「わかり方」の探究 思索と行動の原点

著者 :
  • 小学館
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (302ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784098373604

感想・レビュー・書評

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  •  以前紹介した『学びを問いつづけて』の著者です。金大附属の発表会のときの講師として招待している(この方の理論を元に研究している)ということを中前さんから聞いたので,オジャマする前に読んでおかなければと思って手に入れて読んでなかったやつです。
     本書の発行は2004年となっていますが,収録されている文章は,1984年~2004年に執筆したもので,著者の考え方が手に取るように分かる気がします。
     具体例を挙げてみます。

     日本人の「話し方」に存在する気くばりの大部分は,第三人称への気くばりである。「みんな」,「よその人」,「見知らぬ人」,「お客さん」,「聴衆」などへの気くばりである。必然的に,「トラブル最小の法則」が優先する。…中略…「○○さんに質問だけど…だと思います。どうですかァと」発言し,「そうでーす」と一斉に答える。きちんと手をあげ,起立して椅子を机の下に押し入れて,「いいですかァ」といい,おもむろに,「意見なのですがァ…」という。
     実に明瞭である。誤解の入るスキもない。しかし,「話し」口調ではなく,「きまり文句」を「読みあげ」ているような(しかも棒読みで),へんなイントネーションで叫んでいるのが,「話し方の指導」のゆきとどいたクラスである。
     要するに,「次の三つのボタンのうちどれか一つを押しなさい」というメッセージと,ボタン押しが「会話」なのである。(232p)

     昨日,進学先の中学の体験入学があった。そこでは,管理が行き届いた子どもたちの姿をみることができた。号令で動くことが悪いとは思わない。が,この気持ち悪さは何だろう。ある生徒たちが少し騒いでいたのがせめてものすくい。たぶん,この子たちは,自分を出している。誘導された担任たちが体育館に入っていくと,小さく手を振ってくれる生徒もいる。わたしも小さく手を振ってあげた。ほっとする姿。
     そして模擬授業。英語だったが,この授業をする目的は,規律を教えることではないか,と思えた。中学校での授業の始め方(あいさつや号令,椅子の扱い方)をしっかりとやらせていた。私の授業とは大きくちがう。これも,別にやりたければやればいいと思うのだが,心配なこともある。それは,こういう型にはまったやり方をやっているうちに,授業そのものが死んでこないか,受け身になってこないか…ということである。「凡事徹底」もいいが,その結果として,子どもたちが自由に発想したり,話し合ったりすることがやりにくくなるようでは,まさに,「学びからの逃走」が起きるだけのような気がする。これがわたしの取り越し苦労に終わることを祈るだけだ。
     本書には「勉強=学び-遊び」という式も出ていた。私たちが目指すのは「勉強」ではなく「学び」なのだろうな。

著者プロフィール

佐伯 胖(さえき ゆたか)
1939年生まれ。専門は認知心理学。ワシントン大学大学院心理学専攻博士課程修了。東京大学・青山学院大学名誉教授。日本認知科学会フェロー、日本教育工学会名誉会員。おもな著書に、『「学び」の構造』、『「きめ方」の論理』、『「わかる」ということの意味』など。訳書にレイヴ+ウェンガー『状況に埋め込まれた学習』などがある。

「2022年 『人を賢くする道具』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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