「おめでたい人」の思考は現実化する (小学館新書)

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  • 小学館
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  • Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784098252640

作品紹介・あらすじ

考えても仕方ないこと、考えすぎてません?

格差が広がり、息苦しさが増す日本。挑戦することよりリスクを回避することを優先し、失敗を恐れるあまり何もしない人が増えている。
行動さえすれば手に入るものは多いはずなのに、チャンスを逃してしまうことが問題で、これでは国力も落ちて当然だ。
そんな状況を打破できるのは、「考えても仕方ないことは考えない」「まず行動してみる」おめでたい思考パターンを持つ人たち。

<おめでたい人の特徴>
・周囲の批判は気にしない
・褒められると真剣に喜ぶ
・考えるよりまず行動する
・世の中が決めた「正解」なんて信じない
・うまくいかなければすぐ次にいく身軽さがある

なぜこの思考パターンが成功を引き寄せるのか、実在の成功者たちの思考がどう働いたのか、わかりやすく解説する。
また誰でもその思考パターンを身につけることができる日常的な発想トレーニング法も公開、人間関係の悩みや将来への不安に立ちすくんでしまう人を
「肩の力を抜いて、とりあえず一歩踏み出してみよう」と元気づける、人気の精神科医の「おめでた思考」のすすめ。

感想・レビュー・書評

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  • 役立つ情報がちらほらある
    コレステロールが低いと、セロトニンがうまく機能しないからうつになりやすく治りにくいとか

    おめでたいって皮肉っぽい言葉だけど
    著者によると良いおめでたさがあって
    それは単純にポジティブに生きるということ
    そのために具体的に何をすれば良いか
    わかりやすく提案されている

    真面目すぎる人向けの本

  • 「おめでたさ」とはどういうことかは第1章できちんと述べるけれども、現代の日本は「おめでたい人」に有利で、反対に「おめでたくない人」は生きにくいことが多い。 就活であれ、婚活であれ、多くの人々が「失敗したくない」と縮こまっている。だからこそ私は「おめでたい人」が有利だと主張したいのだ。
     
    スティーブ・ジョブズのような実業家やノーベル賞学者など世界の名だたる成功者を見ると、失敗する可能性が高くても気にせず面白そうなことをやる、そしてそれができるはずだと信じた「おめでたい人」が多い。 そこまでの成功者にならなくても、失敗を恐れず、いろいろなことにチャレンジする社風のある企業は強い。

    「批判をあまり気にしない」とか「物事をポジティブにとらえる」といった要素を持つ「おめでたい人」は、停滞を打ち破る可能性を秘めている。

    最近公開されて話題になった、マット・デイモン主演、リドリー・スコット監督の映画『オデッセイ』は、火星から有人探査チームが脱出した際、アクシデントで基地にひとり取り残されてしまった植物学者が主人公の物語である。

    就活成功のコツは、かつてのように〝売るポイント〟、つまりその人の強みを押し出すのではなく、マイナス点をなくすことだと信じているように見える。学生たちは「会社の空気になじんでうまくやれる人物と思われたい」という考えが強いようだ。

    しかし、世間を知らない教授が行う大学入試の面接とは違って(AOの本場アメリカでは、そのために教授でない専従の職員が入試面接を行っている)、会社を伸ばしていく人材を求める企業は、この手の「ビビり人間」を喜ばない。ビビッて、慎重に対策を練ってくるミスのない学生が、何社も入試面接で落とされて(こういう人はいいところまで残るので、それが正しいと思っていることが多い)、能天気に自分の言いたいことが言える学生のほうが名門企業に入れたりする。


    「おめでたさ」が足りないと、「俺はこのレベルの人とはとても付き合ってもらえない」「稼ぎが少ないから結婚なんかできない」と最初からあきらめてしまう。となると階層はますます固定化していく。 それはまた現代日本の問題のひとつでもある、生涯未婚率の高さへとつながっていくわけだ。
    つまり、かつて男が女に求めていたものを立場を逆にして男性に求める女性がすでに出現してきているということだ。 となると、「おめでたい人」が高嶺の花をさらっていく、といったことがますます起こりやすくなるはずである。「ムリ、ムリ」「どうせ自分なんか」と思っている限りにおいては、格差社会化や階層の固定化からは抜け出せない。

    一方、「おめでたい人」なら、こんなふうに考えるかもしれない。 「映画会社には入れないし、テレビ局も無理そうだけど、まずはハードルの低いテレビ番組の制作会社に挑戦しようか」「制作会社はテレビ局よりはずっと給料が安い代わりに、就職の競争率は低いらしい。俺の学歴でも入れるかも」 実際、制作会社のほうが監督とかディレクターになれる確率がずっと高いのに、猫も杓子もテレビ局を志望するのは、漠然と華やかで給料が高そうというイメージだけで捉えているからだ。だが、イメージに振り回されて自分で結論を出していては、何も考えていないのと同じことだ。 いったん「おめでたく」なれれば、あきらめるより前に、もう少し夢の実現の可能性をきちんと調べることだってできる。そして、その結果を知ることで、さらに「おめでたく(前向きに)」もなれる。

    おめでたい人は、あきらめる前によく考え調べるから、こんな「おめでたい」先輩たちの前例も知りやすい。だからさらに自信をつけることができるし、勇気も出る。これこそ「おめでたい」人の強みであり、好循環の仕組みだ。

    だが、グーグルやバイドゥが登場し、今になってみれば彼らのほうが勝っていたりする。やはり「やったもの勝ち」かつ、「やらなかったものにチャンスなし」なのだ。 世間が悪いムードになっているときこそチャンスと思わなければいけない。 発想力や行動力に富む「おめでたい人」にとって、まちがいなく有利な流れがやってきているのである。

    だが、グーグルやバイドゥが登場し、今になってみれば彼らのほうが勝っていたりする。やはり「やったもの勝ち」かつ、「やらなかったものにチャンスなし」なのだ。 世間が悪いムードになっているときこそチャンスと思わなければいけない。 発想力や行動力に富む「おめでたい人」にとって、まちがいなく有利な流れがやってきているのである。

    とはいえ、大きな成功など、そうそうできるものではない。つまりショボい達成、小さな成功を喜べる人が、いつもニコニコしていられるはずだ。 最近、流行のアドラー心理学(後述*)流に言うと、「小さな成功を喜べる人」は「勇気づけを得てさらなる前進をしようという人」である。
    考えても仕方ないことは考えない 「おめでたい人」は、たとえ失敗してもくよくよせずに「まあ、いいか」と考えるから、場当たり的であってもいろいろなことにチャレンジできる。その特徴を一言で言えば「考えても仕方ないことは考えない。まず行動する」ということになるだろう。 理論に縛られるより、さまざまな体験・経験ができる。結果として、多くのことを学んでいくわけだ。 「どうせ女性にふられるなら、ブスにふられるより美人にふられるほうがいい」という考えで美人を誘ったら意外にもデートができた、などという経験をすると、「やってみないとわからないもんだ」と学習するから、また「当たって砕けろ」の方針で何でも挑戦をするようになる。女性を口説くときだけでなく、ほかの仕事にもチャレンジしやすくなりがちだ。 こうして、行動と結果の好循環が始まることになる。


    あるいは、自分は運がいいと思っている人は、ものごとに尻込みせずに挑戦するから、おのずとたくさん場数を踏むことになる。その中で成功体験があると、自分の運のよさをさらに信じることができるわけで、これまたいい循環につながる。 つまり、ものごとを楽観的に見ることで、成功の絶対数は増える。チャレンジの数=打数が増えるからだ。大事なのは打率よりもヒット数だから、「やってみる」のと「尻込みして動かない」の違いは大きい。

    打数を増やすためには「運がいいはずと思う力」なり、「ずうずうしさ」「あつかましさ」なり「自分を信じる力」が必要になる。 だから、おめでたく生きて打数を増やしていると、結果的に幸せをつかむことが多いのだ。

    頭の中でこねくり回すより、動くほうが大事──これは基本的なテーゼである。


    それでも、意識して「おめでたさ」を身につけることはできるはずだ。 統計学的に有効性が確認され、日本でもアメリカでも心理療法として主流になっている認知行動療法は、「人間の心のありようは行動によって変えることができる」という学説に基づいている。 つまり「持って生まれたもの」や、その人の素質や性格ですべてが決まるわけではない、ということだ。人間は経験によって学ぶことができるのだから、「おめでたさ」は後天的にも得ることができる。

    褒められて喜べる人 「おめでたい人」の典型的な思考・行動パターンのひとつに、「素直に喜ぶ」「素直に感動する」といった、屈託のなさがある。

    感情の閾値についてさらに言えば、人間は感情から老化する。特に40代以降、感情の動きが乏しくなってきたら危険信号である。その意味からも、素直に感情表現できるほうが、脳の老化予防の見地から見ても望ましい。ちょっとしたことで楽しい気持ちになれたり、大きな声で笑ったり泣けたりするのは若さの印といってもいいのだ。
    日立造船のように、造船業のつもりで入ったら造船業はやめてしまい、環境ビジネスが主な業務になってしまう会社もある。そういう場合、新たな仕事を受け入れることができなければ、会社をやめなくてはならなくなることもあり得る。この手の話はいまや日常茶飯事だ。

    また、彼が福岡でソフトバンクの前身にあたる小さな会社を起業した際も、2人の従業員を前にして「10年で年商500億円の会社にする」と豪語、あまりの数字にあきれた従業員はすぐさま辞めてしまった、という逸話もよく語られている。 そんな「おめでたい話」を心から信じられる人だけが成功する、そんな人の思考こそが現実化する、といういい例だ(彼の歩んできた道は相当険しいものだったはずだから、おめでたい話の陰に大変な努力があることは言うまでもない)。


    加えて、今の学生たちには妙なプライドはあるけれども、腰の軽さがない。 「腰の軽さ」とは、「失敗をどう捉えているか」を行動に表したものと言える。失敗してもまた次があると考えているなら、次々と行動に移していけるものだ。

    シゾフレとはシゾフレニア(統合失調症)、メランコとはメランコリー(古典的なうつ病)からの命名だが、統合失調症というのは、「みんながおれの悪口を言っている」などと、周囲の世界ばかりが気になり、自分の心で信じているものより、外から聞こえてくる幻聴のほうを信じてしまう病気、うつ病は「自分がダメだから迷惑をかけている」などと自分を責める病気である。またうつ病になりやすい人は、自分の信念にこだわって、そこからはずれるとうつになりやすいし、また常に自分を責めてしまう傾向がある。そして、この「シゾフレ型」も「メランコ型」も、病気にはなっていない正常範囲の人で、これらの傾向が強い人ということで想定している。

    打数を増やすためには「運がいいはずと思う力」なり、「ずうずうしさ」「あつかましさ」なり「自分を信じる力」が必要になる。 だから、おめでたく生きて打数を増やしていると、結果的に幸せをつかむことが多いのだ。

    頭の中でこねくり回すより、動くほうが大事──これは基本的なテーゼである。

    それでも、意識して「おめでたさ」を身につけることはできるはずだ。 統計学的に有効性が確認され、日本でもアメリカでも心理療法として主流になっている認知行動療法は、「人間の心のありようは行動によって変えることができる」という学説に基づいている。 つまり「持って生まれたもの」や、その人の素質や性格ですべてが決まるわけではない、ということだ。人間は経験によって学ぶことができるのだから、「おめでたさ」は後天的にも得ることができる。

    「シゾフレ型」というのは、自分の心の主役が「他人」にあるタイプである。 つまり、他人にどう見られるかを気にして、自分の趣味や嗜好なども周囲や流行に合わせてしまい、主体性を発揮できず、表面的に合わせようとする人たちだ。自分らしさを持つよりも、「みんなと同じ」であるほうが、安心できるし満足できる。 この反対が「メランコ型」で、心の世界の主役は「自分」である。他人といつも同じなのはイヤなので、努力もするし競争も厭わない。だが、自分ががんばってダメだったら自分を責めることになる。 だから、世の中の主流が「シゾフレ型」になると、売れるものも集中するのでメガヒットが出やすい。「みんながおいしいという店」ばかりはやって行列ができるのも、同じ理由だろう。表向きは「個性重視」と言われるけれども、人目が気になって、いつも体裁が心に引っかかっているのである。 これも「おめでたさ」が不足している大きな理由のひとつだろう。

    要するに、こちらが予想することと、相手の気持ちは必ずしも一致しない。というより、一致しないほうが多い。過度に予想ばかりしているより、実際に動いて相手の反応を見て、それで判断するくらいでちょうどいいのだ。

    美人と結婚する男性を観察していると、その多くは、素晴らしくハンサムというわけでもないし、高収入・高学歴・高身長とハイレベルで揃った三高というわけではない。おそらく共通しているのは楽天的ということだろう、と気づいた。 結局、「おめでたい人」のほうが美人と結婚できることになる。何の根拠もなく「俺はモテるんだ」と信じられるからだ。

    そしてもうひとつが、ふられてもあきらめないことである。 「無理めな女」堀北真希さんをやすやす落とした男・山本耕史さんのことはワイドショーなどでもさかんに報道されていたから、記憶している人も多いだろう。 山本耕史さんは共演して以来、堀北さんに思いを寄せ、無視されても断られても、くじけずに40通ものラブレターを書き続けたそうだ。まさにこの二つ目、あきらめないことを地でいったわけである。 いろいろなところで報じられた記事などによると、山本耕史さんは断られても断られてもへこたれずに誘い続け、手紙を渡し続け、最後は堀北さんのスケジュールを調べて同じ新幹線を予約、いきなりプロポーズしたのだという

    もちろん、山本耕史さんも大変な魅力を持つ人気俳優さんであることはまちがいないし、ふたりの間に実際どんな恋のかけひきがあったかは誰にもわからない。しかし、一般論として、誰もが「高嶺の花すぎ」「手が届かない」と思っていた若くて美しい超人気女優を、中年の域にさしかかった自分が「押せばいける!」と信じて疑わなかった彼には、いい意味で「おめでたさ」が備わっていたといえるだろう。 「どう解釈するかは受け取る側に依存する」というのが、コミュニケーションの基本原理だ。つまり、前述のように相手のレスポンスを見てみないことには、自分が相手にとってあつかましいかあつかましくないかはわからないのだ。



    その女性の好みがあなたの取り柄と一致すれば、どんな美女だってあなたのことを好きになる可能性がある。もちろん、どんなイケメンや高収入の男性についても同じことだ。

    〈いいタイプのおめでたい人〉 ・周囲の批判を気にしない ・まずは行動してみる
    ・うまく行かなければ、次に行く身軽さ ・正解などない、と思う知的謙虚さ ということになるだろう。すなわち、「自己肯定感が高くて楽天的」という特徴がある。

    反対に、「悪いタイプのおめでたい人」を定義するなら「自分に都合のいい情報だけを受け入れて、耳障りな話をシャットアウトする人」としていいだろう。その結果、自分が損をしたり不幸になったりするだけでなく、周囲を傷つけたり、厄介ごとを引き起こしたりする。

    怪しげな儲け話でも、デートの誘いでも、「とりあえずは乗ってみることが必要なのではないか」という提案である。もちろん、最初から明らかに危険なものは問題外だ。でも危険がなさそうなら途中まで乗ってみて、「契約書に判を押せ」「ホテルに行こう」と言われた段階で拒絶しても大丈夫なのだ。〝人を見たら泥棒と思え〟タイプの人のほうが、いったん信じるとだまされやすいという社会心理学の実験結果もある。途中までは、一応信じて、あやしくなってから、対応を変えるほうが適応的なのだ。

    ものごとは俯瞰して捉える必要がある。そのためには「そんなことは気にしなくてもいいよね」という「おめでたさ」も必要なのである。

    世の中に絶対の真実なんて、そうそうない。違う視点を持っている相手との議論の中から、新しいアイデアが出てくることもあるはずなのだが、相手の意見を排除すること、論破することにエネルギーを注ぐ人が多いから、学問でも何でも停滞するばかりになる。 反対にいいタイプの「おめでたい人」なら、自分の理論を信じているにしても楽観的だから、「そんなことを言うんだったら、実証してみよう」という方向に動き、ものごとが前に進む。結果的に、進歩や進展があるかもしれない。

    森田療法の始者・森田正馬は「事実本位」と繰り返し述べている。やはり、「思いどおりにいくはずだ」「かくあらねばならぬ」という概念や理屈を並べてみても、目の前で実際に起きていることや自分が体験していることの事実には勝てない、という考えがベースにある。 そこで自分の思い込みと現実との間に矛盾が起こるわけだが、これを森田療法では「思想の矛盾」と呼んでいる。 たとえば、「男たるもの、いつも悠然と構えているべし」という信念を持っている人が人前であがったりすると、そこで「思想の矛盾」が発生する。不安が起こり、神経症が起こり……というのが、森田的な考え方だ。こういう場合、現実を受け入れ、あがるものは仕方がない、自分の思い込みを捨ててどうすればいいかを考えよう、という風に仕向けていく治療なのだ。

    最近流行のアドラー心理学(*)では、「人は自分に価値があると思えるときに勇気が持てる」とする。ここで言う勇気とは、対人関係に取り組む勇気のことだ。 始者のアルフレッド・アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」というところから出発している。「人から嫌われても平気だ」と思うことができれば、まったく自由になって悩みから解放されることになる。 だが、なかなか「嫌われても平気」とは思えないのが人間だ。誰しもひとりでは生きていけない。だからアドラー心理学では、「共同体に貢献していると感じられるときに、自分に価値があると思える」として「共同体感覚」が大きく重視される。 すなわち、自分は共同体の役に立っている、貢献しているという感覚があると対人関係の勇気が持てる、「嫌われる勇気」も持てるというわけだ。 ここで言う「嫌われる勇気」とは、繰り返し述べてきた「おめでたさ」に重なってくる。人からバカと言われようが、何らかの形で共同体に貢献しているという感覚が持てるのであれば、勇気を持っておめでたく生きることが可能になる。「おめでたい人」と言われて、楽天的に生きる方が幸福に近づける。 ひところはやった「ポジティブ・シンキング」や「プラス思考」は価値観の押しつけになりがちで、問題解決にはつながらないことも指摘されているが、一般的に見れば、楽天的に生きたほうがいいに決まっている(それも決めつけだが)。 いい意味(というか本来の意味)での「おめでたい人」というのは、「お金がなくなったら、最悪、生活保護を受ければいいや」と考えるようなタイプ。あるいはホリエモンのように「刑務所に入ったら健康状態がよくなってやせられる」と考えるような、最悪の状況下でも「いいこと」を見つける思考の持ち主なのだ。



    褒められて喜べる人 「おめでたい人」の典型的な思考・行動パターンのひとつに、「素直に喜ぶ」「素直に感動する」といった、屈託のなさがある。

    ものごとは俯瞰して捉える必要がある。そのためには「そんなことは気にしなくてもいいよね」という「おめでたさ」も必要なのである。

    世の中に絶対の真実なんて、そうそうない。違う視点を持っている相手との議論の中から、新しいアイデアが出てくることもあるはずなのだが、相手の意見を排除すること、論破することにエネルギーを注ぐ人が多いから、学問でも何でも停滞するばかりになる。 反対にいいタイプの「おめでたい人」なら、自分の理論を信じているにしても楽観的だから、「そんなことを言うんだったら、実証してみよう」という方向に動き、ものごとが前に進む。結果的に、進歩や進展があるかもしれない。

    人からバカと言われようが、何らかの形で共同体に貢献しているという感覚が持てるのであれば、勇気を持っておめでたく生きることが可能になる

    たとえば、将来アメリカで起業することが夢であるおめでたい人がいたとする。その思考は、もしかするとこんな風に展開する。 ①まず語学力が必要だろうから大学は留学しよう ②留学したらアメリカ人の友達ができるだろうから日本文化を紹介してより自分のこと・日本のことを知ってもらおう ③そのために書道・茶道を今から勉強しておこう ④書道はだめだけど茶道は意外に才能があると褒められて楽しくなってきた

    ⑤茶道の根底にある哲学を英語で説明できたらいいな ⑥英語も目的があると意外に覚えられる ⑦留学できた! 勉強はきついけど新しい発見ばかりで楽しい! ⑧成績はなかなか上がらないけど卒業はできそう、よかった ⑨アメリカでの就職は厳しいけど、とりあえずあきらめずにがんばってみよう ⑩就職は決まらなかったけど、アルバイトで日本食レストランで働ける ⑪茶道で得たお茶の知識をお客さんに話すととても喜ばれる! ⑫レストランで抹茶ドリンクを出してもらうことに! ⑬抹茶ドリンクがバカ売れ! レストランオーナーが資金提供をしてくれて、抹茶カフェを作ることが決定、小規模ながらもアメリカで起業実現!

    憂鬱な相手であったとしても、「あの店のデザートは絶品だっていうし、楽しみ」と思って出かけるおめでたい人は、さほど憂鬱な思いをすることもなく楽しい時間を過ごし、結果その人との関係が一気に改善されたりする。 おめでたい人が結局幸せに生きられるのは、こういう仕組みからなのだ。
    恋愛を例に考えてみるとよくわかる。 相手のことが大好きな時期には、「彼のいいところばかりが思い浮かんでくる」「彼女と行ったドライブは最高に楽しかった」などと、目を閉じればいい思い出ばかりが浮かんでくるだろう。ところがひとたび嫌いになると、欠点ばかり目についたり、イヤなところばかり思い出したり、猜疑心が膨らむことまである。死に別れた恋人や配偶者などの場合は思い出が過度に美化されて、次の恋人が苦労するといったことがよく言われるが、それも同様のメカニズムによると考えていい。 さらなる問題として、「自分はダメだ」「ツイてない」と思ったときに、不運を補うだけ努力しようとは、多くの人がなかなか考えられないということもある。こういうときに限って、「努力しても無駄なんじゃないか」と考えて、これがまた努力をしない理由になってしまう。これでは、その後もよい結果が起こらないので、ますます自分はツイていないと確信してしまう。 そのくらい、情報の取捨選択から記憶の再生、行動にいたるまで、認知と感情の結びつきは強いのである。


    心理学の観点から捉えても「おめでたい人」は、メンタル的に健康な日常生活を送りやすい。というのも「体にいい食生活・悪い食生活」があるように、「心にいい考え方・悪い考え方」があって、「おめでたい人」(繰り返しになるが「いいおめでたさ」である)は、「心にいい考え方」をしていることが多いからだ。 たとえば「この大学に落ちたら人生はない」「この女性にふられたら二度と結婚のチャンスはない」などと決めつけたり、白か黒か、敵か味方かといった二分割思考に陥ったりするのが「心に悪い考え方」なのだが、「おめでたい人」は対極にある。ひとつのことで失敗してもまだいろいろな可能性があると考えられるのは「おめでたさ」でもあるのだが、メンタルヘルスによい考え方であるし、認知的に成熟した考え方でもあるのだ。


    認知的複雑性が高い人は、「これもあり」「あれもあり」と受け入れられる人だから、外から見ると、いいかげんに見えたりするが、実は大変能力が高いのだ。

    ものごとをひとつの面から見るな、決まったわけじゃないというのが、養老さんの教えである。認知的複雑性が高い人は、「これしかない」などと一つだけの答えを自慢げに掲げたりはしないのだ。 反対に「これしかない!」と思い込む人は認知的複雑性が低いということになる。何度か述べてきたことだが、これはうつなどにかかりやすい「心の健康によくない考え方」でもある。

    もうひとつ、「おめでたさ」について鍵となる心理学の考え方が「メタ認知」である。メタ認知とは、自分の認知パターンを知ることだ。 ある判断をするにあたっては、十分な情報があって、十分思考をして、しかも感情状態に流されない状況下で決断をするというのが理想だろう。だから、何かの判断に関して「知識が足りていない状態での決断なんじゃないか」「単純にだまされていないか」など、自分の考え方にバイアス(偏り)がないかどうかを自問自答してチェックする。 たとえば「これは儲かる」「こうするのが楽だ」など決断の基準はあるにせよ、そのときに「ついつい自分は単純思考をしてないか」「自分は十分な調査をした上で決断をしたのか」、あるいは「感情に流されてないか」など、自分の認知について客観的にモニタリングするのである。

    メタ認知においては、「今、自分が置かれている場所」「状況判断をしている自分」そして、自分の感情状態(とそれによって起こりやすい心理)など認知しているかどうかが重要になる。

    つまり「おめでたい人」は、世間がダメだ、ダメだと言っているときに「ひょっとしたら、これを使って儲けられるんじゃないか」と考える。

    つまりまず人の話を聞いて、あるラインを越えたら乗らないというようなルール設定のほうが、はるかにだまされることの防御になるのだ。

    多くの人が「みんなと同じがいい」と考えて何もしないでいる時代だからこそ、人目を気にしない「おめでたい人」が成功する確率は高いのだ。

    安倍さんが「言ったことをコロコロ変えたっていいや」と思えるようになったのは、「人はどうせすぐ忘れるのだから」と開き直れるようになったからだろう。これは政治家としてはともかく、メンタルヘルス的には大進歩、ものすごい成長と言っていい。嫌みで言っているわけではない。生き方が圧倒的にうまくなったのである。

    安倍さんは悟ったのだろう。「まあ、いいや。みんなどうせ覚えてないし、すぐ忘れるよ」と。

    メタ認知、客観的にモニタリング

    メタ認知においては、「今、自分が置かれている場所」「状況判断をしている自分」そして、自分の感情状態(とそれによって起こりやすい心理)など認知しているかどうかが重要になる。

    つまり「おめでたい人」は、世間がダメだ、ダメだと言っているときに「ひょっとしたら、これを使って儲けられるんじゃないか」と考える。
    つまりまず人の話を聞いて、あるラインを越えたら乗らないというようなルール設定のほうが、はるかにだまされることの防御になるのだ。

    安倍さんは悟ったのだろう。「まあ、いいや。みんなどうせ覚えてないし、すぐ忘れるよ」と。

    人は、思うほどあなたを見ていない これまで話してきたとおり、「おめでたい人」の大きな特徴は、周囲にとらわれずマイペースであることだ。

    ずいぶんひどいことを言う、と思われるかもしれないが、これには「自分の力でばい菌がゼロにできると思っているのは、まさにうぬぼれだ」「顔が赤いのを自分で白くできると思うなら、そんなのはうぬぼれだろう」という解説がつく。神でもあるまいし、というのである。もうひとつ、「あなたはそんなに人に注目されていると思っているのか。うぬぼれだ」というのも追加できる。 人はあなたが思うほど、あなたのことを見てなんかいない。



    恋をした女性に告白するのが怖い人は「好きな女性にふられたなら、もう人生に絶望だ」などと思うかもしれないが、実際は逆だろう。ふられるのが怖くて声をかけなかったらどうだろうか? そもそも彼女の眼中に入ることもない。 そこで実らなかったとしても、エントリーしてきた勇気ある男として、彼女が認識を変える可能性だってある。 もしかすると何年後かに離婚して、その女性が子どもを一人連れて街を歩いているかもしれない。そんなとき「いやぁ、昔ふられちゃったけど、どうしてるかなと思ってた。こんなところで偶然会えるなんて」と声をかけたら、新しい人生の幕が開くかもしれない。

    人はなぜか、ふられるよりふったことのほうに引け目を感じるものである。ふられることによって失うものなど、小さなプライド以外にほとんどないと私は思っている。
    待っていれば、一過性の不人気などなんとかなる」と思えるのも、やはり達観である。要するに「どうせ支持率は戻るから」「みんな忘れるから」と織り込み済みなのだ。国民をナメてることは明らかだけれども、これもナメられるほうが悪い。

    整った風貌の政治家は、それだけで賢そうに見える。安倍さんの場合もルックスがかなりの部分、寄与している。まちがいなく彼の「いいところ」のひとつだ。 日本の場合、問われているのは「賢そうに見えるかどうか」であって、「本当に賢いかどうか」は、あまり問題にされない。 清純派アイドルは、清純だから人気が出るのではない。清純そうに見えるから多くのファンが集まるのだ。大事なのは「それらしく見えること」なのだ。

    「ものごとには正解がある」「自分の意見が絶対に正しい」という悪しき「おめでたい人」には、哀れを感じることも多い。

    どれだけ断られても、怒鳴られても、ひたすら電話をかけ続けられる理由のひとつは、彼らは確率論で考えないからだろう。つまり、「ひとり〝カモ〟をひっかければ300万円だ」と思えば、打率は関係ない。要するに1日に1件、それどころが、1週間に1件カモに出会うことができれば、相当の売り上げを確保することができるのである。だからこそ、どんなに失敗を重ねても、チャレンジの回数を増やすことが目的にかなっている。

    かけている。 もちろん、おめでたさが功を奏していたとしても犯罪はいけない。言いたいのは、彼らは「ダメなら次がある」という、真理を知っているということだ。

    これがダメでも次がある、という真理を胸に持ち続けられる人は強い。前にも書いたように、一人の女性に手ひどくふられても「次がある」と思えたら、いつかとんでもない美女を落とせるチャンスにつながる。これこそがおめでたい人が幸せをつかむ確率の高さの秘密だ。


    これがダメでも次がある、という真理を胸に持ち続けられる人は強い。前にも書いたように、一人の女性に手ひどくふられても「次がある」と思えたら、いつかとんでもない美女を落とせるチャンスにつながる。これこそがおめでたい人が幸せをつかむ確率の高さの秘密だ。

    「人間はこの程度の説明で納得してもらえる」とか「人はすぐ忘れる」といった見切りが大切だと言いたいのである。詐欺師の場合は、だますためにこの割り切りのようなものを使っているのだが、人に納得してもらうのを難しく考えすぎて、なかなか説得や商談に動けない人がいるのは事実である。

    「おめでたさ」が足りないとすべてに悲観的になる。「大丈夫。仮にそうなったところで、この程度までしか悪くはならないだろう」という自分の中の醒めた〝見切り想定〟を持つことも必要だろう。

    思っているからだ。 内閣府の調査によると「若い世代で未婚・晩婚が増えている理由」という問いに対して、未婚男性は「経済的に余裕がないから」、女性は「独身の自由さや気楽さを失いたくないから」「希望の条件を満たす相手にめぐり会わないから」という回答が上位にきている。 「俺といると幸せだ」「俺はセックスがうまいんだ」などと根拠なく勝手に思っている「おめでたい男」に、「おめでたくない男」たちはどんどん結婚相手をさらわれているのだ、と言っていい。現実に、貧しくて相当ルックスが悪い「おめでたい男」でも、それなりの彼女をゲットしたり、結婚したりしているものだ。

    逆にツキをたぐり込む人間は、目線が常に上に向いている。たとえば成績が落ちてきた受験生でも、試験でツキを呼び込む生徒や賢い生徒は、相当なところまで落ちてもあきらめないで上を見る。ところが「まだ下がいるや」と思っているタイプは、もっと成績が落ちていくのである。だから、自分よりダメな人間ばかり見ているタイプは、まず出世はしない。

    人がクサしまくっているときこそ、「長所」を見つけてみる。ゲーム感覚でいいから、他人の長所を見つける習慣を持とう。これだけでも「周りの人に合わせる」というシゾフレ思考から脱却するいい練習になる。 いわゆる「逆張り」の訓練だが、普通に考えても株が下がっているときに拾うのは賢いこと、つまり、「逆張り」にはいつでも〝チャンス〟がついてくる、ということである。 「あの人はこんなところがすごいんですよ」と、他人の長所を見つけて誰かに話していると、「ああ、こいつはいい人間だ」「眼力がある」と思われる。直接本人に向かって「すごいですね」とお追従など言わなくても、人間的な評価が上がる。ダメ上司の下から、他の部署へ引っ張られる可能性も出てくるし、出世の糸口にもなるかもしれない。

    日常の習慣として大切なのは「ダメなことよりもよかったことを思い出す。楽しかったことを記憶する」ことである。

    ①や③とつながることだが、思考や発想を日常的に転換することも大切だ。それには「ものの見方」をちょっと変える。視野を広げてみる。それを習慣化して身につけることが大いに役立つ。 例として、「東大に行かなければ人生終わり」と思い詰めている受験生を挙げよう。受験指導に携わる私たちは「東大に入ってからのことをちゃんと考えよう」とよく学生に話している。

    東大に行くのは、あくまでも「より幸せになるため」「世俗的成功を得るため」の手段であって、入学すること自体に目的があるわけではない。

    すでに何度も触れてきたようにプロセス(東大に入るのも開成に入るのも通過点であるし、人生のプロセスにすぎない)にこだわりすぎて「これしかない!」と思い詰めるのは、「おめでたさ」とはほど遠く、いい結果をもたらさない。



    すでに何度も触れてきたようにプロセス(東大に入るのも開成に入るのも通過点であるし、人生のプロセスにすぎない)にこだわりすぎて「これしかない!」と思い詰めるのは、「おめでたさ」とはほど遠く、いい結果をもたらさない。


    以前、私は何人かの精神科医に、「どういう人がメンタルにいい見本だと思う?」と聞いたことがある。そのときよく挙がったのが、タレントの高田純次さんの名前である。 ご存じ、「平成の無責任男」「テキトー男」などと称されて人気が高い。 第3章で「認知的複雑性が高い人はいいかげんに見える」という話題に触れたが、「適当」でいられるのは、ものごとを「これもあり」「あれもあり」と受け入れられる人だ。 「いいかげんさ」や「適当さ」は、行動を含めてさまざまなことのハードルを低くする。 たとえば「28+35は?」という問いに、普通なら「63!」と答えるわけだが、とっさにその暗算ができなかったときどうするか。 そんなとき、高田純次さんなら「3500」とか、めちゃくちゃな答えをとりあえず言うのではないだろうか。「まじめに答えてないんだな」と思えば、間違っていても許される。「64」とか「72」では「計算できないんだ」という話になる。 そもそも「いいかげん」だと思われていれば、何かにつけて得である。間違って当たり前、たまにちゃんとできると「すごい」と言われる。他人からの期待値は、クビにならない程度に下げておいた方がいい。ポイントは「がんばらなくてはならない」「期待に応えなくてはいけない」という「should(かくあるべし)思考」が強くなりすぎないことである。



    であれば、「落ちてもともと」「通ればラッキー」と開き直って勉強すればいいのである。


    失敗というと、多くの人が過大に考えてしまうのだが、「連帯保証人になって莫大な借金を背負わされた」といったことでもない限り、たいていのことは、失敗しても案外たいしたことはないと思うのではないだろうか。 開き直りは「おめでたい人」の長所と言える。こうした「失敗想定トレーニング」で、開き直って行動できるようになったほうがいい。 〝最悪〟を想定して、それが意外にたいしたことないと理解する。「どうせ答えなんかないんだから」と思って開き直ると、「適当」になり「おめでたく」なれる。

    幸せな人は最悪のことをあまり考えないというのは、不倫して盛り上がっているときはバレたときのことを想定しないのと同じである。最近も不倫発覚でベッキーはCMを切られてしまった。バレたときの被害想定ができないのが人間というものらしいが、最悪を想定しておく重要性(そうならないよう努力することも含めて)が、よくわかる事例だった。 逆に金持ちなど恵まれている人は、自分の生活を落とすことを過度に恐れて、犯罪や詐欺(まがいのことも含む)に手を染めることも多いらしい。しかし、借金を返さなくてもそれほど悪いことが起きないのと同じで、貧乏しても、意外にファストフードのようなものがおいしかったりするというような発見があるかもしれない。それが想定できないで犯罪に走り刑務所に入るようなら本末転倒である。

    今の時代、どんな情報でもそのままにしておけるものはないと思った方がいい。秘密にしていることでも、バレることを前提に最悪を想定しておくことは必要だろう。LINEのやりとりで不倫が発覚したベッキーの失敗事例を〝他山の石〟として役立てている人もいるはずだ。

    女性にふられた経験のない人は、なかなか声をかけられないものだが、1回でもふられることを経験すれば、「まあ、こんなものか」と思えるから、また声をかけることもできる。 暴力の脅しに弱い人は、殴られたり蹴られたりしたことがない人なのだそうだ。経験がないから異様に怖がるのである。殴られれば痛いのは当然だが、1回殴られたり蹴られたりしてみたら、案外こんなものかと思って恐怖心は薄れるという。ヤクザなどのプロは、それをわかっていて脅すのである。
    あらゆる「経験」は、9割方プラスに動く。1回だけでも経験しているのとしていないのではずいぶん違う。何ごとにつけ「まず、実際にやってみる」「動いてみる」ということでしか、あなたの思いが実現するチャンスは得られない。

    私が「安倍さんは案外、賢い人だな」と思ったのは、あれだけ集団的自衛権で騒がせて、国民の目がそこに釘付けになっている間に、上手に労働者派遣法の改正案を通し、TPPも決めてしまったことだ。観客の注意をうまく逸らしながらネタを披露していく手品師と同じである。


    そんな状況の中で生き残り、停滞を打ち破って大化けするのは、本書で繰り返し述べてきた「常識など気にしない」「何ごともポジティブにとらえる」「ダメな理由を考えるより、まず行動する」といった「おめでたい人」たちだ。

    新しい商品もサービスも、世の中はもっともっと小さなこと、無数の小さな妄想が集まってできあがっている。 「おめでたく」妄想したものの勝ちなのだ。

    死ぬまでに結果が出れば、それでいい。そう思えるおめでたさを身に付けられれば、誰より強い人になれることと、私自身信じている。

    思っているからだ。 内閣府の調査によると「若い世代で未婚・晩婚が増えている理由」という問いに対して、未婚男性は「経済的に余裕がないから」、女性は「独身の自由さや気楽さを失いたくないから」「希望の条件を満たす相手にめぐり会わないから」という回答が上位にきている。 「俺といると幸せだ」「俺はセックスがうまいんだ」などと根拠なく勝手に思っている「おめでたい男」に、「おめでたくない男」たちはどんどん結婚相手をさらわれているのだ、と言っていい。現実に、貧しくて相当ルックスが悪い「おめでたい男」でも、それなりの彼女をゲットしたり、結婚したりしているものだ。

    東大に行くのは、あくまでも「より幸せになるため」「世俗的成功を得るため」の手段であって、入学すること自体に目的があるわけではない。

    幸せな人は最悪のことをあまり考えないというのは、不倫して盛り上がっているときはバレたときのことを想定しないのと同じである。最近も不倫発覚でベッキーはCMを切られてしまった。バレたときの被害想定ができないのが人間というものらしいが、最悪を想定しておく重要性(そうならないよう努力することも含めて)が、よくわかる事例だった。 逆に金持ちなど恵まれている人は、自分の生活を落とすことを過度に恐れて、犯罪や詐欺(まがいのことも含む)に手を染めることも多いらしい。しかし、借金を返さなくてもそれほど悪いことが起きないのと同じで、貧乏しても、意外にファストフードのようなものがおいしかったりするというような発見があるかもしれない。それが想定できないで犯罪に走り刑務所に入るようなら本末転倒である。

    すなわち開き直りの効用である。女性に声をかけられない人なら、ふられても現状維持、うまくいけば幸福の絶頂になるわけだから、こんなに分のいい賭けはない。よほど高額のプレゼントでもしない限り、告白することそのものはタダでできるのである。

  • おめでたい人には、いいおめでたい人と、悪いおめでたい人がいるので、悪い方にならなければ、おめでたいほうがいい。閉塞感がある中で変化が求められる時代には、おめでたいくらいでちょうどいい。
    現時点での主観的な体験を変えることが、無意識の探究、問題の源泉を過去に求めようとすることよりもメンタルヘルスにいいし、実用的である。
    妄想力≒信じる力。考えても仕方ないことは考えない。好奇心。感動屋さんは対人関係でウケがいい。正解はないという思考。失敗しても次があるというおめでたさ。挑戦。上昇志向。

  • 和田秀樹のお手軽本。

    思考は現実化する なんてきこ書房のナポレオン・ヒルのロングセラーのパクリじゃん。

    おめでたい がキャッチコピー的なことを狙ってつけていると思うが、

    前向きとか、アグレッシブとか、楽観的とか、積極的とか
    という題名でないと 共感しづらい。

    定義もはっきりしない。

    お目出たき人 と同じにならないのか気になる。

    作者は武者小路実篤だったよね。
    お目出たき人 って
    馬鹿一 的かもしれないよ。

  • <いいタイプのおめでたい人>
    周囲の批判を気にしない
    まずは行動してみる
    うまくいかなければ、次に行く身軽さ
    正解などない、と思う知的謙虚さ
    <悪いタイプのおめでたい人>
    自分が正しいと信じて疑わない
    世間で言われていることを鵜呑みにしてしまう
    いったん信じると、他の人の声に耳を貸さない
    騙されていることに気づかない

  • 考えて動けなくなるより、「やってみなけりゃ分からないじゃん」という「おめでたい」思考でどんどん行動しよう!という本。

  • 非常に分かりやすい理論で、おめでたい人になることをすすめています。行動しなければ何も変わらない、とても納得できる内容でした。終盤の政治などの話は、「あぁ、どうしても言いたかったんだな」という感じですが、私はそんなに気になりませんでした。

  • おめでたい人にも、悪い例と良い例がある。
    悪い例は、ひとつのことに執着したり、まわりに迷惑をかけること。良い例は、まわりの意見にも聞く耳を持って、行動するひと。

    確かに、考えすぎてしまって何も出来なかったと言うのは良くあるし、細部、ばかりに神経質にこだわり過ぎて、全体としてちぐはぐだったり。

    楽天的過ぎるのも良くないとは思いますが、悲観的になりすぎるのは、もっと良くない。神は細部に宿るというけど、それぐらい良い仕事をするには、おめでたい気持ちは、最低限、必要かと思います。

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著者プロフィール

1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、高齢者専門の総合病院である浴風会病院の精神科を経て、高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたり高齢者医療の現場に携わっている。
主な著書に、『80代から認知症はフツー』(興陽館)、『病気の壁』(興陽館)、『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』(マガジンハウス)、『80歳の壁』(幻冬舎)、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社)、『老いの品格』(PHP)などがある。

「2024年 『死ぬまでひとり暮らし』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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