一九七二年のレイニー・ラウ (小学館文庫 う 10-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784094083163

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  • こうや曠野に吹き晒そうとするのか 劉雨 薬罐が微かな悲鳴をあげた 「恋に落ちるってね、世間からも落ちていくことなの」 クラッシュ ディヴィッド・クロネンバーグ 死に至るほど激しいクラッシュ事故で性的なエクスタシーを得た人々が カオルーン九龍 場末の場末の娼婦 「女性としては、心置きなくセックスを愉しめる、最高の年頃なのよ」 香港島の摩天楼 1989年の天安門事件の後で、彼女は香港に見切りをつけてカナダへ渡った。 アンタッチャブルな空間 清朝時代の建築を模した建物が点在する 男が堕ちた女を救済するというオメデタイ物語へと コロネア路環島 立会川駅 退っ引きならない現実を 初恋 単なる発情です 憩う 眼尻に小さな水滴が 庭木の剪定 東急大井町線の上野毛駅 桟橋さんばし 喪失を甘くて経験できるなんて マカオ 空約束 抱擁を解いた 華奢な顎が持ち上がった クリント・イーストウッドの惨めったらしい男根主義について イ・ポンチャン李奉昌 テコンドーの先生 かつたつ闊達なお喋りを愉しんだ メディテーションと称して朝から晩までドラッグでトリップしていた。その甘ったれた言説と底無しの怠惰な生活に、男友達の方は、一瞬のうちに馴染んでしまったのである。 核査察 テポドン ボーイという一言に 満月の、惨めで、可哀想な、あの失恋でさえ でもそこまでね、甘く想像できるのは あるいは断念した思い 日々の生活とは正反対の側にあるもの 「確信犯として、どこまでも逃避していく」 自分の考えに反駁を試みた いま官能の青い炎が点っているのだとしたら 胆を決め ちぇじゅ済州島 あいくち匕首 渡世とせい キムパプ 野趣溢れるスープ 珍島ちんど 男性的な力強さとは一線を画した優美な泳ぎだ そうてい装丁画 その完璧な陰影に 簡潔に十全に証明していた かんなくず鉋屑 ゴーストワールド ロリータ ナブコフ 舞台は北関東の太平洋岸だものね 中島敦の山月記 「死臭にみちた女」の修辞に内在する穢れの美学化、それが孕む差別の構造 経験できたかもしれない倒錯の極限として、達しえたかもしれない自己解体の一瞬に似た性的オルガスムスとして そうした言わば主体の放棄を迫る女性との、凌辱される関係というものは、女王、にそう尼僧、義母、女教師といった記号群に垣間見えるところであるけれど、それを自己など灼け切ってしまう圧倒的な「他者」への欲情として、官能小説のうちに徹底させてみたいというのが、作家としての僕の野心である。 ポール・オースター〈小説を書くということは、今迄一度も起こらなかった事を思い出すということ〉 この不可能性を虚構の中で救い出すのが小説家の仕事で ヴァギナ・デンタータ=歯のある膣 舅が槌つちを振る小気味好い音が届き かんぜん敢然と無視してしまうだろう 通俗小説 アバンギャルド 欲望をストレートに告げる言葉が 中国服のブレヒト そこに薔薇があった あなたの恋が成就しなかった事にこそ、確信を持つべきだ。経験者であるあなたは、その時そこで、何が起こらなかったのか、よく知っている。シリ・オースターが言う通り、〈起こらなかった〉について書くのが小説なのだから、そして起こらなかった事の内に、語る価値のある物語が無尽蔵に隠されているのだから、あなたには恋愛小説を書く資格がある。 その創作を通じて、作者自身も、彼或いは彼女を束縛している支配的な物語から、如何にして自己を解き放つか。これは自由の根源に関わる問題である。 作家打海文三が心筋梗塞で急死した。五十九歳だった。 単に父親が娘に欲情しているだけですよ 禁忌を易々と超えそうな不埒さ 宮沢賢治の『春と修羅』 兄と妹の近親相姦的なテーマを忍び込ませているのである 艶やか 池上冬樹

  • 香港でわかれた女性レイニー・ラウに主人公が二十五年ぶりに再会を果たす表題作をはじめ、借金とりたてに訪れたやくざと主婦の危険な関係を描いた「花におう日曜日」、美しい背中の女性と知り合い、著者自身の小説観まで投影される「ここから遠く離れて」など、静かに心を打つ八篇所収。あなたが出逢えたかもしれない「恋人」たちがきっとここにいる―珠玉の恋愛小説集。

    やはりこの人の表現が好き。
    「恋に落ちるっ てね、世間からも落ちていくことなのよ」
    路環島にてもよかった。大人のやり取りで。きっと中学生が読んでもわからないだろうね。

    また読み返したい

  • 恋愛小説こと妄想小説
    生々しい情念を練りに練ったお洒落台詞のオブラートに包んで大変召し上がり易くなっております。

  • 「女の子が群がっている生活雑貨の店のまえをとおりすぎると、『ラムタ亭』という洋風居酒屋があった。もとは『田村』という定食屋で、ラムタというのはじつにくだらないことに、田村の逆読みである(後略)」

    「「(前略)出逢いの不可能性は、ぼくの場合、たんに起こらなかっただけでなく、禁じられた関係性を含意しており、そうであるがゆえに恐怖心をともなうものです。ある女性文芸評論家に、あなたの小説には女に滅ぼされることをよしとする男の昏いダンディズムがある、と指摘されたことがありますが、ぼくの小説に露呈しているのはむしろ、ヴァギナ・デンダータ=歯のある膣への、男性作家の恐怖心です。」
    (中略)
    彼女が短く書いている。
    「昨日の夜と今朝の二度確認しました。歯なんか生えていません。恐れる必要はぜんぜんありません。生ビールでも飲みませんか。」」

    「「体験したことを、書き言葉で再現するときに、どんな人でも、過剰であれ稚拙であれ、無意識にレトリックを使います。そんなふうに再現された体験は、過去のたんなる再現ではなくて、新しく体験された過去です。レトリックによって人は過去を新しく体験する。意味のある過去とはそういうものかもしれない。レトリックなしには過去は存在しない、と思うことさえあります。」」

    「恋愛小説を書いてみたいと思うなら、あなたが<出逢えなかった人>について書けばいい。実人生では不可能だった出逢いを、出逢えたかもしれないという可能性として、虚構の中で救い出そうと試みるなら、そのまま恋愛小説になるだろう。」
    (2009.3)

著者プロフィール

1948年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。92年『灰姫鏡の国のスパイ』が第13回横溝正史賞優秀作を受賞し作家デビュー。2003年『ハルビン・カフェ』で第5回大藪春彦賞を受賞。07年10月逝去。

「2022年 『Memories of the never happened1 ロビンソンの家』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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