逆説の日本史 20 幕末年代史編3 西郷隆盛と薩英戦争の謎 (小学館文庫 い 1-35)
- 小学館 (2017年4月6日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094064148
作品紹介・あらすじ
覚醒した薩摩、目覚めなかった長州
世にに言う「八月十八日の政変」で京を追われた長州は失地回復を狙って出兵を行なうも、会津・薩摩連合軍の前に敗走する。この「禁門(蛤御門)の変」以降、長州と薩摩は犬猿の仲となるが、その後、坂本龍馬の仲介で「薩長同盟」が成立。やがて両藩は明治維新を成し遂げるために協力して大きな力を発揮した――。
以上はよく知られた歴史的事実であるが、じつは禁門の変以前の薩長の関係は大変良好であった。策士・久坂玄瑞の働きにより、すでに「薩長同盟」は実質的に成立していた、と言っても過言では無い状態だったのである。
では、友好だった両藩が、「八月十八日の政変」「禁門の変」へと突き進み互いに憎しみあい敵対するようになったのはなぜなのか?
そこには、兄・島津斉彬に対するコンプレックスを抱えた“バカ殿”久光を国父に戴き、生麦事件や薩英戦争を引き起こしながらも「攘夷」の無謀さに目覚めた薩摩と、“そうせい侯”毛利敬親が藩内の「小攘夷」派を抑えきれず、ついには「朝敵」の汚名を着ることにまでなってしまった長州との決定的な違いがあった。
感想・レビュー・書評
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島津久光。島津斉彬の弟。
久坂くさか玄瑞げんずい。
寺田屋。京都駅から南。伏見。薩摩藩御用達の宿。第1次薩摩藩士同士の内紛。第2次坂本龍馬。
※伊藤。高杉のおかげで彦島が香港にならずに済んだ。
※勝海舟(40)、岩倉具視(38)
西郷(35)、大久保(33)、桂小五郎(30)
坂本龍馬(27)、高杉晋作(24)
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この巻でも幕末の動乱がていねいに解説されており、とくに薩摩藩と長州藩のめまぐるしい変化が追いかけられています。
著者が高杉晋作に対して非常に高い評価をあたえているのが目を引きます。著者の考えでは、上海で西洋諸国の文明と中国の命運をじっさいに目にすることになった高杉は、武力で外国を倒すことの不可能を悟ったとされています。しかし、朱子学と天皇教が猛威を振るい、藩内の世論に反対することが困難な状況についてじゅうぶんに承知していた彼は、正論を述べてあえて危険に身をさらすようなことはせず、戦略的に行動していたと論じられています。
また著者は勝海舟も高く評価しており、この時代におけるもっとも見識のある人物としています。その理由として、「日本」の行く末に目を向けていたということが挙げられているのですが、そうだとすると著者は、この時代において「日本」という枠組みをもつことがどれほど困難なことだったのかということを、よく認識しているといわなければなりません。そうであればなおのこと、そうした当時の「常識」を踏まえて、歴史上の事実の評価をおこなうべきなのではないかと思ってしまいます。 -
☆☆☆2020年9月☆☆☆
生麦事件や薩英戦争、長州の陰謀等を取り上げた第20巻。
この時代の動きは複雑でわかりにくい。
ここでは、印象に残った部分を引用する。
P77 これほどの謀略を成し遂げる能力のあるものは久坂しかいない。
P144 生涯伊藤は、「高杉のおかげで彦島が香港にならずに済んだ」と言い続けた。やろうと思えば可能であったにもかかわらず、高杉の功績を盗もうとはしなかったのである。
P189 久坂の思惑通り、将軍という「鳥」は、朝廷という「鳥カゴ」に入った。
P230 注目すべきは旗本の「お殿様」でも領民を有無を言わさず兵にすることができなくなっていたということだ。
P238 慶親がもっと開明的な人物であったことは、この攘夷の嵐が吹きすさぶ中に例の「長州ファイブ」を留学させたことでもわかるし、高杉に「10年の暇」を与えたことでもわかる。
P243 小笠原は「勝手に」軍を動かした罪で老中をクビになり、一時歴史の舞台から消えた。とんだ貧乏クジを引かされたわけだが、誰も責任を取ろうとしない中で、独断で賠償金を支払い、横浜や江戸が焦土になるのを救った功績はもっと評価されてもいいのではないか。
P277 この天誅組の変は、これまで対立することはあっても実際に戦うことのなかった勤皇勢力と幕府が初めて「交戦」し、幕府の領地が奪われた初めての事件であった。 -
いつもながら、通説ではない歴史解釈を教えてくれる本だった。通説を批評し、異説を支持する内容が散見されるが、根拠が弱いことも多くあり、一つの解釈としてはそういう見方もあるかな、という感じ。
幕末真っ只中の巻。 -
20170414読了