密葬 -わたしを離さないで- (ガガガ文庫 え 1-5)

著者 :
  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784094514377

作品紹介・あらすじ

少年は、もがく。過去と決別するために。

同級生にモップで殴りかかった陵司に1か月の停学処分が下された。

陵司は、校内で有名な不良教師・間宮からとある提案を持ちかけられる。
「原稿用紙300枚分の文章と引き替えに、停学を無かった事にしてやる。さらに、その文章の内容に関わらず出版もしてやる」
不適に笑う間宮は、陵司の「過去」、殺人という枷を知っているように見えた。
静かに生きようとする陵司を晒しものにしてやる、という底意地の悪さがにじみ出ていた。

一方、陵司が襲った同級生・真琴のことも無視できなくなる。
真琴は巷でも有名な強請屋だった。
しかし陵司は、金も持たない自分が、なぜ真琴の標的になったのかが分からない。
あまりにも的確に、自分を挑発してきた真琴の真意が分からない。
どうして八尋の自殺と、陵司の殺人を知っていたのかが、分からない。

己の過去を掘り起こそうとする二人の人間に狙われた陵司は、どちらからも逃れるための策を見いだすが……。

『鳥葬-まだ人間じゃない-』に続く、江波光則の暗黒青春群像劇第二弾。

少年は、もがく。孤立という壁で守ってきた弱い心を葬って……。

感想・レビュー・書評

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  • 車に乗っているところのイラスト人物比縮尺がとっても気になる
    がそれはともかく
    暗黒なのかどうか昔すぎて対自分比縮尺があやふやでよくわからないが
    いろいろ悩んでこれからぼちぼちが青春で
    いろいろ疲れて夕暮れ時なのが教養小説だと思うが
    もちろん人生を長いと思うか辛いと思うか面倒と思うか
    何にいつどの程度どう感じてどうするかも
    自身の心境においてはどうとでも成りうるので
    構成だけの問題だとは思う
    作品での表現は啓蒙とか承認欲求だけで表現できないところも当然だ

  • ラストの怒涛の展開が気持ちいい。

  • これがライトノベルかと言われると首を傾げるが、青春小説であることには間違いない。
    主人公は小学生の頃に誤って人を殺した前科があり、当然そのような人間は子供たちの間では疎まれるので現場にいた仲良しグループの面々もバラバラとなり各々異なった折り合いをつけて生きていて...という作品の続編。

    そもそも続編が出るとはまったく思っていなかったのだが、内容には納得してしまった。
    ビターな読み味に反して、優しさを感じる。

    この作品には大きく3つの主張が含まれている。

    (1).罪に対して妥当な判断をしよう
     いくら人殺しとはいっても必要以上に縮こまって人生丸ごとぶん投げることはない。人並みとまで言わずともそれなりな幸せを掴んでもバチは当たらない。
     そうは言っても正確な罪の大きさなんて測れないのが人間である。当事者ならなおさらだ。
     しかし作中の言葉をそのまま借りれば「それを気にして落ち込んで陰気になってりゃ善人ヅラできると思って、(中略)何かやった気になってんならデッケエ間違いだ」なのである。
     もちろんこの主人公は故意ではなく過失で殺人を起こしてしまったわけだし事故として処理されるようなものなのでこういうことが言えるのだが、とはいえ人殺しも見方によっては貴重な経験だ。何もしないでいるくらいならその経験を武器に何かプラスになることをやってみてもいい、というわけだ。

    (2).他人の威を借りて自分を表現するの、カッコ悪い
     作中では敵役の真琴がディケンズを剽窃(パクリ)して自分が評価されるための小説を書いていたことを看破される。
     指摘された真琴クンは顔真っ赤でブチキレてしまうのだが、なぜ彼がブチキレたのか、幾つか理由は考えられるがその中で最も大きいと思われるのがパクリがバレたらカッコ悪いから、というものだ。
     バレないだろうと高をくくって自分のモノとして世に公開したものがパクリでしたと判明すれば顔真っ赤も無理は無い。
     こんなものは "悪ふざけ" "ダメに決まっている" 程度のお遊びであり、主人公は真琴クンの行いを "中途半端" "雑音" "クソガキの俺自身" のような言葉で辛辣に貶している。

     もっともこれはパクリを行うダメ創作者に限ったことではなく、こうして感想を書き散らしている私のような人間にも同じことが言える。
     感想や批評なんてのは、他者の作品を踏み台に自分を主張しているに過ぎないからだ。これは前作の鳥葬でも同じことが語られている。
     "作者の名前など覚える奴は、どうかしているに決まっているのだ。" など耳の痛い指摘もあるのだが思うところあってこの感想を書いている。
     なんにしても文字を書いて生計を立てている人間がよくもこんな話を書けるものだ、と感心する。

    (3).一人で生きている気になるな
     なるべく他人と関わらないように、迷惑をかけないように、と意識していたとしても、社会の中で生きる以上最低限度の関わりは捨てられない。
     それを忘れて一人で生きようなどと考えたとしても、どうしても関わってしまう人たちには余計な気苦労、迷惑をかけてしまうことのほうが多いはずだ。
     自分の人生は自分のモノだが、今後関わっていく他人の人生まで一緒になって投げ捨てていい道理は無いのである。


    では、これらをもって本当に言いたかったことは何だったのか。それはラストシーンにわかりやすく書いてくれている。
    "俺たちは何も気にしないのが一番良かったんだと。忘れたっていい。たまに思い出した時にちょっとだけ反省すればいい。そうしているのが、一番、他人に迷惑をかけない、自分も辛くない、一番の解決法なんだと教えてやれる。"
    "俺たちは他の誰にもなる必要はない。"
    "自分は、自分だと受け止めていけばそれでいい。何を選び取ろうが何を捨てようが、何も変わりはしないどころか、悪い方にすら転がっていってしまうのだ。"

    実際以上に自分を飾り立てて表現しても、底が見えたときにダセェなあ、と思われてうまくいかないのが関の山だ。
    そもそもそんな付き合いをされるとどこまでが本当なのか分からず信用できないと感じるのではないだろうか。少なくとも私はそうだ。

    そして過去の罪は自分の納得の行くところまで社会の中で償っていけば良いのであって、縮こまって孤立したところで罪の意識を拭うことはできない。

    この二つはまったく関連が無いようにも思えるが、要はありのままの自分を認めて生きていけと言っているだけなのだ。それができるヒトはそうでないヒトよりも多くの幸福を感じて生きていくことができる。

    自分を大きく見せたがる人や、過去に怯えて辛い思いを抱えている人にこそ読んでほしい。
    終盤の流れにやや都合の良すぎるモノは感じたものの、許容範囲だろう。面白かった。

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