- Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
- / ISBN・EAN: 9784094088779
感想・レビュー・書評
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薄暗い静かな美術館で、照明ライトに当てられた一枚の絵を見せられているような感覚でした。とにかくその絵が優しすぎて、正直、私には難しかったです。もう一度読み直してみたら感想が変わるかもしれませんが、もう少し熟成させてみようと思います。
今のところは、「私」の気持ちを尊重してサナトリウムに居続けた節子の愛の深さ。母親に対する反発心からの結婚だったけど、切羽詰まって新宿行きの列車に乗る菜穂子に、圭介への愛と生への執着を感じてしまう。
愛されていたことに気づいたときに、残された者が次の一歩を踏み出せるのかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『風立ちぬ』
山奥のサナトリウムに入院する妻に付き添う日々を理想的な生活と考える主人公。
特にわかりやすい事件が起こることはない。
天気の変化や自然をいちいち自分の心情と結びつけて、あれこれ考えたり悩んだりする。
『菜穂子』
母の日記と、菜穂子のサナトリウムでの療養生活の二部構成。
こっちの方が読みやすい。 -
宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」のモチーフとなった中編小説と、その映画のヒロインと同名の長編小説の2作品。両作品ともに、ヒロインが美しい自然の中にある病院で入院生活を送っている。「風立ちぬ」は、死の影が迫りくる中でのお互いの思いやる姿が美しくて儚い。
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宮崎駿の映画『風立ちぬ』の素材となった本。二編からなる。映画『風立ちぬ』の素材と言われても、妻が結核を煩い亡くなるということ以外、あまりにもストーリーが違いすぎ、少し期待に反した。
<目次>
風立ちぬ・・・次郎と節子
菜穂子
楡の家・・・母三村夫人と菜穂子、森於菟彦
菜穂子・・・菜穂子、黒川圭介、都築明、早苗
「風立ちぬ、いざ生きめやも。」
2013.12.01 『風立ちぬ』を検索していて見つける。
2014.01.19 読書開始
2014.01.22 読了
読書時間215分 -
言葉は、放ってしまえば、もう自分のものではない。
あれこれと条件に照らして、最も適切な表現という安心を探し、それを放つのにもっともらしい心情を用意しても、言えなかったり、言った側からその不完全さに戸惑ったり、新たな情意がめまぐるしく立ちあがる。
この侭ならなさの中で、近しさを続けるべき関係性だけが担保された空虚。潜在意識の奥底まで汚泥を流し込まれるような、家族という侭ならなさの再生。
人を苦しみから解き放つのは、唯々悩むのではなく、悩み抜こうとする意志だと思う。それは身体を信頼させる。信頼された身体は心の緩みをせき止め、境遇を了知させる。そして行動を伴わせることだろう。
それがなんなのか、観察しながら生きている。観察しながら、それがなんなのかわからないまま、ぼんやりと消えてゆくのを眺めていたり、いつまでもずっと燻らせ続けていたりもする。
自分が望んでいることがわかったとして、何になるだろう。
映画「風立ちぬ」との共通性は、結局のところそんな前提と結核という死の接近であって、宮崎駿は、そこに飛行機をドスンと持ち込み、顔を空に向けさせた。その空の、なんと青かったことか。
侭ならない偶然の充満と、ほかの人にはわからないナイスキャッチと、それをとても大切にできるというファンタジー、その中に生きることの悟性、それを失って了知してゆくという救いのプロセスが示された映画の着想が、この小説からどのように抽出されたのか、腑に落ちきれないものが残った。 -
死と常に隣り合わせ。とてもきれいな恋愛小説。