木に学べ―法隆寺・薬師寺の美 (小学館文庫)

  • 404人登録
  • 4.20評価
    • (68)
    • (33)
    • (38)
    • (1)
    • (0)
  • 55レビュー
著者 : 西岡常一
  • 小学館 (2003年11月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784094058512

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
デール カーネギ...
ヴィクトール・E...
三島 由紀夫
有効な右矢印 無効な右矢印

木に学べ―法隆寺・薬師寺の美 (小学館文庫)の感想・レビュー・書評

  • 不思議な本である。
    語り口が 実にうまいのだ。読むというより 声が立ち上がってくる。
    日本には このような すぐれた 職人さんが いたのだ
    と思えるだけでも すごいと思った。

    法隆寺、薬師寺の棟梁。
    そこにある 日本的な哲学の深さに 想いを巡らす。
    千年を思考する ことが出来るとは すごい。
    木というものの つかみ方が 千年という時間で把握する。
    木には クセがある。
    そのクセを活かすために、どう木の心をつかむのか。
    千年生きてきた 木は 千年もつ 建物が出来る。
    そのための 道具。
    木を組み 心を組む。

    口伝は その伝える ひとに 伝える。

    昔の鉄は なぜよかったのか?
    セメントと木ではどこが違うのか?
    本質を見ぬく チカラ のすごさ。

  • 法隆寺は何がすごいのか。

    そんな単純なことの認識さえぼんやりしていたことがわかりました。

    何度も行って確かめてみたい。

  • 手に取る機会があって読んだ。

    最期の宮大工の聞き書き。
    法隆寺・薬師寺を通して考える、木造建築とものの見方。

    すごく、ためになった。
    『木に学べ』というタイトルがぴったり。
    建築だけを述べているのではない。
    なるほどそうなのか、と思いながら、ほぼ全てを自分の仕事に落とし込んで読んでいた。
    いかに自分が情けない存在かがわかった。
    適材適所、癖を見抜く、本質を捉える。
    いつかまた、心が弱ってきたとき、自分を
    省みるために読みたい一冊だ。
    法隆寺に行きたくなった。

  • 自然と共生してきた日本の価値を改めて痛感する一冊。木は1000年持つが、コンクリートはいいところ100年とか。
    「木を組むには人の心を組め」
    「木を知るには土を知れ」
    深い言葉が盛りだくさんでした。

  • 高校の教科書で西岡氏の引用が見つけて、また稲盛和夫氏の生き方に紹介されていたので読んだ。

    道具は身体の一部で尊敬し使いこなせなければならない。当然道具は大切にするべで職人にとって命なのだと実感した。

    西岡氏の生き方に感動した。
    もう一度読み直してみたい部分が多くあるので読み直してみたい。今なおメッセージは色褪せない。

  • 宮大工棟梁 西岡常一の語り

    P12
    棟梁というのは何かいいましたら、「棟梁は、木のクセを見抜いて、それを適材適所に使う」ことやね。

    P25甘やかしてほしいものがすぐに手に入ったんじゃ、いいもんにはなりませんな。木というのは人間に似ています。環境とか育ち方が木の性質を決めてしまうです。

    P35
    三本びほうをミキいいます。ミキつまり御酒のことですから「酒」でんな。
    そんで四本のほうがヨキゆうて五穀のことです。ヨキは空気でんな。つまり四方山の山海の珍味いうことでしょう。

    P38
    仕上げに「ヤリガンナ」使うたら耐用年数が違う。長いこともちますのや。
    電気ガンナで削ったものやったら、一週間でカビが生えてくるわ。そやけど、ヤリガンナやったらそんなことありませんわ。水がスカっと切れて、はじいてしまいます。

    P43
    ノコギリの柄は、何の木でつくってもええわけやないですよ。ノコギリの柄は昔から桐で作ったもんや。なんで桐か言いましたらな、仕事をしていても手が熱うならんのや。手が焼けませんのや。

    P66自分でおぼえていかなしようがないわな。ただそういうことにも気づかずに、そのまま終わってしまう人が多いな。周囲の人で、自分よりうまい人を見て、おぼえなあかんのや。あの人のカンナは何であんなによう切れるもんやろ、おもうたら、休憩でみんなが休んでいるときに、そーっとその人のカンナ調べてみるんや。そうやっておぼえるのや。

    P120
    金剛力士(仁王)は片方が赤く、片方が黒いでしょう。人間には煩悩があるから黒い。こちらから入るわけですな。それで中に入って仏さんに接して、ちゃんと悟りを開いて赤くなって出てくるとうことを表現していてあると、おもってるんです。正面の左側が入口で、右側が出口ですな。

    P125
    東に青竜、西に白虎、南が朱雀、北が玄武のちということですが、具体的な地形にあてはめますと、伽羅の東には清流がなければならない、南には沼沢がなけrばならん。そして西には広い道が通っていなければならない。北は山でなkればならないということです。

  • 宮大工の仕事への熱い思いが語られつづられた、奇跡のような一冊。

    木の癖に向き合い、木を生み出す山に向き合う。
    建築に残された昔の大工たちの思いをくみとる。
    棟梁として、人々をまとめることへの思いや覚悟。
    学術や学者には厳しい目をむけ、自らの経験や大工の継承してきた経験こそのみを信じる。

    ひとつひとつが、当たり前ではありながら、難しいことであると感じる。だからこそ、修行のような仕事であり、修行僧のような姿さえ、読んでいて感じさせるのだろう。

    さいごの「口伝」(10カ条)に、語られてきたことのエッセンスが凝縮されていると感じる。まさに口伝であり、本来書き残していくようなものではないことから、これが本書に残されたこと自体もまた奇跡である。著者ということになっている西岡常一のみならず、インタビューに足しげく通い、文字をおこし、語りの雰囲気を存分に伝えた編集部の方々にも頭がさがる。

  • 資料番号:011348646
    請求記号:526.1ニ

  • この人、実は飛鳥時代から現代に遣わされたのではないだろうか?
    奈良へ旅行する前に、ただの、木造建築の解説書と思って手に取っただけに、ことさら感銘。
    学者さんとの対決には笑いましたが。

    もっと早く出会いたかった一冊ですね。

    改めて、法隆寺に参詣したいかと。

  • 教科書に掲載されていた『千三百年のヒノキ』は衝撃を受けた。人生を左右された本の一冊。

  • 木について、道具について、法隆寺・薬師寺について、宮大工について・・・棟梁の視点から分りやすく説明してくれている。夢中で読んだ。ただ、西岡氏(故人)は飛鳥時代の工法こそベストだと強く信じているらしく、その点が読んでいて少し窮屈だった。おそらく、人間そう、数百年単位では変わりはせず、法隆寺・薬師寺という建築に対する関心や信心を持たなくなったというのが正確なところではないか。だから工法が退化したというわけではなく、そこに力を注がなくなった、ということだろう。むしろ、時代ごとのそういった関心の薄さ濃さがあったにもかかわらず法隆寺・薬師寺が現存していることにむしろ、感動を覚えた。

  • 読むたびに新しい。

  • 法隆寺と薬師寺の宮大工である西岡常一さんの口述自伝。
    宮大工と言わず、大工の世界は身近なようで全然知らない世界。
    だけど、プロフェッショナルの仕事は細部へのこだわりが違う。

    大工が無理矢理集められて、命令され、いやいや寸法だけあわせて作った建物は、信仰心で建てられた建物とは比較にならないほどもろいらしい。
    建物にだって出るのだ。

    また、おじいさんが言った、「生きとし生けるものは自然の分身。木であろうと草であろうと。その自然は空気も水も太陽光もあるが、土がなければ育たない。土を知らないと本当の大工にはなれない」と。
    『奇跡のりんご』に通じるような気がする。

    土台が大切。土台が大切であることを知って、土台をしっかり作る必要があるのだ。それはいやいやでは形だけのものになってしまう。それは人作りだって同じこと。

  • 法隆寺宮大工で、薬師寺伽藍再建に携わった西岡常一氏のインタビューによる口述本。関西弁の話し言葉で書かれています。薬師寺といえば「おしゃべり坊主に金ぴか伽藍」で、あまりいいイメージは無いのですが、棟梁の言葉は本物。名言にあふれてますね。曰く「木を組むには人の心を組め」等々。宮大工口伝もよい。http://www....oninikike.com/tradition/

  • 学んだこと。 ●仕事とは、仕える人と書く。 ●[千年もってくれと、打ち込む」  ●木には、心がある。 ●住むひとの心を離れて、建築を作っては、いけない。

  • 25年ほど昔の聞き書きだが、古さを感じなかった。以前法隆寺を見に行ったときに天井の高さや空間が気になったが、この本を読んで木の質感や造りを感じたくなった。再読したくなる本

  • 修学旅行で法隆寺に来て、壁をベタベタ触るのをやめさせて欲しいと常日頃感じていた私は、この本を読んでその思いを強くした。
    法隆寺のような素晴らしい建造物はもう二度と作る事はできないし、今後の修復では飛鳥と同じような工法で修する事はできないのだ。非常に残念。
    この本は、働く人、特に、ものを作る人に読んでもらいたいと思った。
    もっと早く読むべきだったと思った本ベスト10入り。

  • 飛鳥時代の建築技術を受け継ぐ宮大工の棟梁が語り下ろした本です。
    大工道具のこと、木のクセのこと、法隆寺・薬師寺のこと・・・
    この本を読んで飛鳥時代の人々をあらためて尊敬したし、木や鉄の奥深さに気が遠くなりました。
    木の生えている方向や風向きを見て建てた後に歪む方向を推測するとか、世界最古の建築がどのような考え方で作られたかがわかり感動的です。

    それから、モノづくりの歴史が進歩してないなんて考えたこともありませんでした。
    古代の丁寧な仕事ぶりが、現代の技術を持ってしても追いつけないなんて・・・
    時代が進んだからと言って、全てが進歩するわけではないんですね。
    仏教への信仰心や国家への情熱など、金銭以外の価値を見出し、それに真剣に向き合った結果が1000年以上建ち続けている法隆寺であり薬師寺なのです。

    また、西岡棟梁の「プロ意識」にも感動しました。
    学者相手でも物怖じせずにばっさりいく感じは痛快。
    私の好きな梅原猛さんもばっさりやられてました(笑)
    そして、棟梁は仕事観に限らず、自然や仏教、弟子や社会への向き合い方など全てに哲学があり、日本の今の現状を見つめなおす機会を頂いた感じです。

    それとこの本、アウトドア雑誌「BE-PAL」で連載されていたそうです。
    やるじゃん!

  • 法隆寺金堂の大修理、薬師寺金堂・西塔などの復元を果たし、1995年に惜しくも85歳で死んだ、
    最後の宮大工棟梁・西岡常一が発する言葉は、激しくも簡潔明快に、法隆寺や薬師寺の堂塔伽藍に隠された、古代人の知恵と技法を語りつくす。
    宮大工という謂いそのものが、ぐっと時代を遡る古い謂れの呼称ではなく、
    明治の廃仏毀釈からだということに、まずは少なからず驚かされた。
    その昔は「寺社番匠」と云ったそうな。廃仏毀釈で社の上にあった寺が外され宮大工といわれるようになった、と。
    「番匠」=ばんじょう、又は、ばんしょう、とは辞書によれば、
    古代、大和や飛騨から京の都へ上り、宮廷などの修理や造営に従事した大工、とあるから平安期に遡りうるか。

    まるで啖呵のように威勢よくポンポンと飛び出すコトバは事の本質を衝いてやまない。
    樹齢千年のヒノキを使えば、建物も千年はもつ。
    木のクセを見抜いて木を組む。
    木のクセをうまく組むには人の心を組まなあかん。木を組むには人の心を組め。
    木を知るには土を知れ。
    石を置いてその上に柱を立てる。
    法隆寺の夢殿は直径が11m.やのに軒先は3m.も出てる。
    大陸に比べて日本は雨が多い。
    飛鳥の工人は日本の風土というものを本当に理解して新しい工法に変えたということ。
    一番悪いのは日光の東照宮、装飾のかたまりで、あんなものは工芸品にすぎぬ。
    人間でいうたら古代建築は相撲の横綱で、日光は芸者さんです。
    夢殿の八角形は、八相=釈迦が一生に経過した八種の相=降兜率・入胎・住胎・出胎・出家・成道・転法輪・入滅=を表す。
    聖徳太子の斑鳩寺は、文化施設。人材を養成するため場所としての伽藍。
    白鳳の薬師寺は、中宮の病気を治すための伽藍であり、その設計思想は、薬師寺東塔の上の水煙にあり。
    天人が舞い降りてくる姿を描いているが、天の浄土をこの地上に移そう、という考え。
    仏教は自分自身が仏さまであること。それに気づいていないだけだ、と。
    神も仏もすべて自分の心のなかにあるということ。
    自分が如来であり菩薩であるということに到達する、それが仏教。
    飛鳥・白鳳の建造物は国を仏国土にしようと考えて創られた。
    藤原以後は自分の権威のために伽藍を作っている。
    聖武天皇の東大寺でも現世利益的な考えが六分まである。
    等々と、達人の竹を割ったような舌鋒はどこまでも小気味良い。

    なかでも、私を絶句させてくれたのは、法隆寺中門の柱の話。
    法隆寺の中門は不思議な形をしている。門の真ん中に柱が立っている。左右に入口がふたつあるような格好。
    この真ん中の柱を、梅原猛さんは、「聖徳太子の怨霊が伽藍から出ないようにするため、柱を真ん中に置いた。いわば怨霊封じだ。」というが、そんなことはない。
    中門の左右の仁王(金剛力士像)は、正面左の仁王さんが黒くて、右の仁王さんが赤い。
    人間は煩悩があるから黒い仁王さんの左から入って、中で仏さんに接して、ちゃんと悟りを開いて、赤い仁王さんの右のほうから出てくる。正面左側が入口、右側が出口ですな。
    と、聖徳太子怨霊説で一世を風靡した梅原猛の「隠された十字架」の核ともいうべき推論をこともなげにばっさりと切り捨てる。
    もう二度と現れえないだろう達人の、直観的に事の本質を赤裸にするコトバの世界は、一気呵成に読みついで爽快そのものだが、その知は決して伝承されえぬ永遠の不在に想いをいたすとき、詮方なきこととはいえ、人の世の習い、歴史というものの残酷さが際立ってくる。

  • 法隆寺最後の棟梁、西岡常一さんの聞き書き。
    伽藍や塔を建てるときに使う木、宮大工の道具や建築など、1000年以上昔から続く宮大工の技能やあり方を力強く信じるままに語っている素晴らしい本。

    のちに出版される「木のいのち木のこころ」はどちらかというと人を育てる観点で語られているが、「木に学べ」は材料である木、宮大工の道具や技能などに焦点があてられている。

    時代は変わっても、大切にしなければいけないものがあることを西岡さんは強く信じて語っている。その迷いのなさは、受け継いできた伝統を自分は実践してきたのだという、その矜持があるからだと思う。
    あとがきがまた圧巻である。

    日本の素晴らしさを再発見し、改めて法隆寺や薬師寺をじっくり見に行きたくなる一冊。

  • 最後の宮大工棟梁と称される西岡常一棟梁の言葉をおさめた、宮大工の真髄を伝える貴重な書。

    「仕事とは『仕える事』と書くんですわな」

    千三百年かけて育ったヒノキを使えば、建造物は千三百年持つ。
    木のこと、道具のこと、鉄のこと、和釘のこと、構造のこと。今はもう手に入らないもの。本物を作り出す心。
    「棟梁は、木のクセを見抜いて、それを適材適所に使うこと」「木を組むには人の心を組め」
    技能と技術は違う。文化と文明は違う。全然違う。
    ものづくりに携わる人はすごいと思う。

    今が一番進歩しているとか、人間は科学と学問をもって何もかもを知ることができるとか、そんなのは大きな勘違いなのではないかと思った。
    涙が出た。

  • 最後の宮大工と呼ばれる西岡常一氏のインタビュー書籍.1,000年以上経った今でも神々と建つ飛鳥建築を再現させる最高の大工が,木について,道具について,法隆寺について,薬師寺について,棟梁について,を余すところなく語る.資本主義が,本来は木と会話して生きてきた日本人を堕落させたと言い切る,とても示唆に富んだ内容だった.日本ではもう樹齢1,000年を超えるヒノキは手に入らない,現代の鉄は飛鳥時代に製錬した鉄に劣っている,200年くらい持てばいいやというものつくりが堕落させているなどなど,重い言葉がずらりとと並ぶ.
    大地震が起きて,飛鳥時代の建物が建っていて自分が造った建物が倒れたら,自分は腹を切って死ななければならない,という覚悟を,一度でも持ったことがあるだろうか.少しでもものつくりに関わる人には読んで欲しい1冊.

  • 法隆寺の棟梁、西岡常一氏の談話をもとにした本書。一面では作者の自伝であり、一面では宮大工の仕事を材料とした哲学書である。この本を手に法隆寺や薬師寺を改めて訪れたくなる。
    去年から、薬師寺東塔の改修工事が始まっている。8年の歳月を要するとのことだが、西岡棟梁が手掛けた西塔と同じく、創建当時の姿に戻す試みが行われるのか。8年後が楽しみだ。
    ちなみに、表紙の写真には棟梁の想いが表現されている。一読して本を閉じ、表紙を眺めると非常に感慨深い。
    (2012.6)

全55件中 1 - 25件を表示

木に学べ―法隆寺・薬師寺の美 (小学館文庫)に関連する談話室の質問

木に学べ―法隆寺・薬師寺の美 (小学館文庫)の作品紹介

法隆寺金堂の大修理、法輪寺三重塔、薬師寺金堂や西塔などの復元を果たした最後の宮大工棟梁・西岡常一氏が語り下ろしたベストセラー、待望の文庫版。宮大工の祖父に師事し、木の心を知り、木と共に生き、宮大工としての技術と心構え、堂塔にまつわるエピソード、そして再建に懸ける凄まじいまでの執念を飄々とした口調で語り尽くしている。氏が発するひとつひとつの言葉からは、現代人が忘れかけている伝統的な日本文化の深奥が、見事なまでに伝わってくる。

木に学べ―法隆寺・薬師寺の美 (小学館文庫)はこんな本です

木に学べ―法隆寺・薬師寺の美 (小学館文庫)のペーパーバック

木に学べ―法隆寺・薬師寺の美 (小学館文庫)の単行本

ツイートする