「そうですか」「じゃあ○○を紹介しますね」おしまいである。
    その人が直接私の胸の内を聞いてくれるわけではない。

    それが繰り返され「一体私はどこにこの胸の内を明かせばいいのか。次の人か?次の人か?」と、だれを頼ればいいかわからなくなった。
    そして、結局は誰にも胸の内を明かすことはなかった。
    それでも我が子が生きているのは、保育園と支援センターが繋がっていて、手厚い支援が受けれたことと、親と同居していたことに過ぎない。

    そうでなければ私も真奈ちゃんの母親と同じ末路をたどっていたかもしれない。

    真奈ちゃんの母親が「保健師が家に来るのが鬱陶しい」と思っていたともあったが、私も正直「なぜ家庭訪問に来るのか」疑問で仕方なかった。
    仕事をしている以上、平日に休みを取らなければならない。
    その理由がわかったのが、虐待の疑いがある家は大抵散らかっている。ごみ屋敷同然で、台所にはキッチン用具がないなどの傾向がある。それを発見するため。

    それがわかってからは家庭訪問に対して寛容になった。
    家庭訪問に来る保健師や先生は大抵”仕事をしている親”であるから、この家の散らかりようが果たして”ネグレクトから来るもの”なのか、”仕事をしているうえで仕方のない散らかりよう”なのかはわかるはずだ。

  • とてもキツイ内容だった。
    子育ては母親だけでなく、知識はもちろん、周囲の助けが必要。それが理解できさえいれば、助かる命もあったのではと思えるが、やるせなさだけ残った。

  • ネグレクトは遺伝する。自分の親のようになりたくない、と思ってる子は大抵、親と同じような人生を歩み、結果過ちを犯してしまう。いいかげん気づこうや。

  • 支援側の仕事をしている身としては、こういう家庭にどう関わりを持っていけばよかったのか、どんな支援があればこの子は死なずにすんだのか、読んでいる間ずっと身につまされる思いでした。子どもを愛情を持って育てることがどんなに大切か、その子の子ども、そのまた子どもにまでずっと連鎖していく親子関係を思うと気が遠くなります。他人事じゃないです。

  • 再読ですが引きこまれて読んだ。

  • よく報道される虐待について、その後の報道や
    その経緯についてなかなか知る機会がなく興味もあったので読んでみた本

    この本を読んでみて・・・
    最後に残ったのは怒り、と言うかやるせない気持ち。

    無残な死に方をしていった真奈ちゃんの死を両親が
    確認した場面では切なすぎて涙が出た。
    気付かないならまだしも最後の力を振り絞って泣いていた子供を放置した親って・・・

    両親ともの生育環境要因も理解できなくはないが
    控訴理由した事で身勝手な印象が残り
    数年後にまた子供と暮らすのかと思うと更生を願うしかない。

    出来れば一生こどもを養育できない刑にしたい、が本心。 やった事の責任をまったく理解できていない印象の残る事件でした。

  • 毎日のようにニュースになる幼児虐待。
    何故そこまで?
    と思うけど、
    実際自分が子育てしていた頃を思い出すと、
    たしかに日々思い通りにならなくて
    イライラしたり、時にはどなったり、
    叱る、じゃなくて怒りを覚えることも確かにあって…
    だけど、普通は可愛さが上回り、愛情があり、
    夫婦の助け合いがあり、日々の成長に救われるはず。
    その普通からちょっとずつ離れて、
    気づいたらだいぶ普通じゃなくなってた感じかなぁ。
    ネグレクトは特に、悪意のない悪意というか、
    子育てはひとりではできない。

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