この世の全部を敵に回して (小学館文庫 し 12-1)

著者 :
  • 小学館
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本棚登録 : 569
感想 : 79
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  • Amazon.co.jp ・本 (157ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784094087079

感想・レビュー・書評

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  • 賛同できる部分もあったし、できないところもたくさんありました。
    子供のころから、死が怖いなんて思ったことはなかったですし、命あるものは、みな死ぬんだってことを自然に受け入れていました。この世に生まれたものはすべて、生きて死ぬだけ。死んでしまえばそれでおしまい。あとはなんにもありません。それだけのことです。
    人間だって、そもそもが醜いものです。期待するからいけないのです。
    すべての命は、生まれた瞬間から、死に向かって時をきざみ始めます。たかがこれくらいのことで、わざわざこの世の全部を敵に回す必要なんてないのになぁって思いました。




    べそかきアルルカンの詩的日常
    http://blog.goo.ne.jp/b-arlequin/
    べそかきアルルカンの“スケッチブックを小脇に抱え”
    http://blog.goo.ne.jp/besokaki-a
    べそかきアルルカンの“銀幕の向こうがわ”
    http://booklog.jp/users/besokaki-arlequin2

  • as you know, he didn't say this is the true story. this book say love and life. the progress needs to die.

  • (所感)小説ではなく作者自身のエッセイかと思いきやフィクションだった。内容は深く、人の一生を糸の振動に例える点、生と死の捉え方、宗教感等、学ぶべき点が多い一冊だった。
    (読始)140902
    (読了)140910

  • 癌細胞は要するに自殺細胞である 趣味嗜好で私を作ったにすぎない 人生とは生と死で成り立っている 知死こそが我々の知性の核心である 私たちは一本の振動する糸であり、人生はその糸の震えである 人間らしさとは、死を知っているということに尽きる 即身成仏行をやり遂げた 死の本体に肉薄 私たちの人生とは一瞬一瞬が死との闘争であり、死からの逃走なのである 成長仮説 輪廻転生のくびきから解放される 例外になりたい死恐怖症 何のことはない、私たちは何が何でも死にたくないというわけだ 残酷な事に私たちの愛も救済も時と共に消えていくからこそ愛であり救済であり得る。死を失った瞬間にそれらはまったくの無価値になってしまう。私たちはハチを殺して食べるのとまるきり同じことを、しかも飼い猫のハチだけは家族同然に可愛がるというグロテスクな偽善をつづけながら平気な顔で繰り返しているのだと 鳥インフルエンザの蔓延を防ぐ目的で、私たちは一体あとどれくらいの数のニワトリを虐殺しなければならないのだろうか? そんな倒錯した感傷でイジメを中止することに決め、あまつさえ自分たちのその決断を善意の発露だと思い込もうとしているのだった 人間が発揮する善意や優しさというものは、あの葬儀の時のクラスメートたちの態度のような欺瞞に満ちた代物以外にはあり得ないことに次第に気づかされていった 私たちには平和で静かな美しい世界を心から受け入れる能力が備わっていないのだと私は考えている 生き物が生き物を殺すことでしか生きられないこの世界の一体どこに、どんな調和や美しさ、真実の静寂があるというのだろうか 私たちが作り上げたこの地上のすべての事物、制度、法、倫理はあくまで、死という私たちの宿命の周辺に積み上げられた便宜的なものでしかない。要はそういうことなのだろう。 私たちは、この世界で相互に殺し合うことで何にもまして人生の醍醐味を感じ取れるように作られているのである。そのことは私たちの歴史上、ドラマと呼ばれるほとんどすべてのものが戦争や殺戮を素材としていることを考えれば充分頷けるはずだ。殺し合いが私たちの霊的成長にとって効率的かどうかだけが問題なのだ。 法のけっか、政治の無策、社会的セーフティーネットの不備などを息巻いて批判する人々がいるが、彼らはいずれ死すべき自分たちが一体何のためにこの世界に生まれさせられたのかを上手に考えられないのである。 政治権力の基本は当然ながら暴力である 軍事に長けていない人間が政治を司ること自体がそもそも無理なのである。私は政治的野心を燃やす有能な人物は誰でも軍人を目指すべきだと思う。下らない政治家たちと幾ら話し合っても意味などない。そういう連中は殺すか監獄に叩き込んでしまえばいい。私たちが望むのは戦争との間の一定の距離でしかない。自分が加担したり加担させられたりする戦争にはとりあえず反対する。そうやって直接には関係しない位置から人々の殺し合いを眺めるのは私たちにとってとてもワクワクすることなのだ。 私たちは可能性としての死の実現を待ち続けている。そして戦争や癌と巡り会い、ついにその実現のプロセスに足を踏み入れるのである。人間のセックスの大きな特徴は、生殖とが極端に乖離してしまっていることだろう。 生は決して死を凌ぐものではない。生はかりそめのものである。死んでない状態を生と呼びならわすだけだ。 死とは私という意識の死である 犀の角のようにただ独り歩め 民族の浄化といった大量虐殺へとつながる選民思想などはその種の優越意識の産物でもある 愛とは死すべき私たちへの小さな励ましなのだ 愛情とは憐憫であり哀れみである ニュークリア・エイジ アウシュビッツの強制収容所から生還したユダヤ人医師であるフランクル 美しい日没の光景

  • 確かに…と思う部分はあるけれども、今の私にはまだ早いかなぁ?
    他の白石さんの作品は好きなんだけど。
    また時間を置いて読み返したいと思う。

  • こういうのって嫌われるんだろうな、とおもいつつ、共感を禁じ得ない。生とは、徹底的に無意味で、そこを掘り下げれば死にたどりつくのは必然。しかし、残虐なプログラムを退けるための呼びかけとして、愛、哀れみが最後に語られたのは意外だった。

    小説だけど、限りなく哲学書に近いエッセイとも受け止められる。ハイデガーを引用したくなる人もいるかもしれないけれど、存在論とはまた違う。どちらかといえばショーペンハウエルを想起させる結末だけど、大きな意志を想定することは、白石的ニヒリズムからは斥けられるのだろう。

    中二病的ともいえる極度の否定的思考は、世を上手に渡り歩けなくい人々の共感誘い、救いにも似た力を持つのではないか。少なくとも自分は心が震えた。

  • 友人の手記を著者が発表するという体裁をとっている小説である。そういった形を取らなくてはならないほど、その内容は直接的な主張となっている。私達が生まれた瞬間から付き合う死の運命。死の前では愛や優しさのようなモノは存在しない。だからこそ、死を貫徹した哀れみこそ、唯一、世界を平等に包み込める愛なのかもしれない。

  • 確かに読ませる力は感じさせる。だが、いくら独白体的に語られても、これは小説と言えるのか?という疑問がどうしても拭えない。哲学書としては特に新たな発見があるとは思えない。中途半端
    そしてなぜ二章仕立てにしたのか。個人的には、第二章はいざ自分が死の淵に立ったとき(無理はあるが、二度目の発作の前とか)に書き加えたものなのではないか、と感じた。K***氏は結局完全には愛を捨てきれなかったのではないだろうか

  • なし

  • 久しぶりにここまでテーマを前面に押し出した小説を読んだ。
    正直、この内容に全面的に賛成できる人はほとんどいないと思う。ただ途中途中でハッとさせられることはある。望んでいた内容とは少しかけ離れてしまっていたが、読んで損はなかったかなと思う。ハイデッガーでも読まない限り、日常の生活でここまで「死」について考えることもなかなかないと思うので。

    また、独白だけで読者を引き込む白石氏の手腕は見事。ラストの数ページは何かに引き込まれるように読んでしまった。

    そして。余談だが、解説の川上弘美さんが素晴らしい解説文を寄せていた。この部分だけでも商業作品として成立する水準の名文だと思う。やはり作家は凄いと痛感した。

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著者プロフィール

1958年、福岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。文藝春秋に勤務していた2000年、『一瞬の光』を刊行。各紙誌で絶賛され、鮮烈なデビューを飾る。09年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞を、翌10年には『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞。巧みなストーリーテリングと生きる意味を真摯に問いかける思索的な作風で、現代日本文学シーンにおいて唯一無二の存在感を放っている。『不自由な心』『すぐそばの彼方』『私という運命について』など著作多数。

「2023年 『松雪先生は空を飛んだ 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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