- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784098250431
感想・レビュー・書評
-
100年でこんなにも変わったのか。。100年前に生きていたわけではないが、懐かしい気持ちになる。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
地形図の過去と最新分を基に土地利用などの変遷で面白いトピックをセレクトして解説している本。過去は明治や大正の頃から。全都道府県から平等に1つずつセレクトされている。岩手田老町の堤防の話は、刊行されたのが東北大震災の直前のせいか「10mもの高い堤防がございます」で終わっている。この後のあれ程の悲劇が待っているる訳だがよって言及がない。戦前は思ったよりも軍事用施設が国内に多かったことが分かった。自然災害や古今の大規模開発で豹変している場所は結構沢山ある様だ。借りて読んだけど、買って読んで保管しといた方が良さそうな内容。
-
新書文庫
-
感想未記入
-
竹内氏の本は初めて読みましたが、この本の企画は昔の地図を持ってきて、現在の土地は昔どうなっていたのかを解説している本です。機会があれば私が今住んでいる場所はニュータウンと言われているので、調べてみたいなと思いました。
以下は気になったポイントです。
・周囲82キロ、総面積220平方キロあった八郎潟(琵琶湖に次いで2番目の湖)は、昭和32年から干拓工事が始まり昭和39年には「大潟村」として新しい自治体が誕生した(p36)
・東海道本線が関ヶ原を通るのは、当初案だった中山道幹線を一部使用しているから、東北本線は軍部から艦砲射撃にさらされる危険のない内陸ルートが求められた(p38)
・約120年前に起こった明治最大の噴火災害が、会津磐梯山の大噴火である(p42)
・神道そのものは1500年以上の歴史を持つが、明治神宮は大正9年(1920)に創建された新しい神社である(p67)
・開業当初の鉄道は、大都市と近くの港を結ぶためのものであった、東京~横浜、大阪~神戸、名古屋~武豊、札幌~手宮は、前者2つは独自プランとして建設された(p92)
・江戸時代の城郭のうち、相当数は明治に入っても陸軍が使用した、名古屋・大阪・広島・新発田(新潟)=現在も陸上自衛隊が使用、金沢、姫路、熊本城など(p114)
・昭和初期までの琵琶湖はもっと広かった、内湖と呼ばれる大小の潟湖が40以上存在して、総面積は29平方キロもあった、摩周湖や諏訪湖以上の大きさ(p122)
・安土城は内湖である小中の湖に突き出た半島の山上に築城されていて、城の三方は湖に囲まれていた(p125)
・平安京では、東の青龍にあたる「流水」が鴨川、西の白虎にあたる「大道」が西国街道、南の朱雀にあたる「窪地」が巨椋池(おぐらいけ)、北の玄武にあたる「丘陵」が船岡山であるが、巨椋池は昭和8年から16年にかえての干拓事業で農地となった(p128)
・井伊直弼は勅許をまたないで、新潟・神奈川・兵庫・長崎の開港を求めた日米修好通商条約(1858)を調印したが、京都に近かった兵庫の開港は最後まで抵抗した、幕府は1868年に認めさせたが、居留地を確保できなかった兵庫に変えて、そ隣の神戸村を開港地とした(p134)
・昭和45年に、神戸~鳴門、小島~坂出、尾道~今治の3ルートの同時着工が決定したが、昭和48年11月の起工式の5日前に着工中止と本四架橋工事の全面凍結が決まった(p151)
・広島はただの軍都ではなく、明治27年の日清戦争当時、広島城の本丸には大本営(最高戦争指導機関)がお彼、帝国議会も移っていた(p156)
・アメリカは、広島を京都、新潟、小倉とともに原爆の投下候補地としていた、都市の規模や山に囲まれた地形が原子爆弾の破壊力を探るのに適していたから(p158)
・有明海の干拓面積の合計は260平方キロに達していて、東京23区の総面積や八郎潟干拓よりも大きい(p186)
・宮崎市は、全国の県庁所在地のうち、浦和(さいたま市)、山口に次いで、3番目に遅い市制施行であった、宮崎は市が誕生したのが最も遅い県であった(p204)
2010/08/22作成 -
北から都道府県別にピックアップされた今と昔の地図。それを通して知ることのできる日本の歴史、歩み。
寝る前にちょっと読むのに、最適。目次をみてその日の気分で読む地域を決めるという邪道な読み方をしていました。 -
明治から近代まで地図の上で変貌を遂げた地域を、各都道府県で一つづつ代表で取り上げている。奈良の天理が選ばれているのに意表を突かれた。