山の精神史: 柳田国男の発生 (小学館ライブラリー 89)

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  • Amazon.co.jp ・本 (354ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784094600896

作品紹介・あらすじ

『後狩詞記』『遠野物語』は生きている。それは柳田の常民の民俗学の原点であるとともに、まったく異質の方向を指し示す著作でもある。これらの物語発生の現場に立ち会って、柳田の思想の根源を考える。

感想・レビュー・書評

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  • ・九州の旅行中に心付きし事なるが、小さき橋にても其四隅の袂に大木を植えたるもの多し。日向の椎葉山中にて見しは橋辺の木に限り必ず杉なり。之は以前疑いもなく橋の控え木の用を為せしものなり。
    架橋の術進みては控え木の必要なくなりたれど、昔は此樹木に大綱を掛けて両方に渡せしなり。椎葉の山村を始め阿波の祖谷(いや)等の山中には、今も藤橋とてゆらゆらとする古風の橋あり。
    ―後狩詞記

    ・我々の祖先の植民力は非常に強盛でありましたがそれにも明白に一つの制限がありました。如何なる山腹にも住む気はある。食物としては粟でも稗でも食うが、唯神を祭るには是非とも米が無くてはならぬ。
    今日の考では解しにくいが昔の人の敬神の念は中々生活上重要なものでありました。そこで神には粢(しとぎ)なり神酒なり必ず米で製したものを供へねばならぬ故に、仮令一反歩でも五畝歩でも田に作る土地の有ると云うことが新村を作るに欠くべからざる条件であったのです。
    物恐ろしい山間へ始めて入込むのですから殊に産土の神の力に依頼する必要のあった上に、海岸などの平地では取り別けてここを水田にときめて置く必要はなくても、山中では田代の地が非常に肝要であった為に、自然地名と成って今日に残って居るのでありませう。

    ・山ノ神は今日でも猟夫が猟に入り木樵が伐木に入り石工が新たに山道を開く際に必づ祭る神で、村によっては其持山内に数十の祠がある。思うに此は山口の神であって、祖先の日本人が自分の占有する土地と未だ占有せぬ土地との境に立てて祀ったものでありませう。

  • 柳田國男が、民俗学や常民といった概念にたどり着く前にこだわっていた、「山人」とはいったいなんであったのかを追究した本といえる。民俗学以後の柳田はなんとなく権威主義でかなりの保守という印象があったけれど、それ以前にはなんと粗削りで可能性を秘めていたのか。山に住む私としては、柳田が考えたような山人が、いまだその辺の山奥には住んでいて夜遅くや朝早く、あるいは人のいない秋の終わりから冬にかけて出てきているのではないかと思うことがある。次の『漂白の精神史』を読んでみたいし、『海の精神史』は、SLに入らないのだろうか、さらに言えば『常民の精神史』は書かれるのだろうか。

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著者プロフィール

1953年、東京生まれ。学習院大学教授。専攻は民俗学・日本文化論。
『岡本太郎の見た日本』でドゥマゴ文学賞、芸術選奨文部科学大臣賞(評論等部門)受賞。
『異人論序説』『排除の現象学』(ちくま学芸文庫)、『境界の発生』『東北学/忘れられた東北』(講談社学術文庫)、『岡本太郎の見た日本』『象徴天皇という物語』(岩波現代文庫)、『武蔵野をよむ』(岩波新書)、『性食考』『ナウシカ考』(岩波書店)、『民俗知は可能か』(春秋社)など著書多数。

「2023年 『災間に生かされて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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