大江戸なんでもランキング

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著者 : 中田節子
  • 小学館 (2002年11月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784096260654

大江戸なんでもランキングの感想・レビュー・書評

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  • ランキング自体は???
    だけど、捉え方がユニーク。
    庶民のお嫁入り道具ランキング、
    囲碁や将棋の十傑、著名な女性等の人物紹介等、
    興味深いものが多い。
    コラム的なものも・・・貧乏藩士と金持ち藩士の比較は
    面白かったです。

  • 江戸のことは、なんとなく漠然と知っていたつもりでしたが、この本に書かれている細かい事情についてまでは知らないことばかりだったので、じっくり読みました。
    著者は電通の学芸員から専門家になった人。
    知らない人物も大勢紹介され、とも一度には網羅しきれませんでしたが、さまざまなジャンルに分けられてリスト化されているため、詳細なデータでありながら、興味を切らさずに最後まで読み通すことができました。

    それまでは年貢米が価値の基準であった米経済が、貨幣経済に変更したのが元禄時代。
    移行当時には、さまざまな混乱があったようです。

    家康は600万両(6千億円くらい)の遺産を残したのに、5代将軍綱吉の頃にその遺産はほとんど使い果たされていたとのこと。
    幕府のお財布事情も苦しくなっていたのですね。
    8代将軍吉宗は、紀州藩主として財政立て直しを果たした手腕を買われて将軍に推挙されたそうです。

    ケネディ大統領に「最も尊敬する政治家の一人」と言わしめた上杉鷹山、ダ・ヴィンチにも比せられる江戸のマルチ人間、平賀源内など、魅力的な人物も多々紹介されています。

    間部詮房(まなべあきふさ)は、幼少時は猿楽師だったのが、容姿端麗だったために、のちの将軍家宣の小姓となり、その後高崎藩の藩主になり、新井白石の調整役に任命されるという大出世を遂げました。

    間宮林蔵は、間宮海峡発見後は政府の内偵者となり、シーボルトが幕府の天文方高橋景保から入手した日本地図を持ちだそうとしたことを密告したそうです。
    高橋景保は、伊能忠敬の全国測量事業を全面的に援助した人でしたが、この事件で死罪に。
    シーボルトは国外追放となり、「シーボルト事件」と言われました。

    彼は自国にもどったのちも日本の開国につとめ、ペリーに資料提供もしたそうな。
    日本の開国に伴って罪を許され、再来日したとのこと。
    さまざまな人が絡んでいます。

    芭蕉は、女弟子の斯波園女の作ったキノコで中毒死したといううわさがあったそうです。
    彼女はその噂で、大阪にいづらくなって江戸に来た、マイペース俳女だったとのこと。

    沢庵和尚は、将軍秀忠の時代、紫衣事件で幕府に大徳寺住持の位を剥奪され、出羽に流罪になったが、家光の時代になると、家光に重宝された、政治的にも重要な人物。
    小説のように、宮本武蔵と遭ったことはなかったそうです。

    篤姫の夫、13代将軍家定の趣味は料理で、お菓子作りが得意で饅頭やカステラを作り、家臣にふるまったとのこと。
    父家慶の病気時には毎日おかゆを作って届けるという優しさがありましたが、周りはやめさせたがったそうな。
    今だったら理想的な男性像となる趣味ですが、時代が早すぎたようです。

    江戸時代に庶民にも教育の基礎ができていて、日本は世界一に識字率を持っていたというのは、誇れることですね。
    それが、情報伝達やスピーディな近代化の元となったと説明されていました。

    環境問題は、意外にも江戸時代にすでに始まっていたそうです。何をするにも木が必要のため、幕末の箱根の写真を見ると、ほとんど木が生えていないそうな。
    今の方が緑が多いとのことです。
    ただ、一旦原料にしたものは、炭になるまで何度も使い尽くす、リサイクルが発達していた時代だったそうです。
    エコロジー精神でしょうか。

    絵島生島事件での処罰は、当事者だけではなく、1500人にも上ったということに驚きました。
    当事者というより、絵島が仕える月光院の大奥内での派閥争いに端を発した事件でしたが、結果として大奥の力もそがれていったそうです。

    幕藩体制の崩壊のきざし⇒<弾圧>蛮社の獄、安政の大獄⇒<反発>桜田門外の変⇒大政奉還へ、という時代の流れ。

    平和になった江戸時代に、唯一武士道を貫く方法が、かたき討ち。
    これは思うよりも困難な試みで、武士は一度敵討のために藩を出たら、終わるまで帰れなかったそうです。
    さらに、一度失敗したら、再びの敵討はできなかったとのこと。
    顔も行方も知らない敵を探すことは、困難を極めたことでしょう。
    母の敵を58年間探し求めた人もいたとのことで、まさに一生をかけた大悲願だったわけですね。

    敵討は1873(明治6)年に法律で禁止されるまで続けられたそうです。
    宮城野で父を無礼打ちされた11歳と8歳の百姓の姉妹が、仙台藩の剣術指南役の元に住み込み、剣の腕を磨いて5年後に家老の剣術指南役を討ち取った暁には、姉妹は称賛され、良縁を得、「宮城野・信夫の仇討」という歌舞伎にもなったとのことです。

    虚無僧は、普化宗という宗派のみのスタイルということも知りました。
    普化宗に入れるのは武士だけという限定的で独特の宗派です。
    日本中旅は自由、大小帯刀、いつでも武士に戻れるという大特権が幕府からおりていたとは、当時にしてはオールマイティ。
    忍者が化けるのもさもありなんと思いました。

    いろいろなデータが紹介される中、やはり一番心惹かれるのは、今なお私たちを幸せにさせる江戸生まれのグルメ。
    この時代に、鰻のかば焼き、天ぷら、おでん、にぎりずし、蕎麦、海苔などが発明されたとのこと。
    先人たちのアイデア力のおかげで、今こうして美味しい思いができているとは、ありがたい限りです。

    今後の江戸情報の足がかりとなりそうな詳細データで、ためになりましたし、著者の文章は、のびのびとしながらも深い知識に裏打ちされたものだったので、非常に読みやすかったです。

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