風の向こうへ駆け抜けろ (小学館文庫 ふ 1-1)

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  • 小学館
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  • / ISBN・EAN: 9784094064285

感想・レビュー・書評

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  • 『強い馬や騎手が、必ず勝つとは限らない。だから、誰にでも死力を尽くす権利がある』

    生きていると、生きれば生きるほどに自分の無力さを感じることがあります。どんなに懸命に頑張ったとしてもそれが成果に必ず結びつくかはわかりません。『どこの世界も同じかもしれないが、初めから勝ち組が決まっているんだよ』と言う言葉にあるように、単に懸命な努力とは全く別のところで、自分の力ではどうにもならない、そんな不条理な世界が存在するという現実。それは、どんな世界でも同じことです。勝負の世界と言うと、スポーツが思い浮かびます。人によっては会社組織の中での覇権争いを思い浮かべる方もいるかも知れません。そして、そもそも我々の人生というもの自体が非情にも、そんな勝ち負けの世界の中に組み込まれてしまっているともいえます。確かに『勝ち組は最初から決まっている』という側面があるのは多くの方が感じられるところでしょう。『努力で到達できる地点なんて、結局、タカが知れている』と冷める気持ちもわかります。しかし、私たちは皆、誰にも否定できない、否定されない権利を共通に持っています。

    『誰にでも死力を尽くす権利がある』

    人生、諦めてしまうことは簡単です。私も社会に出るまでに、そして社会に出て会社組織の歯車となって以降も何度となくピンチに立たされてきました。人に権力欲というものがある以上、望んでいようがいまいが、そこには権謀術数蠢く世界に身を置くことになる瞬間というものは誰にでも訪れるものです。そんな時、諦めてしまうというのも一つの処世術なのかも知れません。『適当に走ったら引退して、競馬ライターになるなり結婚するなりすればいい』というように力に抗わない生き方を選択することだって間違いではないでしょう。しかし、私たちには『死力を尽くす権利がある』のだとすると、その権利を行使することも一つの生き方です。

    ここに一人の女性がいます。常に全力でぶつかり、困難と戦っていくその女性。『舐めるな!』と叫ぶその先に『私は、勝ちたいんです!』と強い意思を持って突き進んでいくその女性。これは、そんな彼女の成長の物語。そんな彼女が風の向こうへと駆け抜けていく物語です。

    『暦の上では春といっても、北関東の二月の空気は、身を切るように冷たい』という『那須塩原市に位置する地方競馬教養センター』で『騎手免許取得試験』に向けた『模擬レース』に参加するのは主人公の芦原瑞穂。『これでお前は一段落だな。馬を厩舎に戻したら、養成課にこい』と声をかけた教官は『こら、お前ら!毎度毎度紅一点にあしらわれて、情けないと思わないのか』と他の男子候補生を叱咤します。『芦原は紅じゃないっす』、『あいつは女の例外です』と返す男子候補生たち。『十五人いた同期たちは、二年間のうちに約半分に』なり、その中でただ一人の女性という瑞穂。そんな瑞穂は『審判塔の前に、見知らぬ男が立っている』のに気づきます。『真っ直ぐに自分を見』るその瞳。『誰だろうー』という次の瞬間『すっと視線をそらし』、『審判塔の向こうに消えてい』った男。『国営競馬を引き継ぐ日本中央競馬会が主催する中央競馬会 と、地方自治体が主催する地方競馬』に分かれる日本の競馬界。一般に知られた前者に対して『地域密着型の地方競馬』は『メディアでもほとんど放送されていない』というその落差。そんな『経営が苦しく、多くの新人を受け入れる余裕がない』という『地方競馬』を目指す瑞穂。卒業後、『実習先の関東の厩舎にいくつもりでいた』のが、『いったこともない競馬場への移籍の話が持ち上が』ったという展開。『鈴田競馬場』という『広島の競馬場』を目指すことになった瑞穂。そんな行き先からの来訪者と会うことになった瑞穂。『教官に続いて応接室に入』った瑞穂の前には二人の男性が待っていました。一人は『あの審判塔の前にいた、髪の長い男』。教官に『緑川厩舎の、緑川光司先生だ』と紹介され、『「芦原瑞穂です」と、慌てて頭を下げた』瑞穂。『さっきのレース、見てましたよ。実に素晴らしい追い込みでしたね』ともう一人の男が声をかけます。『即戦力として期待できます。これからの競馬場には、若い力が必要不可欠ですから』と続ける男。事務的な話を終えて帰途についた二人を見送る瑞穂。『自分の師匠となる緑川調教師とは、ほとんど口をきくことができなかった』と後悔する瑞穂に『お前のことは、俺は心配していない。だがな、女のジョッキーはまだまだ少ない』と言う教官。『だからこそ、お前次第だ』と激励する教官に『はい!』と『気を引き締めて顔を上げた』瑞穂。『この春から、瑞穂はプロのジョッキーとしてデビューする』という彼女のそれからの活躍が描かれていきます。

    「風の向こうへ駆け抜けろ」という力強い響きを感じる書名に心惹かれるこの作品。競馬界で女性ジョッキーとして活躍することになる主人公・芦原瑞穂の苦々しいデビューから、まさしく風の向こうへと駆け抜けて行くその先の人生が描かれていきます。私は競馬場に足を運んだこともなければ、馬券というものを買ったこともありません。さらには馬に魅力を感じたことさえありません。しかし、この作品はそんな前提など全く関係なく読者の心を鷲掴みしてしまうだけの圧倒的な魅力に満ち溢れています。圧巻だと思ったのは幾度も繰り広げられるレースの場面の描写です。『十頭の馬が順調にゲートに入ると、発走係員がゲートの傍から離れていった』という次の瞬間。『ゲートが音をたてて弾け』、『飛び出した』馬たち。『横一線のスタートから、徐々に先頭集団が形作られ』、『強い脚で、先頭集団に喰らいつ』いたものの『あっという間に地響きに取り囲まれ、前方から馬の蹴り上げる砂つぶてが飛んでくる』という馬上の瑞穂。『怯んではなるまいと、顔を上げ』るも『先行集団に喰らいついているだけでは道が開かない』、『外に出よう。ここにいては駄目だ』と彼女の馬に『全身全霊で呼びかける』瑞穂。『微かにハミを震わせるだけで、それが馬に伝わるのだろうか』と不安に襲われるも『怖気づいてあきらめるくらいなら、信じて潰れたほうがいい』と思う瑞穂に『ついに心を決めた』という瞬間が到来します。『心が研ぎ澄まされ、すべての感覚が一つになって』、『フィッシュ、外に出るよ!』とハミが震える次の瞬間、『視界はパッと開けた』という展開。馬の『体温が一気に上昇し、筋肉に力が漲った』のを感じる瑞穂。『あっという間に、周囲のすべてが一陣の風になる』と『まるで龍の背に乗っているようだ』と感じる瑞穂。見る見るうちに『数頭の馬を追い抜き、ついには先頭の芦毛に並んだ』、そしてゴール前、『たてがみの中に頭を埋めた』瑞穂、そして…という躍動感に包まれるそのシーン。実際の競馬のレースを見たことのない私にさえ、その緊迫した駆け引きの場面が目に浮かぶような圧巻の描写が読者を興奮の渦の中に何度も引き摺り込みます。まるで馬の蹄や観客の声援までもが聞こえてくるような錯覚にさえ陥るこのレースシーンの描写。これは凄い!そう感じました。

    そしてこの作品では、女性ジョッキーという新たな地平を目指す主人公・芦原瑞穂の生き様がもう一つの魅力となって物語を動かしていきます。中学卒業と同時に飛び込んだジョッキーの世界。『他の十代とは少し違う世界にいるのかもしれない』と感じるその世界。『十七歳でプロとして迎えられる職場は、それほど多くない』というその世界に憧れる瑞穂。『プロになる。活躍して、活躍してー。証明したいものがある。自分はそのために、ここまできた』という強い思いを持つ瑞穂でしたが、女性ということで負うことになるハンデの大きさに衝撃を受けていきます。『「だから女は」という雰囲気が』何かと蔓延するその世界。『「女は駄目」というレッテルを貼られることが』たまらなく嫌だったという瑞穂。『わしの馬に女が乗るなんて、縁起でもない話じゃ!』とまで言われる瑞穂。一方で性別に関わりなく瑞穂たちが実際に相手にするのは馬です。『馬は優しい生き物だ。だから人を乗せてくれる。でもとても勇敢だから、敵とは戦う。大事なのは、敵ではないと分かってもらうこと』という考え方の元、彼女なりのスタンスで馬に接していく瑞穂。しかし、努力の限りを尽くしても現実はそうは甘くはありません。『お前は腕を見込まれて呼ばれたわけじゃない。可愛い勝負服着て、とりあえずレースに出て、ニコニコ愛嬌を振りまく広告塔だ』という自らの立ち位置にうすうす気づいていても認めたくはなかった現実。それを信頼する光司から突きつけられて戸惑う瑞穂。それでも『私は、勝ちたいんです!』と力強く語る瑞穂。この世は非情です。幾ら正論であっても、不断の努力を積み重ねたとしても、その先に必ずしも輝ける未来が待っているとは限りません。”悪貨は良貨を駆逐する”とも言われる通り、悲しいかな、世の中は正義が必ずしも勝つとは限りません。それは、人の世を生きれば生きるほどに誰もが感じる無情の世界とも言えます。しかし『誰にでも死力を尽くす権利がある』、これは事実です。もちろんだからと言ってその死力が実る保証は全くありません。しかし、その権利を行使することは誰にだってできるのです。それを信じて突き進む瑞穂。そして、そんな彼女を支える『藻屑の漂流先』と揶揄される緑川厩舎の人々の奮闘が描かれるこの作品。その感動的な結末は『死力を尽くした』からこそ見ることができるもの、行き着くことのできるものなのだと思いました。

    何かと蔑視の対象とされてしまう新人女性ジョッキーが、『閉鎖寸前の地方競馬場の弱小厩舎からの無謀ともいえる挑戦』を繰り広げていくこの作品。『自分のことをちょっとだめかもと思っていたり、自分の居場所を探している方達に読んでほしいです』と語る古内さんの描くこの作品。『どんなに苦しいことがあっても、そのだめな状態がずっと続くわけじゃない。きっと前を向いて生きていけるという願いを込めて書きました』と続ける古内さん。私たちにはどんな時でも『誰にでも死力を尽くす権利があ』ります。そして、その先に続く道に、その先に訪れる未来に輝く光を見る権利だってあるはずです。

    持って行き場のない苦しい日常の先に光差す未来が必ず待っていると教えてくれたこの作品。勇気を振り絞ることの大切さ、前を向いて歩いていくことの大切さ、そして希望を諦めないことの大切さをそっと教えてくれたこの作品。風の向こうへと駆け抜けたその先に見える未来にじわっと湧き上がる熱い思いを噛みしめたくなる、そんな古内さんの絶品だと思いました。

  • 誠が花舞う里の主人公に重なる所からスタートしました。生い立ちから訳ありの初対面からどんどん物語が動いて、瑞穂だけでない少数精鋭の 厩務員 迄も過去を細かく出すので余計に思い入れがある。蟹じいなんか偏屈な人間かと思ったら知識も人を思う気持ちも十分すぎる、桜花賞の前に瑞穂とフィッシュアイズでゆっくり歩くのが凄くいい、優等生だけで勝てないと、もっと話して教えて欲しいと。レースを事細かくではなく、読みやすい。本当に緑川厩舎に入ってよかった。何かが動き出したんだよ。解説が藤田菜々子も最高だった物語の一部だった

  • これは良かった!
    また素敵な作品に出会ってしまいました。

    廃業寸前の厩舎と新人女性ジョッキー。
    一癖も二癖もある厩舎の厩務員たち。主人公の瑞穂はどこに行ってもイロモノ扱いで「女」であることを揶揄される日々。
    悔しい思いをしながらも腐らず努力を惜しまない瑞穂。そんな彼女が何かすごいことをしてくれるんじゃないかと期待をふくらませ、ずっと応援しながら読んでました。

    人間以上に癖の強い魚目の馬を迎え、困難にぶち当たりながらも厩舎のみんなが一丸となって桜花賞を目指す!
    追い込まれての奮闘や逆転劇、スポーツの熱い世界は大好き。そして個性の強い登場人物も好き。
    レース後は爽やかな感動に包まれました!!
    もっともっと読んでいたかったなぁ。
    競馬のことを知らなくても楽しめる作品だと思います。


    『自分の決定に百パーセントの自信を持てる人間なんて、この世にいない。それでも人は生きていく限り、色々なことを見極め、後戻りのできない道を選んでいかなくてはならない。
    それはレースのときとまったく同じだ。
    何度も何度も自分の位置を確かめて、次の自分をどうしていきたいのかを考えて。その先に見える景色を信じて、思いきって舵を取る。』

  • どんなに困難な状況にあっても、自分としっかりと向き合い、また自分の周りの人たちに感謝し、相手の声に耳を傾け、自分もまた周りの人たちのために働くことが、みんなの幸せのための最短の近道なのかもしれない。
    コロナで大変な時期だからこそ読んでおきたい一冊。

  • 女性騎手の藤田菜七子さんの感想に共感です。
    『この小説は、何かを変えたいと思っている人の背中を、そっと推してくれます。読んだ人はみんな、“自分にも、何かできるかも”と勇気が湧いてきて、元気になれると思います。』

    • katz21さん
      ★5なんですね!読みます!(^0^)
      ★5なんですね!読みます!(^0^)
      2022/07/15
  • 競馬の世界は、男社会で。
    女っていうだけでひどい言葉を言われたり、罵声を浴びることも多く、本当に許せない気持ちになった。
    また、自分のプライドのためにフィッシュのことを傷つけるような乗り方をして憎かった。
    地方競馬から中央競馬を目指すことは、とても難しいことだけど、できないことではない。
    この本を読んでわたしもまだまだ頑張りが足りないなって思った。続編まだ買ってないから近々買います

  • 地方競馬場と女性ジョッキー、その所属厩舎の調教師、厩務員と競走馬たちの物語。⁡

    瑞穂が初めて手綱を持って一人で馬の背に乗ったときの、草原を駆ける表現が、とても美しかった。⁡
    馬と折り合いをつけるのがうまい瑞穂だけど、心に傷を負った魚目の馬、フィッシュアイズと初めて心がかよったシーンは、さすがにウルッときた。⁡

    馬同士の関係も興味深かった。ツバキオトメの毅然とした態度、安心して本来の姿を見せるフィッシュアイズ。⁡
    競馬は興行の側面が大きいとも感じるけれど、緑川厩舎のように、馬たちが大切にされているといいなと思う。⁡
    (なお、私の推しはツバキオトメ。と、口は悪いけれど、ゲンさんも。)⁡

    瑞穂への扱いは、同じ女性として腹立たしい部分もあったけれど、厳しい世界というのは、性別に関係なく事実なのだろう。⁡
    厩舎や調教の様子、馬主との関係、出走するレースが決まる様子など、競馬に興味はあったけれど、競馬界のことは知らなかったので、なるほど、興味深かった。⁡
    特にレース最中に騎手たちがしゃべっているのには驚いた。競馬中継観てると、馬が駆ける音はかなり大きいと思っていたけど、鞍上でそんなバトルが繰り広げられているとは。⁡
    競技としての競馬を観る、視点が増えておもしろかった。⁡
    藤田菜七子さんの特別寄稿も読み応えあり。⁡

    続編も、近々必ず読みたい。⁡

  • 店頭でドラマ化の帯とともに平積みされていた本作。地方競馬での新人女性騎手の話という題材に興味を持ったので、読みました。ちなみに、ドラマのほうは見ていません。
    おんぼろ厩舎で駄目な厩務員たちという漫画的な設定に好き嫌いはあるかもしれませんが、私にとっては、とても面白かったです。
    レースシーンは、読んでいるこちらも、思わず手に力が入ります。
    2014年に単行本で発売され、文庫版は2017年に出版されている、それほど新しくはない作品ですが、こんなに面白い小説が埋もれていたなんて、ちょっとした驚きでした。
    スポーツエンタメ小説の傑作だと思います。

  • 読後の爽快感!読んでよかったです。
    どの世界でも諦めずに壁に向かっていく人は
    かっこいい!

  • 競馬はTVでしか見たことがありません。北海道にいたときに大活躍したサラブレッドの余生を見たとき、そのオーラを感じたことを覚えています。古内一絵さんの「風の向こうへ駆け抜けろ」(2017.7)をじっくり味わいながら読了しました。芦原瑞穂という18歳で地方競馬にデビューした女性ジョッキーの成長していく姿を描いています。調教師、厩舎員、馬主など関係者の熱い思い、そして利口で優しく人間の気持ちを理解する競走馬。人馬一体、感動の作品です。

著者プロフィール

1966年、東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。『銀色のマーメイド』で第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。17年、『フラダン』が第63回青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に選出、第6回JBBY賞(文学作品部門)受賞。他の著書に「マカン・マラン」シリーズ、「キネマトグラフィカ」シリーズ、『風の向こうへ駆け抜けろ』『蒼のファンファーレ』『鐘を鳴らす子供たち』『お誕生会クロニクル』『最高のアフタヌーンティーの作り方』『星影さやかに』などがある。

「2021年 『山亭ミアキス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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