- Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094088779
作品紹介・あらすじ
今に伝えたい、時代を超えた普遍の愛の形
宮崎駿監督「風立ちぬ」が大ヒットし、再び注目を集める作家・堀辰雄。ぜひ若い人にも、映画を観るだけでなく、堀辰雄の愛にあふれる作品世界に触れて欲しいと、刊行しました。
この文庫に収録されている作品は、「風立ちぬ」と「菜穂子」。映画のモチーフとなった「風立ちぬ」の物語を楽しめると同時に、映画「風立ちぬ」の主人公の名前となった「菜穂子」という作品を併せて読める、他にはない文庫となっています。堀辰雄の作品世界のみならず、宮崎監督へ思いをはせながら読んでみるのは、いかがでしょうか。
カバーは、累計1200万部を誇る大ヒット漫画「僕等がいた」を執筆された小畑友紀氏にお願いし、堀辰雄の世界を美しく透明感溢れる、そして今までにない装画で飾ってくださっています。
明治、大正、昭和、平成という時代の流れは変わっても、人を愛するという気持ちに違いがないということ、誰かを守ることで、自分が守られ強くなれることを感じる作品です。どうして今、堀辰雄作品なのか、是非一度手に取って読んでみてください。
【編集担当からのおすすめ情報】
以前、読んだはずの「風立ちぬ」。今回、再読にもかかわらず新たな発見の連続でした。全体を取り巻く透明な空気感、一途な思い、文体も物語も登場人物もすべてひっくるめて、2人といない堀辰雄という作家の溢れんばかりの才能を感じます。そして、この本を刊行するにあたり、初めて読んだ「菜穂子」。「風立ちぬ」と、全く違う作品世界が繰り広げられています。この二つの作品と小畑友紀さんのカバー、新しい堀辰雄の世界を感じて欲しいです。
感想・レビュー・書評
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目次
・風立ちぬ
・菜穂子
今まで読んだことがなかったのだけど、サナトリウム文学ということである程度イメージはあった。
でも、今、このご時世、この小説に需要はあるんだろうかというのが、読後の感想。
死病というのは、今でも小説の重要なモチーフの一つだけど、この作品が書かれた戦前という時代、結核というのは本当に身近な死病だったのだろう。
伝染したら困るからというので隔離されていたと思うのだけど、実に気楽にサナトリウムにお見舞いに行き、看病のために泊まり込む。
菜穂子にいたっては、大雪の降る日に病棟から抜け出して駅に向かうのだが、途中であった病棟の看護婦に「早くお帰りになってね」と見送られる始末。
あまりにも緊迫感がなくない?
そして、時代のせいなのか堀辰雄という個人がそうなのかはわからないけれど、どの人物も自分のことしか考えていない。
病気だとか病気じゃないとか関係なく、自分の感情にまわりの人を巻き込むのを当たり前と思っている。
小説は、登場人物に必ずしも共感しなくてもいいと思ってはいるけれど、登場人物同士の共感すらまったくなくて、自分の問題で手いっぱい。
ストーリー自体に起伏もなく、共感できない登場人物たちの屈託を延々聞かされる。
「風立ちぬ」はまだ、節子とその父親の互いを思いやる心情とか、節子が語り手の私を精神的に支えようと努めるところなどがままあるが、「菜穂子」に至っては、母と娘の冷たい断絶、夫婦の間の無関心、恋人への自分勝手な怒りなど、ちょっと読んでいてイライラしたなあ。
解説も、この作品の解説は書けなかったのか、宮崎駿の映画について多くの文字を費やしているくらいだった。
私が日本近代文学が苦手だからなのかな。
サナトリウム文学を読むなら、『魔の山』で充分。
宮崎駿の映画「風立ちぬ」には感動したけれど、あれとこれとは別作品。
このご時世に、読む必要はあるのかなあ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
薄暗い静かな美術館で、照明ライトに当てられた一枚の絵を見せられているような感覚でした。とにかくその絵が優しすぎて、正直、私には難しかったです。もう一度読み直してみたら感想が変わるかもしれませんが、もう少し熟成させてみようと思います。
今のところは、「私」の気持ちを尊重してサナトリウムに居続けた節子の愛の深さ。母親に対する反発心からの結婚だったけど、切羽詰まって新宿行きの列車に乗る菜穂子に、圭介への愛と生への執着を感じてしまう。
愛されていたことに気づいたときに、残された者が次の一歩を踏み出せるのかもしれない。 -
ジブリ映画の話かと思っていたけど、元になったのだと知った。
日記のような感じで書かれていた。
きれいな話だと思った。 -
『風立ちぬ』
山奥のサナトリウムに入院する妻に付き添う日々を理想的な生活と考える主人公。
特にわかりやすい事件が起こることはない。
天気の変化や自然をいちいち自分の心情と結びつけて、あれこれ考えたり悩んだりする。
『菜穂子』
母の日記と、菜穂子のサナトリウムでの療養生活の二部構成。
こっちの方が読みやすい。 -
宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」のモチーフとなった中編小説と、その映画のヒロインと同名の長編小説の2作品。両作品ともに、ヒロインが美しい自然の中にある病院で入院生活を送っている。「風立ちぬ」は、死の影が迫りくる中でのお互いの思いやる姿が美しくて儚い。
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宮崎駿の映画『風立ちぬ』の素材となった本。二編からなる。映画『風立ちぬ』の素材と言われても、妻が結核を煩い亡くなるということ以外、あまりにもストーリーが違いすぎ、少し期待に反した。
<目次>
風立ちぬ・・・次郎と節子
菜穂子
楡の家・・・母三村夫人と菜穂子、森於菟彦
菜穂子・・・菜穂子、黒川圭介、都築明、早苗
「風立ちぬ、いざ生きめやも。」
2013.12.01 『風立ちぬ』を検索していて見つける。
2014.01.19 読書開始
2014.01.22 読了
読書時間215分 -
言葉は、放ってしまえば、もう自分のものではない。
あれこれと条件に照らして、最も適切な表現という安心を探し、それを放つのにもっともらしい心情を用意しても、言えなかったり、言った側からその不完全さに戸惑ったり、新たな情意がめまぐるしく立ちあがる。
この侭ならなさの中で、近しさを続けるべき関係性だけが担保された空虚。潜在意識の奥底まで汚泥を流し込まれるような、家族という侭ならなさの再生。
人を苦しみから解き放つのは、唯々悩むのではなく、悩み抜こうとする意志だと思う。それは身体を信頼させる。信頼された身体は心の緩みをせき止め、境遇を了知させる。そして行動を伴わせることだろう。
それがなんなのか、観察しながら生きている。観察しながら、それがなんなのかわからないまま、ぼんやりと消えてゆくのを眺めていたり、いつまでもずっと燻らせ続けていたりもする。
自分が望んでいることがわかったとして、何になるだろう。
映画「風立ちぬ」との共通性は、結局のところそんな前提と結核という死の接近であって、宮崎駿は、そこに飛行機をドスンと持ち込み、顔を空に向けさせた。その空の、なんと青かったことか。
侭ならない偶然の充満と、ほかの人にはわからないナイスキャッチと、それをとても大切にできるというファンタジー、その中に生きることの悟性、それを失って了知してゆくという救いのプロセスが示された映画の着想が、この小説からどのように抽出されたのか、腑に落ちきれないものが残った。 -
山口百恵主演の映画を観た後に、原作を読んでみた。
たぶんジブリの風立ちぬを想像してると痛い目にあう。はず。
ちゅーか、ジブリの後半あたりがこの話かも…
とりあえず純愛。
映画よりもジブリよりも、やはり本は純粋。
サナトリウム(末期の保養施設)に新婚ホヤホヤだけど
そこから暮らしが始まり、そこから命が終わる。
終わる場面など存在しないのだけど、愛とはなんぞや
という「私」と節子のやり取りの中で
自分がこうしたい、あぁしたいという感情がもろに出てるというか。
“人間に大きな衝動を与える出来事なんぞと云うものは却ってそれが過ぎ去った跡は何んだかまるで他所の事のように見える”
何という素晴らしい言葉。
そうだ、確かにそうだなと何度も思った。 -
死と常に隣り合わせ。とてもきれいな恋愛小説。
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※ジブリとは別です
夜、朗読したくなる本。
サナトリウムと言うモチーフ、好きです。
良いのか悪いのか、ジェンダーについて時代を感じるかも?