総理の資質とは何か: 崩壊する小泉改革 (小学館文庫 R さ- 17-1)
- 小学館 (2002年5月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094027365
感想・レビュー・書評
-
(2012.12.09読了)(2008.02.11購入)
【12月のテーマ・[政治を読む]その①】
副題「崩壊する小泉改革」
政治・経済というのは、学生時代から苦手でした。とはいえ、自分の生活に関わることでもあるので、避けてばかりもいられません。少しずつでも、関連する本を読んでいきましょう。
この本は、小泉内閣を例にとって、総理とは何をしないといけないかを考えようとしたものです。また、小泉さんのいっていた「構造改革」とは、なんだったのかについて分析整理しています。
吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、等と田中角栄、小泉純一郎、等とは、資質が違うというのですが、具体的にどう違うのかは、よく分かりませんでした。
何となく、雰囲気としてわかるところと、言葉が空回りして、よく分からないところがあります。使われている言葉に慣れていないためと考えることにしましょう。
【目次】
はじめに
第一部 小泉内閣の迷走
・支持率八〇%超の歴代最高の人気内閣成立
・人気を支えた田中真紀子氏の存在
・田中氏更迭
・支持率急落
・他)
第二部 小泉内閣の実像―「構造改革」とは何なのか
・矛盾だらけの小泉内閣
・小泉内閣高支持率の怪
・小泉内閣に潜む危険性
・小泉政権と世論の「危うい関係」
・旧主流派=経世会政治との権力闘争
・小泉政権は旧反主流派の反乱だった
・他)
第三部 小泉構造改革では日本は救えない
・政治的意思を失った日本人
・一方で強いリーダーを待望し、他方で叩く
・「市民社会」そのものの脱政治化
・過去という遺産を放棄した日本
・他)
第四部 政治的リーダーと民主主義
・求められた「反自民」的リーダー
・スキャンダル非難合戦
・「公的」課題を避けてきた日本の政治
・「改革派」VS「抵抗勢力」は手続きの対立
・他)
付録 小泉純一郎首相発言年表
●小泉内閣(22頁)
「構造改革の断行」という大きな政治課題を掲げるにもかかわらず、その手法は、必ずしも、実績主義的実力者を配置するというものではなく、むしろ、斬新さや新鮮さ、意外性によって世論の支持を得ようとするものであった。これは、「構造改革」の最も重要な要の位置に、経済財政担当相に竹中平蔵氏、行政改革担当相に石原伸晃氏という政治についての素人、もしくは素人に近い人物を抜擢するという人事からも窺える。
●靖国神社公式参拝(30頁)
中国、韓国の圧力に屈し、前倒し参拝によって八月一五日の公式参拝という公約を破棄した。
中国、韓国の批判にあるような軍国主義の復活やナショナリズムの高揚といったことでは全くなく、わが国が、わが国の国家として当然すべきことを、中国、韓国の干渉から独立して行えるか否か、という問題なのである。
●「構造改革」の意味(41頁)
第一に、「構造改革」は、もっぱら公共事業の見直し、特殊法人の廃止・民営化を意味するものだとされている。
第二に、「構造改革」は、市場化による経済の効率化の実現をめざすものとされる。言い換えれば、市場競争によって、低生産性部門から高生産性部門への資源の移動を引き起こそうとする。
第三に、「構造改革なくして景気回復なし」と言われるように、「構造改革」が事実上、景気回復策および成長力回復政策として位置づけられている。正確に言えば、成長力の回復と景気回復は異なったことなのだが、
第四に、「構造改革」は情報・通信技術の急展開という事態に対処するため、産業構造の転換を促そうとするものだとされる。
第五に、しばしば「構造改革」は、ほとんど不良債権処理、不良事業処理そのものと同一視される。
●責任転嫁(44頁)
財務省サイドの発想に立った緊縮財政によって経済がデフレ化するとみると、その責任を、日銀がマネーサプライを増やさないからだと言うのである。そこで何が何でもマネーサプライを増やせと言う量的緩和論が出てくる。しかし、真の問題は金がないことではなく、企業がその有効な投資先を見出せずにいることであろう。
(今回の総選挙でも、安倍自民党総裁は、日銀をコントロールしようとしているけど、そんなことをしたら、日本経済は、ひいては、日本社会が、むちゃくちゃになるように思える。)
●努力が報われる社会(51頁)
「努力が報われる」というのは、資本主義、社会主義を問わず、長い間、経済社会の在り方の一つの理想であった。しかし、ついぞ厳密な意味で、このようなことは実現していない。理由は簡単だ。つまり、人によって能力には違いがあり、特性の違いがあり、しかも誰もがいかなる特性の持ち主かはわかっていないからである。
●長期停滞からの脱出(87頁)
公共投資は、政府部門を通してただ金銭を市場へばら撒くのではなく、将来の社会状態についての不安や不確実性を取り除き、可能な限り経済主体が「確信」を持てるように誘導すべきなのである。
経済主体が「確信」を持てるとは、第一に経済活動を支える社会的・人的土台が安定していること。第二に、経済システムがそれを作動する組織・人間に対する「信頼」が形成されていること。第三に、将来の経済―社会について一定のイメージが共有できること。少なくともこの三つの条件を必要とする。
●哲学と展望(100頁)
「構造改革」は、その背後に「哲学」と「展望」を持たなければならない。この「哲学」は、戦後の趨勢であったアメリカ的なものへの精神的な呪縛から自由であること。まずは、われわれ自身の手で、われわれの将来の社会像を描きだすこと。
(言っていることが、よく分かりません。)
●心理経済(131頁)
今日の市場経済は、ただの価格による競争メカニズムなのではなく、心理的メカニズムによって左右される「心理経済」というべきものへと傾斜している。
●経済力(162頁)
ブルデューにならって、資本(資源)を、「経済資本(資金能力)」「文化資本」「社会関係資本」の三つに分ければ、グローバルな世界でとりわけ日本が比較優位をもつものは、人間関係によって組織を作る能力、つまり「社会関係資本」である。大ざっぱに言えば、「経済資本―金融能力」で優位に立つのはアメリカ、「文化資本―伝統・ブランド能力」はヨーロッパ、「社会関係資本―組織化能力」をもつのは日本と言ってよいだろう。
●ウェーバー(201頁)
ウェーバーにとっては、政治とは、国益を実現するための行為であって、それが民主主義であるか、貴族制であるか、君主制であるかは決定的な問題ではない。
●首相への道(212頁)
政党の中で一定の仕事をこなし、当選回数を重ね、委員会で実績を作り、さらに金銭と人事において一定の権限を手に入れ、その後に派閥の後押しを得て閣僚経験をへて首相になる、これが従来の日本の政治的リーダーへの道であった。
この方式で、従来、自民党は、それなりに有力な指導者を生み出してきたわけである。吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、そして中曽根康弘氏等は、その好き嫌いは別としても、まず誰もが戦後政治のリーダーであったことは認めるであろう。
(大平正芳、三木武夫、福田赳夫、等は入っていませんね。)
●政治家に必要なもの(214頁)
ウェーバーは、「情熱」「判断力」「責任感」の三つこそが、政治家に必要なものだと述べている。情熱をもって語ることは容易である。しかし、重要なことは、その情熱が判断力を伴っていることである。
☆佐伯啓思さんの本(既読)
「「欲望」と資本主義」佐伯啓思著、講談社現代新書、1993.06.20
「「市民」とは誰か」佐伯啓思著、PHP新書、1997.07.04
「アダム・スミスの誤算 幻想のグローバル資本主義(上)」佐伯啓思著、PHP新書、1999.06.04
「新「帝国」アメリカを解剖する」佐伯啓思著、ちくま新書、2003.05.10
「自由と民主主義をもうやめる」佐伯啓思著、幻冬舎新書、2008.11.30
(2012年12月10日・記)詳細をみるコメント0件をすべて表示