- Amazon.co.jp ・本 (370ページ)
- / ISBN・EAN: 9784096221143
作品紹介・あらすじ
日清・日露戦争で序列化された人びとの「いのち」。帝国主義の発展と重みを失う一人ひとりの生命。
感想・レビュー・書評
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「いのち」の序列化を主題に明治中期から大正期を扱う。どういう背景から「いのち」は序列化されたのか、どのような抵抗があったのか、戦争や政治・思想・文化に分け入り解明する。現在にまで通じる事象も明かされ価値ある一冊と思うが、この本には限界がある。徹底した弱者視点により、権力の影の部分を極大にして描いている点である。権力の意味を問う時、歴史に向き合う時、これはあまりに不公正と言わざるを得ない。また運動家のナイーブな理想に共感を寄せすぎている点、歴史的事象に対する著者個人の価値判断が強く出てしまっている面がある。
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明治中期から1920年代。日清戦争から関東大震災という歴史になる。面白い本だったし、この日本史のシリーズは読んでみたいと思う。
しかし、2点批判を。
1点目。為政者や権力システム側への言及が足りない。
だれが、なぜそうしたのか。それが現場におけるどのような実践に結びついたのか。そしてそれがどのように、権力側の意思決定にフィードバックされたのか。そのダイナミズムが知りたい。
「なぜこのようにしたのか」のベースにあるのは、著者の言うとおり「いのちの序列化」にあったからだと思う。それはいい。その上でそれが、どのように作用したのかを知りたい。
2点目。「社会科の先生流儀の上から目線」と私がよぶもの。
「我々は◯◯しなければならないのである」「我々が◯◯を認識することが今後求められるであろう」といった文章の締め方。この本でも随所に出てくるが、巻末の言葉がまさにこれだった。「これ以上『非命の死者』を生み出さないために、私たちは、あらためて歴史に学ぶ必要があるだろう。」(P352)
この著者だけではなくて、センセイはこういうのが好きだ。ほんとうにそう思って書いているのか、それとも「お世話になっております」とか「おつかれさまです」と同じような言葉なのかは、よく知らない。
だとしても、この本の趣旨的に言っても、こういう「内在化され、自覚していない上から目線」こそが、批判されるべきなんじゃないの? だってそれは、日本人が朝鮮人に対して、中国人に対して、霧社の生蕃に対して、癩病患者に対して持っていた視線なのではないの? と思うからだ。あっちの序列化は悪い序列化、こっちの序列化は良い序列化、というわけには行かないのではないかと思う。 -
[ 内容 ]
日清・日露戦争で序列化された人びとの「いのち」。
帝国主義の発展と重みを失う一人ひとりの生命。
[ 目次 ]
はじめに 「いのち」の序列化
第1章 「いのち」と戦争(向田邦子の祖父の体験;日清戦争―文明国への「入学試験」 ほか)
第2章 「いのち」とデモクラシー(川岸きよの米騒動;足尾銅山鉱毒事件―もうひとつの「近代」 ほか)
第3章 「いのち」とアジア(霧社に立つ;韓国併合― 植民地帝国へ ほか)
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[ 参考となる書評 ] -
日清・日露戦争~「大正デモクラシー」期まで。この時期を「いのち」を序列化する資本主義・帝国日本の発展期と位置づける新しい視角で通史を執筆。かつてなかった視点からの通史という意味で、評価できると思う。